黄龍伝説
〜ハーレム・ナイト〜
2001年7月10日 更新
(1)
寝入ってまもなくのことであった。
侍女のモアラのせっぱ詰まった声に揺り起こされて、秋生はせっかく微睡んだばかりの眠りの世界から連れ戻されてしまったのであった。
「どうしたの、モアラ?」
まだ覚めきらないぼんやりとした眼差しで、欠伸をしながら、慌てた様子のモアラを秋生は見つめる。
くらい室内を照らしでしているのは、モアラが持つ蝋燭の揺れる儚い炎だけであった、浮かび上がった彼女の穏和な顔に浮かぶ青ざめた表情から、秋生はただごとではない事を咄嗟に感じ取るのであった。
「秋生様、賊が侵入しました。もう、酷い有様です。突然、襲ってきて・・・・・・。みんな、片っ端から斬り殺されて血の海です。味方の兵士は王宮の方の守りへ駆り出されて、ろくに残っていないと言うのに。女、子供も容赦なく・・・・・・」
「なんだって!?」
その涙まじりに訴える彼女の恐ろしい言葉は、秋生の眠気を吹き飛ばすのには、十分であった。
(城塞のこんな内部まで入り込んでくるなんて。最早、時間の問題なのだろうか?)
長きにわたった戦の果てに、最強を誇ったクルート゜王国も、敵国ドラゴン王国軍に取り囲まれ、籠城状態へと追い込まれていた。
それでも秋生や彼の住む後宮の人々は、自国の勝利だけを信じていた。それなのに、城塞の内部にある後宮へと、敵国の賊はいとも簡単に忍び込んで来たのである。
秋生は自国が絶体絶命の危機にさらされている事を今、改めて知るのであった。
「義母上や姉上達は、どうしていらっしゃる?」
「皆様、御無事でいらっしゃいますが、為すすべもなく、最早、時間の問題かと覚悟なさっていらっしゃいます」
「そう・・・・・・」
秋生は悔しさにキリリと唇を噛みしめた。何もできない己が余りにも無力で情けなかったが、すぐに思い直し、焦る心を必死に抑えて、自分が今なすべき事を考えるのであった。
(義母上や姉上達をなんとしてもお救いしなければ)
他の兄弟達がみんな王宮の方へ呼ばれたのにもかかわらず、後宮に自分一人が残されたのは、女子供だけでは心配だというのが理由であったが、それが建前であることを、情けない話しだが秋生は知っていた。自分が最初から期待されていない厄介者であることを。
王位継承権第八位とはいえ、一応、一国の王子でありながら、だが、幼い頃より他の兄弟達とは差別され続けてきた事実。秋生よりも年下の王子達が立派に戦で戦っているというのに、秋生にはなんの任務も与えられることはなかった。
幼い頃から病弱であり、戦に必要な剣も弓も乗馬も得意とは言えなかったが、根本的には秋生の母が、かつての敵国から連れられてきた人質だからというのが大きな原因らしく、母と共に後宮で肩身の狭い思いをして生きてきたのであった。
だが、今、秋生を突き動かすものは、理由や建前や義務などではなくて、心からそうしなくてはという純粋な思いだけであった。
「地下の神殿に王宮への抜け道があるはずだ。義母上や姉上達にお知らせしてくれ」
「は・はい、秋生様」
慌てて部屋を飛び出していくモアラを見送った秋生は、ベッドから飛び起きると、普段は決して使うことなく部屋の飾りとなってしまっている剣を、壁から取り外して、寝間着の上からベルトで腰にぶら下げた。とても着替える暇などなさそうである。
どこからともなく、人の怒声や悲鳴が響いてくる。秋生の背筋をゾクリとした冷たい恐怖が走ったが、グッと拳を握りしめて自分に喝を入れると、モアラの後を追って、部屋を飛び出すのであった。
