
更新 2008年 3月 29日
(2)
「秋生、見なかった」
大学の構内で見かけた秋生の友人に、セシリアは声をかけた。
「ハイ、セシリア。秋生じゃなくて僕と遊びに行こうよ」
「またね」
「ちぇっ、相変らずつれないんだから。いつでも君のために時間をあけてるから、気が向いたら声をかけてよね」
「ええ、気が向いたらね。それで、秋生は見なかった。朝から探しているんだけど、なんだかすれ違っちゃって」
「へえ、そうなの。次の授業が休講になったから時間潰すって、さっき別れたところ。学食に行ったよ」
「ありがとう。また今度ね」
「待ってるよ」
一応、義理で手を振って別れる。また今度は永遠に来ないのだが、それにしても秋生は何をうろうろしているのだろうと、セシリアはフ〜ッとため息をついた。
朝、ビンセントからかかってきた電話。秋生の様子が変だからと気をつけて欲しいという彼の声は、酷く元気がなかった。冷静沈着が売りの彼の憔悴しきった声に、(どうしたの?)と尋ねてみたが、答えは沈黙であった。
ビンセントがあんな変な様子なのだから、さぞかし秋生は落ち込んでいるんじゃないかと心配して、一体、二人の間で何があったのかを聞き出そうと、朝から秋生を探しているのだが、どういうわけかすれ違いばかりなのである。
(もう、フラフラなにやってんのかしら。いつまでたっても落ち着かないんだから)
なんだって私がこんなに振り回されなくちゃいけないのよと、ブツブツ呟きながら、それでもやっぱり心配で秋生を探すセシリアであった。
「まったく何処の野郎だ。俺の縄張りでヤクの密売をしやがるのは」
香港の黒社会で『一四Kの虎』と恐れられるヘンリー・西は、人通りの多い道から少し外れた道脇に黒のベンツをとめて、噂の確認に出向いて来ていた。
「此処から見えるあの薬屋です。ずっと空家になっていたんですが、一月ほど前他所から移ってきた男が借りて薬屋を始めました。その頃から純度の低いヘロインが出回り初めて、遊び半分の素人の若い奴が何人か死んじまいまして。話を辿っていくと、あの店で売られたようなんです。『元気が出て気持ちよくなれる薬』だという触れ込みで。結構繁盛しているようで、店には店主と昼間だけバイトが1人。そのバイトは昨日から変ったようですが」
手下の報告に、ヘンリーはウ〜ンと唸った。
「普通の店で堂々と売っていると言うのが余りにもお粗末で解せないな」
しばらく店の様子を観察してみる。小さい店だがなかなか繁盛しているらしく、次々と客が訪れている。
カランと、店の扉が中から開き、アルバイトらしい若い男が1人現れて、店の表のディスプレイをかけかえ始める。トレーナーにジーンズのズボン、その上からエプロンをした男の、見覚えある顔に、ヘンリーは驚いた。
「あ・あれは――っ」
余りのショックに言葉を失ってしまったヘンリーに代わって、手下が口にする。
「あれ、秋生さんに似ていませんか」
「ああ、そうだな――」
恐らく本人に間違いない。どうしてこんなところにいるんだろうとあれこれと考えている内に、その若い男は店の中へと戻ってしまった。
「どうしますか」
「しばらく様子をみるとしよう」
今すぐ店の中に踏み込んで、どうしてこんなところにいて、何をしているのかと、問い詰めるのは簡単な事ではあるが、その背後に一体何があるのか確かめなければならなかった。
(頼むぜ、まったく)
秋生がヘロインの密売に関与しているとは信じ難いが、少なくとも全然関係ないとは言いきれない状況である。
「秋生の動きをはってくれ。それと店主もだ」
「はい」
手下に指示を与えながらも、ヘンリーは頭を抱えていた。
(ビンセントの奴になんて言うかが問題だ。とりあえず様子を見て、何でもなけりゃ黙っててもいいが、まったく坊やはとんでもない事をしでかしてくれる。困った黄龍殿だぜ)
ヘンリーは今まで何度となく秋生が巻き込まれた事件の数々を思い出して、深いため息をつくのであった。
色とりどりのネオンが輝く街の雑踏の中を歩いていく若い男。上品な紺のスーツを着ているが、どことなく着慣れていない感じが初々しい。
「ありゃ、坊じゃないかのう」
道端に腰掛けて、人の流れをぼんやりと見つめていた玄冥は、雑踏の中に秋生の姿を見つけて目を丸くした。
「こんなところでこんな時間に1人とは。これからビンセントとデートかのう」
大抵仲間の1人が付き添う事が多い。秋生は大事な黄龍の転生体であった。
