亜州王国物語2
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2005年9月6日 更新
(6)
「秋生・・・・・」
自分の腕の中のその確かな温もりを確認しながら、ビンセントの心は喜びに震えていた。別れてからの三ヶ月、ただその記憶の中の姿だけを追い求めた日々。一度は手放した存在が、今、確かに自分の腕の中にある。予想としていた拒絶もなく、『会えて嬉しいかった』とまで、言ってくれたのだ。
暗い地下の住処で、蝋燭の炎の揺らめきにも似た不安定な自分の心を持て余し、遠い都にいる愛しい人の姿を、炎の中に浮かび上がらせ見守っていた。秋生を取り巻く環境や人々は、腐敗した都には珍しい救いのある者達ばかりであったが、『魔』の影が身近に迫ろうとしていた。
青龍としての彼の使命は、転生体の中に封じられた黄龍の眠りを守る事であり、目覚める危険がない限り、決して転生体の人生に関与はしない。そうして永い時を、多くの転生体の人生を遠くから見つめて来た。
もし、目覚めた主がこの世に絶望することがあれば、その時、この世は天の裁きを受け滅亡してしまう。青龍にとって人の世がどうなろうが関係のないことである。
しかし、主は人を愛し、神々の全てがこの地の破滅を望んだ時に、唯一反対し、人の味方をしたのである。そんな主、黄龍の願いを台無しにすることは出来なかった。
だが、自分は転生体である秋生を愛してしまったのだ。自分が秋生につけてしまった青龍の守護印は、人の目には決して見る事は出来ないが、自分が愛したという証であり、その一生涯において青龍の祝福を与えるという自分の誓いである。過去において印を与えた人間は数少なく、遠い昔の事であった。
今の香港の都ではこの印は危険このうえない。聖なる者を陥め、食する事は『魔』の力を増大させる。『魔』の格好の餌食となってしまう。それが分かっていながらその愛しさと衝動に耐え切れず、無垢なる身体を開いてしまった自分の許されない罪。都に送り出したものの苦しくて切なくて、愛しくて押し潰されそうな心に、気が気でない毎日。
そんな時、突然、感じた秋生の助けを求める悲鳴。仲間を救いたいという心の叫び。だが、それに答えようとする人間はいなかった。絶望に張り裂けそうな秋生の心に触れた瞬間、長い間、自分自身に引いてきた一線を容易く乗り越えて、愛する者の元へと飛んでしまっていた。
愛がこんなに自分を盲目にさせるとは、こうしている今さえも信じられない。が、もう自分には秋生さえいればよかった。
「ビンセント」
その甘い声を耳にすると、理性は何処かへと消えうせてしまう。
「ああ、愛しています」
言うなり、その唇を奪い、熱く長く執拗にその甘さを堪能する。そして、伝わってくる華奢な身体の震えと高鳴る鼓動が、彼を一層駆り立てるのであった。
粗末な硬いベッドへと倒れこむ。今の二人にはどんな豪華なベッドよりも充たされた場所であった。
「あっ」
小さな驚きの声を上げて縋り付いて来る秋生に、絶え間なく軽い接吻を頬に、瞼に唇に与えて安心させながら、着ていたシャツを一気に剥ぎ取る。暗闇の中に浮かび上がった白く滑らかな肌に、ビンセントの情熱が燃え上がった。
「こうして貴方をこの腕に抱きたいと何度願った事だろう。それがどんなに罪深い事かを知っていながら、それでもこうして貴方に触れた瞬間、もえ何も考えられなくなっている。何もいらない。ただ、貴方だけが欲しい。秋生、貴方が・・・・・・」
ビンセントの告白に、秋生は黙ったままそっと自ら彼の首へと両腕を回して、口づけた。
(ああ、なんて愛しい)
今の自分は青龍でもなんでもない、格好の獲物を前にして歓喜している獣に過ぎなかった。
秋生はビンセントによって導き出される官能の波に身を漂わせた。彼の手や舌の優しい愛撫によって生み出される淫らな感覚に酔いしれていた。
初めて彼に抱かれた時に感じた罪悪感や羞恥が全て消え去ったわけではない。だが、それよりも欲望が勝っていた。彼にもっと触れて欲しい、愛して欲しいとひたすら願うばかりだった。
「ああっ」
ビンセントに胸の突起を嬲られて、甘い声をあげてしまう。そんな自分が恥ずかしくなって顔を両手で覆ったが、それはいともたやすくビンセントによって外されてしまった。
