
2003年5月21日 更新
(4)
秋生と金持ちの旅行者との話は、その日の内にその街で生きる者の知ることなっていた。
誰しもが秋生の幸運を羨み、妬んだが、その恋に終わりが来る事も知っていたので、秋生の幸運イコール金づるを見つけたという程度にしか考えていなかった。
秋生自身も終わりの日が来る事を覚悟していたが、毎日足しげく訪れてくれるビンセントと共に過ごす時が幸せであればあるほど、その日への恐怖は、まるで鋭い茨の刺が刺さったかのように、日々、秋生の心を苦しめるのであった。
そして、その日、昼間から食事に誘われ、ビンセントの宿泊する場違いな高級レストランで夢のような時を過ごした後、別れの時が来た事を秋生は知らされた。
「明日、この星を発ちます」
そうビンセントに告げられた瞬間、秋生は我を失い、彼の言葉の全てを聞く事が恐ろしくなって混乱して席から立ち上がると、その場から逃げ出してしまった。
「秋生――」
(さよなら、ミスター)
自分を呼び止めるビンセントの声を背中で聞きながら、秋生はポロポロと溢れる涙を拭うでもなく、ただ走り続けていた。
何処をどう走ったのかも分からなかった。気がつけば、夕方近くになっており、帰りたくないはずの店の前にぼんやりと立っていた。
ボロボロに疲労した心と身体を引きずるようにして、自分の部屋への階段を上がると、秋生の姿を見つけて、ミランダが声をかけてきた。
「あら、お帰り、秋生。デートはどうだったの?」
「うん、素敵だった」
と、取り繕う秋生の声が、陰っている事に彼女は敏感に気づいた。
「どうしたの、秋生?それにしては、元気がないわ。何かあったの?」
黙って頭を振って否定する秋生の、だが、その瞳にみるみるうちに涙が溢れてしまうのを止められなかった。
「秋生、私でよかったら話して頂戴。何も出来ないけど、メソメソしているのは、貴方らしくないわ」
そう言って、やんわりと自分を抱き締めてくれるミランダの暖かさに感謝しながら、「ありがとう」と頷くのであった。
ミランダの部屋へ招かれて、お茶をご馳走になりながら、秋生はビンセントが明日、帰ってしまうことを打ち明けた。
「そう、彼、明日発つの。秋生、彼のことを本気で愛してしまったのね」
「・・・うん・・・・・・。僕ね、母さんが戻ってくるはずのない父さんをずっと待ちつづけていた気持ち、どうしてなのか、全然分からなかった。僕だって帰ってきてくれれば良いと願ったこともあるけれど、そんな事は絶対にありえないって事も分かってた。なのに母さん、いつも父さんとの思い出を話すんだ。本当に幸せそうに。でも、今ならそれが良く分かる。母さんは本当に父さんの事を愛してたんだって」
「そうね。とても素敵な恋をしたのね。お母さんも秋生も。私が愛した男はとんでもない屑野郎で、そんな男を好きになった自分がなんて愚かな馬鹿なんだろうって後悔ばかり。でもね、幸せだと思っていたことも確かにあったのよ。誰かに頼まれて彼を愛したわけじゃなくて、自分が愛したのにね。恨みながら、それでも愛してるのよ。変でしょう?自分でもおかしいって事は分かっているの。でも、それでもこの思いは消えないの」
いつも明るい彼女の顔に差した影。誰しもがいろんな思いを心の中に抱えて生きているのだ。辛いのは自分だけじゃない。少なくても自分は幸せな夢を得られたのだから。素晴らしい思い出を・・・・・・。
「ミランダ・・・・・・」
秋生が今度は彼女を抱き締めるのであった。
ガタン、ガタン
廊下の方で大きな音が響き渡り、秋生とミランダは何事かと顔を見合わせあうと、部屋を飛び出した。
「あっ」
秋生の部屋の扉が開かれており、店の者達が何事かと集まって、中の様子を伺っていた。
「な・何」
秋生は慌てて人をかき分けるようにして、自分の部屋へと飛び込んだ。そこには、マダム・トーニャの姿があった。
彼女は秋生の少ない荷物をタンスの中から床へと乱雑にぶちまけていた。そして、彼女の手には秋生が少しずつ貯めてきたお金をいれた巾着が握られていた。
「マダム。それは僕のです。返して下さい」
なんとか取り返そうとマダムに縋りついた秋生の頬を、彼女は容赦なく打った。
「こんなはした金じゃなくて、他にあるんだろう。あの男に貰ったものをさっさとお出し」
「何も貰っていません。そのお金は僕が少しずつ貯めたものです。ミスターからは何もいただいていません」
きっぱりと言い切る秋生であったが、マダムは信じようとはしなかった。怒りの形相で喚き散らす。
「ふざけるんじゃないよ。あの男、黄龍グループの総帥の片腕だっていうじゃないか。あんな金ヅルたらしこんどいて、自分だけ良い目みようたってそうはいかないよ」
彼女の言葉に秋生は思わず息を飲んだ。
「本当に何もいただいていません。そのお金は僕がためたお金です。お願いします。マダム。返して下さい」
「何いってんだい。秋生、お前には借金があるんだ。金があるんなら返して貰わなきゃ。こんなはした金じゃなんの足しにもならないけどね。金が欲しけりゃもっと、上手く立ち回って、貢がせるくらいするんだね」
「そ・そんな事、出来ません。ミスター、ビンセントは素晴らしい人です。そんな事したくありません」
「はっ、今更奇麗事を言ってんじゃないよ。お前は今まで何人の男と寝たんだい。その身体を売ったんだい。お前はもう骨の髄まで淫売なんだよ」
