
更新 2008年 9月 21日
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「来ました」
手下の報告にヘンリーは車を出た。秋生が薬局へと入っていくのが見える。
「おはようございます」
元気に挨拶して、エプロンをかける様子はいつもどうりで、とんでもない事をしでかしているといるという後ろめたさは微塵も伺えない。
手下の一人が客を装って問題の『元気が出て気持ちよくなれる薬』を買いに行くと、すんなり店主が売ったという。
薬の出どころをそれとなく聞き出すと、製薬会社のセールスが売りに来たというのだ。何処まで本当か嘘かは分からないが、あまりにもあっさりとそれも堂々と売ったので、気づかれたのかと思い、薬の成分を確認したが、それは紛れもなく純度が低く、混ぜ物は多いがヘロインに間違いなかった。
「その製薬会社のセールスが売りに来たという話が本当ならば良いが、それでも知らずに売っていたとはいえ警察の調べか入れば、大変な事になる」
現に変死者が続出しているために、捜査の手がのびてきている。その前にかたをつけなくてはならないとヘンリーは思っていた。
プルルルルル
携帯のベルが鳴り、ヘンリーは急いで出た。相手はセシリアであった。
「ヘンリー、秋生の友人達を締め上げたら、やっと白状したわ。秋生は怪我で入院した友達のバイトの穴埋めを引き受けた見たいなの。苦学生で、バイト代で生活費や学費を稼いでいる子が交通事故にあって入院したらしく、仕事に穴あけちゃうと二度と雇ってくれないとかで、友人何人かと交替でバイトしているらしいわ。皆、グルだったわ。人材派遣会社っていうけれど、規模の小さい言うなれば何でも屋って感じらしくて。ああ、ヘンリー、ホッとしたわね。それならそうだと正直に言えばいいのに、もう全く心配ばかりかけて」
セシリアの報告に、ヘンリーも安堵のため息をもらした。
「よし、こっちはまかせておけ」
「頼むわね」
電話が切れ、ヘンリーは安堵しながら携帯をポケットに捻じ込んだ。
「それなら遠慮はいらないってわけだ。警察が来る前にさっさと片付けるとするか」
ヘンリーは店に向かって、歩き始めた。
「いらっしゃいませ」
店に入ってきたお客に秋生は元気に声をかける。この仕事は忙しいが、いろいろと体験した仕事の中では、一番気楽であった。
力仕事は自分の非力さを思い知らされ、仮の恋人役は、ひたすら気をつかわなければならなかった。最初はデートみたいなものだと割り切ろうとしたが、相手はあくまでお金を払ったお客であり、なかなか要求は厳しかった。
昨日は友達の結婚披露宴に、昔付き合っていた彼も参加するということで、見返してやりたいという希望の女性をエスコートするという仕事だった。が、パーティーが終わった後もなかなか解放してもらえず、自棄酒の相手までつきあわされたのだった。
事故に遭った友人を少しでも助けられるならばと思って始めた事とはいえ、日頃やりなれない仕事をあれこれしてみて、自分の境遇がいかに恵まれているかを秋生はしみじみと痛感していた。
「『元気が出て気持ちよくなれる薬』をくれ」
「はい。あっ、ヘ・ヘンリー」
「よお、坊や。こんなところで何をしているのかな」
ニヤリと笑うヘンリーに、秋生は自分の行動があっさり見抜かれてしまった事を知り、慌てた。
「ビンセントも知ってる?」
「奴にはまだ知らせていない。坊や知っているのか。その『元気が出て気持ちよくなれる薬』がヘロインだということを」
「へ・ヘロインだって!!」
それを耳にした店主が慌てて言った。
「そんな馬鹿な事を言ってもらったら困るよ、お客さん。これはちゃんとした会社から仕入れている、ちゃんとした栄養剤だよ」
店の主人は真顔でヘンリーに訴える。
「本当に知らないのか?その薬を使った若いのが何人も死んでいる。警察も調べ始めているんだぞ」
「そ・そんな、ああ、どうしよう」
真っ青になって慌てる店主の様子はとても演技には見えなかった。秋生もあまりのことに驚きを隠せない様子だ。
「一体何処から仕入れた」
「時々回ってくる王製薬のセールスの飛という男です。ちょっと高めだけれど良く効くって評判で、今日も納品に来るはずなのですが」
