真田みのこ オリジナルJUNE小説
BRAN−NEW LOVERS

(7)
2001年9月4日更新

 (どうしてなんだ・・・・・・)
遊びに来たり、泊まったりして、少しずつ増えていった伊織の荷物。それが長田の留守にすっかり片づけられていた理由を考えると、普段は余り動揺する事のない、どちらかというと感情表現が余り豊かでなく、自分でも何処か欠陥があるのではないかと思うこともある男の心臓が、ドクンドクンと切ない痛みを伴って高鳴った。

 (まさか俺達、これで終わりなのか?)
考えたくもない理由であったが、そうとしか思えない状況であった。クローゼットの衣服類だけではなくて、普段使っていた歯ブラシやマグカップ等さえもなくなっている。

 (伊織、何故?俺達、愛しあっていたんじゃないのか?)
昨夜の伊織はいつになく大胆に熱く、積極的に長田を求めてきた。それは長田も同じ事で、お互いの仕事の忙しさで会えなかった日々の隙間を埋めるように、激しく抱きあったのであった。

 言葉に出さずとも、分かり合えていると思っていた。このまま、例え自分が日本へ帰って、遠距離恋愛になろうとも、伊織との関係はずっと続くものであり、そうであろう事を疑ってもいなかった。
 もともと身分違いなのは分かっていた。ただのサラリーマンと世界的に人気のスーパーモデルとで釣り合いがとれるはずがない。同性であり、おまけに年齢も10歳違うし、それに長田の性癖はずっとノーマルであった。今でも、伊織以外の誰か他の男に、そういう衝動を覚えることはない。

 そんな数々のハンディーを乗り越えてでも欲しいと思った伊織。そして、伊織も自分の事を求めてくれていたはずだった。
 ただ、容姿が美しいだけではなく、心もまっすぐで、その我が儘も可愛く思えるほどの相手であった。始めは酔った勢いでそういう関係になってしまったときには、多少焦りもしたが、伊織と共に過ごした時間は、別れた妻やつきあってきた女性達には悪いが、彼女達とは決して得られなかった心地よいものであった。

 育った環境も価値観も何もかもが違うのに、あからさまな言葉にしなくても、同じ時間を共有する事での満足感があった。そして、彼との愛の行為は、かつてないほどに刺激的でいつの間にか長田を虜にしてしまっていた。

 伊織といて初めて幸せなるものがこんなに人を居心地良くさせ、暖かな安らぎを与えてくれるものだということに気づいたといっても過言ではないと思う。
 だが、そう思っていたのは自分だけだったのだろうか。

 (俺を愛してくれていたんじゃなかったのか?)
「長田さん」と少し甘えたように呼ぶ伊織の声が、脳裏に蘇る。決して勘違いなどではなかったはずだ。それなのにどうして、こんな形で伊織が去ってしまったのか、分からない。

 それではお互いの気持ちを確認しあったかどうかを考えて、とっくにそのつもりになっていた長田は、それをしていない事に初めて気づくのであった。
 思えば、いつも連絡してきたのは、伊織の方であった。仕事で忙しいのはお互いのはずなのに、長田はそれを理由にして、会いたいと思いながらも自ら連絡したことは、ほんの数えるほどしかないのだ。

 (俺は一体何をやっていたんだろう)
好きだと甘えてくる伊織が愛しくてたまらないからこそ受け入れてつき合ってきたはずなのに、傲慢にも伊織の好意にすっかり甘えてしまっていたのだ。

 つき合っていた女性達が自ら去っていった理由を今、初めて知ったような気がした。だが、今回はそれでもかまわないとは思えなかった。
 (このまま終わりなんかにしたくない)
こんな事態になって、今更なのかもしれないが、伊織を失って平気ではいられないほどに、彼の事を愛している自分を知り、もし、別れるにしても、もう一度会って、ちゃんと話し合って別れたいと思うのであった。

