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2001年2月4日 更新

 「それで、母親の心当たりは」
冷ややかな態度で、小声で尋ねる廖。社長室はやっと訪れた静寂と、緊迫感に包まれていた。
 先程まで泣きじゃくっていたキャンディは疲れたのか、ソファーの上で安らかな寝息をたてている。愛らしい頬と睫に涙の後が認められてビンセントの心は痛んだが、だからといって身に覚えのない事を簡単に認めるわけにはいかなかった。
 確かに付き合った女性は数知れず、アバンチュールを楽しみもしたが、子供を作るようなへまをやらかした覚えは彼にはなかった。

 「ない」
やはり小声だがキッパリと答えると、廖は重い溜息をフーッとつくのであった。
「社長ガ戸惑われるの気持ちは男としてよく分かります。優雅な独身生活をエンジョイなさってきた方にとっては、とても大変な事態だと思います。ですが、年貢の納め時という言葉もありますように、こういう場合は潔く諦めてしまう方が楽ではないかと。今後の事もあることですし」

 「
廖、それは私に、父親だと認めた方が良いという事なのだろうか」
「はい」
真面目な顔をしてそうだと大きく頷いた廖に、今度はビンセントが大きな溜息をつくのであった。
「それほどに私の素行は、信用ならないものだったのだろうか」
「はい。と申し上げては何ですが、同じ男としては羨ましい限りで・・・・・・、いえ、その」
言葉を濁すという事ががそうだと認めているようなもので、ビンセントは頭をかかえたくなってしまった。

 「確かに真面目な君に比べればそうなのだろうな。だが、これは私の悪あがきでも何でもなくて、本当に心当たりがないんだよ。いろいろと確かに遊びもしてきたが、そんなヘマをやった覚えはない」
「本当に?絶対だと言い切れますか?」
じっと疑わしそうに自分を見つめる
廖の視線を真っ直ぐに受け止めながら、ビンセントはしっかりと頷いて見せるのであった。

 「ー分かりました。私は社長を信頼かつ尊敬しております。そう言われるのならそうなのでしょう」
廖の視線からはいつしか厳しさが消えており、ビンセントは内心ホッと一息をつき、良き人材に恵まれている事を素直に喜ぶのであった。

 「では、人違いだとして、この子の母親はどうしたのでしょうか?何故、社長を父親だと思っているのでしょうか?」
「さあね。それにしてもさすがに驚いたよ。この私がパパと呼ばれる日が来るなんて考えても見なかった」
参ったよと肩をすくめて見せながら、ビンセントはしみじみと本音を漏らすのであった。

 「社長さえその気になれば、いつでも可能な事だと思いますよ。どうですか?この際、思いきって見られてはいかがです?」
「ハハハハハ」
笑って誤魔化しながら、ビンセントは愛しい存在の事を思い出すのであった。
 (秋生に似た可愛い子供かあ)

 男同士では無理な話だというのは分かり切っていたが、それでも夢見ずにはいられないのであった。
 今までは黄龍の転生体である人間を影ながら見守ることが、自分の使命なのだと割り切って生きてきたが、秋生と出会い、恋に落ち、愛し合うようになった今では、葬儀から帰りの車の中で思ったように、永遠にこの幸せな時が続いて欲しいと本気で考えるようになってしまった。

 自分は四聖獣の青龍で、老いることなく永遠の時を生き続けることが出来る。だが、秋生は黄龍の転生体ではあるが、器は間違いなく人間であり、今は22歳の若々しい姿であるが、老いていつの日か自分の前から消え去ってしまう事は間違いないのである。
 その恐ろしい現実に気づいたとき、何としても手放したくないという激しい欲望が彼の中に生まれていた。そして、もし秋生を失う時がきてしまったら、自分はきっと正気を失ってしまうだろうと確信していた。

 ビンセントはソファーに横になり、安らかな寝息をたてている子供の汚れを知らない天使のような寝顔を、優しく見つめながら、彼女が自分と秋生の愛の証であったならばどんなに嬉しい事だろうと、叶うはずもない夢を漠然と思うのであった。

 トゥルルルルル、トゥルルルルル
突然の携帯電話の呼び出し音に、キャンディの折角の眠りを妨げられてはと、ビンセントはポケットから慌てて携帯電話を取り出すのであった。
 「はい」
【よう、聞いたぜ。なかなかやってくれるじゃないか】
電話の声は、四聖獣の一人、白虎のヘンリー・西であった。意地悪い笑いを含んだ声に、既に彼の耳に自分の醜聞が入っていることを知るのであった。

