
2009年3月30日
(3)
「此処が今度、街にしばらく滞在するために買った屋敷です」
そう言いながら青が指し示した屋敷の豪華さに秋生は、一瞬言葉を失った。
「す・凄く大きいですね!!」
街の繁華街の近くで、大きな屋敷が立ち並んでいる中でも一際立派な屋敷を目の当たりにして、秋生は驚いた。
「青さんって大家族なんですか?」
そう言えば今まで青の家族の事を余り聞いた事がないのに思いあたり、秋生は少し複雑な思いで尋ねてみた。
(奥さんとか子供とかいたらどうしよう)
いても全然おかしくないと思うのだが、何故かそれを認めたくない心境であった。
「私には家族はいません。天涯孤独の身の上です。ただ、此処には仕事の仲間も同居して、四人で住んでいます」
青の説明に、秋生は内心ホッと安心し、どうしてこんな気持ちになるのか不思議に思う。
四人で住んでいるにしても随分と大き過ぎる屋敷であったが、中に案内されて、その豪華さに秋生はまた驚かされた。
「青さんって本当にお金持ちなんですね」
「それほどでも・・・・・・」
謙虚に否定する青だが、天帝の城の豪華さにもひけをとらない本当に立派な屋敷だと、秋生は心から思った。
居間に案内され、場違いな雰囲気に圧倒されて、大きな長椅子にチョコンと座りキョロキョロと室内を見渡していると、青が同居人達を伴って現れた。
「私の仕事の仲間です。彼女は、セシリア」
「こんにちは、秋生」
そう言ってニッコリ笑ったのは、プロポーション抜群の美人で、秋生はボーッと見惚れてしまった。
「ど・どうも、秋生です」
照れながらペコリと頭を下げる。その素朴な反応が彼女には受けたのか、『キャーッ、可愛いっ!!』と、喜んでいた。
「彼はヘンリー」
無骨な大男が、ニンマリと笑いながら、尋ねてくる。
「秋生、食べ物の好き嫌いはあるのか?」
「えっと、別にありません」
「よし、美味しい料理をご馳走してやる」
「は・はい」
満足げにウンウンと頷きながら、ヘンリーは奥の部屋へと入ってしまう。
「ヘンリーの料理の腕はなかなかのものですよ。きっとご満足いただけると思います」
青にそう言われて、秋生は驚いた。
「えっ、ヘンリーさんが料理を作るんですか」
とてもそんな繊細な感じはしないのだが、そもそも美味しいものをご馳走すると言われて、此処へ連れてこられたのだから、本当にヘンリーの料理は美味しいのだろうと、秋生は納得し、どんな料理が出てくるのかと、反対に凄く楽しみに思うのであった。
「わしはユンミンじゃ」
そう言って、秋生の手を取り握手して、長椅子の隣りに座り込んだ老人が名乗る。
「皆、私の仕事仲間で、この屋敷で同居しています」
「どうぞヨロシクお願いいたします」
ペコリと頭を下げる秋生を、三人が微笑んで見つめる。
「青さん、本当に凄いお屋敷ですね。天帝様のお城にもひけをとらない立派なお屋敷だと思います」
「ありがとうございます。それから秋生、私の事はどうかビンセントとお呼びください」
うながされて、秋生は『ビンセント』と口にしてみたが、なんだか顔がポーッと赤くなっ照れてしまうのであった。
「秋生は今、天使養成所で暮らしているんですよね」
「はい。でも、今度、天帝のお城で見習いとして働く事になるので、養成所を出なくてはならないんです」
幼い頃より養成所で暮らしてきた秋生には、近くに頼る身よりもなく、養成所を出たらお城の使用人達の寮にでも入れたらと思い、申請書を出してはいるのだが、空きがなかなかないようで、連絡待ちの状態であった。もし、空きがなければ街の何処かの安い下宿を探さなければならない。
「それならどうですか、ここで一緒に暮らしませんか。空いてる部屋はいっぱいありますので、好きに使っていただいていいですよ」
ビンセントからの突然のありがたい申し出に秋生は喜びはしたが、甘えていいものかどうか躊躇ってしまった。
「そんな、こんなに立派なお屋敷に住めるほど、まだ見習の僕のお給金ではとても家賃など払えません」
「勿論、そんなものいりません。貴方がよろしければ今日から住んでいただいていいのです」
あっさりと言うビンセントに、さすがに金持ちって太っ腹と秋生はしみじみと思うのであった。
「でも、甘えるわけにはいきませんし・・・・・・」
「なに遠慮することなどないぞ。この男はお前さんに甘えてもらう方が嬉しいのじゃ。わしらも皆、賑やかなほうがありがたい。のう、セシリア」
ユンミンの言葉に、セシリアはそうそうと頷いた。
「遠慮なんてなし。むさい男ばっかりだから、秋生に住んでもらったほうが華があっていいわ」
「きまりですね。荷物は身の回りのものだけ持っていらっしゃってください。必要なものは揃っていますから。明日、早速、荷物を運ばせましょう。だから、今夜はゆっくりと食事を楽しんで泊まっていってください」
