真田みのこ オリジナルJUNE小説
BRAN−NEW LOVERS
(3)
2001年10月7日更新
眩しい陽の光を感じて、伊織は目を覚ました。
昨夜は結局、ソファーで一戦を交えた後、シャワーを浴びながら、ベッドになだれこんでと、三連戦も行ってしまったのであった。
ベッドの隣で寝ているはずの長田の姿が見あたらなくて、一体何時なんだろうと、まだぼんやりしている頭を起こして時計を見ると、『7:15』と表示されていた。
長田が会社へ行くにはまだ少し早い時間なので、もしかしていつものジョギングかなあと思い当たって、そのタフさに感心しながら、伊織はもう一度枕に顔を伏せるのであった。
まだ疲労がずっしりと重く身体に残っていた。昨夜の自分の痴態を思えば自業自得なのではあるが、それでも、心の中にポッカリとあいてしまった穴は、貪欲に彼を求めてみたけれども、埋める事は出来なかった。むしろ会う前よりも、その空しさは大きくなっている。
理由は考えるまでもなく、長田の態度がいつもと少しも変わらない事であった。自分は彼の転勤を知らされて、こんなにショックを受けているというのに、彼はそれを伊織に話そうともしないのである。それでいて、一月ぶりではあるが、突然押し掛けてきた自分を彼は優しく迎え入れてくれた。
所詮はそれだけのつき合いであったのだと思えば、それまでなのだが、割り切れない心は優しくされればされるほど、僅かな期待に縋ろうとしてしまい、一方で平気な顔をして自分に転勤の事を告げようとしない彼の真意を分からなくさせてしまうのであった。
それでも、一緒にいたいと願うのだから、かなり自分は重傷なのだと改めて気づいたけれども、もう、遅いのかもしれない。
あれこれと考えていた伊織であったが、疲れから、またウトウトと眠りの世界に入ってしまうのであった。
バタンという扉の音に、再び伊織の意識は浮上する。長田が帰ってきたのだと思った彼はウ〜ンと伸びをしながら、もそもそと起き上がるのであった。
「起きたのか、伊織。もっと寝ていればいいのに・・・・・・」
白のTシャツとトレーニングパンツ姿の長田が、寝室の入口に立って声をかけてくる。手にはパンや果物の入った袋を下げていた。
(えっ、もしかしてわざわざ買いに行ってくれたの?)
こんな長田の何気ない優しさが好きであった。
「朝飯、すぐに用意するから待ってろ。凄く飢えているんだろう?」
昨夜の伊織の言葉をからかってニヤリと笑う長田に、やられたとばかりに大げさに顔をしかめてみせる。一本とられて恥ずかしく嬉しくもあったが、悔しいので平静を装って見せる。こんなつまらない意地をはってしまう自分の性格を、今更変えることは容易ではない。
「とてもタフな誰かさんのお陰で、もうペコペコだよ。あんなに運動しておいてジョギングだなんて、長田さん、元気あり余ってんじゃないの」
「まあね」
フフンと鼻で笑って返す余裕に、とても太刀打ちできなくて、あっさりと負けを認める。
「元気なオヤジにはかなわないな、もう・・・・・・。御免ね、突然、おしかけちゃって」
神妙に謝ってみせると、彼は近寄ってきて、伊織の頭をクシャクシャと撫でてくれた。
「仕事、忙しかったんだろう。TVとか新聞、雑誌にいっぱい出てたな。みんな伊織の事、誉めてあったぞ。頑張ったな」
「うん」
長田に自分の仕事を認めて貰えるのが何より嬉しくて、思わずニッコリと笑ってしまう自分が、かなりいじらしく思えてしまう。
伊織の頭に手を置いていた長田がゆっくりと身を寄せてきて、耳元で囁いた。
「スーパーモデル『イオ』の裸は、確かに目の保養になるが、そろそろ服を着てくれないか。このままだと、確実に会社に遅刻するようなことになりそうだ」
そう言われてまだ自分が裸のままであることに気づいた伊織は、赤面した。
「このスケベおやじ!!」
「お互い様!!」
笑いながら長田はキッチンへ消えていったが、その後ろ姿を見送りながら、伊織は昨夜の行為を生々しく思い出して、自分の心臓がドキドキと高鳴るのを感じるのであった。
伊織はもそもそとベッドから起きあがって、壁に収納されているクローゼットを開けた。ここには泊まりに来た彼が持ち込んだ服や備品とかが、いつの間にか増えていっぱいになっている。その中からゴソゴソと下着と洋服を探しだしながら、ふと、もうこれらを片づけなくてはいけないのだと気づいて、折角の幸せな気分も忽ち打ち消されてしまった。
最悪な気分でノロノロと服を着て、洗面所へ行く。そこにも伊織の愛用のハブラシとかが置いてあって、ますます彼の心を暗く落ち込ませた。
長田は上司の娘である奥さんと離婚したせいで、パリに飛ばされてきたと聞いていたが、それが日本へ呼び戻されたということは、ほとぼりが冷めて元のエリートコースへ戻れるということなんだろうと、伊織は思った。
それは彼のためにはとても良いことのはずである。そもそもパリ支店というヨーロッパの中心的役割を果たす重要な拠点で、中心となってバリバリ仕事しているくらいなのだから、長田は本当に優秀な人材に違いない。飛ばされてきたなんてとんでもないことで、事実上は栄転に違いないのだろう。そして、日本へ帰れば、パリ支店での実績を認められて昇格するのに違いない。
(喜んであげるべきなのに、俺って心狭いかな?)
