真田みのこ オリジナルJUNE小説
BRAN−NEW LOVERS
(8)
2001年11月3日更新
待ち合わせに指定されたバーの扉を、長田は少しだけ躊躇いながら開いた。いかにも高級そうな店の内装は、いやみなくらいにゴージャスだが、ゆったりとした落ちついた雰囲気が漂っていた。
店の中には待ち合わせた人物の姿は見当たらず、長田は少しだけホッと安堵のため息をつきながら店内へと歩みを進め、そして、入り口から良く見えるカウンターの席へと座った。
「いらっしゃいませ」
すぐにバーテンダーに声をかけられ、ブランデーを注文した彼は、居心地の悪さを誤魔化そうと、ゆっくりと店の中の様子を見回した。
客の入りは六分くらい。上流階級の紳士の社交場といったところであろうか。静かにそれぞれがくつろいだ時間を楽しんでいるといった感じであった。
ブランデーをゆっくりと味わっていると、まもなく待ち合わせの相手が現れた。その姿を見たとたんに、自分が緊張するのを長田は感じていた。
「やあ、呼び出してすまなかった」
右手を軽く上げて、旧知の友のように笑ってみせる相手と、会うのは今夜で二度目である。
手入れされた金色の髪と、印象的なブルーな瞳。キリッと引き締まった男性的な顔立ちは、癪なほどに整っていた。見るからに上等な布地で仕立てられた品の良いスーツと趣味の良いネクタイ。歳は長田よりも少し上で、30代後半か40代始めくらいであろうか。同性の目から見ても十分なほどにハンサムでダンディーという言葉がピッタリの人物であった。
男の名前は、 レイモンド・ギャラン。一流モデルクラブ『エトランゼ』の社長で、他にも幾つもの会社を経営する実業家であるらしい。
「天は二物を与えず」という諺は、この男を前にしてはまったくの出鱈目としか思えない。そんな男を相手にして、遥かに自分の分が悪いことを思い知らされたようで、長田は憮然とした表情で、レイモンドを見つめた。
優雅な足取りで近づいてきた彼と、平静を装って握手を交し合う。レイモンドは長田の隣に腰掛けると、同じブランデーを注文した。
「長田、今夜、私が君を呼び出したのは、もちろん伊織のことなのだが・・・・・・」
『伊織』と言う名前に、チクリと胸が痛みを伴う。
「君は伊織と付き合い始めて、どのくらいになる?」
相手の出方を伺うような鋭い視線で尋ねられて、余計なお世話だとムカつきを覚えたが、一呼吸おいて心を静めると、答えるのであった。
「私がパリに来てすぐでしたから、二年です」
「二年か。私は伊織と出会って五年になる」
勝ち誇ったかのようにそのきりっと引き締まった口元に微笑を浮かべて見せるレイモンドの様子に、(それがどうした)と叫びそうな自分を必死で押しとどめて、長田もまた彼の真意を探ろうと出方を伺うのであった。
「伊織は日本で私が見つけた宝物だ。その時はまだ17の子供だった。モデルとしてもまだ駆け出しで、日本では少しは売れていたらしいが、世界相手には全く無名だった。だが、私には誰よりも美しく輝いて見えた。私も若い頃は興味半分にモデルをしていたこともあったが、伊織は別格だったよ」
伊織の事を思っているのか、冷ややかな印象のする深い青い瞳に優しい暖かな光が宿るのを見て、長田は激しい嫉妬を覚えるのであった。自分よりも伊織を良く知っていて、一番近くにいる男なのである。
今まで伊織とそういう関係になってからは、彼の一番近くにいるのは自分なのだと勝手に思い込んでいた。それほどに伊織と過ごした時間はとても心地よくて、多くを語らずとも分かりあえる親密な仲なのだと勘違いしていた。たとえその気持ちを改めた言葉にしなくても、伊織もきっと自分と同じ気持ちで分かってくれているのだと信じていたが、それは一人相撲であったことを思い知らされたばかりであった。
伊織の面影が長田の脳裏に蘇り、胸が切なくなる。こんなに誰かを好きになり、そして、失ってその大事さを痛感したのは伊織が始めてであった。
世界的に活躍するスーパーモデルである伊織。身長は190センチと日本人としては大きいほうで180センチある長田よりもまだ高いが、バランスのとれた恵まれた肢体と『東洋の奇跡』と称される完璧なまでの美貌であり、日本人にしては少し色素の薄い茶色の瞳と柔らかな栗色の髪をしていた。