「隠さないで。私に貴方の全てを見せて欲しい。そして、もっともっと感じて下さい」
「でも、こんなに感じすぎてしまうなんて、変じゃないですか?」
まだ幼い愛人の初な言葉に、ビンセントは整いすぎた美貌を和ませて笑った。
「その質問に答えるにはもっと試してみなくてはなりません」
「えっ、試すって、あーっ」
ビンセントの手がそっと伸びて、熱くなった秋生自身を捕らえる。とたんに背筋をビクッと震わせて、秋生は身体を反らせてしまった。
「とても感じやすいですね」
彼の意地悪い笑いを含んだ声に、秋生は彼の胸に顔を埋めて訴えた。
「意地悪。本当に酷い人だ。でも、好き、好き、好きです」
「秋生」
「ああっ」
ビンセントの手の動きが激しくなり、秋生はいとも容易く果ててしまう。だが、荒い呼吸を整える間もなく、彼の指が秘所へと侵入してくる。その違和感と圧迫感も、すぐに甘い疼きに変わり、散々弄ばれ、そして、ついに彼の熱い猛りに深く貫かれて、秋生は衝撃や苦痛よりも、わきおこる喜びと快感に震えて、歓喜の声を上げた。
「あんっ、ああーっ、ビンセントーっ」
彼の背中に腕を回して、必死に縋りつく、身のうちにある彼の熱さは、彼の自分への愛の証であり、この瞬間だけは間違いなく自分とビンセント、二人だけの時間なのである。
彼と巡り会い、別れ、そして、再び巡り会った運命。世を捨て、深い森の神殿の廃墟に棲む孤高の人は、自分を求めて都に会いに来てくれたのだ。
(もう離さない。離れたくない)
激しいビンセントへの執着。彼の愛に身体も心も揺さぶられながら、彼への愛を改めて確信する。
この愛を永遠に彼に捧ぐ事を、自分の信じる神にそっと誓うのであった。
意識を飛ばし、傍らで縋りつくようにして眠る秋生の寝顔を、慈愛に満ちた眼差しで見守っていたビンセントの瞳が、紫の深い色へと変わる。と、同時に黒髪は流れるような銀色になり、彼の、青龍としての本来の姿へとかわっていた。
おもむろに彼はベッドから秋生を起こさないようにそっと起き上がった。惜しみなく晒された無駄のない、鍛え抜かれた裸に、一瞬の内に服がまとわれている。彼は音を立てることなく部屋を出て、階段を下りていった。
暗闇の店の中に、二つの人影があった。下りて来たビンセントの姿に、二人の眼差しが妖しい光を浮かべる。
「お楽しみだったようね」
若い娘の声。それはセシリアのものであったが、別の存在を思わせた。
「羨ましい限りだ」
嫌味たっぷりの男の声は、ヘンリーのものである。
だが、ビンセントは二人の言葉を無視して、問いかけた。
「お前達、いつ戻った?」
冷たく暗い思いの込められたその問いに、二人は気まずく沈黙する。だが、やがてヘンリーから重いため息が漏れ、彼は吐き出すように言った。
「天帝が新たな黄龍の転生を告げられた。それで戻ってきたのだ」
「久しぶりねと言っておくわ、青龍」
「そうだな、朱雀、白虎。あの時の転生体が死んでからだ。もう、何百年も前か」
つぶやくように言う青龍。
「一つ聞かせて頂戴。貴方がどういうつもりなのかを。答えによっては・・・・・・」
鋭く言い放つ朱雀の身体から赤いオーラが昇りたつ。
「どういうつもりなのかとは?それでは分からないな」
取り付く暇もなく冷静に返す言葉には、朱雀の問いを揶揄する響きがあった。
「おいおい。まあ、いろいろあったが、仲間じゃないか。上手くやっていこうぜ、な」
朱雀と青龍の静かだが激しい火花の飛ばしあいに、見かねた白虎が割ってはいる。
「仲間のつもりはない」
「こんな人でなしを仲間だなんて認めないわ」
真っ向から対立しあう二つの意識。
「まあ、人じゃないからな」
「!!」
舌打ちをして、揚げ足をとる白虎に向かって鋭い一瞥を送る朱雀の怒りは、大きかった。
彼女は今度の黄龍の転生体である秋生が、香港の都に出てきたのをきっかけに接触したのだが、明るく素直な秋生の事を、いつになく気に入ってしまっていた。そして、聖獣としてその人生が幸せなものである事を願い、静かに見守りたいと願った。だがいかんせん、彼にはすでに青龍の守護印が刻まれていた。
青龍の祝福を受けた者、すなわち愛を交わした事を示す印が、まだ幼さの残る少年にあったのだ。その信じられない思いは、青龍の突然の出現によって確かなものである事が、証明されてしまった。よりによってぬけぬけと自分達が側にいるのが分かっていながら、秋生を抱いてみせたのである。
