更新 2008年 11月 29日
(5)

 ビンセント、ヘンリー、セシリア、ユンミンの四人を前に秋生はいたたまれなくて、小さくなってうつむいていた。

 「まったく情けないったらありゃしないわね。私達を騙そうなんて千年早いわよ」
「御免なさい」
セシリアがネチネチと文句を言うが、自分が悪いのは分かっているので、ひたすら謝りつづけている秋生である。だが、何より気がかりなのは沈黙したままのビンセントであった。

 チラチラと視線の隅で彼の様子をそれとなく伺うのだが、凄く疲れてやつれているように見えるのは、きっと自分が心配をかけたせいなのだと思うと、後悔で胸がチクチクと痛んだ。

 事故に遭った友人を救いたい一心で、大学の仲間達と交代で彼の変わりにバイトを請け負ったのだが、一人が代わりを請け負うには、信じられないくらいにハードなスケジュールであった。

 秋生としてもバイトに生活がかかっている友人を何とか少しでも手伝いたいと思ったものの、絶対に反対されると思い、大学の仲間の協力を得て、ささやかなアリバイづくりをしたのである。

 結局、薬屋のバイトは無惨な結果となってしまったが、ヘンリーが上手く処理してくれたお陰で、警察沙汰にはならなかった。
 店もすぐに片付けられ、もう一度商売を始められるらしい。

 粗悪なヘロインを卸していた飛は、偶然手に入れたもののさばくのにもてあました薬を、こずかい欲しさに『ゲンキガデール』という架空の薬として売りつけていたらしい。
 薬屋の再建には、飛が勤めていた王製薬が会社の名誉のために、全面的にパックアップしてくれる事になったらしく、どうやらそれもヘンリーが動いてくれたお陰のようだ。

 怪我した友人の怪我も大した事無く、退院の日も決まって、皆でホッと安心している。

 「ちゃんと聞いているの、秋生」
「はい」
ギロリと睨むセシリアの恐ろしさに、秋生はますます身を縮めた。いつもは秋生に甘く、すぐに助け舟を出してくれるはずのビンセントは、相変らず沈黙したままである。

 (もしかしたら、ビンセントは僕にもう愛想をつかしちゃったのかな)

 いつもいつも心配をかけてばかり。喧嘩してしまった夜も、自分が悪いのだ。本当の事を話すどころか、自分の都合最優先で、一方的に何も知らないビンセントを責めた。嫌いだとまで言ってしまったのである。

 もう取り返しがつかないのかもしれない。そう思うと秋生はなんだか自分が情けなくなってしまった。

 秋生にとっては久しぶりのバイトであったが、友人は生活の為に一生懸命働いていた。自分はいえば、黄龍の転生体というだけで四人に守られ、大切にされることがいつしか当たり前のようになっていた。

 過保護が嫌だと突っ張ってみても、結局、いつも彼らに尻拭いさせる羽目になってしまっている。今回だってやっぱりそうなってしまった。

 (僕ってどうしようもなく駄目なやつかもしれない)

 そう思うと情けなくて悲しくなってしまい、あっと思った時には涙がポロポロと零れて落ちてしまっていた。すぐに泣いてしまう弱い自分がとても嫌なのだが、涙は止まってくれない。

 「御免なさい。いつも心配ばかりかけて。ちゃんとやろうと思うんだけれど、どういうわけか上手くいかなくて。皆に迷惑ばかりかけちゃって本当に御免なさい。
 今回はちゃんとやれると思ったんだ。とても一生懸命で真面目な友達が困っていたから、僕でも少しでも役に立てればとバイトを引き受けたんだ。
 交替でやるからちょっとの間だけだったし、言えば反対されるんじゃないかと思って。
 でも、やってみて、いつも僕が皆に甘やかされてるなって実感しちゃったよ。日本にいる頃は結構、バイトなんかも当たり前にやっていたのに、香港に着てからは至れり尽せりって感じで、信じられないくらい良くしてもらっているから、いつしかそれが当たり前みたいに思ってた。全然、使えない奴なんだ。僕、恥ずかしいよ」

 ヒクッヒクッとしゃくりあげながら話す秋生を見つめる四人の眼差しには暖かな光が宿っていた。

 「まあ、よ〜く反省して頂戴」
セシリアが照れながらわざと突き放したように言う。

 「そうだな、まあ、じっくりと頭を冷やしてくれよな。それじゃ、俺達は今日はこれで帰るから」
「じゃあね」
ヘンリー、セシリア、ユンミンの三人は立ち上がりながら、ビンセントに目配せすると、そそくさと帰っていってしまった。残された秋生と沈黙したままのビンセントの間に気まずい空気が流れる。