「お急ぎ下さい。義母上、姉上!!」
目の前を走っていく彼女達へ声をかけながら、秋生は一番後ろで振り返り、振り返り、賊の姿が見えないことを確認しながら、走り続けた。
いつも着飾って優雅な振る舞いの義母や姉達が、恐怖に顔を青ざめ、必死に走る姿を見て、秋生はなんとしても彼女達を助けなければと言う思いをより強く抱いていた。
とても仲が良かったとは言えず、理不尽な態度をとられた記憶の方が沢山ある人達ではあったが、今は憎しみなど何処かへ消え去り、救いたいと願うばかりであった。
「頑張って、もうすぐです」
神殿の扉が見え、後もう少しと安心したのも束の間、秋生は背後に近づいてくる足音を耳にするのであった。
「賊です。急いで!!祭壇の下に隠し扉があります。そこを開いて通路をまっすぐに突き進んで下さい。少し狭いですけれど、気をつけて。モアラ、義母上達を頼む。賊は僕が引き留めるから、早く、急いで!!」
「はい。秋生様!!」
秋生の言葉に従って、祭壇の下の扉を探し出し、次々とその中へと姿を消していくのを見届けながら、秋生はホッと一息をついた。
「秋生様〜っ、早く、いらして下さい」
最後に残ったモアラが、神殿の入り口の扉の前に立つ秋生に向かって呼びかけて来る。
「モアラ、義母上達を父上のところまで頼む」
「秋生様〜っ!!」
部屋へ入ってこない秋生の様子を訝しんだモアラが必死に呼びかけるが、その声を振り切るように、秋生は一人、神殿の重い扉を力の限りやっとの事で閉めると、近づきつつある敵を迎えるべく、腰の剣をスルリと抜き放つのであった。
モアラ達と共に逃げることを全く考えなかった訳ではなかったが、このままでは途中できっと追いつかれてしまうだろう事が予測出来た。
ここで少しでも時間を稼ぐ事が出来れば、彼女達だけは取りあえず安全な王宮まで辿り着くことが出来る。
秋生とて命は惜しかったが、躊躇はしなかった。とても残忍な敵の全てを倒すことなど、非力な自分ではとてもかなわないだろう事も分かっていた。
迫り来る死の予感。しかし、何故か秋生の心は冷静であった。心の何処かにいつ死んでもかまわないという自暴自棄の思いが、ずっとあったせいかもしれないと、考える余裕さえあった。
思い出すのは、この春、敵国、ドラゴン王国との決戦のために、戦場へと旅立つ兄弟達の勇姿を見送った日の光景。銀色に輝く甲冑を身にまとった兄弟達の誇らしい姿と、整然と行進していく軍隊の勇ましい長い列と、戦の勝利を確信しながら、いつの日かきっと僕も兄弟達と同じようになりたいと、見送りの列の片隅で心に誓った日の事。
ところが現実はどうだろう。秋生は今の自分のの粗末な寝間着姿と記憶の中の、兄弟達の勇姿を思い比べて、苦笑するのであった。
これが彼にとっておそらく最初で最後の戦いとなるだろう。秋生は別にそれを悔しいとは思わなかった。
そもそも生きると言うことに対して、それほど未練というか執着がないのであった。どうせ生きていても、退屈な後宮のはみ出しものとして一生を送らなければならないのだ。その事の方がずっと辛くて寂しいものであることを、秋生は身をもって知っていた。
少なくとも生まれてからこの17年、クルード国王の第四婦人として、敵国から人質同然に嫁いできた母と、王位継承権第八位という王子として生まれてきた秋生は、後宮の中でずっと肩身の狭い思いをして生きてきたのである。
