真田みのこ オリジナルJUNE小説
BRAN−NEW LOVERS
(6)
2001.5.22 更新
その日は朝から全てが快調であるかのように思えた。伊織に見送られて出勤した事は、今までにも何度かあったが、今日は何故か一段と新鮮に感じられてしまった。大した事ではないはずなのに嬉しくて心が浮かれてしまっている。
こんな時は何もかも上手くいくような気がするから不思議で、実際、今まで何度交渉しても話がまとまらなかった会社との取引が、今日はトントン拍子に話が進んで、あっさりまとまってしまった。
自分の周りで相手の返事の結果を心待ちにしていてる会社の同僚達に親指を立てて、片目をつぶってみせると、同僚達から声にならない溜息と歓声がオーバーな身振りで返ってくる。
(やったね!!)
丁寧に挨拶して電話を切った長田もさりげなくガッツポーズをとっていた。
(長田って、素敵〜っ)
(本当にデキル男。格好いいわ〜っ)
そんな長田を女子社員達はうっとりと見つめていた。日本から来て2年。ハンサムでバツ一ながら独身。仕事もパリパリこなす優秀さ。おまけにシャイで遊び下手な日本人が多い中で、会話も遊びも洗練されている渋さ。食事に誘えばOKして、それなりに楽しませてくれるが、一線を越えることなく、彼女達の誘いも上手くかわして、それでいて誘った彼女達に嫌な思いをさせることなく満足させてくれるデキル男と評判も高かった。
女子社員達は競って長田の気をひこうとしたが、誰も成功することはなかった。それがまた彼の評価を高いものにしていた。
彼が日本へ帰国するという噂はあっという間に女子社員達の間に瞬く間に広がり、帰国延期を求める嘆願書への署名が、密かに社内をまわっていると言う噂さえもあるぐらいであった。
長田本人は、そんな熾烈な競争がおこなわれていることなど知る由もなく、さすがにパリの女性は積極的だなくらいの感想しか持っていないのは、離婚したてで女性に対しての食指が動かなかったと言うのと、彼を虜にする存在があったからである。
(それにしても昨日の伊織は、刺激的だったなあ〜)
女子社員の注目を浴びるデキル男の脳裏にあるのが、そんな内容であるとは誰も思いも寄らないであろうが、昨夜から今朝までの、久しぶりの逢瀬とはいえ、いつになく積極的で熱かった伊織とのセックスを、長田は思いだしてフッと笑みをこぼすのであった。
自分が男もイケる人間だっだと言うことは、伊織とつき合いだして知った事であるが、そういう関係になって一年経つと、最初の戸惑いも何処へやら、男とか女とかは長田にとって全然問題ではなくなってしまっていた。行為に慣れたと言うよりも、それがとても自然な事のように思えるようになっているからである。
世界中を飛び回る美貌のスーパーモデルとただのサラリーマンの自分がつき合っているなんて、誰も思いもよらないことだろう。でも、実際、そうなのだから全く人生って分からないものだ。
上役の娘と望まれて結婚したものの、結局、愛のない生活は破綻してしまったし、今までつき合った女性達も数だけはいるけれども、こんなに側にいて自然で楽で、そして、熱くなれる相手というのは、長田にとって始めてであった。
元から性格的に冷めていると言うわけではない。つき合っていた彼女達には彼なりに誠心誠意を込めて接してきたと思う。嫌いな相手とつき合う程、酔狂ではない。心温まる幸せな時を求め、与えあい育てようとした。それなのに、彼女達が揃って別れ際に言うセリフは、「貴方の優しさって残酷だわ」であった。
別に自分の心を誤魔化すために無理に優しくしたつもりはない。彼女達が望むように出来るだけその要望に応えて、波風立てることなく上手く関係が続くように心がけたのだが、その彼なりの誠意が否定されてしまっては、長田としても為すすべもなく、別れるしかなかった。
長田の元妻の恭子も、そうであった。一流商社の重役を父に持ち、お嬢様育ちの彼女は親がすすめる長田との結婚をあっさりとOKしたが、それは彼が若手の中の出世頭だという父親の折り紙付きだったからで、別に長田個人に対して興味を持ったからではないようであった。
彼としても会社と言う組織の中で、理由もなく独身という立場の肩身の狭さを感じるようになっていた頃だったので、そろそろしおどきかと思い了承したのだが、やはり動機が不純だったようである。
