亜州王国物語

 DORAGON

2002年10月2日 更新
(6)

 夜になってもビンセントは戻ってこなかった。帰ってくることを祈りながら作った夕食に手をつけぬまま、秋生は暖炉の前に蹲るようにして、森の棲家の主人を待っていた。
 目の前から一瞬の内に消え去ってしまったビンセント。ただ者ではないことは薄々感じていたが、その力を、姿を目の当たりにして、少しは驚きはしたが、奇妙な納得も覚えていた。

 世を捨て深い森に棲むには、生活感のない気品に満ち溢れた美貌の持ち主。本人は全然そんな事を意識するでもなく、きつい辛らつな言葉を吐きながら、矛盾した優しさと忠実さで、秋生を保護してくれたのだ。

 消え去る前に自分を見つめた、悲しみに沈んだ紫の美しい瞳。いつしか優しさに溺れ、その想いの心地よさに浸って、無神経に彼を傷つけてしまった自分の愚かさが、秋生は許せないでいた。

 彼に求められ、初めて味わった感覚。身体の中を走りぬけた疼き。その痺れの甘さを感じながらも、捕らわれて自分を失ってしまう事を恐れての拒絶であった。本当は、もっと感じていたかったのかもしれない。だが、不慣れで未熟である自分の全てをビンセントの前に曝け出す勇気がなかった。そして、卑怯にも神を利用したのである。ビンセントの怒りは、もっともであった。

 自分の幸せや欲望のために、都合の良い事だけを神に願う。願われた神はさぞかし呆れている事だろう。
 (ビンセント、御免なさい。帰ってきて。こんな気持ちのままで、僕は旅立てない)
そんな風思って、また自分の傲慢さに気付く。

 目の前で揺らめく薪の炎が、己の揺れ動く心のようだと、秋生は思った。
 (ビンセント。貴方に翻弄されて、僕の心は熱く燃えています)

 突然、ハッと顔を上げた秋生の表情には思いつめたものがあった。おもむろに立ち上がると、外へ向かって、真っ黒な石段を一気に駆け上がる。

 闇に包まれた森。月も星の姿もなかった。昼間の賑やかな鳥のさえずりもなく、ザワザワと風邪に揺れる木々の音にまじって、寂しげな獣の遠吠えが微かに響いてくる。
 「ビンセント!!ビンセント!!」
声を限りに秋生は叫んだ。何度も何度も呼びかけた。だが、応えは返らない。だが、諦めずに必死に叫びつづけた。

 いつしか涙が溢れていた。空しく響くばかりの叫び。だが、ビンセントを求める心は、より一層強まっていた。
 (会いたい、ビンセント。お願い、ビンセント。姿を見せて、お願いです!!)

 ゴーッ
と、音をたてて強い風邪が吹き渡り、木々は大きく揺れ、秋生は吹き飛ばされそうになりながら、必死に足を踏ん張って堪えた。

 唐突に、風が止む。
「何故、私を呼ぶのです」
背後からかけられた懐かしい声に、秋生は驚き、振り返った。
 暗闇に立ち人影。間近いなく求めたその人であった。

 「ビンセント!!」
(ああ、応えてくれた)
それだけで嬉しかった。

 「何故、呼ぶのです。どうしてそっとしておいてくれないのです」
冷たい問いかけであった。が、秋生はかまわず人影にかけより、その胸に縋りついた。
 「ビンセント。貴方の事をずっと考えていました。このまま旅立ってしまうことは、出来ません。僕は・・・・・・」
「聞きたくありません。放っておいて下さい。同情などいりません。さっさと出て行って下さい」
肩を両手で突き放されたが、秋生は再び縋りつくのであった。

 「僕は貴方を愛しているんです。だから・・・・・・」
「だから、どうだというのです。貴方の神とやらが、許さないのでしょう」
「違う。違います」
大きく頭を振って否定し、暗闇の中のその表情を見極めようと、彼をまっすぐに見つめた。

 「これが僕の帆等の心だから。僕の望みだから、仕方ありません。たとえそれが許されない罪だとしても、僕はもう後戻りする事は出来ない。心を偽って生きていても、それはもはや僕にとって本当の生ではないから」
「秋生」
自分を呼ぶビンセントの声が、少し震えているのに感じて、秋生はその人の首に自分の腕を回し、強引に引き寄せると、自ら口づけていた。

 ひんやりとした唇の感触。だが、グッと自分を抱き締めてくる力強い腕を感じて、秋生は喜びの声をあげた。
「ああ、ビンセント」
「秋生」
名前を呼びあい、求めあうお互いの心を確認しあった。


 それから秋生の記憶は曖昧で断片的でしかなかった。

 気がつけば、馴染み始めた地下の棲家のベッドの上に、一糸まとわぬ姿で横たわり、ビンセントを迎え入れていた。
 裸の彼の、その逞しく鍛えられた肉体の重みと温かさを感じ、羞恥に溺れ、あられもない甘い声をあげて、よがっていた。