自分の気持ちだけを考えている寂寥な心が浅ましく思えて、伊織は自己嫌悪でいっぱいになった。 (ああ、駄目だ、駄目だ。こんな事じゃますます嫌われるぞ)
伊織は自分に喝を入れるために、バシャバシャと乱暴に水で顔を洗って、パンパンと強く叩いた。
(あっ、痛い〜っ、叩き過ぎ!!)
鏡の中の自分は、とてもトップモデルとは言えない、今にも泣きそうな、暗くて酷い、情けない顔をしていた。
「伊織〜っ、飯〜っ」
長田の自分を呼ぶ声にハッと我に返ると、濡れた顔をタオルで乱暴に拭うと、台所へ向かうのであった。
おいしそうなパンの焼けたに追いが漂い、ベーコンエッグとマッシュポテト。そして、トマトとレタスのサラダと、コーヒーとグレープフルーツジュースが、二人分テーブルの上に並んでいた。
長田は大学入学に上京してきて、会社に勤めるようになってから結婚するまでずっと一人暮らしをしていたので、家事全般をそつなくこなす。伊織も母親が幼い頃より働きにでていたために、結構、いろいろ出来る方だったが、彼にはかなわないと思う。
こんなに何でも器用にこなされたら、さぞや奥さんも立場がなかっただろうと冗談まじりに聞いたことがあったが、奥さんは家事が全然駄目な人だったので、ますます腕を上げる結果になったと笑って話してくれた事があった。
美味しそうな料理を目の前にすると、本当に自分がかなり飢えていることに伊織は気づいてしまった。『天吉』で無茶苦茶やけ食いしたはずだし、ショックでとても食欲なんてわいてこない状況のはずなのに、昨夜の激しい運動のせいで綺麗さっぱり消化されてしまったらしく、節操のない腹の虫がキューッとなって、空腹を訴える。
「いただきます」
伊織はパンにガブッとかぶりつき、ゴクゴクとジュースを飲んだ。
「伊織、ちょっと痩せたな。忙しくてもちゃんと食べろよ。お前って変なところで神経質だから、普段はビックリするほど大食いなのに、何かあるととたんに喰わなくなるよな。仕事の方はまだ忙しいののか?」
長田も食事をしながら、伊織に尋ねてくる。
(俺のこと、心配してくれてる?)
彼の何気ない一言が嬉しくて堪らない。
「モデルは身体が資本だからちゃんと気をつけてるよ。下手に痩せても駄目だから。仕事の方はパリコレが昨日で一段落したからちょっと一息ってとこかな。まだ、ロンドンとニューヨークとかあるけれどね。長田さんはどう?変わりない?仕事、忙しい?」
さりげなく口にして、ドキドキしながら伊織は長田の答えを待った。が、彼の一瞬の沈黙が、伊織の不安の芽を大きく成長させた。
「俺は・・・・・・、とりあえずいつもどおりってところかな」
「そう」
(嘘つき!!転勤が決まったって事、俺に知らせる必要なんかないって思っているのかな?)
