真田みのこ オリジナルJUNE小説
BRAN−NEW LOVERS

(5)

2001年1月14日更新


  「こら、伊織。本当に手のかかる奴だ。ちゃんと歩け!!」
「歩いていま〜す。あれっ、おかっし〜なあ?」
社長の肩を借りてはいたが、伊織は自分ではしっかりと真っ直ぐ歩いてつもりであった。が、言われてかなり千鳥足であることを自覚してしまう。

 タクシーを降りて、伊織のマンションの玄関の僅かな階段を上がるのも一騒動で、エレベーターにやっと事で乗り込んだレイモンド・ギャラン社長は、ホッと一息をつくのであった。
 伊織がこんなに酔うのを見るのは、彼も始めてであった。普段、始めてあった17歳の頃から、歳の割には生意気なくらいにしっかりしているのだが、外見の派手さと性格の明るさからついつい単純な性格だと誤解されてしまうことが多い損タイプであるが、実は以外なくらいに真面目で繊細な心の持ち主であることを、誰よりも知っているつもりであった。

 (一体、何があったというのだ)
聞いてもはぐらかしてまともに答えないのが分かっているので、あえて聞かずにはいたが、今、伊織が精神的にまいっているのは明らかであった。
 (相変わらず手の掛かる)
目を閉じて、自分の肩にもたれかかるように身を預けている伊織の重みと暖かさを感じながら、何とも言えない可愛さを覚えて、その柔らかい茶色の髪をクシャクシャと撫でてみた。
 始めて出会った頃と、五年経っても全然変わらぬ伊織の、子供じみてはいるものの何とも言えず人懐っこい態度が、ある意味嬉しいと感じる事を彼は自覚していた。つまりは、もっと頼りにして欲しいと思っているわけである。

 日本から自分が連れてきたのだから、モデルとしても、歳こそ離れてはいるが一人の友人として、最後まで面倒を見る覚悟は、最初からしているつもりであった。親馬鹿というやつであろうか。
 仕事的には自分が見抜いたとおりの才能を発揮して、伊織はあっという間にトップへと上り詰めてしまった。これに関しては本当に予想以上の出来だったと感心している。持ち前の才能だけではなく、伊織自身が努力したことも彼は知っていたから、それは幸運ではなくて当然の結果だと思っていた。

 プライベート的には、日本でいろいろとあったことを包み隠さず伊織が話してくれたので理解はしていた。出来ることならいつまでも自分の手元に置きたいと思うほどであり、それは彼の妻のマチルダも同じ気持ちらしく、子供のいない彼ら夫婦は、伊織を本当の子供のような存在に思っていた。
 だから酒なんかにおぼれるくらいなら、自分達に何でも相談して欲しいと願ってはいるのだが、普段から心配で、ついつい口喧しく『人に迷惑をかけるな』と説教してしまうために、伊織が遠慮して話しにくいのではないかと、彼なりに後悔もしている部分もあったので、とにかく今は何もいわずに温かい目で見守ってやろうと決めていた。


 (ああ、また飲んじゃったよ。俺、何やってるんだろう)
連日の深酒に、もう飲むまいと思いながらも社長の奢りとあって、気を許してついついはしゃいで飲んでしまった事を伊織は後悔していた。

 別に失恋で自棄になっているというつもりはないのだが、社長が甘やかしてくれるのが嬉しくてたまらない。自分をしっかりと支えてくれる社長の腕が頼もしくて、しらふではとても出来ないことだが、酔っているのを理由にベッタリ
甘えてみる。写真家のアラン・ネヴィルの心地よい優しさとは別の、安心して任せられる相手だと信じているから出来る事であった。

 「俺には社長だけだから」
「はいはい、分かったから、ほら、降りるぞ」

酔っぱらいの戯言と聞く耳持たない社長に、エレベーターから引きずり降ろされながらも、伊織は社長に縋り付いた。

 「愛してるよ、社長」
「全くもう、伊織、お前しばらく禁酒しろ!!おっ、誰だ」
廊下を歩いていた社長が急に立ち止まって、伊織はつんのめって倒れかけてしまったところを社長に助けられ、抱き寄せられて、そのまましがみついた。

