(その2)
2000年 6月24日 更新
手当といっても大した傷ではなかったので、手慣れた看護婦の見事な手際によって、アッという間に終わってしまった。
「お大事に〜っ」
と、治療室を送り出されて、ビンセントのいる待合室に向かう秋生の心は重たかった。
病院へ向かう車の中でも彼は一言も話さず、たった5分の道程が、秋生にはとてつもなく長く感じられたのだ。
ビンセントと一緒にいるのが辛くて堪らない。嫌われているのが露骨に分かるだけに、秋生というより黄龍への変わらぬ忠誠心による丁寧な態度が、針のむしろに座らせているようで居たたまれないのであった。
「フーッ」
と、溜息をついて、待合室の見えるところで秋生は立ち止まり、ビンセントの様子をうかがった。彼は黒のレザーコートを着た厳つい雰囲気の男と話していた。
「あっ、ヘンリー」
白虎=ヘンリー・西の無骨な姿が、懐かしくて堪らなく感じてしまう。
「よお、坊や」
秋生の姿を認めたヘンリーが片手をあげて挨拶してくる。その変わらぬいつもの態度に秋生は安心して、近づいていった。
「ヘンリー」
「大変だったな。無事で安心したよ」
そう言うと、秋生の片手ポンポンと軽く叩く。その何気ない優しさに、秋生の胸はジーンと熱くなるのであった。
「ヘンリー・・・・・・」
秋生の頬を熱いものが流れ落ちる。それが涙だと気がついたときには、ヘンリーの逞しい胸に飛び込んでいた。
「おい、どうした」
戸惑いながらも優しい、嬉しそうな声で尋ねる彼に、返す言葉もなくて、ただただ子供のように泣きじゃくるのであった。
ヘンリーは隣のビンセントの表情が険しくなるのを感じながらも、自分に甘えてくる秋生を邪険に扱うことも出来ずに、
照れ隠しに笑って見せた。が、ビンセントは、無表情のままブイと横をむいてましう。
(おやっ!?)
いつもの反応ではないのをヘンリーは訝しく思う。秋生の様子も何処かおかしい。
地盤のゴタゴタも無事解決して、予定通りに秋生と過ごそうとマンションへいったら、大騒ぎ。強盗が入ったのが秋生の部屋で、死人が一人出たと聞いて、慌てたものの、すぐに別人と分かり、ビンセントを携帯電話で呼び出して、病院にいると知って、追いかけてきたのだ。
だが、どうやら無事ですんだというわけではないらしい。そもそもアメリカに行っているはずのビンセントがここにいるというのは、どういうことなのだろう。
二人に聞きたいことは山とあったが、ここでは都合が悪い。今でも泣きじゃくる秋生を抱くヘンリーの姿を、周囲の人間が興味半分にチラチラ盗み見しているのがよく分かる。その隣で青年実業家として名前の知られたビンセントが険悪な表情で、苛々と煙草を吸っているのも、随分と人目を引いている。
「とりあえず、お前の家で落ちつこうや」
ヘンリーはビンセントにそう言うと、秋生を促して歩き始めた。
「疲れたから眠るって。一体何があったというの。秋生、日本へ帰るって行ってるわよ」
恨みがましい視線を、向かい側に座っているビンセントに注ぎながら、セシリアは尋ねる。
ビンセントは、一瞬、はっと彼女の方を見るが、その視線に気づくと、慌てて視線を逸らして、グラスの酒を一気に煽るのであった。その荒れた彼らしくない様子に、セシリアとヘンリーは顔を見合わせる。
騒ぎを聞いて、慌ててやって来たセシリアであったが、あれこれ尋ねても、ビンセントと秋生の二人は申し合わせたように、何も話そうとしないのだ。何かがあったのはあきらかなのだが、これでは手の打ちようがない。
「お前達、何故、『黄龍殿』から目を離したのだ。あれだけ頼んでおいただろう」
空になったグラスを置いたビンセントが、ポツリと漏らす。
「お前達がちゃんとついていれば、『黄龍殿』はあのような目に遭わずに済んだのだ。私が仕事を早く終わらせて帰ってきて、正解だったようだ。そうでなければ今頃、『黄龍殿』のお命は消えていたに違いない。万が一、目覚めるような事になれば、この世は終わっていたのだぞ」