 「何のようだ」
【いや、パパになった心境ってやつを、是非、聞かせて欲しいと思ってな】
電話の向こうでガハガハと笑っているヘンリーの声に、ビンセントは苛立つのであった。
「特に変わったことはない。それでは」
愛想なく電話を切ろうとしたビンセントを、慌てたようなヘンリーの声が止める。

 【おい、ちょっと待った。秋生がそっちへ向かったぞ。先程まで俺の見せに来て遊んでいたんだが、お前のところにちょっと寄ってみると行って、出たんだ。お前の隠し子の話はその後で聞いたから坊やは知らないが、秋生がこのことを知ったらまずいじゃないかと思ってな】

 「なっ、秋生がこちらへ向かっているって!!」
【ああ、悪いがもうそろそろつく頃じゃないかと思う】
ビンセントは予想もしなかった事態に、珍しく混乱していた。
 (秋生が来る。子供のことを知られたらどうしよう。いや、よく話せば分かってくださるに違いない。だが、これは出来る限り避けた方が無難じゃないのだろうか)
 【おい、聞いているのか】
ヘンリーが沈黙してしまったビンセントに電話の向こうから呼びかけてくる。
【とにかく俺もこれからそちらへ行くから。何とか上手く立ちまわれよな、じゃあ】

 ツーッ、ツーッ
電話が切れてもビンセントの頭はしばらく混乱状態が続いていた。
(秋生がここへやってくる。変に動揺するのも認めているようで嫌だし、どうすればいいんだろう)

 「社長、どうなさいました」
携帯電話を切ったなり、沈黙したまま立ち尽くすビンセントの様子をおかしく思ったは、遠慮気味に尋ねてみるのであった。
 彼が『東海公司』の社長秘書としてビンセントの元で働きだして以来、初めてみる社長の困惑した人間らしい表情であった。

 実業家として卓越した手腕と、
あくまで沈着冷静な態度は、時として非常なまでにシビアであり、感情と言うものを表に表すことなく、まるでコンピューターのようだと評する者がいるくらいであったが、側についていれば、ただの冷たいだけの人物でないこともよく分かった。決して人の心の分からぬ人間ではなかった。

 だが、そのカリスマ的とも言える端正な容貌と風格が普通の人でない、圧倒的な迫力と魅力を生み出していて、凡人には近寄りがたい程の雰囲気を作り上げており、彼の姿を目にする者は、男であろうが女であろうが、目を奪われずにはいられないのであった。
 その彼が始めて見せた動揺。こんな大変な場面なのであるからそれも致し方ないとしても、これを社長が度あう切り抜けて行くかというのも、別に面白がっているわけではないが、廖としても大きな興味があった。

 「秋生が、ミスター工藤が、こちらに向かっているらしい。私は、彼だけには誤解されたくない。どうすればいい、廖?ああ、なんていうことだ。これではまるで浮気現場を発見されそうな間抜けな亭主みたいではないか」
 何故、あの日本から来たという秋生という若者にこのことが知れることがそうなるのだろうかと、その変なたとえを訝しく思いなが゜らも、廖は社長からこんな言葉を聞く日が来るとはと、妙に感激しながらも、そのおかしさに思わず笑ってしまうのであった。

 「社長、浮気なんて可愛いものではありませんよ、これは。なんと言いましても、子供は決定打です。もし、これが私の妻ならば、離婚を申し立てられても何の反論も出来ませんし、その前に殺されてしまうかも知れません」
廖、楽しんではいないか?私の身になってくれ」
恨みがましそうな社長の声に、廖は社長がどうやらかなり本気で心配していることを察して、驚くのであった。

 トントン
ドアが不意にノックされる。とたん、サッと青ざめて緊張するビンセントの表情荷心底驚きながら、廖は扉を開くのであった。
 「こんにちはーっ」
部屋の中の緊張感とは正反対の明るいのんびりとした挨拶が響いてくる。それを聞いて、ビンセントは心臓がドキンと高鳴るのを感じた。

 「
廖さん、こんにちは。突然来て御免なさいルビンセントいますか?」
「ええ、いらっしゃいますよ」
「あの、何かあったんですか。受付で連絡してもらおうと思ったら、何だかみんな様子が変で、泣いてる人もいたりして、勝手に上がって来ちゃったんですけど」
「ええ、まあ。どうぞ」
廖は『東海公司』の女子社員達が、社長に隠し子出現というスキャンダルを聞いて泣き崩れて姿を想像して、頭痛を覚えながらも、秋生を社長室へと招き入れるのであった。


 (ああ、秋生)
青龍して天界に属していた事もあり、地上では人が自分を神だと崇め奉る存在であったりする自分が、運命の神に祈り、縋りたいような気持ちにおちいりながら、ビンセントは努めて笑顔で何気なさを装って、秋生を迎えるのであった。