気まぐれで我が侭で、気が向いたときだけ擦り寄ってきて飽きたらこちらの気持ちなどおかまいなしにプイと去っていく姿は、まるで猫のようだと思ったことがある。それも飛び切り毛並みのいい美猫である。自分がいかに綺麗で可愛いかを知っていて、相手の興味が自分にあるのを知っていながら気づかない振りしたり、時には挑発してみせたり。どんなに用心していても、気が付けばすっかり虜になってしまっているのだ。
長田もまたそうであった。甘えてくる伊織が妙に愛しく思えて、酒に酔った勢いで抱いてしまったのが始まりであった。売れっ子のスーパーモデルでありながら少しも気取ったところがなく、その派手な外見とは違って、素顔の伊織はとても子供っぽく素直で、それでいて結構繊細なところとか、拗ねてみせる仕草さえも魅力的であった。
だが、伊織に言われてショックだったセックスフレンドの関係になってからも、必要以上にプライベートな部分に踏み込んでこない伊織の、強引でありながらも時として謙虚な態度はとても心地よくて、気がつけば側にいるのが自然なくらいに馴れ合ってしまっていた。
もともとノーマルである長田にとって男を抱くという行為は、伊織が始めてであり、大した抵抗感も覚えずにむしろのめり込んでしまった自分自身に少しは驚きもしたが、関係を続けることは彼の望むところであった。
ところがあの日、家に帰ってみれば伊織の姿どころか、何時の間にか部屋に増えていた荷物さえもがすっかり消えてしまっているのを見たとき、感じたなんともいえない寂しさと、前夜の激しい行為中に伊織が見せた少し寂しそうな様子をおざなりにしてしまった後悔に心は引き裂かれそうでになかってしまた。
そして、今も思い出すだけで長田の胸はキリキリと痛みだし、いかに自分が伊織の事を愛していたかを自覚させるのであった。
今、目の前にいるレイモンド。ギャランは、伊織の信頼を一身に受けた男であった。伊織の部屋を訪ねたときに二人の仲むつまじい姿と、伊織の本心を知ってしまったのだ。伊織がレイモンドを深く愛していることを。
だから、彼から電話を受けたときは何を今更話しなどあるものかと怒りの感情が先走ったが、心の奥ではまだ伊織の事を諦めきれずにいる自分を強く感じて、レイモンドの誘いに応じたのであった。が、のろけを聞かされるのは御免であった。
「ミスター、ギャラン。貴方と伊織の関係を自慢したいだけなのでしたら、私はこれで失礼させていただきます」
なるべく平静を装って、席を立とうとした長田の腕をレイモンドが捕らえる。
「まあ、待ちたまえ。話はこれからだ。君と伊織にとっても悪い話ではないと保証しよう」
意味ありげに含み笑うレイモンドの取り澄ました美貌にむかつきながらも、長田が席に座りなおしたのは、伊織への未練であった。
「よろしい。君の気持ちが本気かどうか少し試させてもらったのだ。本気と分かって嬉しいよ。もし、単なる遊びだったというのならば私のほうが君を許しはしなかった。私は伊織が可愛い。アレを傷つけるものがあれば私は何をしてもそれを排除するつもりだ」
そういうレイモンドの表情は先程までとは違って、真剣さが漂っていた。
「ミスター、ギャラン。俺は伊織を愛しています。こんな事態になってものこのこと貴方に会いに来たのは、伊織のことを諦めきれないからです。確かに俺は伊織に愛しているということを言葉で告げたことはなかったし、そのことを深く後悔しています。が、少なくとも俺は本気でした」
ライバルへの告白は癪であったが、長田はたった二年であっても自分と伊織の関係を遊びで終わらせることはしたくなかった。妻と離婚したときでさえも、こんなに動揺することはなかった。
『貴方の優しさは残酷よ』と言った妻の言葉に間違いはなかったと今なら理解出来る。長田としてはそれを意識してそうしているつもりはなかったが、来る者拒まずでそれなりの優しさを見せるものの決して本気にはならなかった彼の、相手への優柔不断な態度は、思いやりではなくて、傷つけるだけでしかなかったのかもしれない。
しかし今度ばかりは簡単にこの恋を失う訳にはいかなかった。彼は伊織を心の底から深く愛しているのであった。
「だったら何故、転勤になった事を伊織に黙っていたのだ」
「黙っているつもりはありませんでした。そもそも、俺は二人の関係がこれで終わりになるなんてことを考えてもいませんでした。ただ、伊織の仕事が忙しいのが分かっていたから、落ちついたら話そうと思っていたのです」