はき捨てるように言うマダムに、返す言葉もなく、秋生は震える拳をギュッと握り締めて、堪えた。
「そのお金は貴方に差し上げましょう。ですが、今の言葉は許せませんね。取り消していただきましょうか」
騒ぎの中に響いた静かな低音の声に、ハッとして誰もが振り返ると、そこにはビンセント・青が厳しい表情で立っていた。
「ミスター、どうして?」
もう会えないと思っていた人に縋るような視線を向けながら、自分の恥ずかしい正体を彼に知られてしまったような気がして、秋生は目の前が真っ暗になるような絶望感を覚えながら、恐る恐る尋ねるのであった。
だが、ビンセントはそんな秋生にフッと優しい微笑を返して、側へと歩み寄ってくるのであった。
「貴方が大切な話の途中で帰ってしまったから。どうか聞いてください、秋生。私は明日、この星を発ちます。が、その時は貴方も一緒です。いいですね」
「えっ!?」
一瞬、ビンセントの言葉が理解できずに、唖然として彼を見つめた。
「この星を出ましょう」
「ああ、ミスター」
秋生はガタガタと身体を震わせながら、彼の腕の中へその身体を預けるのであった。
「ミスター、これはきっと夢なんだ」
「いいえ。秋生、私は貴方のお父様である黄龍グループの総帥に個人的に頼まれて、貴方のお母様の行方を探してこの星に来たのです。残念ながら貴方のお父様は先日、病気で亡くなられてしまいました。が、最後まで貴方のお母様との約束を気にしていらっしゃいました。お父様が大切にしてらした写真です」
ビンセントが懐から大事そうに取り出した、その古ぼけた写真には、秋生と面立ちのよく似た女性と、精悍な顔をした男性が仲良く並んで笑っていた。
「お母様と貴方のお父様です」
「なっ」
驚くべき話に、その場にいた者は、思わず息を飲んだ。秋生は信じられずに、その写真を凝視した。幸せそうな二人。長い時を経ても、二人の思いはしっかりと結ばれていたのである。
(母さん、良かったね。父さんは母さんとの約束、忘れてなかったんだ)
胸が熱くなって、自然に涙が溢れて頬を伝わった。
「貴方を迎える準備が整いました。何も心配する必用はありません。私が、いつも一緒です。安心してください」
「ミスター」
「ビンセントとお呼びください」
「ああっ、ビンセント。夢じゃないよね」
二人はしっかりと強く抱き合うのであった。
「ウワァーッ」
と、歓声があがり、パチパチと拍手がなった。それは様子を見守っていた店の者達からの幸せな二人に送られたものであった。
「おめでとう、秋生。良かったわね」
ミランダが涙を浮かべて、微笑む。
だが、一人、それを許さない者がいた。
「何言ってんだい。秋生には借金があるんだ。はいそうですかと渡せないよ」
顔を怒りに赤らめて喚き散らすマダムに、ビンセントは冷ややかな視線を送って言った。
「失礼ですが、マダム。既に話がついています。この店は私が買い取りました。これが権利書です。残念ながら貴方は首です。さっさと出て行くのですね」
上着のポケットから無造作に取り出した紙切れを見たマダムの顔がサッと青ざめる。
「どうして、こんな」
自分が首にされたのどうしても信じられないようであった。
「前のオーナーも貴方にはうんざりしていたそうですよ。少しやりすぎたのです。そのお金は差し上げますから、とっととででお行きなさい」
「覚えておいで!!」
捨てゼリフを吐いて、マダムは怒りにうち震えながら階段を駆け下りていく。その姿を見送るように歓声が上がる。マダムに同情する者は一人もいなかった。皆、彼女に虐げられていたのだ。
「一緒に行ってくれますね、秋生。嫌だなんて言わないで下さい」
「本当に夢じゃないんだね。一緒に行っても良いんですね」
「ええ、秋生」
秋生はもう一度、ビンセントをしっかり抱き締めて、その大切な存在が幻ではない事を確かめるのであった。
「ほら、見てください」
ビンセントに促されて見た窓から見える真っ暗な空間の下の方にぽっかりと浮いた青い星。
「うわあ、綺麗だ」
自分が生まれて生きてきた星。いろいろなことがあったが、全てはもう過去となってしまっていた。今の自分にあるのは輝かしい未来だけである。
「光速航行にまもなく入ります。最後の見納めですよ」
ビンセントに言われて、秋生は頷きながら、隣りに立つ彼の手をそっと握った。ビンセントもしっかりと握り返してくれる。
「空港から飛び立つ船を見送りながら、僕はいつもこの日を夢みていたんです。それが現実になるなんて。それも、ビンセントと一緒だなんて。幸せすぎてなんだか恐い」
「大丈夫です。ずっと私が側についていますから。愛しています、秋生。貴方に会えた事を神に感謝します」
「ビンセント」
見つめあう二人には、もう言葉はいらなかった。お互いへの深い愛。それだけで充分であった。どちらからともなく近づき、口づける。
幸せに酔う秋生の脳裏を懐かしい唄が過ぎった。幸せを願った歌姫は、ついにそれを果たしたのである。
青い小鳥さん、貴方は幸せを運ぶ。
あの人が帰る。
私の元へと。
二人の思いは、宇宙を飛び越え、
そして、結ばれる。
青い小鳥さん。
幸せの小鳥さん。
終わり
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