敵国の王女であった母の美貌に一目惚れし、その母の国を滅ぼしてまでも無理矢理略奪したというクルード国王の寵愛にも心を動かす事のなかった彼女は、秋生にとってはとても明るくて優しい母であった。が、敵国からの人質同然という立場や、他の夫人達の激しい嫉妬からくる嫌がらせに心労が重なって病にかかり、治療するすべもないままに長く寝たきりの生活が続き、結局、二年前に亡くなってしまったのであった。
葬儀も行われることなく、まるで隠すようにひっそりと王家の墓地の片隅に埋葬されただけであり、その存在など最初からなかったかのような、それは寂しい扱いであった。
秋生は、勇猛果敢なクルード国王の血をひく王子でありながら、王よりも美しい母の血を濃く受け継いでしまい、他の王子に比べて誰よりも王に似ていない少女のような可憐な容姿が災いして、実は王の子ではないのだという中傷も当たり前のように囁かれた。
また、小さい頃から病弱だったせいもあって、身体は成長途中にあるにもかかわらず貧弱で、武術がからっきし駄目であったために、全くのみそっかす扱いであった。
特に母が死んでからというものは、ただでさえ肩身の狭い後宮では孤立無援の状態となり唯一、昔からお世話をしてくれている侍女のモアラだけが、秋生が心許せる相手であった。
その上、母と本当に瓜二つといってもよい面立ちの秋生を、父であるはずの王も何かと遠ざけるようになり、他の王子達との扱いとはかなり差別されていると感じるのは、決して秋生の僻みや誤解などではなく、明らかな事実であった。と、いっても、母が生きていた頃より、王にかわいがられたことなど一度としてなかったのだが・・・・・・。
それがどうしてなのか、秋生なりに考えてみたが、彼に分かるのは、母は王にどんなに愛されようとも心開くことなく、故国を奪われた恨みを生涯忘れず、身体を力で支配されようともも、心だけは決して売り渡さなかったという事と、そんな母を王はなんとかして自分に跪かせようとして出来なかったために、彼女を深く愛し過ぎていたがために、自分の思うようにならない彼女を憎むようになったのに違いないという事であった。
だからこそ、余りにも母に似た秋生へ近づこうとはせず、なんの才能もなく役ただすな厄介者の烙印をおして、後宮に閉じこめているのかもしれない。もし、本当に王が母を憎み、秋生の事を邪魔だと思っていたとするならば、彼の命などとうになかっただろう。
だから、秋生なりになんとか王に認めてもらおうと、体格的に不利な分を別のことで補おうと、余りある時間を費やして、いろいろな書物を読み漁り、勉学に励んだのだが、そんな努力も口さがない人々には『武術の訓練を怠ける軟弱者』としか評価されず、結局、秋生の立場が改善される機会さえも与えられることはなかった。
しかし、秋生は元来、そうして本を読んで過ごす時間が何よりも好きであったので、そう言う辛辣な評価が下されたことを逆手に取り、誰にも邪魔されない気楽な時間を、一人楽しんで過ごしていた。
だが、それももう今夜で終わりとなる。秋生の唯一の心残りは、まだ読んでいない本が、知らない事が世の中にはまだ沢山あるだろうという事だけであった。
冷たい石室の薄暗い廊下の向こうから、賊の持つ松明の明かりがユラユラと揺れながら近づいてくる。と、同時に、足音が次第に大きく響いてくる。
やがて、視界に入ってきた賊は、全部で八人であった。鎧ではなく、闇にとけ込むような身軽な黒装束で身を包み、頭も口元も黒い布で覆っていた。
全員ががっしりと鍛えられた大男で、彼らの手にある長剣がどれも鮮血で濡れているのを目の当たりにして、秋生は迫りくる恐怖にガクガクと膝が震えるのを感じた。
(ああ、神様!!)