 慌てて、伊織の携帯や家へと連絡をいれてみたが、つながらなかった。留守にしているのだろうか。もしかして、自分より他に誰か好きな奴が出来たのであろうか。と、いろいろな思いが頭に浮かんでは消え、また浮かぶ。
 
 望みを託して電話しても不通。それを何度か繰り返す度に、長田の苛立ちは次第に大きくなるのであった。
 (俺と会いたくなくて、わざと電話に出ないのではないか?)
そんな荒んだ考えも浮かんでくる。

 そんな自分の動揺を認めたくなくて、わざと仕事に没頭してみたりしたが、気がつけば伊織の事を考えていた。
 (駄目だ、埒があかない)
その日何度めかの電話もつながらず業を煮やした長田は、伊織のマンションを尋ねてみることにした。

 つきあい始めて二年ほどだが、長田が伊織の家を訪れた事はかず数えるほどしかなかった。長田の家に伊織がやってきてのんびりと過ごす事が多かったのだ。別に招かれなかったわけではない。結局は、長田の時間に伊織があわせてくれていたのであろう。そんなことさえ、今になって気づくとはまったく間抜けとしか言いようがない自分が、歯痒かった。

 会社の仕事を片手付けた時、すでに9時をまわっていた。こんな大変な時だと分かっていても仕事の手抜きが出来ない性格が恨めしくて仕方なかったが、自分のミスが大勢の人間に迷惑をかけることも知っていた。サラリーマンの悲しいサガであろうか。
 それでもまっすぐに伊織のマンションへ向かった。ちゃんと家にいて、自分の心配の全てが空回りであればいいのにと思う一方で、他の誰かといる姿を思っては慌ててうち消すのであった。


 着いたとき、伊織は留守で、かなり思い詰めていただけに、長田はガックリと力が抜けるのを感じた。ずっと留守であったのならば、連絡が付かなくても仕方ない。仕事であれば携帯の方も出られないはずである。そんな楽観的な事を考えて、しっかりしろと自分を励ました。
 このままでは、伊織という何ものにも代え難いほどに大切に思っている存在を永遠に失ってしまうかもしれないのである。
 長田は気長に伊織の帰宅を待つことにした。このまま家に帰っても落ち着かない事は分かっていたからである。

 そして、一時間、二時間、三時間と時間は過ぎ去ってしまった。ただあてもなく不安を抱えたまま待ち続けることは、一分、一秒という普段は気にもしない僅かな時間を、永遠のように思わせるほど長く感じさせるのであった。
 そして、そうやって時間を過ごすことで、ただ感情的になっていた長田は、伊織の事を、自分達の事を冷静に考える事が出来たのであった。

  もし、伊織が自分に愛想を尽かして、別れたいというのならば、それは仕方がないことだと諦めよう。他に好きな人が出来たのであれば、潔く身をひこう。ただ、自分にとって伊織がどんなに大切な存在だったかだけは、ちゃんと話そうと決めた。
 未練たらたらで見苦しい奴だと思われてもかまわない。別れる結果になったとしても、自分の伊織の気持ちはなんだ変わることないのだから。

 (別れても、好きな人・・・・・・か)
昔流行った歌の一節が頭の中に浮かんでくる。まだ、結論が出たわけではないのだから、とても不吉なフレーズではあるが、好きで別れるという事もあるのだなあ、と長田は実感していた。別れた妻には悪いが、本当に好きであったかどうかさえ今となっては分からない。ただ、大切にしたいと思って、努力はしたつもりであった。その努力というのを妻は敏感に感じ取り、去っていったのかもしれない。

 (貴方の優しさは残酷だわ)
別れていった女性達の最後の捨てぜりふの意味が、やっと理解出来た。伊織に対しても自分は優柔不断な態度をとり続けてしまった。それがどんなに相手に対して不安を与える狡い態度であったかに気づかなかったなんて、とんだ愚か者である。