「貴方の守護印は、この都では魔を呼び寄せる松明だわ。秋生を照らし出して、さあ、喰って下さいと宣伝しているようなものなのよ。どうするつもりなの。あんな子供を危険に晒して、聖獣として黄龍の眠りを守るという使命は、忠誠は何処へいってしまったの」
激しく詰め寄ってくる朱雀のオーラは、彼女の機嫌が最悪であることを表していた。
「どうするつもりもない。秋生は私のものだ。誰にも渡さない」
あくまで冷静に告げる青龍の態度に、さすがの朱雀も言葉を失った。
「私は秋生を愛している。もうこの気持ちを抑える事は出来ない。青龍としての使命など最早どうでもいい。私の望むのは秋生の幸せだけであり、そのためにならなんでもしよう。邪魔するのならば、お前達といえども容赦はしない」
「私達だってあの子の事が大切なの。だから心配しているんだわ。貴方は幸せを願っているというけれど、貴方が秋生に関わる事で、すでに危険に晒しているのよ」
「わかっている・・・・・・」
絞り出すような低い掠れた声が、青龍の思いの深さを告げていた。
「まあね、惚れちまったものはしょうがないや。だがな、俺達も秋生を大切に思っている事だけは忘れてくれるな。転生体を守る聖獣の端くれとして、黄龍の眠りを阻むものは容赦しない。まあ、とはいっても一度は使命を捨てて、天界に戻っちまったんだから、大きな事は言えないが。しかし、青龍。お前、少しも変っとらんな。相変わらず真面目すぎて融通がきかん奴だ。その思い込み、いつか命取りになるぞ。用心するんだな」
白虎の無器用な言葉には、だが、古い仲間への忠告といたわりが込められていた。
「悲しいことだが、秋生もお前に惚れちまっている。あの子には本当に幸せな人生を歩んでもらいたい」
「白虎、お前も相変わらずだな。少しは天界へ戻ってまともになったかと思っていたが」
「お蔭さんでな。退屈過ぎて、少々ボケちまったぜ」
白虎と青龍の口元に、フッと微かな笑みが浮かぶ。
「ちょっとちょっと何なのよ。面白くないわね。二人で仲良くやってんじゃないわよ」
腕組みをして仁王立ちになった朱雀の迫力に白虎が苦笑する。
「朱雀、秋生をとられて悔しいのは分かるが、あんまり熱くなるな」
「なんですって!」
いきり立つ朱雀であったが、やがて、フーッと息をついてガクリと肩の力を抜いた。自分がどんなにいきりたってもそれを青龍や白虎が聞くはずがない事を誰よりもよく知っていたからだ。
「フン、いいわ、青龍。貴方の愛とやらを見せていただきましょうか」
悔しさを隠し切れない朱雀にヤレヤレとばかりに白虎が肩をすくめてみせる。青龍は久しぶりの仲間との再会を、表情に出さないまでも、彼なりに楽しんでいた。
騎士団員達はなかなか寝付かれぬ夜を過ごし、少しやつれた面持ちで申しあわせたわけでもないのに、誰もがいつもよりも早く起きだしてきた。秋生の事がきになってしょうがなかったのである。正確に言えば秋生と突然現れた命の恩人だというビンセント・青と名乗った謎の男との関係が気になって仕方なかったのである。
「よお」
「おうっ」
元気のない挨拶を交わし、顔を洗うとそそくさと『ヘブン』へと向かう。だが、誰しもが扉を開くのをためらい、顔を見合わせた。
「お前が先に行けよ」
「お前が行けったら」
もじもじと図体のでかい男達がためらう。彼らは恐れていたのだ。秋生がビンセントという男のものになってしまったのではないかという事を・・・・・・。
ガタッ、突然『ヘブン』の扉が開いて、秋生が顔を覗かせた。彼らを見つけて満面の笑みを浮かべる。
「おはようございます。朝の用意が出来てますよ」
秋生の明るく元気な声に、騎士団員達はホッと安堵した。
「おはよう」
「おはよう」
彼らは口々に挨拶して、『ヘブン』へと入って行った。
そして、いつもと変らぬ賑やかな朝の始まり。寝不足を吹き飛ばさんばかりの食欲。テーブルの間を忙しく動き回る秋生。
ふと、二階から降りてくる人影に、騎士団員達の視線が自然と注がれた。白いシャツと茶のズボンとブーツ姿のビンセント・青であった。自然な流れにまかせた黒髪に整った容貌が際立つ。彼らの仲間のエリアルドの際立った美貌を見慣れている彼らも、言葉を失わずにはいられなかった。