「は・はい」
皆のありがたい勧めに、秋生は圧倒されて頷いてしまうのであった。
「決まり!!今日はお祝いね。盛り上がりましょう!!」
「どうぞヨロシク、秋生」
ビンセントにニッコリと微笑まれて、秋生は『はい』と、またもや頷いてしまうのであった。
次々と出されるヘンリーの作った食事の美味しさに秋生は感激し、彼らが仕事で旅した街の、珍しい話の数々に秋生は酔いしれた。
(こんなに幸せでいいのかな)
修行の辛い日々に慣れた秋生には、彼らが自分に寄せてくれる好意も待遇も全てが夢のような事であった。
それでなくても天帝直々に四聖獣を召還出来る玉を与えられた事が、本当に夢のような出来事であったのに、こんな素敵な人々と知り合えたのは、本当に幸運だと思った。
(頑張ってよかった)
辛い修行に挫折して次々と去って行った仲間達の数を思うと、本当によく自分が残れたものだと思う。だが、それは挫けそうな時に、あの丘で出会ったビンセントが、励ましてくれて、元気を与えてくれたお陰だと心の中で感謝するのであった。
(本当に素敵で不思議な人だ)
涼やかに整った面立ちで、優しく秋生に微笑んでくれるビンセントを、思わずボーッと見つめてしまう。
「どうした、秋生。もっと喰えよ」
手が止まったままなのを訝しんだヘンリー言われて、秋生はハッと我に返り、一人赤面するのであった。
「おやすみなさい」
お腹がいっぱいになると眠気に襲われて、うつらうつらと船をこぎ始めた秋生を用意した部屋に案内してくれたビンセントに、今日のお礼を言いたいと思いながら、眠気に勝てずにベッドにもぐりこんだ秋生は、すぐさま夢の世界の住人になるのであった。
「いい子じゃ」
「気に入ったな。いい喰いっぷりだ」
「可愛いわ」
秋生を見送ったユンミン、ヘンリー、セシリアが感想をもらす。
「ああ、そうだろう」
そんな事は分かっているとばかりのビンセントを、三人はニヤニヤと笑って言った。
「一人だけ抜け駆けしてるなんて、ずるいな」
「そうよね。今まで黙っていたなんて、許せないわね」
「そうじゃのう」
「黄龍殿の転生体なのは、分かっていた事。見守っていて何が悪い」
当然とばかりに言い切るビンセントに、三人はやれやれと顔を見合わせて笑う。いつもは冷静沈着な彼がこれほどに入れ込むぐらいに、秋生が素敵な存在であることは、会ってみてよく分かったからだ。
「秋生には大変な試練が待っている。彼がその試練を乗り越えられなければ天界も地上界も全てが闇に包まれるのだ。なんとしても守らねばならないのだ」
「そうね。分かってるわ」
厳しい現実を忘れたわけではない。だが、一時くらいその厳しさを忘れて楽しく過ごすことぐらい秋生には許されてもかまわないだろうと、セシリアを始めとしてヘンリー、ユンミン、そして、ビンセントは互いに口には出さなかったが、心の中で不憫に思い、そして、守り抜く決意を新たにかためるのであった。
朝、目覚めると、ビンセントは急な用でしばらく留守にすると告げられた。余りに突然な事に秋生は驚いた。
昨夜、何か恐ろしい夢を見たような気がするのだが、なんだったのか全然思い出せないでいた。頭の中に黒い霧がかかっているように、とても曖昧だけれど、何故かとても怖くて、悲しい想いをしたような気がして仕方がない。
そして、その悪い夢がビンセントに関係していたようで、急に旅立ってしまった彼の事が、とても気がかりであった。
「さあ、荷物を取りに行こう」
ヘンリーが馬車を用意して、養成所まで秋生の荷物を取りに言ってくれるという。ビンセントがいないのはとても心細かったが、セシリアもヘンリーもユンミンもとても親切でいい人達なのはよく分かったので、一緒に住む事に抵抗はなかった。
「行って来ます」
馬車の荷台にのって手を振る秋生に、笑顔で手を振り返し見送ったセシリアは、その姿が見えなくなると、表情を強張らせて溜息をついた。
「なんて運命なの」
とりあえず昨夜の秋生の記憶を消す事で、なんとかビンセントの身の上に起きた事件を誤魔化したが、こんなに早く闇の攻撃が始まるとは、誰も予想していないことであった。
(こんなに闇の力が大きくなっているなんて)
そんな大変な時に、ビンセントという大きな存在を一時とはいえ失ったことは、大変な事態である。
今はまだ秋生はその闇の存在を知らない方が良いだろう。やがて嫌でも直面する時がくるのだから。それまでにビンセントがその力を取り戻して復帰してくれる事を、セシリアは祈るのであった。
つづく
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その夜、ビンセントに何が起こったかは、2009年3月Jガーデンのイベントにて発行の、無料配布本『試練的天使物語 ダークサイド』にて発行済です。