
2004年8月2日
(5)
「あら、可愛い子羊ちゃんが大変だわ」
退屈なお義理のパーティー会場から抜け出して、表へ出た途端、冴子女子がそう言って立ち止まった。
彼女が視線を送る方向には、二人組のいかにも癖のありそうな若者に、一人の少年が連れ去られそうになっていた。少年は酔っているのか、足取りがかなり怪しい。未成年の癖に酒を飲むなんて十年早い。
「あの子、パーティーに行く前からあそこにいたわ。可愛いからチェックしてたんだけど、酔って動けなかったのね。可哀相に。あんな変なニ人組に連れて行かれたら、大変な事になっちゃうわ。ねえ、ビンセント、助けてあげて」
断る事は許さないわよという視線と笑顔で、女王様は言った。
(まったく物好きなものだ)
年下の可愛い男が好きで、趣味と実益をかねてホストクラブまで経営している彼女、雨宮 冴子は、仕事絡みの友人である。
彼女とは別に深い関係ではないが、パーティーに一人で参加すると、何かいらぬ世話をやきたがる人々に、結婚話を持ち出されるのが面倒で、パートナーを頼んだのであった。
彼女の男の趣味は良いとは言いがたいが、実業家としての手腕はたいしたものであるし、人としての度量もなかなかどうしてたいしたものであるのだが、ヤレヤレ面倒は御免である。
その少年はかなり酔っているらしく、それなりに抵抗はしていたが、相手には全然通じてはいはなかった。
近づいてみると、冴子女史が目をつけただけあって、確かに可愛らしい顔立ちをしていた。
(まったく自分の身の始末をつけられなくなるほど飲むなんていい迷惑だな)
彼女の頼みでなければ、こんな面倒なことはしたくなかったのだが、まあ、確かにこのまま二人にいいように弄ばれてしまうのも可哀相に思えて、まあ、クリスマスに善行の一つでもすればいいこともあるだろうと思った。
「遅れてすみませんでした。あの、私の連れに何か御用ですか?」
さりげなく声をかけると、二人組は気まずそうに顔を見あわせて、去って行った。その呆気なさに面倒にならずに良かったと安堵する。腕には自信があったがあえてそれを誇示する必要はなかった。
「あ、あの、あり・・・・・・」
少年は何かを言おうとしているが、呂律がまわっていない。
冴子女史もやって来て、「やっぱり可愛いわ〜っ」と、はしゃいでいる。
確かに男にしては可愛いというか、整った造作であったが、私としては早くお役御免にして欲しかった。
ところが、少年の様子が少しおかしい。顔色も青ざめて苦しそうである。
「き・気持ち悪い・・・・・・」
手で口を押さえて、いかにもはきそうな雰囲気の若者が、ペコリと頭を下げて、足早に立ち去ろうとするが、とてもまともに歩けている様子ではなく、案の定すぐによろめき倒れそうになって、私は慌てて手を貸していた。
(まったく手のかかる子供だ)
こんな子供が酒を飲むとは、許しがたい。
「すみません、うっ」
そして、いきなり嘔吐したのである。
なんたることであろう。行きがかりとはいえ好意で助けたはずなのに、この始末とは。善行の一つもなんて、クリスマスキャロルの話ではないが、仏心(?)を出したのがそもそもらしくない事であったのかもしれない。
とにかく後悔しても後の祭りで、自分が元凶の癖に人の災難をケラケラと笑う冴子女史を恨めしげに見つめながら、気を失ってしまった厄介なお荷物を、仕方なく支え直した。
「悪いわね、ビンセント」
彼女が本当にそう思っているかはあえて考えたくはない。
「この貸しは大きいですよ」
「子羊ちゃんをよろしく、襲っちゃ駄目よ」
「貴方ではありませんから、その心配はありません。それでは・・・・・・」
とりあえず汚れた上着を脱がして、迎えの車に意識を失ってしまった少年を運び込むと、車を発進させた。
その部屋は、仕事で遅くなって本宅まで帰るのが面倒な時のために、借りてあるマンションの一室であった。
ここに他人を連れてきたのは初めてであったが、とにかく近かったので運び込んだ。
目覚める気配はなく、まるで人形のようにされるままになっている少年の無防備さに呆れ果てる。
もし、私に先程の二人組のように下心があったとすれば、簡単に餌食にされてしまうだろう。その余りに危機感のない無邪気な寝顔は、ある意味罪深いと思った。
確かに可愛い。可愛いけれどこんな手のかかる相手は御免である。出会いが嘔吐では、良いイメージなどもてるはずはない。
風呂からあがると、少年は目覚めていた。かなり恐縮しているようであったが、あえて冷たく接した。迷惑をかけられていい顔が出来るほどお人よしではない。
しかし、まだかなり酔っているようで、いきなり怒って帰ると言い出してしまった。ちょっと苛め過ぎたようだが、私としては好かれようとも思っていなかったので、どうでもいい事であった。
すると、今度はポロポロと涙を零し始めたので、さすがにまずいと焦った。それにしてもなんという酒癖の悪さであろう。
風呂に力ずくでひっぱっていった。多少乱暴だとは思ったが、これ以上煩わされるのはこりごりである。
ところが今度はなかなか出てこない。だんだん心配になって声をかけてみたが返事もなく、仕方なく中を覗いてみると、なんと湯船に浸かったまま気持ちよさそうに眠っているではないか。まるで天使のような安らかな寝顔であったが、そのまま昇天されてはそれこそ迷惑である。
(まったくなんて手がかかる子供なんだ!!)
