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2001年4月8日 更新

 

 部屋の隅でビンセントに守られ、息をひそめて侵入者が近づいて来るのを待つ。不思議と不安感がないのは、誰よりも心強い存在が側にいてくれるお陰だと秋生は思うのであった。

 やがて、ドアが乱暴に開け放たれ、三人の男が懐中電灯で部屋の中を照らし出した。その光の筋の中に不意に躍り出る人影。サッと男達に緊張が走り、手に持っていた拳銃を構えた。

 「人の家を尋ねるにしては、随分と強引じゃないか」
ヘンリーが不敵にも煙草をくわえたまま、敢然と男達の前に立ちはだかる。
 ズキューン
誰かが恐怖に耐えられず拳銃の引き金を引き、それに触発されたように男達は銃を発射した。が、当たったと思ったはずの銃弾は、ヘンリーの目前で何かに弾かれたように床へとパラパラと落ちてしまうのであった。

 「な・なんだ」
「化け物だ」
信じられない出来事に驚く男達に、ヘンリーはニヤリと笑った。
 「随分勝手な言いぐさだな。人を撃っておいてよく言うぜ」
その静かだが、異様な迫力に圧倒された男達は、自棄になって乱射したが、結果は同じ事であった。

 「うわぁーっ」
弾がつきてカチカチとから撃ちするが、それでも諦めようとはせずに、今度は拳銃をヘンリーへと投げつける。
「懲りない奴らだな」
それさえも手前で弾かれて床に落ちる光景を目の当たりにした男達は、完全に恐怖にとらわれて、我先にと部屋を逃げだそうとしたが、戸口に別の人影を見つけて、立ちすくんでしまうのであった。

 「ホッホッホッ、逃げられんぞ。諦めるのじゃな」
小柄な老人の姿をしたユンミンであった。ヘンリーに脅かされて恐怖に支配された男達にとっては、まだ何とかなりそうな相手に思えたのか、一気にユンミンに襲いかかるのであった。
 「わーっ」
三人一度に襲いかかられたユンミンであったが、動じる事なく、一人の足を軽く払って倒れかかった所にひじ鉄をくらわせ、一人は服の裾を信じられないないような強い力で引っ張ると、簡単にころがし、無防備な腹に蹴りを一発くらわせた。もう一人は逃げようとした背後から軽くチョップを首筋に浴びせる。
 ほんの一瞬であったが、三人は床に転がって、そのまま気絶してしまうのであった。

 「たいしたことないのう。ホッホッホッ」
勝ち誇ったように高笑いするユンミンは、そのまま男達の上へドッカリと座り込んでしまう。
 「かっこいい〜っ」
思わず秋生は声を上げて賞賛してしまった。

 その時、二階でドタバタと音がしたかと思うと、ギャ〜ッと叫ぶ男の悲鳴が聞こえてきた。
「二階も終わったらしいですね。もう、大丈夫です」
「うん。やっぱりキャンディを狙ってきたのかな?」
秋生は手を取って立ち上がらせてくれるビンセントに尋ねる。
「恐らくそうでしょう。彼女の存在が疎ましくって仕方のない者の仕業です。勿論、私ではありませんから、ご安心下さい。これで完全に尻尾をつかまえることが出来ました」

 今一つ状況を把握出来ないでポカンとしている秋生に、ビンセントは優しく笑って言った。
「秋生、貴方が私の事を信じてくださって、本当に嬉しかった。私は世界一の幸せ者です」
「だって、ビンセントの事、凄く愛しているもん」
二人は見つめ合って、そして、そのまま口づけを交わすのであった。

 それを見物しながら、ヤレヤレとばかりにヘンリーとユンミンは、顔を見合わせて肩をすくめる。
「全く俺達は振り回されただけかよ。御馳走さん、後は勝手にやってくれ」
呆れたように言い放ったヘンリーは、ユンミンと共にまだ盛り上がっている二人を残して、部屋を出るのであった。


 そして、翌朝、ビンセント邸に集められた香港中の新聞は、どれもこれもビンセント・青の隠し子騒動を大々的に報じていた。
 当の本人はそれらを涼しい顔をして呼んでいたが、秋生を初めとして、ヘンリー、セシリア、ユンミンは、その内容の余りの過激さといい加減さに、大受けしてしまっていた。