 「あっ、ビンセント。もう、いやっ、ああっ」
背中に手を回して、自分を失ってしまいそうな恐怖に必死にしがみつく。
 幾度もの絶頂を迎え、意識が朦朧とし始めた頃、ビンセントは秋生の足を思いっきり開くと、彼の熱い猛りで貫いた。

 「ああっ」
身体を引き裂かれるような激しい痛みに、悲鳴をあげ、ビンセントの背中に爪をたて、もがく。
「やっ、やめて。お願い。あうっ」
涙が止めなく流れ出た。そんな秋生にビンセントは優しい愛撫を与え続け、やがて、秋生は苦痛よりも甘く疼く感触に翻弄されていった。
 「あんっ、なんだか、変になっちゃう」

 ビンセントの激しい動きと共に、秋生は何も考えられなくなり、ただ、自分の中にわきおこる感覚をひたすら追い、やがて、いまだかつて体験した事のない激しく甘い絶頂感に歓喜の声をあげ、意識を手放したのであった。


 秋生の華奢で柔軟な瑞々しい身体を貪るように求め、激しく責めぬいても心の渇きを癒す事は出来なかった。それほどに愛は深く、言葉や行為に表せるほど簡単なものではなかった。

 意識を失って、無防備にあどけない表情で眠る秋生を見つめていると、新たな愛と欲求が身体の中で燻り始める。その尽きぬ想いとは反対に、彼の残された僅かな理性は、その罪深さを訴えた。

 (何故、呼びかけに応えた!?耳をふさぐことも出来たはずなのに。何故、抱いたのだろう、こんな子供を!?限りある命の人の子の未来を台無しにしてしまった。そんな権利がお前の何処にあるというのだ。お前は、人の世の全てを嫌悪して捨てたのではないか。秋生の純粋な心を弄び、陥れた。魔だ。お前は魔そのものだ。己の欲望を満足させるために、人の子を貶めたのだ。傷つけてしまった・・・・・・)

 ただ愛しているからという理由では、余りにも大きな罪であった。

 そして、彼は決意するのであった。それは、身を引き裂かれるよりも辛い事であったが、秋生に出来る唯一の償いだと思うのであった。

 やがて目覚めるだろう愛しい存在に告げなければならないのは、別れの言葉。自分は秋生を送り出さなければならない。それが何より秋生のためなのだ。たとえ亜州王国の都での生活が楽なものでないにしても、森での生活よりは遥かにましに違いない。人は、人として生きていくべきなのだ。ここには何もない。未来も夢も。秋生の持つ清々しい光も、ここでは陰ってしまうだろう。

 ふと、秋生が身じろぎ、うっすらと瞳を開け、ビンセントを認めると、花の蕾が綻ぶような微笑を浮かべる。そして、すぐに瞳を閉じると、彼の懐に潜り込むように身をすり寄せて、再び眠りに落ちるのであった。

 (ああ、なんという愛しさ。このような暖かな気持ちを再び味わえるとは、人の世もまだ捨てたものではないのかもしれない。私は自分で自分の心を閉ざしていたのだ。ああ、秋生、愛しています。永遠に・・・・・・)

 ビンセントは、彼の庇護のもとで安心しきって眠る愛人を、名残を惜しむようにそっと抱き締め、口づけるのであった。


 ビチュビチュッ
という鳥のさえずりが、いきなり耳に飛び込んでくる。瞼を通して明るい陽の光りと暖かさを感じて、秋生はウ〜ンと小さく唸りながら身体をゆっくりと伸ばした。柔らかな草の感触が伝わってくる。

 「秋生、目が覚めましたか」
低音の優しい響きに、秋生は昨夜の行為を思い出して、真っ赤になって飛び起きた。
 「おはようございます」
秋生の慌てぶりを見て、可笑しそうに笑うビンセントがいた。その姿は出会った頃と変わりなく、その笑顔の優しさに、秋生は暫し見惚れてしまう。

 花々が咲き乱れる広い草原の柔らかな草の上に、二人は並んで白い寝着のまま寝転がっていた。
 見慣れぬ美しいのどかな風景を見渡しながら、秋生は尋ねる。
「ここは?」
「・・・・・・」
ビンセントは答える代わりに身体を起こすと、右手で前方を指し示すのであった。

 そこには一本の細い道が続いていた。
「この道は、亜州王国への道。輝かしい未来が待っているでしょう」
静かに告げるビンセントであったが、その美しい横顔には、寂しい影が浮かんでいた。

 「ビンセント、僕は行きません。貴方と一緒にいます」
秋生は叫び、ビンセントにしがみついた。
 「駄目です。貴方は行かねばならない。さあ、立って」
「嫌です」

 一人立ち上がって促すビンセントの足元に縋りつくようにして、秋生は頭を振った。
「貴方と一緒にいます。お願いです。置いてください」
ビンセントは秋生の頭を宥めるように優しく撫でるのであった。