長田の言葉に反応して、レイモンドがあからさまにため息をついた。
「伊織はそれを誤解した。君が別れるつもりだから話さないのだと勘違いした。君が自分の事を愛しているなんて思ってもなかったのだろう。だから、自分から身を引いた。アレは自分の気持ちよりも相手の気持ちを尊重する、そんな奴だ。気まぐれで我が侭はアレの売りではあるけれど、本当はとても繊細で善良な心の持ち主である。あえていつ別れてもしこりの残らないセックスフレンドなんてものに甘んじようとしたのは、アレなりの精一杯の君への思いだったのだ。執着心が無さ過ぎるのが唯一の欠点で、もう少し欲を持ってくれるとありがたいのだが、そんな欠点さえも魅力なのだから始末に悪い。馬鹿な子ほど愛しいと言うのを実感させられたよ」
長田はレイモンドの言葉に強いショックを受けるのであった。
「俺が愛してないから、伊織は身を引いたって言うのですか?俺は好きでもない男を抱く趣味はありません。もう、何てことだ・・・・・・」
長田は混乱して、グラスのブランデーを一気に飲み干した。熱い液体が喉を流れていく様を苦々しい思いで味わう。もどかしさが消えなかった。
結局は自分の優柔不断な態度が伊織を傷つけてしまっていたのだ。彼がどんな思いでいたのかを考えると、心が痛むのであった。そして、長田の気持ちを確かめようともしないで、何も言わずに去ろうとした伊織を少し恨めしく思うのであった。
どうして怒りをまっすぐに自分に向けてくれなかったのであろう。そうすれば誤解などあっさり解けたし、お互いの気持ちを確かめ合うことも出来たであろう。
だが、何よりも悪いのは伊織の気持ちをしっかりとした言葉と態度で捕らえていなかった自分なのだ。
(許してくれ、伊織)
心の中で詫びてみる。だが、それだけではこの思いは伊織には届かないのだ。もう、手遅れなのかもしれないと思うと、無念さばかりが募るのであった。
「随分と都合のいい奴に思われてもかまいません。もう一度伊織に会いたい。会って話がしたい。ミスター、ギャラン。伊織に会わせてください」
長田はプライドをかなぐり捨てて、ライバルへと頭を下げた。
「もう、手遅れかもしれない。それでもいいのですか?」
レイモンドの青い瞳が長田の真意を探るように真っ直ぐに見つめてくる。長田はその鋭い視線を受け止めて、大きく頷くのであった。
「かまいません」
きっぱりと言い切る長田に、やれやれとばかりにレイモンドは苦笑するのであった。
「日本人にとって謙虚さは美徳なのかもしれないが、お互いの気持ちを分かり合うためには言葉はとても大切で必要なものだ。伊織は私の大切な宝物だ。君などにはみすみす渡したくはない。出来ればこのまま別れてもらったほうがありがたいというのが、私の本当の気持ちでもある。だが、伊織が悲しみ苦しむ姿を見たくはない。だから、一度だけ君にチャンスをあげよう。その結果は伊織の気持ち次第だ。アレが君を望めばあえて反対はしないし、拒否したならば悪いがきっぱりと諦めてもらおう。それが約束出来るのであれば、会わせてもいい。どうする?」
「お願いします。会わせてください」
長田はもう一度頭を下げた。伊織を永遠に失ってしまうことにくられべれば、こんなことはなんでもないことであった。
「商談成立だな。私としてはうまくいかない事を願いたいがね。いつ、会わせるかはこちらの都合にしてもらう」
「お願いします」
「それじゃ、乾杯しよう」
新しいブランデーを注文して、グラスをあわせる。
「われらの美しい伊織に・・・・・・」
先程まで憎らしいばかりだった気障な男が、今は救世主のように有難く思えた。そんな自分の現金さに苦笑しながらも、長田の心は伊織ともう一度会えるのだと思うだけで、喜びでいっぱいになり、伊織の幸せを何より一番に考えているレイモンド・ギャランという男の人間としての心の深さに感謝するのであった。
失恋が決定的になった次の日から、伊織はその辛さを忘れようと、仕事やレッスンで忙しい日々に身をゆだねてひたすら働いた。何かに集中している間はいろいろ考えずにすむからである。失恋のダメージを仕事に影響することだけはしたくなかったので、いつにも増して伊織は必死で仕事に没頭した。