 「ビンセント、御免ね。突然、来ちゃって」
「先程、ヘンリーから連絡がありました。会いに来てくださって、嬉しいです」
「ヘヘヘヘヘ」
御免ねと目で詫びてくるその仕草を可愛らしいと思いながら、一方でビクビクと脅える自分の心を必死で押し隠すので精一杯であった。

 「どうかしたの。何だか疲れているみたいだ。その服、お葬式だったの?」
「ええ、取引相手のロナルド・葉氏の葬儀に行って帰って来たところです」
「あっ、御免ね。大変だったんだ」
「いいえ、少しもかまいません」
 いつでもあいたいと思う気持ちに偽りはなかった。が、今日ばかりはその気持ちが少し揺れていたが、口にするなどとんでもないことであった。

 「あれ、その子、誰?」
不意に秋生の視線がソファーに注がれて、ビンセントの心臓は今までにないくらい大きく打ち、緊張感は最大に達してしまっていた。
 (何といえばいいのだろう)
頭の中でいろいろな文句が一瞬のうちに浮かんでは消え、消えては浮かびグルグルとまわって少しもまとまらない。

 だが、事態は最悪の方向へと転がっていくのであった。今まで寝ていたはずのキャンディが目を覚まし、ムクリと起きあがったのである。そして、キョロキョロと見慣れぬ部屋を見渡して、そこにビンセントの姿を発見した彼女は、おもむろに立ち上がると、ビンセントの元へと一直線に駆け寄ったのであった。
「パパーッ」
キャンディは遠慮することなくビンセントに飛びつき、彼は邪険に振り払う事も出来ずに、抱き上げるのであった。

 「ビンセント・・・・・・」
秋生が目を丸くして、驚いた表情で自分を見つめている。
 (ああ、なんていうことだ)
どうにも誤魔化しようにない事態であった。みるみる秋生の表情が曇っていくのが手に取るように分かった。が、どう説明したらいいのかも分からず、キャンディは遠慮なくはしゃぎまわる。

 「パパ、パパ。キャンディモ嬉しい。やっとパパに会えたんだもの」
 「どういうこと?パパって?」
秋生が震える声で尋ねて来る。
 「違うのです。誤解です。これは・・・・・・」
ビンセントは必死の思いで訴えたが、秋生は信じられないとばかりに、頭を横に振った。

 「嘘じゃないのよ。キャンディのパパなの」
あどけない顔をした悪魔が容赦なくとどめを刺す。
 「こんな事ってないよ。どうせ僕なんかーっ」
秋生がショックを隠しきれない青ざめた顔で、ビンセントを見つめる。その瞳にウルウルと涙が潤んで、そして、いきなり身を翻すと、部屋を飛びたして行ってしまうのであった。

 「秋生ーっ、待って下さい。違うんです」
必死で声をかけたが、その声が秋生に届くことはなかった。
(ああ、なんていうことだ)
 「変なお兄ちゃんね」
自分の性だとはまるで気づいていないキャンディの言葉に、子供のいうことだと分かっていたが、我慢の限度があった。
 「いい加減にしてくれ。もう、沢山だ。どういうつもりか知れないが、私は君のパパなんかじゃない」
キャンディを降ろすと、彼は容赦なく言い放つのであった。
 「パパの馬鹿〜っ」
叱責されたキャンディは、折角の可愛らしい顔をクシャクシャにして、再び泣き始めてしまう。その声の大きさにうんざりしながら、ビンセントは為すすべもなく重い溜息をつくのであった。


 (まさに修羅場だ)
廖は目の前で展開された光景に度肝を抜かれていた。
 今、目の前で憔悴しきった顔をしてやるせない溜息をつく社長からは、普段のスマートさなど微塵も感じられない。
 工藤 秋生という日本から来た若者の反応は、先程から浮気云々のたとえが冗談ではすまされないような、真実みがあった。ただの知り合いではすまされないものが伺えた。確かに日頃から社長の秋生という若者への気の配り方は、行き過ぎではないかと思われる節があったが、まさかそうだとは気づかなかった自分が、何だかとても間抜けに思えてきてしまうのであった。考えれば納得することが山のようにあるのだが・・・・・・。

 (こ・これはまさに凄いスキャンダル。隠し子どころじゃないけれど、まあ、それは趣味の問題であるわけで。しかし、信じられない・・・・・・)
ビンセントと秋生、二人のラブシーンを思わず想像して
しまった廖は、また一つ、大きな溜息をつくのであった。

                                  つづく
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