 「ひゃ〜っ、母親が涙ながらに語る。『私は、ビンセント・青に弄ばれた』ですって」
「交際中の女優Y。ショックに絶句。『子供は認知します。それでも私は彼を愛しています』だとさ。いつの間に女優なんかとつき合っていたんだ」
「やっぱり認知なのかのう、パパ」
言いたい放題である。だが、ビンセントの態度はあくまで知らぬ存ぜぬ関知せずのため、彼らは少し矛先を変えてみるのであった。

 「秋生、強く生きるのよ。負けちゃ駄目。こんな酷い男とは早く別れちゃいなさい」
「そうだな。やっぱり本妻の立場が一番強いからな。別れるときには慰謝料を山のようにふんだくってくれ。なんだったら俺が交渉するぜ」
「全く女の敵じゃなあ」
彼らの酷い言いように苦笑しながら、秋生も便乗するのであった。
 「でも、僕も籍に入っているわけじゃないし」
「不憫じゃのう」

 パサッ
読んでいた新聞をテーブルの上に置き、顔を上げてじっと秋生を見つめているビンセントの切なげな眼差し。彼はおもむろに眼鏡を外すと、紺のスーツのポケットから白いハンカチを取り出して、そっと目頭をおさえた。
 「ちょっ・ちょっと、ビンセント、冗談だから」
慌てた秋生はビンセントの側に駆け寄るが、ハンカチを目にあてたまま答えない彼の肩が小こなしか震えているのに気づいて、ますます動揺してしまうのであった。

 (ビンセントが泣いてる!!ああ、どうしよう)
いい気になってからかってしまった自分の不用意さが今更ながら許せない。
 「ご・ごめんなさい、ビンセント。信じるって言いながら、からかうような真似をして。だから、許して」

 「クククククッ」
だが、彼から返ってきたのは笑いをかみ殺したビンセントの苦しげな姿であった。
 「ビ・ビンセント、笑ってるの?」
騙されてしまった自分の単純さを恨みながら、反省した自分が馬鹿みたいに覚えて、秋生はプーッと頬を膨らませて怒ってみせた。

 「酷い、酷いよ。ビンセントの馬鹿。今度の事で僕がどんなにショックだったか、全然分かってない。信じなきゃいけないって頭で割り切ったつもりでも、本当はとても辛かったんだから。それなのに、馬鹿、馬鹿、馬鹿〜っ」
怒りに身体を震わせて、叫ぶ秋生の目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。それを見て、驚いたのは、ビンセントばかりではなかった。冗談が過ぎたセシリア、ヘンリー、ユンミンも同じように慌てふためく。

 「まずいわよ。これは本音よ」
「参ったな」
「ちとやり過ぎたかのう」
彼ら三人の視線は救いを求めるように、ビンセントに注がれた。

 「秋生、すみませんでした。悪いのは全部私です。キャンディの事も、昨夜の襲撃の事も全て私の責任です。ですが、私にとっても今回の事は、突然の事で動揺してしまいました。それなのに言いたい放題言われた私の気持ちを少しは分かってください。秋生、愛しているのは貴方だけです。泣いて下さるほど、私の事を思っていて下さって嬉しいです。それなのに貴方の愛を確かめるような真似をして、すみませんでした」
「ううん、僕も悪かったから、御免なさい」
甘えるようにビンセントの胸にもたれかかる秋生の姿に、三人はホッと胸をなでおろすのであった。

 「さすがパパ」
「歯が浮くぜ」
「見事じゃのう」
パチパチと拍手を送りながら、ラブラブな二人の姿に三人揃ってハ〜ッと溜息をつく。結局、なんだかんだで、振り回されっぱなしな自分達の身の上が少し寂しいような気がして仕方ないのだが、まあ、騒がしいのも悪くはないと思い直すのであった。


 『東海公司』の本社ビルはかつてない人の熱気に包まれていた。ロビーに燃え蹴られた記者会見場には、香港中のマスコミが押し寄せていた。彼らの興味はただ一つ、ビンセント・青の隠し子とその母親の正体であった。

 「わあーっ」
会場の一画がざわめいて、人々の視線が一斉にそちらに集まる。その視線の先には、金髪の女の子を抱いたビンセントの颯爽とした姿があった。
 カメラのフラッシュが絶え間なく瞬く中、彼は悠然と席へと着く。キャンディは余りの人の多さに落ち着かないようで、ビンセントのスーツの裾をしっかりと握りしめたまま、キョロキョロと会場の様子を見渡していた。