最初は静かだったビンセントの口調が、彼の感情の高ぶりを表したかのように、段々と激しくなっていく。
「お前達は自分の使命をなんだと思っているのだ。最近、とみに弛んでいるぞ」
痛いところを衝かれて、セシリアとヘンリーは黙り込む。ビンセントが相当に怒っていることは、長年のつき合いで手に取るように分かる。が、こんなにあからさまに怒るのは、本当に久しぶりだと二人は思って、黙って聞いていた。
「悪かったわ。確かに秋生から目を離したのは、まずかったわ。強盗に会うなんて」
「すまん。地盤でゴタゴタがあって、そっちに気を取られたのが、まずかった。俺の責任だ」
「責任とかいう問題ではない。それを言うならば仕事とはいえ、目を離したのは私も同じだ。だから余計に許せないのだ。私の知らぬところで、ミスター工藤があのような目にあわされたなんてーっ」
吐き捨てるように言うビンセントに、セシリアはただならぬものを感じるのであった。
「ちょっと待ってよ。強盗が入っただけじゃないの。何があったって言うのよ」
だが、ビンセントは、悲痛な顔をして黙り込んでしまう。余りのもどかしさに、セシリアは怒って、バンと机を叩くと、凄い勢いでビンセントを問いつめるのであった。
「いい加減にしなさい。さあ、何があったのか、話すのよ」
セシリアの鋭い視線に、ビクリとビンセントが身じろぎする。しばらく、思い沈黙が続いたが、やがて彼は話し始めた。
「アメリカに渡って、たった三日で私は、酷く香港に帰りたくなってしまった。仕事を急いで終わらせて、パーティーは体の調子が悪いと断って、帰ってきたのだ」
「香港に帰りたくなってじゃなくて、秋生の顔が見たくなったからでしょう?」
「・・・・・・そうだ」
ビンセントは静かに頷いた。セシリアとヘンリーもいつものように冷やかしたりはしない。彼らもまた『黄龍』に、いや『工藤 秋生』という存在に心惹かれていたのだ。何の力もない平凡な若者に。
「ミスター工藤の部屋の前に来た時、私を呼ぶ彼の心の叫びが聞こえてきた。鍵を開けるのももどかしく、部屋に入った私は、見てしまったのだ。あのような輩に、ソファーの上で、ナイフで切られ、乱暴されているミスター工藤をーっ」
吐き捨てるように言うビンセントの言葉に、二人は目を丸くして驚くのであった。
「まあ、なんて事!!」
「そりゃ、ショックなわけだ」
二人は秋生の傷ついた様子を思い出して、頷いた。
「私は、その姿を見たとき、自分の中に恐ろしい思いが潜んでいることに気がついてしまったのだ。私は・・・・・・」
「もう良いわ。その後の事は、私達に言うべき事じゃないわ。秋生に言わなくちゃ」
セシリアが溜息まじりに言った。彼女の疲れたような顔に、明るい微笑みが浮かんでいる。
「実を言うと、秋生からはいろいろ聞き出したのよ。それで納得がいったわ。青龍、貴方何年生きているのよ。恋愛沙汰は、百戦錬磨だったんじゃなくて!!もう、やってられないわ。自分軒持ちを認めたくなくて、好きな相手に意地悪するなんて、今時、はやらないわよ。さあ、上へ行って、きちんと話してらっしゃい」
「朱雀」
セシリアの言うとおりであった。あの時、ソファーから身を起こした秋生の姿に感じた衝動。彼をあの男と同じように、自分のものにしたいという欲望を認めたくなくて、そんな自分が恥ずかしくて、縋ってきた傷ついた秋生に、邪険な態度をとってしまったのだ。そんな場合ではないことは分かっていたが、秋生の哀れな姿を見るほどに、ビンセントの欲望は大きくなるばかりであったのだ。
「さあ、早く行ってらっしゃい。私達はこれで帰るから、上手くやるのよ。秋生を今度泣かすような事があれば、容赦はしないわ。私が戴いちゃうんだから」
「えっ、帰るって」