ガ〜ンと頭を殴られたようなショックに、一気に食欲も失せてしまった。
自滅してしまった自分が哀れで、今更聞かなければ良かったと後悔しても、もう遅い。
(しょせんはセックス・フレンドか・・・・・・。まだちょっとでも心配して貰えるだけ、いいのかな)
あれこれ考えているうちに、知らずベーコンエッグをフォークでつついて、グチャグチャにして、とても食べたいとは思えない代物になり果ててしまったそれを恨めしげにじっと見ていたが、長田の視線にハッと気がついて、慌ててガツガツと口の中に放り込んだ。
すると、彼の手が伸びてきて、伊織の頭をまたクシャクシャと撫でてくれた。まるで聞き分けのない子供をあやすように優しかったが、心には新たな痛みが走るのであった。
本当に罪な男であった。
「そろそろ出かけないと、遅刻しそうだ。時間があるならゆっくり休んでいけ。ついでに洗いもの頼むな」
「うん」
長田は食器を流しに置いて、台所を出ていく。その後ろ姿をぼんやりと見つめながら、フ〜ッと溜息をついて、覚悟を決める決心をするのであった。
「それじゃ行って来る。また、連絡するから」
すっかり身支度を整えたスーツ姿の長田は、かなり気落ちした伊織には眩しすぎる存在で、自分とは別の次元に生きる人間なのだと言うことを嫌でも認識させられた。
「うん、待ってる。いってらっしゃい」
軽い口づけを交わして、長田を見送る。
きっと次の連絡なんて来ないだろう、そんな予感がした。彼が悪いのではない。そういう
関係でしかいられない、愛していると素直に言えない自分が悪いのだと、伊織は何度も自分にそう言い聞かせてみる。
(二度目の大失恋か。俺って恋愛運が最低なのかも)
そんなはずはないと信じたいけれど、そうとでも考えないとやりきれないものがあった。
(大好きだったよ。長田さん、ありがとう)
とてもいい人だった。人を見る目は確かだと思う。自分みたいなガキで我が儘な奴に愛想を尽かさずに、ちゃんと相手してくれたのだ。
涙が出そうになって、気を紛らわそうと、台所で洗い物を片づけた伊織は、クローゼットの中の自分の荷物を袋に詰めるだけ詰め込んだ。持って帰ってもしょうがない歯ブラシも捻り込んだ。捨てて帰るのも後味が悪い感じがしたのだ。
思いつくものを全て詰め込んだら、大きな袋に3つにもなって、この一年、彼の部屋に当たり前のように入り浸っていた自分に改めて気がつくのであった。
貴重で素晴らしく居心地の良い穏やかな時間。それを手に入れながらも無駄に過ごして、結局彼との間に確かなものを何も築く事が出来なかったのは、自分が愚かだったからだ。彼のせいでは決してない。
その証拠に、自分はこんなにも彼を愛している。
最後に、部屋をもう一度ゆっくりと見渡して、伊織はヨイショッと3つの袋を両手で持って、扉を閉めた。
(さようなら、長田さん・・・・・・)
本当はかなり未練たっぷりであったが、諦めなければならない。見苦しく縋り付いて疎まれるのだけは嫌であった。
心を決めたはずなのに、それでもやっぱり涙が零れそうになったが、グッと唇を噛みしめて堪え、伊織は歩き出した。
カシャカシャッと軽快にシャッターを切るカメラマンの指示に応じて、次々とポーズや表情を作っていく。
「イオ、笑って、そう。今度はちょっと右を向いて、視線だけこっちに。そう、いいぞ、最高だ。ゾクゾクするよ、その目。うん、素晴らしいよ、イオ!!」
フィルムの最後を取り終えて、カメラのファインダーから残念そうに顔を上げるカメラマンの様子に、伊織はホッと一息をついて、熱く火照った身体から力を抜いた。
「まったく素晴らしいよ、イオ」
助手にカメラを渡したカメラマンのアラン・ネヴィルが、満足そうに微笑みながら、イオの元に歩み寄ってきた。
「君は美しいだけじゃない。俺も美人といわれる女も男も山ほど撮ったが、君は別格だよ。こちらが欲しい姿を完璧なものにして表現してくれる」
普段は滅多にお世辞など言わない、偏屈で毒舌だが腕は一流というカメラマンには珍しい賛辞であった。
「ありがとう、先生。こちらこそ先生に撮って貰えるなんて、幸せです」
「先生だなんて、俺と君の間でそれはないんじゃないか?本当につれないねえ。アランと呼んでくれって言ってるだろう」
自分よりも10センチ程背の高い伊織を見上げるアランは、真剣な視線で訴えながら、長い指でしっかりと伊織の手を取りガッシリと握手して放さない。。
「俺なんかがそんな恐れ多いこと出来ません。超売れっ子で、世界中のモデルがこぞって写真を撮ってもらいたいと願う天才カメラマンの先生を呼び捨てだなんて。俺、まだ長生きしたいですから」
それは本当の事であった。
アラン・ネヴィルは、42歳。今や世界中に名前の知られた売れっ子のカメラマンであった。人物を撮らせたら天才と言われるほど美しく幻想的な独特の世界を作り上げる。