『天吉』から長田の転勤祝いのパーティーの連絡が入ったが、仕事を理由に断った。今あえばせっかくの決心が鈍ると思ったし、長田の方も悲しいかな自分なんかに会いたくはないだろうと思ったからである。
そんな慌しい日々の中、伊織は社長に用事があるからと携帯で呼び出され、強引に車に乗せられてしまった。
「何処行くの?」
「言いから黙ってついてくればいい」
何度尋ねてもその返事しかしてくれない。嫌でも走っている車からはさすがに飛び降りることも出来ないし、信頼していないわけではないので、諦めておとなしく座っていることにした。
やがて、車がパリの北東にあるシャルル・ドゴール空港へと向かっていることに気がついた伊織は、それとなく聞いてみるのであった。
「空港?」
「そうだ。今日、長田が日本へ帰る」
「えっ」
社長の口からその名前が出るとは思っていなかった伊織は、その内容にも驚きを隠せなかった。
忘れようとするほどに忘れられないその人のことをどうして社長が知っているのだろう。偶然失恋した場所には居合わせ、ショックを隠せない伊織に肩を貸してはくれたけれど、その後社長は何を聞くでもなく、言うこともなかったのである。
車は空港の玄関に到着したが、伊織は会いたいという気持ちに素直に従うことを拒み、会うべきではないのだと自分に言い聞かせ、車から降りるのを躊躇っていた。
「伊織、前にも言ったと思うが、お前は字゙分の気持ちにもっと正直になるべきだ。長田にあってちゃんと話をしろ。逃げるな。このままだったらお前は心に傷を負ったままで終わってしまう。ドンとぶつかって来い。そして、また巻けたら私が慰めてやる」
社長の頼もしくて優しい言葉に、伊織は素直に頷くことが出来た。
「スーパーモデルのイオの心意気を見せてやれ。長田を悩殺しろ」
「うん、ありがとう、社長」
伊織は心から礼を言うと、そそくさと車を降りて、空港へと入っていった。
多くの旅行者で混雑している空港内を長田の姿を探して走った。ただ、会いたいというその気持ちだけが暴走して伊織を突き動かしていた。
やがて、夢にまで見た愛しい姿が伊織の視線に飛び込んできた。伊織はドキドキと心を高鳴らせながら、近づいていった。
会社の見送りの人々に囲まれて挨拶をかわしている長田が其処にいる。伊織は大きく深呼吸すると、彼のもとへと真っ直ぐに歩いていった。
「長田さん!!」
勇気を出して声をかける。その声に長田が驚いたように伊織を見つめた。
「まあ、モデルのイオだわ」
「キャーッ、綺麗」
長田の見送りに来ていた人々が伊織に気づいて騒ぎ出すが、それを気にする余裕もなかった。
ドキドキと高鳴る心を隠して、長田へとゆっくりと歩み寄る。
「伊織、見送りに着てくれたのか」
そう言って自分を迎えてくれる長田の声はいつもと変わらず優しくて、伊織はたまらず長田に抱きついてしまっていた。
キャーッ
周囲であがる悲鳴に近い歓声も一切気にならなかった。
「御免なさい、長田さん。俺、どうしても会いたくって。ずっと我慢していたけれど、社長がちゃんと会って話してこいって連れて来てくれたんだ」
「俺も会いたかった」
長田のその言葉がとても信じられなくて、身を少し離して彼の顔を覗き見ると、彼は伊織が大好きな優しい笑顔を浮かべていて、伊織は嬉しさに身体が震えそうなほどに感激してしまうのであった。
「本当?」
「ああ。本当だ、会いたかった。まだ、少し時間がある。二人でちゃんと話をしよう。俺ももう自分の気持ちを誤魔化さないから」
「うん、俺も・・・・・・」
二人は顔を見合わせて微笑みあった。
そして、大騒ぎになったしまった見送りの人達に謝って二人はその場を離れ、空港内の喫茶に入った。
向かい合って座った二人は、お互いに気恥ずかしさを隠せなかったが、心はずっと穏やかであった。
「この間、レイモンド社長に電話をもらって二人であって話をしたんだ。その時にあわせてくれるように頼んだが、連絡がないのでもう駄目かと諦めていた。来てくれて嬉しいよ」
長田の言葉に、伊織はレイモンドに心から感謝するのであった。