話が見えないヘンリーを、強引に立ち上がらせながら、セシリアはビンセントにウインクして元気づける。
「すまん」
ビンセントの、一日で随分と窶れてしまった顔に、吹っ切れたような笑みが浮かび、彼は潔くソファーから立ち上がると、秋生のいる二階の客間へとむかうのであった。
セシリアに、ビンセントの様子がおかしくて、嫌われてしまったに違いないと告白したとき、彼女は澄んだ愛らしい瞳を丸くして、
「それはありえないわ」
と、一笑にふしてしまった。
(そうだったらいいのに)
そう思いながらも、半信半疑の秋生に、
「まあ、私に任せなさい」
と、言って、下へ降りていった彼女を、秋生は心待ちにしていた。
トントン
ドアがノックされ、潜り込んでいたベッドからガパッと顔を上げた秋生は、セシリアと信じて、
゛はい、どうぞ」
と、声をかけた。
ガチャッ
だが、扉を開けて入ってきた人物に、秋生は焦ってしまった。
「ビ・ビンセント!!」
上手く行かなかったんだという考えが頭の中にわき起こり、秋生は青ざめ、その動揺を隠すように、慌てて布団のなかに潜り込むのであった。
「お話があります。いいですか?」
ビンセントは遠慮がちに秋生に声を掛けたが、返事は返ってこなかった。明らかに自分を避けている秋生の様子に、感情に任せたまま犯してしまった罪の大きさを知りながら、それでも彼は怯むことなく、ゆっくりとベッドの端へと腰掛けるのであった。
「ミスター工藤、許して下さい。私は、愚か者です。自分勝手な思いから、貴方を苦しめてしまいました。申し訳ありません。・・・・・・あの時、強盗に襲われている貴方を見たとき、私は、あの男と同じ気持ちを、貴方に対していだいてしまった。貴方を欲しいと思ったのです。自分だけのものにしたい、無茶苦茶にしてしまいたいと・・・・・・。そして、貴方に対してそう言う気持ちになってしまった自分を認められず、何よりそれを貴方に知られることが怖くて、故意に避けるような態度を取ってしまいました。随分、冷たい奴だと思われたことでしょう。ですが、この思いは間違いありません。ミスター工藤、私は貴方を愛してしまったのです。勿論、これは私の勝手な思いですので、貴方は全然気になさらなくて、結構ですから」
その言葉にビクリと布団のなかに隠れた秋生が身じろぎする。
ビンセントは、静かに続けるのであった。
「日本へ帰りたいと、セシリアにおっしゃったそうですね。私には、それを止める事は出来ません。が、出来ればここに、私の側に居て下さればと思います。私は貴方を失いたくない。これも、私の身勝手な気持ちですけれど。どうぞ、今日のことは、お許し下さい。そして、これからも貴方の側に居させて下さい。何も望みませんから。どうか、お願いします」
「・・・・・・嫌だよ、そんなの・・・・・・」
布団の中で、秋生が呟く。それを聞き取れなかったビンセントは、尋ね直すのであった。
「何です、ミスター工藤」
「嫌だって言ったんだよ。そんなの御免だって!!」
ガパッと布団から飛び出し、身を起こして秋生が叫ぶ。その顔は怒りに紅潮していた。
「僕はそんなの嫌だからね」
秋生は寝乱れた黒髪を振り乱し、涙で潤んだ瞳で、ビンセントを睨み付ける。そんな彼の姿さえ愛しいと思える自分の、
彼への思いを再確認しながら、思いがけない秋生の激しい拒否反応に、ビンセントは寂しげに苦笑した。
「そうですね。むしが良すぎますね。どうか、忘れてください。なるべく貴方の目に触れないように致します。ご迷惑はかけませんから」
それだけ言うと、銀縁の眼鏡を外し、全てを言い尽くしたというように、フーッと息を吐くと、ビンセントはベッドの端から腰を浮かした。
(忘れろだって。迷惑はかけないって!!)
静かなビンセントの告白であったが、秋生の胸の中へ投げかけた波紋は大きく、心の奥底まで大きく揺るがされていた。
(僕を愛している!?側にいるだけで良いって!?)