無邪気で可愛い妻は、家事洗濯が全然駄目であったけれども、それは長田が今まで一人でもやって来た事であったので、別に不自由を感じるでもなく、そのうち出来るようになってくれればと言う期待を持っていたのだが、彼女はその努力を直ぐに止めてしまった。別に結婚した理由がそれではないのだからと言われれば、あえて否定はしなかった。
今の世の中は実に便利なもので、出来合いの総菜を売っている店はいっぱいあるし、外食するのも別に嫌いではないが、それが続くとやはり寂しいものがあったから、それでは仕方ないと彼が自分のために始めた事であった。
それでも長田は彼女と別れる気はなかったし、上手くいくように努力したのだが、それは結果的には彼女を追いつめることになってしまったのであった。
「健士さんは私がいなくても、別にどうでも良いのよね」
吐き捨てるように去り際に彼女が言った言葉。
どうでもいい人間と一緒に暮らすなんて事出来ないはずなのに、彼の気持ちを完全に無視して、離婚届けを突きつけて、彼女はさっさと家を出ていってしまった。本当の理由は、大学時代につき合っていた相手と再会して、熱がぶり返したらしい。全ての原因は自分でなく相手にあるのだとしか思えない可哀想な女であるが、未練は全くなかった。
女房に逃げられるとは間抜けな話であるが、去る者は追わずというのがその時の彼の心境であった。別に彼女に対して怒りはなかったし、幸せになってくれれば良いと素直に思ったのだが、それを言うとお馴染みのセリフ「貴方の優しさって残酷」を言われた。
「我が儘な娘を君に押しつけてしまってすまなかった。許してくれ」
義父であった上役には深々と頭を下げられたが・・・・・・。
義父が言うのには、長田に別に好きな相手がいると邪推した恭子は、興信所とかいろいろ手を使って彼のことを調べたらしい。どうしてそんな風に思うようになったのかは分からないが、結局、過去につき合った相手はいたにしても今は、そんな相手はいないと結論が出たにもかかわらず、彼女はそれを認めようとしなかったと言うのだ。それどころか、勝手に自分は長田に愛されていないと言う結論を導き出したらしい。
それは長田が何も出来ない彼女を責めなかったし、気にしないで良いからと彼女の代わりに家事洗濯をこなした事が彼女のプライドを傷つけてしまった事と、離婚届けを渡した時に彼がすんなり受け取ったというのが大きな理由なのだそうだが、その勝手な言いぐさに長田は呆れてしまって、恐縮して謝る義父をとても哀れに感じてしまった程であった。
そして、心機一転とフランスへ来て、伊織と日本料理店の『天吉』で出会ったのである。初めは店の常連客同士として店で何度か顔を合わす打ちに話しをするようになっていった。
肉体関係を持ったのは、酒を飲んで酔っぱらったあげくという何とも恥ずかしい状況であったのだが、それはそれでとても自然な成り行きだったので、男を相手にするのは始めてという戸惑いも嫌悪も何もなく、ますます伊織という存在に惹かれてしまう事態に陥ってしまった。
伊織は自分の事を我が儘だというが、長田にとってはとても可愛い範囲内であるし、気まぐれに甘えてきながら、明らかに彼に対して気をつかって遠慮するみえみえの態度の何処が我が儘なのかと思うくらい、見かけの派手さとは違った伊織の内面の繊細さは、女達の無神経な当たり前だと思いこんだ身勝手な甘えとは違って、彼にはとても心地の良いものであり、自然と自ら甘やかしてやりたいと思う気持ちになってしまうのであった。
それにとにかく一緒にいるのが楽であった。何も喋らず、ただ、何をするでもなく部屋で怠惰に過ごす休日が、つまらないなんて事はなく、とても心満ち足りた時間に感じられるのである。
これが愛情というものがもたらす心地よさであるとするならば、今までつき合ってきた彼女達と過ごした時間が、やっぱり偽りのものであったことを長田は自覚せざるをえなかった。
それほどに、伊織と過ごす時間は、いつしか長田の中でとても大切なものになり、伊織という存在は長田にとって最早自然に側にいて当たり前の心許せる唯一の人間になってしまっていた。
美貌のスーパーモデルにすっかり骨抜きになってしまった長田であったが、自分の伊織の執着を彼に押しつけて、嫌われてしまう事だけは恐れていた。
野生のしなやかな獣を飼い慣らす事が出来ないように、世界を舞台に活躍する伊織を自分のものだけにして閉じこめておくことなど不可能だと思っていた。