 「ビンセント・青社長。その子が貴方の隠し子であるとお認めになるのですか」
早速とばかりに記者の代表が質問してくる。が、ビンセントは表情一つ変えずに喋り始めるのであった。
 「その質問に対する答えは、NOです」
言い切る彼に、再びフラッシュが瞬き、容赦ない質問がとんだ。
 「それでは、その子は一体誰で貴方のなんなのですか?」

 「この子の名前は、キャンディス・スミス。母親の名前は、アンジー・スミス。英国在中で、二日前に香港へ父親に会いに来ました。父親は先日亡くなられたロナルド・葉。母親のアンジーは、五年前まで彼の秘書を務めていました。
 二人は親密な交際を続けていましたが、アンジーの両親が病気になり、帰国することになって二人は別れました。子供が出来ているのを知ったのは、帰国してからだそうです。
 彼女はロナルド・葉氏に子供のことを告げず、一人で生み育てました。しかし、葉氏が英国に仕事で訪れた時に偶然再会し、子供の事を打ち明けたそうです。
 その時には既に葉氏は結婚していたために直ぐに元の鞘に修まる事も出来ずに、連絡を取り合う関係がつづきました。が、葉氏は病魔に冒され、彼女たちの先行きを案じた彼は認知しようと香港に呼び寄せました。
 ところが、様態が一変して葉氏は亡くなってしまい、アンジーは知らず彼に連絡を取ろうとして、財産相続問題が持ち上がっている葉氏の親族に拉致されてしまい、キャンディスは母親の機転で難を逃れて、母親の言いつけどおりに死んだと知らない父親を、会社の前で待ち続けました。
 ロナルド・葉氏のビルは、『東海公司』の直ぐ前であり、幼い彼女は間違えて、私を父親だと呼んだと言うわけて゜あります」

 淡々と語ったビンセントの言葉を信じて良いのかどうかで、会場は騒然となった。
「それが事実として、何か証拠でもあるのですか?」
「昨夜、私の家に賊が押し入り、キャンディスは命を狙われました。幸い未然に防ぎ、警察の手によって犯人達は捕らえられました。そして、彼らの供述に酔って葉夫人に依頼された事が判明し、母親のアンジーは無事保護され、現在、疲労のために入院中ですが、直ぐに退院出来るそうです。詳しくは警察の発表をお聞き下さい。以上です。お騒がせ致しました。それではこれで終わらせていただきます」

 「お騒がせ致しました」
ビンセントを真似たキャンディスがペコリと頭を下げる。そんな、彼女の頭をビンセントは良く出来ましたと優しく撫でて、そのまま彼女を抱き上げると、現れたときと同じように颯爽と去っていってしまった。
 残された記者達は、しばらくざわついていたが一人が席を立つと、それにつられるように一人、また一人と立ち上がり、あっという間にいなくなってしまった。勿論、彼らが向かったのは向かえの葉氏のビルである。


 秋生はビンセント邸の居間のTVで、ビンセントの記者会見の模様を見守りながら(勿論、ビデオ録画も忘れていない)、TVで見てもやっぱりビンセントは格好良いとしみじみ感心していた。
 まだ、小さいのに父親を亡くしたキャンディと母親のアンジーのこれからが気にかかったが、きっとビンセントが二人にとって上手くいくように手配してくれているだろうと確信していた。

 今回の事件はとてもショックで凄く驚きはしたけれど、ビンセントが自分を愛してくれている事を確認出来ただけでも、大きな意味があったように思うのであった。彼の事を疑っているわけではないけれど、もて過ぎる恋人の心変わりがとても気になり不安なのである。
 言葉や態度で示すだけでは、物足りなく感じてしまうのだ。愛する人を得た自分がとても欲張りになり、その人を自分の世界だけに閉じこめておきたくなるような独占欲と言う激しい感情が、自分の中にも存在することを、秋生は知った。

 (セシリアは恋は駆け引きだと言ったけど、僕は最初から完敗だもの)
心の中で呟きながら、秋生はビデオを巻き戻して、愛しい人のその姿を、もう一度見ようと、再生ボタンを押すのであった。

                            終わり

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