矛盾する二つの言葉。自分の事を欲しいといいながらも、何も望まないと言う。愛してると言いながら、全てが終わったかのように言ってしまおうとするビンセントの、秋生の思いも何もかも無視した身勝手な優しさが、今日ばかりは鬱陶しく、腹立たしくてたまらなかった。
「なに分かっているような事、言うんだよ」
ビンセントの背中へ怒鳴りつける。
「ミスター工藤!?」
驚いて振り返るビンセントの心配げな視線に、苛立ちが増し、秋生は手元の枕を彼に向かって投げつけた。
「ビンセントの馬鹿!!」
だが、枕はあっさり彼の手にキャッチされてしまう。それがまた癪にさわって、秋生は再び布団の中に潜り込んだ。
悔しくて悔しくて、涙が後から後から溢れ出てくる。素直に彼への思いを告白すれば、全て上手くいくはずなのに、自分の気持ちを全然無視したようなビンセントの鈍感さを簡単に許すことは出来なかった。
「ミスター工藤」
ビンセントは秋生を泣かしてしまった自分の愚かさにやっと気がつき、しばらく、布団の中で声を殺して泣いている秋生の姿を見つめていたが、やがて意を決して、秋生の元へと歩み寄るのであった。
「ミスター工藤。また、貴方を泣かせてしまいましたね。本当に私は愚か者です」
すぐ近くでビンセントの声が聞こえ、はっと身を固くするまもなく、布団が少しだけずらされて、ビンセントの手が自分の髪を優しくなで始める。
「どうか私に罰を与えてください」
その言葉にドキリとして、秋生はゆっくりと布団を少しだけずらして、ビンセントの方を見るのであった。
毛布から涙で真っ赤に腫らした目を覗かせる秋生の可愛らしい仕草に、ビンセントの中に強い独占欲がわき起こる。
(このまま終わりにするなんて、貴方と一緒にいられないなんて、嫌だ!!貴方を誰にも渡したくない。渡せない!!)
布団をそっと取り除き、そして、洗われた秋生の顔を両手で捕らえると、ビンセントはそっと自分の顔を近づけていった。
瞼への軽い接吻。突然の事に、秋生は無抵抗のまま、ビンセントを受け入れてしまっていた。続いて頬に、唇に唇は降りてくる。彼の触れたところが熱くて、溶けてしまいそうになる。
(えっ!!)
我に返ったのは、ビンセントの舌が、自分の歯列を割って侵入して来た時であった。
「ううんっ」
身を捩って抵抗しようとするものの、ビンセントに容易く阻まれて思うようにならず、そのうち舌を絡め取られ、その甘さにとろけそうになってしまう。
「やだ・・・・・・」
ビンセントの唇が離れて、秋生は熱い吐息をつく。マンションで襲われた時、相手に感じた嫌悪感など微塵もなく、もっと欲しいとさえ思う。このまま何も考えず、本能のままにビンセントと落ちて行っても怖くはない。だが、秋生にも拘りがあった。
二人はまだ始まっていない。
「駄目、駄目だよ、ビンセント」
とろけそうな息も絶え絶えに、秋生は訴える。
「どうして、駄目なのですか。私はもう我慢が出来ません。ミスター工藤、貴方が欲しくてたまりません」
いつも冷静な彼の声が高ぶりに震えて掠れ、その心地よい低音の響きがゾクゾクする快感と、まっすぐな熱い視線に酔いながら、それでも秋生は自分の思いを、語り始めるのであった。
「ビンセント、僕もビンセントの事が好きだよ。今日、それに気がついた。あの男に襲われて、このまま死んじゃうんだと思ったとき、凄くビンセントに会いたいって感じたんだ。そして、本当に助けに来てくれたとき、とっても嬉しかった。本当に嬉しかったんだよ。それなのに、ビンセントはいつもと違って冷たくて、僕は自分があまり不甲斐ないから、嫌われたんだと思った。とても苦しくて泣きたかったのに、それだと余計にビンセントに嫌われちゃうんじゃないかと思って、一生懸命我慢したんだ。こんなにビンセントの事が好きなくせに、僕はつまらないことにずっとこだわっていて、素直じゃなかったから、天罰が下ったんだと思った」
ビンセントは、秋生がポツリポツリと漏らす言葉を、一言も聞き逃すまいと、真剣そのもので聞いていた。