 「ビンセント、御免なさい」
耐え切れず秋生は、ガバッと頭を下げた。

 「もう許してもらえないかもしれないけれど、だけど僕はビンセントのこと、大好きだよ」
「嫌いだとおっしゃったではありませんか」
それは普段の優しいビンセントの声ではなく、何の感情も感じられない冷たい声であった。

 「それは・・・・・・」
もう決定的に嫌われてしまったと思うと、せっかくとまりかけていた涙が、再び溢れてくる。

 「なにを泣くのです。泣くほどに私がお嫌いですか」
「ううん、違う」
ブルブルと大きく頭を横に振って、思い切り否定する。

 「嫌いだなんて、嘘。とても愛しているよ。あの夜は、次の日からバイトがあったから、早く起きなくっちゃと思って、Hはちょっと駄目かなと思ったんだ。だって、いつも疲れて寝坊しちゃうから。だから、やめてって言ったんだ。理由は話せなかったし、つい・・・・・・。でも、嫌いって言ったのは、ビンセントのことがじゃなくて、Hが嫌って言いたかったんだ。それだけは分かってね。本当に御免なさい。呆れたでしょう。こんな馬鹿な奴・・・・・・」

 「ええ、そうですね」
遠慮のない言葉に、秋生はショックを覚えつつ、それも仕方がないんだと、必死で思い込もうとした。彼の愛を手放したのは、自分なのだから・・・・・・。

 「どうしても許せないのなら、気の済むまでぶってくれていいから。どうか許して。なんでもしますから、此処において下さい。お願いします」
秋生はもう一度頭を下げた。ビンセントを失ってしまったら、自分はどうして生きていけばいいのだろう。彼を知らなかった頃の自分にはもう戻れない。彼や仲間達といることが、当たり前になってしまった自分が、一人になって生きていけるだろうか。否、生きていけるはずがない。

 甘やかされている事を窮屈に感じられる事が、どんなに幸せな事なのか、バイトをして身にしみたのであった。仕事の辛さとか苦しさなんて、きっと彼らを失ってしまう事と比べると、大した事ではない。

 ビンセントの手がゆっくりと頭を下げたままの秋生の顎を捕らえて、頭を上げさせる。秋生は緊張の余りにゴクリと息を飲む。

 「謝れば私が許すとでもお思いですか」
冷ややかな視線が自分を見つめているのを知った秋生は、そんな事はないとプルプルと小さく頭を振ったが、本心を言えば、それを願っていたのは確かであった。だが、それもどうやら都合の良い望みであった事を悟らないわけにはいかなかった。

 (ああ、僕の馬鹿。ついに見放されちゃった)
先程そそくさと帰っていったヘンリー、セシリア、ユンミンの三人。いつも何かと肩を持ってくれて、とりなしてくれる彼らさえも、自分に愛想を尽かしたに違いない。もう、何度も何度も皆の好意を台無しにしてきた結果が、これであった。

 過保護過ぎて窮屈だなんて感じたり、どうせ反対させるからと黙っていたりしたのは、心のどこかで皆の事を軽んじていたとか、信用していなかったのだと、思われたとしても仕方ない。

 「泣けば許すとでもお思いでしたか。貴方はとても傲慢ですね。私や皆の気持ちなんかどうでもかまわないんでしょう。貴方の事だけを考えて大切にしているのに、貴方には私達など重荷でしかないんですね」

 真っ直ぐに見つめてくるビンセントの瞳には、どこか悲しげな光が宿っていた。
「重荷だなんてそんな事思ってないよ。僕だって皆の事大好きだもの。大切な存在だよ。でも、僕が傲慢っていうのは、当っているかもしれない。だって、皆には僕の事ずっと好きでいてもらいたいと思っているから。でも、いつも迷惑かけるばかりで、何もしてあげられない」

 フッとビンセントの口元が微かに歪む。笑われたのだと知って、秋生は本当に自分がビンセントに大して傲慢であった事を思い知らされるのであった。

 何の代償もなしに自分の事をただ愛してくれるビンセントを、傷つけたのは自分である。勝手な理由を押しつけて、彼の気持ちを理解しようともしなかったのだ。もしかしたら、ずっと自分は彼の自分に対する好意を、都合よく利用していたのかもしれない。そう思われても仕方のない事に気がついた。