彼の中で眠りについている黄龍が目覚める時、この世は終わりを告げる。つまりはこの世は黄龍の見ている夢なのだ。青龍、白虎、朱雀、玄武の四聖獣は、その黄龍の眠りを守るために、5000年の時を生き続けてきた。
だが、秋生は今までにない特殊な転生体であった。黄龍が反覚半睡の状態(つまりは寝ぼけている)であり、秋生は黄龍の記憶と力を無意識のうちに持つのである。
それだけではない。幾つかの事件を切り抜ける間に、青龍と秋生は愛しあうようになった。その青龍の過保護ぶりは、仲間の彼らも呆れるほどであったが、彼らもまた、秋生の事が可愛くてたまらず、本当に大切な存在になってしまったのだ。
「何処へ行くのかのう」
玄冥はふらりと立ち上がって、秋生の後を追い始める。
やがて、秋生はあるホテルの前までやって来たが、中には入らずに表に立っている。
「やっぱり待ち合わせかのう」
それでも様子を見守っていると、一台のタクシーから降り立ったナイスボディーの若い女が秋生に近づいていき、話し掛けた。そして、一言、二言話した二人は、ニッコリ笑いあうと、二人でホテルの中に入っていく。
それも仲良く腕を組み、べったりと寄り添うように。とても初対面という感じではなく、前から知り合いで、それもかなり深い仲のように見えた。
(おやおや、坊やもやるのう。だが、大変な事じゃ。青龍が黙っているはずもないが、こりゃ、面白い事になったのう)
う〜んと唸りながら、白い髭を指で梳いていた玄冥は、エレベーターに乗り込む秋生と女の仲睦まじい姿を見送った後、ゆっくりと歩き始めるのであった。
「ただいま」
秋生が帰ってきた時、夜の12時をまわっていた。留守電に友達と飲みに行くからとはいっていたものの、仕事も早々に終え、今夜はゆっくりと秋生と話し合おうと覚悟を決めていたビンセントは、すっかり待ちくたびれてしまっていた。
秋生の様子を見るように頼んでおいたセシリアからは、すれ違いで会えなかったという報告しかもらえず、チビリチビリと飲んでいた酒は、いつしか相当な量になっていたが、少しも酔えず、やるせない気持ちにビンセントは憔悴しきっていた。
自分の秋生への愛は、嘘偽りのない確かなものであり、全てを秋生に捧げるつもりでいたのに、秋生はそうではなかったらしい。涙を流しながら『嫌い』だと言った秋生の言葉は、ビンセントの心に氷の刃となって突き刺さっていた。
(あんなに愛しあったはずなのに)
今まで、もてて困る事はあったビンセントだが、嫌だと断られる事は初めてであった。それが最愛の恋人に言われたのであるから、もう最悪のダメージである。
今日一日は仕事も手がつかず、周りの者に身体の調子が悪いのだと思われて、早く帰って休むようにとすすめられてしまった。
(秋生、どうしてしまったのですか。そんなに私の事が嫌いだったりですか)
理由を問いただしたい気持ちでいっぱいであったが、ビンセントはそんな想いを抑え、何気なさを装って迎えた。あんまりしつこくして秋生に嫌われてしまうのが怖かったからである。
「お帰りなさい」
声をかけると、秋生はあからさまにばつが悪そうな顔をした。
「御免なさい。早く帰るつもりだったんだけど、すっかり盛り上がちゃって」
「それはよかったですね」
白々しい雰囲気が二人の間に漂うが、ビンセントは彼のひび割れていつ壊れてもいいほどにボロボロになっているプライドの全てをかけて、なんでもない風を精一杯装い、秋生の反応をうかがった。
「お疲れになったでしょう。私も少し疲れているので、今日は早めに休む事にします」
「そう、お休みなさい」
返事はいとも簡単に返されて、ビンセントは自分がまったく秋生に相手にされていないのを感じた。
(ああ、なんていうことだ。いつもならばきっと私の心配をして下さるに違いないのに)
秋生の素っ気無さは、自分の気まずさを誤魔化すための言葉である事を知らずに、ビンセントの心はズフズフと底なし沼に沈んでいく。
「僕ももう寝るよ。お休みなさい、ビンセント」
そう言ってそそくさと二階の自室へと上がって行ってしまう秋生を、ビンセントはただ恨めしそうに見送る事しか出来なかった。
(もう終わりだ)
自分とは思えないほどいつになく弱気であった。それほど秋生に嫌われたと言う事がショックだったのである。
どうせ眠れるはずもなく、リビングのソファーにガックリと座り込んだビンセントは、荒れた心を誤魔化そうと、再び酒を飲み始めるのであった。
つづく
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