 「伊織の部屋の前に誰かいるぞ」
警戒した社長の声に、伊織は何事かとビクリと身を竦ませた。スーパーモデルのスキャンダラスな日常の姿を追い求めて、しつこく嗅ぎ回るパパラッチに狙われたのも一度や二度ではない。人の恋愛をネタにして何が面白いのかと思うが、こんな泥酔した情けない姿が雑誌や新聞に載るのも、何だか恥ずかしい限りである。

 「誰だ」
社長が問いかけるが、相手は答える気配もなかったが、こちらの方を仰視している姿に、思いがけない人物の姿が重なって、伊織は相手の正体を確かめた。
 「お・長田さん、どうして?」
それは間違いなく長田であった。厳しい表情をして、伊織を見つめている。
 「長田?伊織の知り合いか?」
「うん」
社長に問われて、伊織は信じられない思いで頷いていた。

 どちらかといえばいつも伊織が長田の家に入り浸っていたので、彼が伊織の部屋を訪れるなんて事は、そういう関係になってつきあい始めてからも一・二度の事であった。
 「どうしたの?何かあったの?」
伊織は社長から離れて、フラフラと長田の方へ近寄りながら、問っていた。忘れようと思っていた相手の突然の訪問に、心臓がドキドキと高鳴っている。自分がどんなに彼に会いたかった思い知らされた気がして、人の気持ちも知らないで去って行こうした彼への怒りが蘇ったが、一方で彼が自分にわざわざ会いに来てくれた事を素直に喜んでしまう自分に、諦めの溜息をつくのであった。

 「長田さん」
心に渦巻く様々な思いを押し隠して、勇気を出して彼へと手を伸ばす。が、厳しい顔をした彼にパシッとその手を振り払われてしまった。
 その容赦ない仕打ちに、さすがに酔っているとはいえ、信じられない思いでハッと脅えた目をして長田を見つめると、彼の瞳に静かな怒りが浮かんでいるのを感じた。

 「そういうことか。この間、どうも様子が変だったし、家に帰ってみればお前の荷物がすっかりなくなっていたから、どうしたのかと思って尋ねて来てみたが、余計なお世話だったわけだ。お邪魔したな」
それはかつて一度も聞いたことがないような、冷たい口調であったが、伊織には彼が何をいおうとしているのかが、すぐには理解出来なかった。

 「何?俺、酔っているからわかんないよ。ホラホラ、入って入って。社長も入って」
酔っていることを理由にして、遠慮なくグイグイと自分の部屋へと長田を引っ張ってみる。
 だが、返事は手荒かった。パシッと今度は頬を叩かれてしまう。余りのショックに伊織は言葉を無くして、縋るように長田をみるのであった。

 「伊織に何をする!!」
怒ったのは社長であった。伊織を庇うようにして、男の前に立ちはだかる。
 自分のモデルクラブの看板である伊織の顔を叩くなんて、とんでもない暴挙である。そして、伊織はただのモデルというだけではなくて、自分の大切な守るべき存在であった。その伊織をどんな理由があるにしろ、殴って良いのは自分だけであり、他人にそんな事を許す道理など何もないのであった。

 二人の渋い男の睨み合いは凄い迫力で、伊織の酔いは忽ち冷めてしまうのであった。おまけに長田に叩かれた頬が、自分を責めるようにジンジンと痛む。
 「とにかく中に入って、お願い」
廊下で修羅場は余りにもまずかった。伊織は妙に冷静になって、自分の部屋の扉を開けると、二人を招き入れるのであった。

 ソファーに座って、無言のまま睨み合っている、社長と長田の二人。伊織はいたたまれなくて、飲み物をと言い訳して、台所に逃げていたが、それもどうやら限界なので覚悟を決めて、居間へと戻った。
 「おまちどおさま。こんなものしかなくて悪いけれど」
冷蔵庫に唯一入っていたビールの缶を開けて、二人の前に置き、伊織は社長の隣へと腰掛けた。するとそれまで視線を伊織からそらすようにしていた長田の眉がピクリと上がる。もう、会ってはいけないのだと思っていた彼が目の前にいることが、伊織には信じられずにいた。

 「長田さん、紹介します。俺の所属するモデルクラブの社長で、俺をパリに連れてきてくれた大恩人の、レイモンド・ギャランさん。社長、こちらはいきつけの日本料理のお店で知り合った、住吉商事の長田 健士さん。いろいろとお世話になったんだ」
いくら親しい社長でも、まさか最初からあからさまにセックス・フレンドの仲であったとは告白出来ないのであった。