 伊織の示してくれる好意に甘んじて、自分もそうなのだとはっきりと言葉にして伝えていなかったなんて。愛の行為なんて、それこそ肉欲だけでも成立してしまうのに、本当に好きな相手と愛し合える喜びを当たり前のようにしか思えなかった自分と、伊織はどんな想いで過ごしていたのだろうか。

 物わかりが言い訳ではない。どちらかといえば手放したくない。そのためだったら土下座してもかまわない。ただ、伊織の事を大切に思うがゆえに、こんな自分とこのままつき合っていても良いことはないのかもしれないと、弱気になっていた。

 エレベーターの扉が開いて、声が響いて来る。
 (伊織!!)
その声を聞いて、ドキンと心臓が大きく打った。誰かと一緒なのか、少し酔った風の妙にはしゃいだ彼の声が聞こえてくる。

 やがて現れた伊織は、長身のハンサムな男に寄り添っていた。その親しげな様子に、今までいろいろと思っていた事が瞬時に消え去り、怒りと変わる。
 伊織は泥酔していたが、その相手の男にしなだれかかって、事もあろうに「愛している」と告げたのであった。相手もまんざらではない様子で、笑って頷いている。

 その親しげな様子の中に、とても割って入れない自分を長田は感じてしまった。伊織の心には自分はもういないのである。
 茫然と立ちすくむ長田に気づいた伊織が、不思議そうな顔をしながら、相手の男に誰かと問われて、知り合いだと答えるのを聞いて、怒りが爆発してしまった。

 気がつけば伊織の頬を殴ってしまっていた。可愛さ余って憎さ百倍というのだろうか。さっきまでの物わかりのいい男は、嫉妬の炎に身を焦がして、理性を失ってしまっていた。口をついて出たのは、伊織への未練がましい恨みの言葉であった。

 けれども、伊織は冷静だった。いつもは子供のようにすぐに感情を面に表すのに、まるでモデルの仕事の時の表情で、冷ややかに長田を見つめていた。
 (もう、とっくに見限られていたわけだ)
自分の情けなさが、惨めであった。

 相手の男は、伊織の所属するモデル事務所の社長だと紹介された。とても大切な人であると断言された。
 そして、相手には長田のことを、セックスフレンドだったと紹介したのであった。
 確かに割り切った関係だと思われても仕方がない。けれどもそんなつもりはサラサラなかった長田にとっては、伊織が自分との関係をそう思っていたのだという事がショックであった。裏切られたような気がした。自分とは割り切った関係を続け、心では社長の事をずっと愛していたのだ。そう思うと、やるせなかった。

 所詮は負け犬の遠吠えというやつなのだろうか。こんなに自分に厳しい態度をとる伊織は初めてであり、怒る長田に反対に投げかけた言葉は、自分達の関係は終わってしまったということであった。
 そして、長田が日本に転勤になってしまったことを黙っていたことを反対に責められた。確かに結果的には黙っていたことになるのかもしれないが、自分にそんなつもりはなかったのだと言い訳する事すら、もう許させる立場ではなかった。

 怒りが驚きに変わり、そして、後悔に変わる。伊織に誤解されるような優柔不断な態度しか示さなかった自分が結局は、悪いのである。もともと、相手にされていなかったのかもしれない。相手は世界に通用するスーパーモデルなのだ。伊織のことを想う相手などきっと山のようにいるに違いない。

 僅か二年ほどのつき合い出会ったが、伊織と過ごした日々の想いでは、例え伊織にとってはいつしか消え失せてしまうとるに足せない事だとしても、長田の中には永遠に生き続けるのだ。それを確かなものに出来なかった自分のような男には勿体ない相手だったのかもしれない。

 (幻想だったのか)
異国の地で出会った寂しいもの同志の、ささやかな想い出は、結局はいつしか終わりを告げ、儚く消えてしまうものなのかもしれない。
 長田はそう想うことで、伊織との関係がすでに終わってしまった事を認めようと、自分に言い聞かせるのであった。

                              つづく

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