もう怒りというよりも、なんとも言えない滑稽さの方が大きくなってしまっていた。
おまけにやっと一息ついて、ベッドに横になった途端、今度はとんでもないことを言い出す始末。
「立派な男にしてください」の意味するものを、冷静になって何度も分析してみたが、この状況においてやることと言えば、ただ一つしか思いつかなかった。
酔って何を言い出すのかと、拒否することは至極簡単であったが、まあ、男にしては可愛いし、少し脅してやろうという意地悪な考えからOKしたが、それはこの無防備過ぎる少年を少し懲らしめてやろうと言うのが、本当のところであった。
そして、行為を進めるうちに、いつしか我を忘れてしまっていた。初心過ぎる身体は、私が与える愛撫に震え、感じて、よがった。今時、女性でもこんなに可愛い反応をする相手になかなか巡りあえるものではない。特に私に興味を抱き、近づいてくる者には、したたかな自信家のタイプが多いので、とても新鮮に思えて、本気で若者を抱いてしまっていた。
翌日、私は昨夜の甘い行為を幾度も思い出した。若くしなやかな身体を心行くまで堪能した満足感に酔いしれた。それほどに熱い甘美に一夜であった。
ふと、このまま終わらせたくなっている自分の正直な気持ちに気がつく。あの愛しいと思える存在と、このまま別れてしまうなど考えたくもない事であった。
ところが、私はあの若者の事を何一つとして知らないのだ。とりあえず今夜の誘いを、彼は断らなかったが、本当にそうかどうかは、何の保証もない。もし、彼が帰ってしまっていたら、どうすればいいのだろうか。
そう考えると、とても仕事どころではなかったが、片付けない事には帰る事が出来ないので、集中せねばならなかった。が、時々、ぼんやりと考え込む私を見て、秘書の廖は、何か様子が変だとすぐに気づいたようであった。
「身体の具合でもお悪いのですか?」
「いや、ちよっと今夜の事をいろいろと考えていて・・・・・・」
「ああ、クリスマスですからね。私も家で家族とパーティーの予定です」
これはしっかり仕事しろと釘をさされたのかと思ったが、自分も出来れば定時に帰りたいのも事実であった。
「それは楽しみだな。さっさと仕事を片付けなければ、恨まれそうだな」
「はい、だから頑張って下さい、社長」
私生活を仕事に持ち込まないというのが私の信条であったが、簡単に破らせてしまった若者の事を思いながら、私は仕事に精を出すのであった。
車の窓から部屋の明りを目にした瞬間、心は喜びに震えて、車が止まるか止まらない内に飛び出した私は、マンションの自分の部屋へと急いだ。
とりあえず部屋の前で呼吸を整えて、チャイムを鳴らして部屋へ入る。と、若者が居間から姿を現した。
「おかえりなさい」
少しはにかみながら言うその姿に愛しさがこみ上げてきて、私は躊躇う事無く彼を抱き締めていた。
「ただいま」
温かな感触に、不安で押し潰されそうになっていた心が、一瞬の内に安らいでいく。
「遅くなりました。待ちくたびれたのではありませんか?」
「ううん」
頭をプルプルと横に振って応える仕草も可愛くて、もう一度抱き締めた。
「まだ、挨拶していませんでしたね。私の名前は、ビンセント・青です」
「工藤 秋生です」
そう言って私達は顔を見合わせると、微笑みあった。
こんな恋の始まりがあってもいいのではないだろうか。とても人には言えない出会いであるが、きっかけはどうあれ、こうしてクリスマスイブの夜に出会い、恋に落ちたのである。
「貴方のことを教えて下さい、秋生」
「ビンセント・青、貴方の事を僕も知りたいです」
そして、どちらかともなく口づけを交わす。なんとも言えない幸福感が心一杯に広がって、私はますます秋生へに溺れてしまう自分を感じるのであった。
後で聞けば、全てが誤解から始まっていた。秋生は私の事を、冴子女史の恋人で彼女がオーナーの店のホストだと思っていたようであり、私もまた彼の言葉を勘違いして、抱いてしまったのであった。
そして、秋生の自棄酒の理由を聞いて、彼をふったというその絵里という彼女に、感謝したいほどであった。秋生にとっては災難であったろうが、彼女が秋生をふってくれたお陰で、こうして巡りあえたのだ。
夕食をとりながら語り合った私達は、昨日、知り合ったばかりとは思えないほどに親密になっていった。
おまけに、凄い偶然の事実を知ってしまった。
「四回生だということは、就職はお決まりなんですか?」
歳を聞いて、20前だと思っていた私は、驚きながら尋ねていた。
「はい、なんか絶対に受からないと思っていたのに、決まっちゃったんです。東海公司っていう商社です。第一志望だったんですけれど、大学の皆に、どんなコネつかったんだって聞かれたんです。でも、、全然、ないのに、本当にラッキーでした」
嬉しそうに言う秋生の言葉に、私は運命の神に心から感謝するのであった。
「そう東海公司ですか。秋生は優秀なんですね。あそこはコネなど通用しませんから。本当に優秀な人材だけを雇っていますからね」
「そんな事はないです」
謙遜する秋生であったが、東海公司の事を私は誰よりも知っていた。それは私が東海公司の社長だからである。
冴子女史の今の恋人が、彼女がオーナーのホストクラブに勤めているホストであることは知っていたが、その彼と私を勘違いしている秋生の間違いを今すぐ訂正するのをやめておいた。
4月からは、また違った楽しみが増えるというものである。私は入社式で驚いている秋生の顔を想像して、心の中でワクワクと心を躍らせた。
「これからも私とおつきあいしていただけますか?」
「はい、よろしくお願いします」
秋生は躊躇わずに応えてくれた。
幸せなクリスマスは、今、始まったばかりである。
ああ、神様、迷える子羊をお救いください。
おわり
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