「ビンセントやセシリア達が、僕に親切にしてくれるのは、僕が『黄龍』だからで、『工藤 秋生』にではないんだって、そんな風にずっとこだわっていたんだ。だから、みんなに親切にされればされるほど、なんだか辛くって、いたたまれなくって。今なら分かるけれど、みんなのことが好きだからこそ、そんな風に考えちゃったんだと思うよ。僕って結構ずるい奴だったんだ。独占欲が強くて、みんなを、ビンセントを自分『工藤 秋生』のものだけにしたかったんだ。僕は『黄龍』であり、今の『黄龍』は、僕自身なのにね。でも、やっぱり僕は聞いてみたい。ビンセントは僕が『黄龍』だから好きなの?ただの工藤 秋生』『じゃ、駄目なの?」
恐る恐る尋ねる秋生の心境は、分からないでもなかったが、それでもビンセントは驚き、呆れ、そして、その存在をますます愛しいと思うのであった。
「それでは、貴方は、私がこの5000年の間、『黄龍』の転生体の人々全てに、愛を囁いてきた好色な奴だと、思っていらっしゃるのですか?」
反対に問いかけてみる。
「えっ」
秋生の顔に困惑が浮かぶのを見て、内心微笑ましく思ったが、それを表に出すことなく、じっと答えを待つのであった。
「そんな事はないとおも。けど・・・・・・」
「けど、なんですか?」
全く我ながら意地悪だと思いながらも、秋生の困った顔を見るのが楽しくて堪らなくて、深く追求してみるのであった。
「全然ないはずがないと思うんだ。だって、ビンセント、ハンサムだから随分ともてるし。僕みたいな平凡な奴を好きだって言ってくれるぐらいだから、きっとみんなにもそうじゃないかなって」
その遠慮がちな言葉に、ビンセントは思わず吹き出していた。
彼があんまりクスクス笑うので、秋生は、自分が揶揄されていた事に気がつき、プーッとむくれてしまう。
ひとしきり笑って、落ち着きを取り戻したビンセントは、恨めしげに自分を見つめる秋生を愛しげに見つめ返した。
「貴方は御自分の事を、全然御存じないようですね。こんなに可愛らしい方は、今までいらっしゃいませんでしたよ。確かに私やセシリア、ヘンリー、ユンミンの四人は、『黄龍』の眠りを守るために存在します。でもいつもその転生体と接触してきたわけではありません。その眠りを覚まさせれると予告なされた時と場所にて、私達は再会し、眠りを妨げる要因となるものを排除するために動きましたが、普通、『黄龍』は再び眠りに入られると、転生体自身はその時の記憶を失いますから、私達と出会った転生体の誰の記憶の中にも残っていないはずです。私達は陰ながら、絶対的存在である『黄龍』の人間界の、その時代における転生体を確認し、安らかな眠りを守る事だけが使命でした。だが、貴方は違います。『黄龍』として半分目覚めながら、その記憶を持っておられる唯一の存在、いわば未だかつてなかった特殊な方なのです。
でも、私が惹かれてやまないのは、『黄龍』である貴方よりも、『工藤 秋生』という日本の若者の貴方なのです。何故そうなのか理由など分かりません。ですが、少なくとも私が今愛し欲しいと願うのは、『工藤 秋生』に間違いありません。
だからどうか遠慮しないで、私にドンドン我が儘を言って下さい。そして、私の愛に答えて下さい。お願いします」
「本当?」
ビンセントの言葉をまだ信じられない秋生が、確かめる。
「ええ」
聞きたかったその言葉によって、自分の中のこだわりが、一瞬の内に消えていくのを感じながら、秋生は両手を伸ばして、頼もしい存在を掴まえると、自分から縋り付いていった。
「ビンセント、好きだよ」
「秋生・・・・・・」
二人の唇が重なる。それが始まりであった。
熱く長い口づけが幾度も交わされて、秋生の初な心と身体は、甘くせつない快感に襲われてガクガクと震え、荒い息と共に、自分のものとは思えない甘ったるい艶を帯びた声を上げていた。
「ああんっ・・・・・・」
それが忘れかけていた羞恥心を呼び覚まし、ビンセントから逃れようと、秋生はもがいた。
「やだっ、ビンセント」
「駄目です。もう、放しません」