「彼は本当に伊織のことを心配していて、俺はとてもかなわないと思ったよ。伊織との付き合いもあやふやなままにして、転勤が決まったこともちゃんと話さなかった。全て俺が悪い。でも、俺は転勤になっても今までどおりに伊織との関係を続けられると思っていたんだ。だから、別に慌てて話さなくても大丈夫と勘違いしていた。すまない。家に帰って、伊織の荷物が消えているのに気づいたときは本当にショックだった。こんな日が来るなんて思ってもいなかった。それでどうしても納得できなくて伊織のマンションへ行ったんだが、レイモンド社長と一緒にいる姿に嫉妬したよ。俺にはそんな資格ないのに。随分と酷いことを言ってしまった。自分がこんなに感情的な人間だと言う事に始めて気がついたよ。妻と離婚した時だってこんなに動揺はしなかった。俺は、伊織のことを凄く愛している。ずっと言えなかったが、これが俺の本心だ」
長田の思いがけない告白に、伊織は喜びに身体が震え、この場で今すぐにでもキスしたいという衝動にかられていた。
「俺も長田さんのこと愛してる。社長も好きだけど、長田さんへの気持ちとは別の、仕事のパートナーとしての信頼と感謝の気持ちだけだ。俺が愛して、欲しいと思うのは長田さんだけだよ。でも、俺も自分の気持ちを言葉にすることが出来なかった。俺ね、前に大失恋してから、本当に人を好きになることが怖くてしかたなかったんだ。どんなに好きになってもその気持ちがさめてしまう時が必ず来る。その時に傷つかないですむように、最初から深入りするのはよそうってズルイ事考えてた。でも、長田さんと会って、そういう関係になっちゃって、一緒にずっといたいと思ったら、今度は自分が嫌われるのが怖くて言えなかった。だって、どんどん長田さんのことが好きになってしまったから・・・・・・」
二人は顔を見合わせて笑いあった。騒がしい空港の中のはずなのにお互いの言葉しか耳に入っていなかった。
「伊織、今すぐキスしたい気分だ」
「俺もだよ」
さすがにそれをするのは躊躇われたが、テーブルの上にどちらともなく伸ばした手を握り合って、お互いの心を確認したあった。
暖かな思いが体中を駆け巡る。それを感じながら、伊織は喜びを隠さずに長田をうっとりと見つめた。
「俺達の恋は、今、始まったんだね」
「ああ、凄く遠回りしたけど、もう離さない。日本へついたらすぐに連絡する。休みが取れたら会いに来るよ。たかが片道12・3時間のことだから・・・・・・」
「うん、待ってる。俺もね、日本へ行くよ。今までは失恋して逃げてきたから帰りたくなくて、ずっと日本での仕事は断って来たんだけど、そんなことはもうどうでも良くなったから。長田さんに会いに日本へ行くよ」
「そうか、楽しみに待ってる」
嬉し頷く長田の言葉が嬉しく、幸せを実感する伊織であったが、不意に視界がぼやけてしまう。
「俺、このところ泣いてばかりだよ。涙腺が壊れちゃったのかな」
伊織の目から溢れる涙を長田がハンカチを取り出して、そっと拭ってくれる。
「泣いている伊織はとても艶っぽいから、俺の前だけにしてくれ」
「うん、約束する」
大きく何度も頷きながら、伊織はまた泣いてしまうのであった。
(ああ、なんて幸せなんだろう)
伊織はやっと手に入れた恋に、溺れそうになっている自分が嬉しくてたまらないのであった。
長田を乗せた飛行機が飛び立っていく。それを見送る伊織であったが、寂しさは少しも感じていなかった。すぐに会えるのだという安心感で心は満たされていたからである。
長田への愛と、彼がくれた愛が、伊織を強く変えたのであった。
「社長、ありがとう。俺、日本でもバリバリ仕事するから。どうかこれからもヨロシクお願いします」
伊織は傍らに立つ社長の腕を取り、頭を下げた。そして、レイモンドはそんなしおらしい態度の伊織の頭に手を伸ばして、髪をクシャクシャかき回すのであった。
「手のかかる出来の悪い子ほど可愛いって言うが、全く本当だな。まあ、バリバリ働いて稼いで恩返ししてくれよ。私と妻の老後はお前にかかっているのだからな。日本の仕事が増えると、ますます忙しくなるぞ。覚悟しろよ」
「はい!!」
伊織の恋は、今大きく未来に向かって羽ばたきだしたのであった。
第一部 完
今回で一部が無事完結いたしました。が、これからが伊織と長田の恋の始まりです。第二部は日本編ということで、また、少しずつ書いていきたいと思います。どうぞヨロシクお付き合い下さいますよう、お願い申し上げます。
真田みのこ 拝
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