 「伊織はうちのクラブの大事なモデルだ。どれほど親しいかは知らないが、モデルの顔を勝手に殴ってもらっては困るな」
社長の鋭い一撃に、長田は鋭い視線で社長と伊織を睨みつけてきた。
 (かなり怒ってる?でも、怒った顔も渋くて格好良いな)
どんな伊織の我が儘にも余裕で、優しかった長田の怒った顔など見るのは始めてであったが、こんなに緊迫した事態には余りにも不謹慎なので、伊織は黙っていた。

 「殴ったのは悪かった。だが、伊織、お前の裏切りは許せない。ずっと俺を、騙していたんだからな」
『裏切り』、『騙す』という、考えても見なかった言葉が長田の口から飛び出して、伊織は驚いた。
 (どうしてそんなこというの?長田さんが何を考えているのか、俺には分からないよ)
裏切りというのであれば、日本への帰国が決まった事を自分に黙っている長田の方が、伊織にとっては裏切りに近かった。確かに自分との関係は酷く曖昧で、身体のつき合いが先行してしまって、お互いがどういう気持ちでいるかを告白しあったわけではなかったが、伊織が長田に持っていた信頼を見事に砕いてしまったのは、彼の方であった。

 「俺、何かした?長田さんを騙した覚えも、裏切った覚えもないよ」
少し寂しい気持ちになりながらも、伊織はハッキリと言った。このままでは、長田を咎めるでもなく別れようとした自分が余りにも哀れだと思ったからだった。
 「先程、その男に縋り付いて言っただろう。愛しているのは社長だけだと」
長田は怒りの表情を強くしながら、視線で社長を威嚇しながら吐き捨てるように言った。

 「うん」
事実だったので、伊織はあっさり認めて頷いた。
「俺、社長の事、大好きだよ。ずっと社長について行くって決めてるもの。それがどうして、長田さんを裏切ったり騙した事になるの?俺がこうしてモデル続けられているのは、社長がチャンスをくれたからだ。でも、それは長田さんには関係ないことでしょう」

 「関係ない?」
憮然とした表情の長田が、唇の端を歪めて、苦々しく笑った。
「確かにな。所詮は俺はお前にとって、ただの退屈しのぎだったわけだ」
 長田の嫌みな言葉は、伊織には凄くショックであった。あんなに苦しくて涙さえ流した自分の気持ちも何もかもを、あっさりと酷い言葉で否定してしまう長田。何故、彼はこんな事を言うためにわざわざ自分のところへやって来たのだろう。どうしてこんなに彼が怒って自分を責めるのか、伊織には理解出来なかった。

 「お互い様でしょう。最初から割り切ってつき合って来たはずだよ。俺が誰を好きだって、長田さんには関係なかったよね」
「・・・・・・」
黙ってしまう長田が、何だか少し悲しそうに見えるのは、自分の希望的観測ってやつなのだろうかと思った伊織は、まだ未練たっぷりな自分を苦笑した。

 訪れた気まずい沈黙。それを破ったのは、いい迷惑であるレイモンド社長であった。彼は二人のやりとりを見守っていたのだが、どうも痴話喧嘩のような様相に、最初の長田への怒りも消し飛んでしまっていた。
 「ちょっと聞いて良いか?伊織、お前は長田とつき合っていたのか?」
「うん、そのセックス・フレンドってやつ」
(あ〜あっ、暴露しちゃった。まあ、いいか)
もう、開き直りであった。

 「セッ・・・・・・!!」
まさかなと思いながら尋ねた社長であったが、あっさりと認められて、思わず頭をかかえたくなってしまった。思わず飲み干そうとしていたビールを吐き出しそうになってしまう。
 伊織がそういう嗜好であることは、知っているつもりであったし、パリに来たすぐの頃は、結構遊んでいた事も知ってはいたが、今はすっかりと落ちついて、真面目に仕事にせいを出しているので安心していたし、良い恋愛をしているからこそそうなのだと思っていたのだが、あっさりとセックス・フレンドと口にされて、そして、長田がどうやら自分と伊織の関係を怪しい誤解しているのに気がついて、この場から逃げ出してしたくなってしまっていた。