 「私も出来る事ならば貴方と一緒にいたい。だが、それならば貴方の夢はどうなる。亜州王国の都で騎士になるために辛い旅をしてきたのでしょう。それに今は、納得して森に残ったとしても、すぐに貴方は後悔し始めるでしょう。森は貴方のように未来ある者の棲むところではありません。夢も希望も何も生まれないところなのです」

 「そんな事はありません。貴方がいる。それだけでいい。後悔なんかしません!!」
「するのです。人の心はそれほど強くない。私は毎日、貴方の心変わりを恐れて不安な毎日を送るでしょう。だから秋生、行ってください。それがお互いにとって一番いいのです」

 ビンセントの言葉を秋生は信じられない思いで聞いていた。目覚めるまでの幸せは、何処に消えてしまったのか。昨夜のあれは一体なんだったというのだろうか。
 秋生は縋り付いていた手を放し、ビンセントを見上げて、自嘲気味に笑うのであった。

 「僕を愛してくれたのも、貴方の気まぐれだったんですね」
(だから、こんな残酷な事が言えるんだ。僕の思いも何もかも無視して、貴方は酷い人だ。こんなに好きなのに。愛しているのに・・・・・・)

 「そう・・・です・・・・・・・」
(違う!!違うと言って下さい!!)
だが、秋生の願いは、いとも簡単に踏みにじられてしまった。

 「貴方を助けたのも、愛したのも、退屈しのぎの気まぐれに過ぎません。私はそういう冷たい男なのです。分かったでしょう。秋生。私と居ても決して幸せになれません」
 (ああ、ビンセント)
心が虚無に覆われていくのを秋生は感じていた。

 「そうですね。僕みたいな子供を、貴方が本気で相手にするはずがないんだ。馬鹿みたい。一人本気になって、自惚れて・・・・・・」
心の中で血の涙を流しながら、何故か奇妙な可笑しさがこみ上げてきて、秋生はクスクスと無機質な笑いを浮かべた。

 「秋生・・・・・」
「フフフッ、さぞかし滑稽だったでしょうね。でも、僕は初めてだった。こんなに人を好きになったのは。欲しいって思ったのは・・・・・・」
疲れたように語る秋生の瞳からは輝きが失われ、涙が後から後から溢れ出して、頬を伝わって落ちた。

 「こんなに苦しいなんて。なのに僕は、まだ貴方を愛している。こんなにも愛している」
「秋生!!」
 二人の視線が絡み合った。言葉は嘘で固められていたが、心の中にあるのはお互いへの溢れんばかりの熱い思い。それを隠しとおす事は、心を通い合わせた恋人達には、無理な話であった。

 どちらかとも近寄って、口づけを交わし、やるせなさを埋めるように、激しく求め合う。
 「ああ、ビンセント!!貴方がこんなに熱い。やっぱり酷い人だ。ああっ、嘘つきっ」
ビンセントに身体を開かれ、揺さぶられながら、秋生は必死に訴えた。
「貴方が何ものでもかまわない。僕も貴方と共にありたい。たとえ貴方が魔で、地獄果てまで落ちようとも」
「ああ、本望です。秋生」
「ビンセント」

 一つに結び合った心。二人の未来は今から始まるのだ。運命の輪は再び廻り始め、時を刻め始める。
 後の世にも語り継がれる伝説の始まり。

 亜州王国、最大の危機を救った聖騎士、工藤 秋生と、その生涯に深く関わり、窮地を何度も救う美貌の謎の男の、物語の第一章の幕開けであった。


 「さあ、行くのです。たとえ離れていても、心は貴方と共に在ります」
「・・・・・・」
「さあ、立って」
差し出された手を取り、秋生は不承不承立ち上がった。

 その瞬間、乱れた寝着が、真新しい旅装束へと姿を変える。
「これを・・・・・・」
そして渡されたのは、剣とずしりと重い巾着と、一通の手紙であった。それは紛れもなく、盗賊に襲われた夜に無くしたと思っていた、玄冥老人の認めてくれた、紹介状であった。

 「大事なものでしょう」
「ビンセント!!」
不思議と驚きはなかった。ビンセントという存在は、何もかも超越していた。
 (まるで神のように・・・・・・)
だが、それを口にすると、彼はきっと辛らつな言葉で強く否定する事は分かっていた。

 「行きます」
覚悟を決めて、クルリと背を向けると、秋生は亜州王国へと続く小道を辿り始める。

 その後姿が見えなくなるまで、ビンセントはただ黙って見送るのであった。

 やがて、強い風が吹き渡り、ビンセントの姿は消えうせ、それと共に、草原の風景も消えて、そこには深い森が残るのであった。

                                     おわり

コメント
 やっと終わらせました。間があいて御免なさい。
 亜州王国で騎士見習になった秋生のお話はすでに完結しております。
在庫はまだ多少残っておりますので、よろしくです。
                    真田みのこ

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