 彼と出会った頃、ビンセントが自分へ寄せる好意が、黄龍に捧げられたものであることを感じて、とても切ない思いをした事がある。ビンセントはそれを否定して、秋生だから好きなのだと言ってくれた。

 それがとても嬉しくて、そして、自分もビンセントの事を愛していると告白した。その気持ちは今でも薄れていないはずなのに、それをとても当たり前な事だと軽んじてしまったのだ。自分が黄龍の転生体であるという事で、愛されるのが、守られるのが当然なのだと過信してしまったのかもしれない。

 「嫌な奴だと笑っても良い。気がすむまで殴ってくれても良い。だから、僕を捨てないで。嫌いにならないで。お願い、ビンセント。今さらかもしれないけれど、本当にビンセントの事、愛しているんだ」

 秋生は心の底からそう思い、なりふり構わず必死で懇願した。涙は涸れる事無く、ポロポロと零れ落ちた。

 「生憎と私には貴方を殴って喜ぶという趣味はありません。ですが、貴方が望むのでしたら、してさしあげますが?」
「えっ、それは・・・・・・」

 秋生の慌てた様子に、真面目な顔をしてそう言ったビンセントの顔が急に緩んで、クスクスと笑い出した。

 「遠慮しなくてもいいんですよ、秋生」
プルプルと頭を横に振って否定する秋生。すると、ビンセントの顔がそっと近づいてきて、優しく口づけるのであった。

 (!!)

 「愛しています、秋生。私が貴方の事を嫌いになるなんてがあるはずがない。こんなに可愛くて愛しいのに」
「だって・・・・・・」

 それでは今までのあの冷ややかな態度はなんだったのだろうか。思い悩んでいると、ビンセントはもう一度くちづけるのであった。先程よりも深く、熱く。

 「貴方に嫌いだと言われて、どんなにショックだったか。愛されてはいなかったのだと思うと、もう心が張り裂けそうでした。あんなに愛して燃えたのに、少しも私の愛が貴方に伝わっていなかったのだと思うと情けなくて、辛くって。そして、貴方の本心を知りたいと思いました。
 信じたいと思いながらも、疑ってしまったのです。不安でたまらなかった。貴方が何処かへ行ってしまったのではないかという思いに捕らわれて、脅えたのです。
 そのせいか、貴方の行動を逐一チェックして、窮屈な思いをさせてしまったのかもしれません。
 もし、私達が出会っていなかったら、貴方は普通の人間として幸せな時を過ごしていたかもしれない。今までの転生体は、皆、そうでした。私達四聖獣はその生涯を見守るだけで良かった。なのに貴方の人生を大きく変えてしまった。
 それを心の中で悔やみながら、それでも貴方を手放したくなくて、独占しようとしていました。
 許して下さい。信じていなかったのは私の方なのです。貴方が普通に誰かと恋をして、去ってしまうのではないかという思いを抱くあまりに、貴方を自分に縛りつけようとしていました」


 秋生にとってはそれは思いがけない言葉であった。だか、嬉しい言葉でもあった。ビンセントは自分を間違いなく愛してくれているのである。

 「それって僕達はまだ両思いっだって事?」
「ええ、そうですね」
「ああ、ビンセント。愛しているよ」
秋生は自分からビンセントに縋りつき、口づけを求めた。お互いの気持ちをもう一度確かめるように。

 「もう、絶対に嫌われたと思ったんだから。酷いよ、ビンセント」
「すみません。だけど、私だって本当に凄いショックだったのですから、それぐらいはお返しさせていただかないと。そもそも、貴方はみずくさい。正直に話してくださったら反対などしなかったのに。ヘンリーやセシリア達も貴方が何も相談して下さらなかった事を残念に思っています。貴方は私達にはかけがえのない大切な存在なのですから、もっと甘えて欲しいのです」

 「僕を甘やかすとそれこそ大変なんだから」
「そうですね。でも、貴方はそういうところも魅力なのですから」
嬉しい言葉ではあったが、何だかちょっとひっかかった。

 「そういうところって何?」
「とても傲慢で、トラブル・メーカーなところと、そして・・・・・・」
「そして?」
「感じすぎるところです。今夜は容赦しませんよ」
「今夜もでしょう」
二人は微笑みあうと、熱い抱擁を交わすのであった。

 「ビンセント、愛しているよ」
「秋生、もう、絶対に放しませんから、覚悟して下さい」
「ビンセントもね」

 お互いの愛を確認しあえた今、より一層強い絆で結ばれたた二人であった。


                                    終わり

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