彼の撮った写真が載るだけで、雑誌の売り上げが倍は違うという伝説さえ持っていて、世界中のモデルが彼に撮ってもらいたいと願い、出版社は彼のスケジュールを取るのに熾烈な戦いを繰り広げているというのも、オーバーな話ではない。
彼に写真を撮って貰えるだけでそのモデルの、雑誌の格が上がるとさえ言われているのだ。
「何を言ってるんだ、イオ。君を撮りたいと思っているカメラマンがどんなにいることやら。俺だってずっと指名していたのになかなかスケジュールがあいてなくて、やっと今日願いがかなったんだからな。随分と待たせてくれたよ」
拳で軽く冗談まじりにイオの胸を打つ振りをしてアランは笑った。
「でも、待ったかいがあったというものだよ。ありがとう、イオ」
「いいえ、こちらこそ。先生に撮って貰えて光栄です。とてもいい仕事が出来ました」
その言葉に嘘はなかった。
分刻みのパリコレが終わって、次のコレクションまでの間に入っていた唯一の仕事であった。パリでモデルを始めた頃は、それこそあっちのオーディション、こっちのオーディションと飛び回り、こなせる仕事は何でも飛びついたものである。
今でこそ余裕を持って仕事をこなす事が出来るようになったが、今は仕事の忙しさに身を紛らわせたいというのが伊織の心境であった。
仕事に集中することで、長田の事を考えずにすむからである。何とか諦めようとしたが、どんなに頭で割り切ろうとしても、気がつけば彼の事を思って落ち込んでしまう自分がいた。
前に呼んだ本の中で、恋をしているときは仕事に集中できず、失恋したときの方が一生懸命仕事に取り組むと書いてあるのを読んだとき、それは逆じゃないのかと納得出来ないものを感じたのであるが、こうして自分の身の上に起こって見て、それが正しかったことを癪だけれど思い知らされていた。
「イオ、今日、これから食事につき合ってくれないか。このまま別れたくはないんだ。君といろいろ話がしたい。このところの君のつれなさはみんなから聞いているけれど、是非、つき合って欲しいんだ。頼むよ」
誰もが焦がれる天才カメラマンにこれほど言われて、悪い気はしなかった。パリに来た頃、失恋して荒れていた伊織は、気に入った相手に誘われれば断ることもなくつき合った事も度々あった。それなりに楽しみもしたが、自暴自棄みたいな気がしてすぐに止めたが、アランはそんな遊び相手の一人でもあった。
「良いですよ」
伊織は頷いた。そんな彼に驚いたのはアランであった。断られるのを承知で駄目元で誘ってみたのだが、こんなにあっさりOKされるとは思ってもみなかったのだ。
「本当に?本当なんだね!!ヒューッ、やった。嬉しいよ、イオ」
満面に笑顔をたたえ、子供のようにピョンピョン飛び上がりながら、伊織に抱きついてくるアランの喜びに、いささか戸惑いながらも、間違いないと大きく頷くのであった。
「アランとは、久しぶりですからね。美味しいものをご馳走して下さいね」
「ああ、もちろんだとも」
一人でいるのが嫌だという理由だけでOKした伊織であったが、自分の思惑とは関係なく素直に喜んでくれるアランにすまなくて、心でそっと謝るのであった。
「本当に楽しかったよ、今夜は。このまま返したくないと言ったら、望みすぎだろうか」
マンションの前までタクシーで送ってくれたアランが車から降りかけた伊織の手を取り、そっと耳元で囁く。
アランとは食事をした後、場所を変えて飲んでいたのだが、思いがけなく楽しい時間を過ごす事が出来たので、伊織の気分は悪くなかった。
アランが言わんとする意味もよく分かった。別に彼と寝るのも嫌ではない。フリーになった身の上だし、一人で過ごす時間の辛さも知っていたので、一瞬だがこのまま流されてみても良いような気がした。が、そうしてもきっとこの心の空しさを埋めることが出来ないし、そんな事に利用する相手としては勿体ない相手だと思ったので、伊織は静かに頭を横に振った。
「御免なさい。アランとはこれからも良い関係でいたいから、駄目だよ。このままだと俺、寂しいってだけで貴方を利用してしまうから。そんな事、したくないんだ」
そう言って断りながら、アランの唇に軽く口づけるのであった。
「ああ、イオ、残念だが、とても素晴らしい夜だったよ。君に利用されるなら俺は死んでもかまわないんだが、君にそう言って貰えたというだけで、今夜のところは我慢するよ。でも、諦めないからな」
引き際を心得た大人の余裕が嬉しい。
「ありがとうございます」
伊織はにっこりと笑って、車を降りた。そして、去っていくタクシーを見送りながら、長田という存在がいかに自分の心を大きく変えたかを、また思い知るのであった。
つづく
今回は改訂、書き下ろしと頑張ったのであまり進展していませんが、頑張りました。
遅くなって御免なさい。
ボチボチ頑張って連載していきますので、よろしくおつきあい下さいませ。
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