自分が彼につり合うような人間ではないという自信のなさがモ情けない話だが大きな理由であったりする。
新聞や雑誌に載るゴシップを本気にしているわけではないが、有名人であるがゆえに度々登場するスーパーモデル、イオに関する記事は、いつも才能豊かなデザイナーやカメラマン達との華やかな恋愛についてであった。
地位も名誉もあるその恋人達と自分を比べるなんて身の程知らずかもしれないが、それでも伊織を愛するがゆえに無視する事も出来ないでいた。
それでは自分と伊織の関係はなんだろうと考え出すと、不安で押しつぶされそうになるが、長田は自分と伊織が共有する心地よい時間が偽りのものではないことを信じようと思っていた。伊織にとっても長田と過ごす時間は大切なものであると。
だから、日本へ帰るという話が確かになっても、自分と伊織の関係は終わるはずはないと信じており、伊織の仕事が忙しいのが分かっている今、あえて話さなくても少し落ちついてから話しても大丈夫であろうと、長田は思っていた。
確かにパリと日本では距離的な隔たりは大きいけれど、今でも海外での仕事が多くて、世界中を飛び回っている伊織とならば、例え長田が日本へ帰ろうと、会える時間は変わらないように思えたからであった。
「えっ、帰るって、なんだよ。主役の長田がいなくて、なんのお祝いなんだよ」
「悪い、用事があったんだ。悪いな。俺の分も楽しんできてくれ」
その日は会社の同僚達に誘われて、大きな仕事がまとまった祝杯をあげたものの、長田の心は伊織の姿を追い求めてしまい、もしかしたら部屋で待ってかもしれないという思いに行きあたっては落ち着かなくなり、同僚達の二次会への強引な誘いも断って、帰宅するのであった。
「あっ、やっぱりいないか」
もしかしたらという思いで、自分のマンションの前まで帰ってきたものの、部屋の灯りがついてないのを目にして、長田はガックリと気落ちするのであった。
元から絶対にいるとは思っていなかったのだが、万が一という思いに捕らわれてイソイソと帰ってきてしまった自分の可愛さに苦笑してしまう。
(マジで惚れてるな、俺)
これほどまでに自分の心を捉えてしまった伊織に、完敗であった。今日、もし会えたならばいつも言おうとして言えない言葉を告げられるような気がしていた。
(愛している)
そんな簡単な一言も口に出せないくらい、伊織という存在を意識している自分の心を、今日ならば素直に表現できるような気がしたし、もし決定的にふられたとしても自分の彼への思いだけは本物である事を告げるべき時だと感じていた。
互いの心を確認するでもなく、抱き合い、そして、過ごす時間も失いたくはなかったが、それだけでは満足出来ない欲が生まれ、育ってしまったのである。
それはただの身体だけの関係ではなく、伊織の心も欲しいと思う強い独占欲であった。自分の気持ちを告げる事によって、伊織との心地良い関係を壊すことになるのは怖かったが、このままただ一緒にいるだけでは、とても我慢出来なくなるのも時間の問題である。それならばこの胸に燻る熱い想いを告げて例えふられる結果となったとしても、自分の伊織への思いは変わらないと言う自信はあった。
部屋の扉を開いて、中に入る。出た時よりもキッチリと片づけられている部屋の様子に、外見の派手さと売りとは違う、本当の伊織の姿を知っている事を嬉しいと感じてしまう。
上着を脱ぎ、クローゼットを開けた長田は、そこまでもがスッキリと片づけられるのを見て、愕然とした。
(伊織の荷物がない!!)
いつの間にか増えてしまったまま、あるのが自然となりつつあったはずの伊織の私物が綺麗さっぱりなくなっている。
洗面所の歯ブラシや台所のコップまでが、消え失せていた。
(どうして!?)
確かに少し様子が変であったが、まさかこんな形で別れを告げられると思っていなかった長田には、その現実を目にしてもとても信じられなかった。
(もう、俺はいらないのか?)
先程まで一人心をときめかせて想いを告げようとしていた、自分が滑稽に思え、その情けなさとショックに打ちのめされた長田は、その場に茫然と立ちすくむのであった。
つづく
お久しぶりのブランニューです。間あいてしまって御免なさいね。これからはほとんど書き下ろしになってしまうので、気長におつきあい下さいませ。
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