耳元で囁くその低音の響きに、ゾクゾクとした感触が背中を這い上がり、自分が自分でなくなってしまう恐怖感が秋生の中で強まる。頭では割り切っていたはずなのに、行為から生まれる快感は、最初の段階から予想外の変化を自分にもたらしている。これ以上進んだら自分はどうなってしまうのか。淫らな醜態を見せてしまうのではないか。ビンセントに呆れられてしまうのではないかという不安で一杯になってしまったのであった。
ビンセントは、嫌々をして抵抗する秋生の初々しさが愛しくて堪らず、性急に秋生のパジャマの上着の内側へと手を忍ばせて、そのなめらかな肌の感触を楽しもうとしたが、包帯に触れて、ハッとして手を引いた。
「すみません、ミスター工藤。少し急ぎすぎたようですね。怪我をなさっていらしたのに」
さっきまで嫌だと言っていたくせに、いざ、ビンセントがその手を止めたとたん、なんだか焦れったい物足りなさを、秋生は感じてしまうのであった。
(なんて我が儘な奴なんだ)
自分の中に潜んでいた思いがけない貪欲さに、秋生は驚かされるのであった。
「傷はそんなに痛まないけれど、でも、傷跡が残ったら嫌だな」
自分の戸惑いを隠すように、秋生は言った。
「大丈夫です。傷など残させませんから」
「どうやって?」
「宜しいですか?」
ビンセントの問いかけに、秋生は全てを委ねる覚悟を決め、不安を押し隠して、こくりと頷いた。
ビンセントは無言のまま、秋生の頬に貼られた絆創膏を、傷に障らないように丁寧に取り去った。秋生は目を閉じて、息を殺してじっとしている。
柔らかな頬に走った10センチほどの傷痕。深いものではないが、このままでは痕もなく完治するというわけにはいかないだろう。
「一応、警察を介入させましたので、とりあえず医者の手当を受けて戴きましたから、こんな傷でしたら、『気』を注げばアッという間に直ってしまいます」
そう言いながら、ビンセントはゆっくりとその傷の上に右手をかざすのであった。
ズクン
頬の傷痕が疼き、何か熱いものが身体の内側へと流れ込んで来る。
「あっ」
何とも言えぬ感覚に、秋生は小さく声を上げていた。
「痛みますか?」
「ううん。これがビンセントの『気』なの?」
「そうです」
「暖かいね・・・・・・あっ」
疼きは心地よい刺激へと変わり初め、『気』の熱い流れは、大きなうねりとなって、秋生の身体ノ中へと浸透していった。
やがて疼きが完全に消えた頃、ビンセントは秋生のパジャマを脱がして、胸の包帯を取り去った。白い胸についた幾つかの傷痕に、ビンセントは眉を顰め、その一つにそっと口づける。
「くすぐったいよ」
「我慢して下さい」
ビンセントの身体から青いオーラが迸り、秋生の身体の中に注がれていく。その度にズクンズクンと何かが蠢き、次第に大きく熱くなって、内部からジワジワと自分を犯して行くのを感じた。
「あっ、ビンセント、変に、なっちゃうよ」
自分の中の熱いうねりを持て余し、あがってくる息も絶え絶えに訴える。
「大丈夫ですよ」
そう言いながら、ビンセントの片手がゆっくりと、秋生の股間に伸びて、秋生自身を捕らえた。
「あっ、やだ」
ビクッと仰け反り、わき起こる快感をじっと耐えるように身を固くする。
「我慢してないで、感じて下さい」
ビンセントの囁きに、秋生の口から甘い吐息が漏れ、身体の強ばりがゆっくりと溶けていく。
「ああんっ」
ビンセントからもたらされる絶え間ない刺激に、身も心も翻弄されながら、秋生は貪欲にひたすら快感を追った。
やがて、訪れた一際大きなうねりに、遂に耐えきれずビンセントの手の中へと、精を放つ。その余りの心地よさに、頭の中はスパークして真っ白になり、秋生は意識を手放すのであった。
気を失ってしまった秋生の安らかな顔を、慈愛に満ちた眼差しでしばらく見つめていたビンセントは、秋生の唇にそっと口づける。
「愛しています」
それからゆっくりと起きあがると、バスルームへと向かうのであった。
火照った身体に冷たいシャワーを浴びせながら、先程の行為を思い出して、冷静な男がクスリと笑った。
(ミスター工藤、本当に可愛らしい方だ。私はもう貴方を手放すことが出来ない・・・・・・)
