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2001年3月4日更新
セシリアはビンセントからの連絡を受けて、頼まれた用事を手早く済ませると、ビンセント邸へと慌てて駆けつけた。
彼女としては、当然、今回のこの隠し子騒動を知って、落ち込んで暗くなっているだろう秋生の姿を予想して、かなり心配していたのだが、その本人がいたって明るい笑顔で彼女を出迎えたので、戸惑いを隠せなかった。
「セシリア、いらっしゃい。今さっきビンセントから連絡あって、もう少ししたら帰ってくるってさ。ヘンリーのご飯ももうすぐ出来るよ」
「あ・秋生、あの、ビンセントの事だけど」
無理に平気な振りをしているのではないかと心配しながら、セシリアは恐る恐る尋ねるて見たが、秋生はそんな彼女の気つがいを珍しく微妙に察して、『大丈夫だよ』とへへへと頭をかきながら笑うのであった。
「セシリア、心配してくれてありがとう。でも、僕、大丈夫だよ。だってビンセントの事、信じてるもん」
「まあっ、秋生ったら大人になったわね」
セシリアは感激とばかりに秋生をギュッと抱き締めるのであった。馬鹿な子ほど可愛いというが、まさに彼女にとってこの秋生という青年の、どんな育ち方をしたらこれほど素直になるのだろうと思うほどの単純さは奇跡であった。
「あのね、本当は凄〜くショックでね、死んじゃいたいくらいだったんだけど、ヘンリーがね、ビンセントの事、信じろって言ってくれて、目が覚めたんだ」
(なるほど、ヘンリーの口車に上手く乗せられたってわけね。そうでしょうね、お互いすねに傷持つ身だもの。庇うわけだわ)
ビンセントとヘンリーの行状の数多くを知っているセシリアとしては、騙されちゃ駄目よと秋生に言いたいところであったが、秋生に落ち込まれるのも厄介なので、黙っていることにするのであった。
「まあね。隠し子なんてヘマは、確かにビンセントらしくないわよね」
「うん」
信じ切っている様子の秋生に、セシリアは同情の溜息をつくのであった。
(泣かれるよりは良いけど、上手く誤魔化されるのも、何だか癪だわね〜)
そして、セシリアはふと悪戯を思いついて、ニンマリと笑って秋生を手招くと、そっと囁くのであった。
「秋生、この際、ちょっとビンセントを懲らしめた方が良いと思うわよ。やっぱり恋愛ってのは主導権を握っている方が勝ちだと思うの」
「えっ、なんのこと?」
さっぱり分からないと言った秋生の様子に、自分のナイスなアイデアに吹き出しそうになるのを堪えながら、セシリアは告げるのであった。
「いい、ここでね、ビンセントを簡単に許しちゃうと、図に乗って今度は本当に浮気しちゃうかも知れないって事。どういうわけかビンセントってやたらともてるじゃない。誘惑が多いのは仕方ないとしても、ここでビンセントの気持ちをギュッと締めておけば、浮気心なんておきないわよ。甘い顔しちゃ駄目よ。いい、チクリチクリと責めるの」
秋生は悪魔なセシリアの話を鵜呑みにして、そんなものかと大きく頷く。
「うん、でも、どうしたら良いのか分からないよ」
「いいこと。何が堪えるかって、秋生に冷たくされる事よ。信じてるからなんて言って喜ばしちゃ駄目。じっと黙って、見つめてやりなさい。何か言われても素直に答えちゃ駄目よ。いいわね」
「うん、でも、僕に出来るかな〜っ?」
もっともな心配だとは思ったが、あえてセシリアは強い口調で言い切るのであった。
「やるのよ。最初が肝心なんだから。男ってのは狡いんだから、甘やかしたら図に乗るだけよ。恋愛は駆け引きが大事なんだから」
「う・うん、頑張ってみる」
僕も男なんだけどなあと思いつつ、秋生はセシリアの言うとおりに実行してみるつもりになっていた。
どれだけ頑張れるか見せてもらいましょうかと心の中で思いながら、まあ、すぐに絆されちゃうのは目に見えてるわね〜っでも、少しはあの男の動揺した顔の人も見せてもらいましょうかと、無責任にもペロッと舌を出して、小悪魔のようにほくそ笑むセシリアなのであった。
「はい、これ」
セシリアは両手いっぱいに下げていた紙袋を、秋生に差し出した。
「キャンディって子の着替え。ビンセントに電話で頼まれて、いろいろ見繕ってきたわ。ちょっと可愛いのよ」
セシリアはゴソゴソと紙袋から服とか靴を幾つか取り出した。
「この小さい服でいっちょまえに、あたしの着ている服以上の値段なの。もう、許せない。まあ、ビンセントが支払うんだからいいけど。ちょっと儲け過ぎって感じ。どうせすぐに大きくなって着れなくなるんだから、安くていいのに」
そういいながらセシリアがひろげていく包みについている値札は、確かにかなり高額なものばかりであった。フリフリのフリルのついた可愛いドレス、エプロン。確かにあのキャンディという女の子が着たら似合いそうだと思いながら、秋生はビンセントに抱きついて甘えていた姿を思い出して、胸がチクッと痛むのを感じながらも、それを嫉妬だとは気づかないのであった。
やがて、ヘンリーが食事の準備が整ったと告げた頃、いいタイミングでビンセントがキャンディと共に帰ってきた。キャンディはすっかりビンセントを父親だと信じきっているようで、ベッタリとひっついて甘えている。ビンセントも彼女を優しく腕に抱き、彼女の言葉に笑顔で応えるのであった。
「まるで本当に親子のようじゃのう」