「よし」
と、ヘンリーは大きく頷いた。
「警察はまだこの店で売っていたとは気づいていない。後の事は俺に任せろ。悪いようにはしない」
「お願いします。やっと開いたばかりの店なんです」
「わかった」
ヘンリーの気前のいい返事に、店主はホッと安堵した。
「秋生、お前は覚悟してけよ。ビンセントの奴、かなり落ち込んでいるぜ」
「えっ、そんな」
ヘンリーの自分への冷たい言葉に秋生の顔がスーッと青ざめる。確かに怒られても仕方のない事をしてしまったのだから、覚悟はしていたが、面とむかって言われると、その罪の大きさがドッシリとのしかかってきてプレッシャーとなり、押し潰されそうであった。
「はっきり言って俺達も怒っている。ビンセントとはちゃんと自分で話をつけろ。いいな」
厳しいが間違ってはいない言葉であった。
「うん」
情けない顔で秋生は大きく頷いた。すると、ヘンリーがその大きな掌で頭をクシャクシャと乱暴に撫でた。
「頑張れ」
ニッと笑ったヘンリーの口元に、秋生は元気を取り戻して、もう一度大きく頷くのであった。
カランカラン
店の入り口の扉が開き、ベルが来訪者を教える。
「毎度、王製薬の飛です。いつもお世話になっております。いかがですか、うちの『ゲンキデール』の評判は」
よれよれの背広姿の中年の男が、妙に高いテンションで挨拶しながら入ってきた。
「あっ、彼です。あの薬を売りつけたのは」
店主が指差して叫ぶ。飛は店の中にいたいかにも強面の容貌のヘンリーを見て、顔を強張らせた。
「お前か、あのふざけた薬を売った野郎は」
言いながらポキポキと指を鳴らしてみせるヘンリーに飛は、益々縮み上がった。
「ゆっくり話を聞かせてもらおうか」
そう言いながら近づいて来るヘンリーの恐ろしさに、飛は脅えて、いきなり側にあった店の品物を手にとると、ヘンリーに投げつけ始めた。
「うわぁ〜っ」
大声で叫びながら無茶苦茶に投げつけるそれらの中身が飛び散って、ヘンリーに次々と降りかかる。
「うわっ、止めろ」
白い粉を頭から被ってゲホゲホとむせるヘンリー。その様子を唖然と見つめていた秋生は、飛がヘンリーの隙をついて逃げ出そうとするのを見て、咄嗟にその背中に飛びついた。
ガッシャーン
二人がもつれあって倒れる。その際に店の棚を巻き込み、倒れて床に商品が散乱してしまう。
「お〜っ、神様」
店主が店の惨状を大袈裟に嘆く。
床に倒れこんだ二人は、ゴロゴロと転がり、あちこちの棚にぶちあたっては倒していく。
「ああ〜っ、店が〜っ」
あまりのショックに、ついに気を失ってしまう店主。
飛はなんとしても逃げ出そうと、秋生の胸倉を掴むと、その頭を床へとガンガンと打ちつけた。
「うわぁっ」
痛みに目の前が真っ暗になり、チカチカと星が飛び回る。
「この野郎」
秋生のピンチにヘンリーが飛の身体を左手でグワーッとつるし上げると、まるでサンドバッグを叩くかのように、右手で強烈なパンチをお見舞いした。飛の身体はそのパンチに軽々と吹っ飛び、入り口の扉にあたり、それを突き破って表へと飛び出してしまう。
ガッシャーン
扉のガラスが砕け散り、表に転がり出た飛はそのまま動かなくなってしまった。
「よ〜し、一件落着」
満足げに頷くヘンリーは白い粉まみれ。店の中は商品が散乱して滅茶苦茶で、店主は床に気を失って倒れている。
秋生は、まだズキズキと痛む頭を振りながら、ゆっくりと立ち上がる。と、ヘンリーがそっと支えてくれた。
「大丈夫か」
「うん、なんとかね。ああ、でも、店が大変な事に。どうしよう、ヘンリー」
別に秋生のせいというわけではなのに(これも彼のアクシデント体質が大きな原因かもしれないが)、目を白黒させて慌てている。
「ククククククッ」
突然、ヘンリーが笑い出す。
「まったく坊やといると、退屈しないな」
「えっ、そう。でも、ヘンリーどうしよう。僕、困っちゃうよ。もう、バイト、滅茶苦茶だよ」
マジに心配している様子が余りにも可笑しくて、ヘンリーはガハハハッと大声で笑い、秋生を愛しそうに抱き締めて、その頭をグリグリと撫でまわすのであった。
つづく
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