「ビンセント、おはようございます」
秋生が頬を少し赤らめて、ビンセントを眩しそうに見つめる。
「おはよう、秋生」
彼の顔に浮かんだ慈愛に満ちた微笑に、騎士団員達は嫌な予感を覚えたが、それが、間違いでない事をすぐにしらされるのであった。
「秋生」
手招くビンセントに、何事かと近寄った秋生をつかまえると、顎を捕らえて口付けを与える。その見事な早業に唖然とする団員達。だが、すぐに怒号をあげた。
「お前、朝っぱらから秋生になんて事を」
「許さないぞ」
だが、それらが聞こえなてないかのようにビンセントは秋生から離れると、再び笑いかけた。
「身体のほうは大丈夫ですか。昨日は随分無理をさせましたから」
「うわぁっ、は・はい。大丈夫です」
慌てて恥ずかしそうに俯いてしまう秋生の反応に、ただならぬのものを感じた騎士達は、あまりのショックに言葉を失い、二人をただ見つめる事だけしか出来なかった。
「ちょっとちょっと朝から何やってんのよ、この忙しい時に居候が。店の手伝いもしないで、ただ飯喰おうなんて、ただじゃおかないよわよ」
奥から出てきたセシリアが文句を言う。
「ビンセント、あんたは奥で皿洗いね!!」
有無を言わさないセシリアの遠慮のない言葉に、秋生は再び動き始め、ビンセントは一瞬、嫌そうな表情を浮かべるが、それでも言われたとおりに素直に奥の洗い場へと入って行く。セシリアがそんな彼の背中をバシッと叩く。
「働かざるもの喰うべからずってね。秋生の側にいたかったら一生懸命、働きなさい」
騎士達は今日ばかりはセシリアの容赦のない物言いを、ありがたく思い、心の中で拍手をおくるのであった。
少しさかのぼる事、秋生とランを襲った強盗の生き残りの三人は、貴族達の豪華な屋敷が立ち並ぶ一画の中でも、一際豪華な屋敷の一つの裏口から、中へと入って行った。
「守備はどうだ。剣は手に入ったか」
その屋敷で働いているのであろう老年の男のしわがれた声が出迎える。広い屋敷の庭の片隅に松明をかざして、待ち構えていた。
「それどころじゃねえ。ありゃ、凄い使い手だ。仲間は皆切られちまった。約束の金じゃ話にならねえな」
「いいでしょう」
男に招かれて近寄った三人の男達。突然、木陰から数人の黒装束の男が現れて、背後から彼らを切り捨てる。
「うわぁ〜っ」
「ぎゃ〜っ」
悲鳴をあげて、男達は一瞬のうちに絶命する。だが、松明をもった老年の男は、表情ひとつ変えることなく、切り捨てた者達へと指示した。
「片付けろ。街で切られた者達もだ」
「はっ」
黒装束の男達が答えると、老年の男は踵を返して、屋敷の中へと入って行くのであった。
「旦那様、しくじったようでございます」
老年の男は、屋敷の奥の主の寝室の前で立ち止まると、扉を開けずに中へと声をかけた。
「焦ることはないだろう。次の手を考えるまでだ。下がれ」
「はい、お休みなさいませ」
男は何もなかったように、部屋の前から歩みさる。
「キャ〜ッ」
主の部屋の中から若い女の悲鳴が漏れ聞こえてくる。が、男は何も聞こえなかったばかりに頭を一度大きく振ると、深い皺に覆われた顔に苦渋の表情を浮かべて、自分の部屋へと戻る事にする。
(あの方も随分ともの好きな事だ。あの剣がどうだというのだろうか。まあいい、恩をうっておけばこちらの思うとおりだからな)
その屋敷の主は、自分の寝床の豪華な布団の上に横になり、グラスの酒を一気に飲み干す。だが、そのグラスが充たされる事はなかった。
先程まで彼の側で酒の相手をしていた女は、床に倒れて動かなくなっていた。腹につきたてられたナイフから、赤い血が滴り落ちる。
ただ、ほんの少し彼の手に酒を零したばかりにその責めを受けて、殺されてしまった彼女は、怨み言の一つも言う事は出来ない。
主は、グラスをポンと彼女の元へと放り投げる。
「虫けらなどどうにでもなる。騎士団など根こそぎつぶしてやろう」
主はニンマリと笑うと、寝床に横になり、たちまちの内に寝入ってしまった。その顔は己の欲望が満たされる予感に、笑みさえ浮かべていた。
終わり
※2のお話はここまでです。3から5の在庫はまだありますので、続きが早く読みたいなと言う方は、通販お待ちしております。
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