ユンミンが二人の姿を見て、ホッホッホッと笑いながら秋生に感想を述べたが、すかさずセシリアに後ろから殴られて、『乱暴じゃのう』とばかりにセシリアを恨めしげに見つめたものの、彼女に『この無神経』と諫められて、肩を竦めるのであった。
秋生はヘンリーの後ろに隠れるようにして、ビンセントとキャンディの仲睦まじい親子の姿を見つめていた。ヘンリーの信じろと言う言葉とセシリアの簡単に許しちゃ駄目だという言葉が、グルグルと頭の中を駆けめぐって、混乱してしまっていた。
(ビンセントの事、信じたい。信じてる。でも、僕には自信がない。いつまでもビンセントを惹きつけるだけの魅力なんてちっともないし、何もしてあげられない。もし、黄龍の転生体じゃなかったらきっと僕なんて見向きもされなかった)
心の中に巣くっているコンプレックスがムクムクと育って、秋生を不安にさせる。
だが、その時、秋生はビンセントが自分を見つめるのに気がついた。二人の視線が絡み合ったその瞬間、不安な秋生の心を察したかのように、ビンセントが『大丈夫』だとばかりに大きく一度だけ頷いて、優しい微笑みを浮かべたのである。
それを見た秋生の頭の中は真っ白になってしまうのであった。
(ああ、やっぱり大好きだ)
それだけで十分なのに、それが全てなのに、ゴチャゴチャとつまらない事にこだわってばかりの自分が恥ずかしくなってしまう。
(ビンセント、御免なさい)
心の中で謝りながら、秋生はビンセントに笑い返すのであった。
「パパ、この人達は誰?パパのお友達?」
「そうだよ、キャンディ。秋生にヘンリー、セシリア、ユンミンだよ。仲良くしてね」
「はい、パパ。キャンディです。どうぞよろしくお願いします」
ペコリと頭を下げて挨拶するキャンディの可愛らしさに、誰もの顔に思わず微笑みが浮かぶのであった。
「やっと寝てくれたわ」
時刻は午前一時をまわっていた。二階の客室から疲れ切った様子のセシリアが降りてきて、恨めしげにビンセントを見る。
食事をして、話をして、いつもからは考えられないほどに賑やかで楽しい時を過ごしたのだが、キャンディがソファーに座ったままウトウトしだしたもので、二階の客室へ寝かそうとヘンリーが抱き上げたのだが、再び目を覚ましてしまったキャンディが、眠くないからと駄々をこねだし、挙げ句の果てにパパと一緒じゃなきゃ嫌だと泣き出してしまったのである。それを宥めてやっと寝かしつけたセシリアの忍耐は限界を迎えていた。
「もう、可愛いだけじゃ済まないのよね、子供って。甘えるのもいい加減にしろだわね」
本人にはさすがに言えない彼女の怒りが愚痴となって零れ出す。
「もう、子守は御免だわよ、パパ」
文句の一つも言ってやらねば気が済まないとばかりに咬みつかんばかりの勢いであった。
「すまない、セシリア」。この埋め合わせは必ずする」
さすがに反論することも出来ずに、ビンセントは素直に頭を下げる。
「当然だわね。ねえ、秋生」
「えっ?」
突然、話を振られて、秋生は何のことだか分からずキョトンとして彼女を見ると、もう。しっかりしなさいよとばかりに、睨みつけられるのであった。
「自分の蒔いた種なんだから、ちゃんと秋生や私達が納得行くような話を聞かせてもらいたいものだって事。隠し子なんて前代未聞。黄龍殿もビックリだわよ、まったく」
「ぼ・僕は信じてるからね、ビンセント」
セシリアに裏切り者とばかりに睨まれようと、ビンセントに誤解されるよりはましだと思うのであった。
「少し落ちつくんだな、セシリア。お前が怒ったところで、当の坊やが信じるっていうんだから、しょうがないだろうが」
ヘンリーが宥めるが、セシリアはとんでもないとばかりに、言い放つのであった。
「お互い臑に傷もつ同志がかばい合うなんて、美しい友情だわね、フン!!」
何が彼女をそこまで苛立たせるのか、機嫌の悪いセシリアにかなうものは誰もいなかった。
「明日、全てを明らかにする。マスコミを招いて記者会見を開く」
今まで沈黙していたビンセントがポツリと言った。
「それは、あの子の父親だって認めることなの?」
「それは・・・・・・」
シュ〜ン
突然、屋敷の伝奇が消えて、暗闇に包まれた。
「な・何っ」
慌てる秋生をしっかりと抱き締める力強い存在ガあった。
「ビンセント?」
「私がついています。何があってもお守りしますから」
「うん」
秋生は彼の胸に頭を寄せて、安心して頷くのであった。
「ついに来たわね。さっきから家の周りをウロウロしてたのよ。鬱陶しいったら」
セシリアが苛立ちの原因を明らかにする。
「これもパパのせいなのね?」
セシリアの嫌味たっぷりの問いにも、ビンセントは動じなかった。
「そうだ」
と、いとも簡単に認めて頷く。
ガシャ〜ン
窓ガラスの割れるけたたましい音共に、ドヤドヤと入り込んでくる複数の人間の足音が聞こえてきた。
「子供を捜せ」
「皆殺しにしろ」
物騒な会話が聞こえてくる。
「キャンディが危ない!!」
秋生はビンセントの腕の中から訴えた。
「大丈夫です。セシリア、頼む」
「もう、しょうがないわね。あの子確かに可愛いけれど、あたしのこと、おばちゃんだなんて言うんだから」
苛立ちのもう一つの原因をブツブツとぼやきながら、セシリアは暗闇をものともせずにキャンディの元へと向かっていくのであった。
つづく
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