 「でも、もう終わりなんだよね、長田さん?」
そう言いながら長田を見ると、意外そうに驚いた顔をしていた。今日ほど表情豊かな彼を伊織は見たことがなかった。
 「どういうことだ、伊織。俺は終わりにするなんて言ったつもりはないぞ」
「だって長田さん、日本へ帰るんだろう。転勤が決まったって聞いたよ。よかったね。だからもう、さよならだ」
最後までとぼけて自分からこんな事を言わせてしまった長田を恨みがましい目で見つめながら、伊織は言った。
「なっ・・・・・・」
言葉をなくしてしまう長田の様子を見て、恨みごとの一つくらい言ってもバチはあたらないような気がして、伊織は全てをぶちまけた。

 「『天吉』で、女将さんから聞いたよ。俺に一言も言ってくれなかったのは、寂しかったけれど、所詮はセックス・フレンドだったんだから仕方ないよね。そういう割り切ったおつきあいだったんだものね、俺達。今までどうもありがとう。俺、楽しかったよ。日本へ帰っても元気で、頑張ってね」
伊織は平静を装って一気に言うと、ニッコリと微笑んで見せた。

 「そうか知っていたのか。だから、様子がおかしかったのか。すまない。黙っていて。俺は・・・・・・」
「別にもういいから・・・・・・」
 (あっ、まずい。泣きそう)
鼻の奥がツーンとして、今にも涙が零れそうな感覚に焦った伊織は、長田の言葉を途切れさせた。

 「俺はよくない。納得できない。本当に終わりでいいのか?俺達の関係はそんなに簡単なものだったのか?」
真剣な眼差しで真っ直ぐに自分を見つめてくる長田が何を言いたいのか、伊織には分からなかった。
 「どうして今更そんなことを言うの?そんなの決まってるじゃん。そんなつき合いだったんだよ、俺達。そうでしょう?」
「伊織・・・・・・」
 
ガックリと項垂れる長田の様子にチクリと心が痛むが、下手に期待してそれをまた裏切られた時が何よりも怖かったし、黙って諦めようとした自分の健気な思いを踏みにじられてしまった伊織には、相手の気持ちを思いやる余裕など残されていなかった。

 修羅場に居合わせた自分のアンラッキーを嘆きながら、二人の問題だから口出しするはやめようと思っていたが、身びいきと言うわけではないが、大切な伊織を裏切った結果になる長田が、何だか憎らしく思えてきたレイモンド社長は、ついつい口を挟んでしまうのであった。

 「ミスター長田。今夜はこれで帰ってくれないか。伊織と君がどういうつき合いをしていたのかは分からないが、日本へ帰ると言うのは間違いないんだろう?」
「はい。しかし・・・・・・」
「だとしたら、伊織の言うとおり、もう終わりと言うわけだ。聞けば転勤になったことを君は伊織に黙っていたんだろう?それを他人から聞かされた伊織の気持ちを少しは考えてくれないか?そんな大事な事を黙っていたと言うことは、君も終わりにするつもりだったんだ。そうとられても仕方がないだろう。だったらおとなしく帰りたまえ。それとも伊織の方から離れようとしたので、急に惜しくなったと言うわけか?」

 社長が自分を庇ってくれているのを有り難いと思いながらも、長田がそんな狡い人ではないという事を信じたいと思っているのも確かであったが、あえてそれを口にして彼のことを弁護する事も出来なかった。
 もし、今、社長が隣にいなかったならば、長田に縋り付いて惨めな姿をさらしてしまいそうな自分が予想出来たからである。それにもう二人の仲が終わりである事は、変わらない事実であった。

 「帰ります。お騒がせしました。伊織、元気で・・・・・・」
固い表情のままスッと立ち上がった長田を、引き留めたいと思う気持ちでいっぱいであったが、伊織はグッと拳を握りしめて、堪え忍ぶのであった。
 (長田さん、元気でね。大好きだったよ)

 バタンと玄関の扉が閉まる音がして、二度目の恋の永遠の終わりを宣告されたような気がした。
 「あれでよかったのか?」
社長ガ伊織の肩に手を回して抱き寄せる。その優しさに甘えるように、伊織は社長の肩に顔を埋めた。

 「うん、御免なさい。お世話かけます。ヘヘヘヘ、二度目の大失恋だ」
おどけたように言って見せたけれど、声が震えてしまい、ついには涙が零れてしまい、伊織は社長の肩に顔を伏せたまま、声を殺して泣いてしまうのであった。
                                           つづく

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