まだ初な秋生の一つ一つの仕草が、その存在の全てが愛しいと思う。そんな自分の中の熱い思いを冷やすように、ビンセントは冷たいシャワーに打たれ続けるのであった。
いつもより随分と遅く起き出したビンセントは、身支度を整えると、リビングに降りていった。そこにセシリアの姿を発見する。
「おはよう、ビンセント」
「セシリア」
「よお」
ヘンリーが朝食を持って、台所から現れる。彼らが勝手に家に入り浸るのは、いつものことであった。
「何だ、お前達、随分、早いな」
「だって、心配じゃない。ねえ、それで昨日はどうだったの」
セシリアが興味津々といった感じで、聞いてくる。ヘンリーもニヤニヤと笑って、肩を竦めてみせる。
ビンセントは咳払いして、ソファーに座ると、新聞を広げた。
「ねえ、どうだったの。ちゃんと話したの」
セシリアが問いつめる。
「ああ、上手くいった」
「上手くって、どう上手くいったわけ」
「それは・・・・・・」
ガタッ
二階で音がして、バタバタと降りてくる音が聞こえてくる。
「ビンセント、ビンセント」
秋生が元気に階段を駆け下りてきて、みんなの姿を認めて、ニッコリと笑った。
「おはよう、早いね」
「あら、早いって時間でもないのよ」
上機嫌と言った感じの秋生に、セシリアか゜チクリと嫌みを言う。が、秋生は時計を見て、
「あっ本当だ。寝坊しちゃったね」
と、明るく答える。昨日の落ち込んだ雰囲気は何処にも見えず、ビンセントの言うとおりに、二人の仲は上手くいった事が伺える。
「ビンセント、ほら、見て見て、ほら」
秋生が新聞を読んでいるビンセントの傍らに走り寄ると、パジャマのボタンを外して、胸を広げて見せる。
「ほら傷痕が消えちゃったんだ。凄いやビンセント」
グシャリと新聞の潰れる音がして、憮然とした表情のビンセントが、静かに言い放った。
「パジャマを着替えてらして下さい。そんな格好では風邪をひいてしまいますよ」
彼が一緒に喜んでくれると思っていた秋生の表情が見る見る強ばり、ガックリと項垂れる。そのあからさまな様子を見かねて、セシリアは口を挟むのであった。
「ビンセントは、貴方のそういう姿を見ていると、その場で押し倒したくなっちゃうんですって。秋生、気をつけなさい」
「えっ、ご・御免なさい」
頬を赤く染めた秋生が、慌ててパジャマの上着の前を掻きあわせて、バタバタと二階ヘ上がっていく。
そんな彼を見送りながら、セシリアとヘンリーは顔を見合わせて、クスクスと笑った。
「何がおかしいんだ」
二人にビンセントが不機嫌に尋ねる。
「あら、図星だったかしら」
「・・・・・・」
黙ってしまうビンセントに、セシリアは驚いたように目を丸くする。本当に図星だったようである。
「貴方には同情するわ。今回の相手ばかりは、今までとは少し勝手が違うものね」
「全くな、お手並み拝見とさせていただこうか」
ヘンリーも゛フンブンと大きく頷いている。
ゴホンと咳払いしたビンセントは、グシャグシャになった新聞を広げながら呟くのであった。
「ミスター工藤は、とても素直な方だ。お前達とは違う」
「確かに歳の割りには全然擦れてないし、今時、珍しいぐらい純情よね。恋のお相手としては、少し物足りないんじゃなくて」
「そこが良いんだ!!」
キッパリと言い切ったビンセントに、セシリアは呆れて、肩を竦める。
バタバタと再び二階から着替えた秋生が降りてくる。
「ヘンリーおなかが空いたよ」
すっかり元気を取り戻した秋生の笑顔に、ヘンリーは片目をつぶって見せた。
「そうだろう。ちゃんと準備してあるからな。今、温め直すから待っててくれ」
「うん、やったー。ヘンリーの料理って最高だもんね。もう、一杯食べちゃうからね」
「まかせておけ」
無骨な男が目尻を下げて、ウハウハと喜び勇んで台所へと姿を消す。セシリアはその姿を呆れたように、溜息をついて見送りながら、先程ビンセントが言った言葉を思い出すのであった。
(そこが良いか。確かにそうね)
と、一人納得して、微笑むのであった。
つづく