だが、秋生は深呼吸して緊張を和らげると、剣を握り直して男達を気丈にもキッと見据えた。せめて最後くらいは王子として立派に死にたいと心から願い、なけなしの勇気をふりしぼったのであった。
男達は秋生を認めると、悠然と立ち止まり、言い放つのであった。
「いい度胸だが、命を粗末にするんじゃないぜ」
「さっさとそこを退いた方が身のためだ。お嬢ちゃん」
そのからかいを含んだ声音と薄笑いを浮かべた眼差しに屈辱を感じた秋生は、頬をサッと赤く染めながら、増幅する恐怖を誤魔化そうと、あえて男達に反論するのであった。
「お嬢ちゃんじゃない!!僕は男だ。ここは絶対に通さない。覚悟しろ」
自分でもとんでもないはったりだと思ったが、男達にも見破られているのか、効果は全くなくかえって嘲笑されるのであった。
「生きのいい別嬪だぜ」
「本当に男かどうか分からないな。剥いてみるか」
「それはいいな」
ニヤニヤと不適な笑いを込めた嫌らしい光を瞳に浮かべて、ジリジリと近づいて来る男達の遠慮のない視線に、秋生は怒りを感じていた。
誰もがそう、同じ兄弟であるはずの王子や侍女達でさえもが、秋生の容姿を見て、卑しい笑みを浮かべるのは、常のことであった。男に生まれながら貧弱な身体と母によく似た容貌は、いつもからかいの対象にしかならないのである。
だが、慣れているとはいえ、それは秋生の男としてのプライドを傷つけるなにものでもなかった。せめて最後くらいはと潔い覚悟を決めていただけに、彼の怒りは大きく、自棄になって男達へと斬りかかるのであった。
キーン、ガキーン
敢然と挑みかかる。だが、力の差は歴然としていた。秋生の攻撃は、サッと身構えた男達によって、軽くあしらわれてしまったのである。
反対に剣を返されて、秋生は辛うじてそれをくい止めはしたが、圧倒的な力に押されて吹き飛ばされ、壁に背中を激しく打ち付けて、そのままズルズルと床へ座り込んでしまうのであった。
(ああ、このままむざむざ殺されてしまうのか)
秋生は己の実力のなさに悔しさを覚え、唇をギュッと噛みしめた。だが、秋生は戦わなければならなかった。なんとしても義母達を逃がす時間を少しでも多く稼がねばならないのだ。
ズギズキと痛む背中をそのままにして、秋生はヨロリと立ち上がり、再び剣を構えるのであった。
「なかなかいい根性をしているが、お遊びはここまでだ」
秋生の本気を感じたのか、男達から厭らしい笑いが消え去る。
「来るなら来てみろ!!」
自棄になって捨てぜりふを吐いて、男達の中へと飛び込んでいく。
カキーン、キーン
剣と剣がぶつかり、火花が飛び散る。その度に秋生の剣を握る細腕は、強い衝撃にビリビリと痺れた。が、構う暇はなかった。
「あっ」
賊の一人の剣が秋生の脇腹を掠めて、チリッとした痛みが走る。白い寝間着が裂けて、うっすらと血が滲んでいる。薄皮を切られただけであったが、秋生の戦意を削ぐのには十分であった。秋生はジリジリと神殿の扉へと追いつめられてしまう。
ガシーンッ
手に走った今までにない大きな衝撃と共に、秋生の手から剣が弾かれて、床に転がってしまう。慌てて拾おうとしたが、素早く男達に剣を足で蹴り飛ばされ、手の届かないところへと滑っていってしまった。
(ああっ、しまった)
絶望感が秋生を襲う。
「さあ、どうしてくれよう」
「剥いちまおうぜ」
ギラギラと血に飢えた不躾な視線に、秋生はザワリと肌の細胞が逆立つのを感じた。なんとか逃げ出そうと道を探したが、男達の何処にも隙を見つけることは出来なかった。
(これまでか・・・・・・)
覚悟しながら、それでも万が一のチャンスを伺う秋生の喉元へ剣先が突きつけられる。少しでも動けば間違いなくその鋭い刃は、秋生の喉元へと切り裂いてしまうだろう。最早為すすべをなくした秋生は、ゴクリと息を飲むのであった。
何を思ったのか、一人の男が剣で秋生の寝間着の裾を太股の当たりまで捲りあげ、それからおもむろに切り裂き始める。
ビビッという布の裂ける音と共に、秋生の素足が晒され、それと同時に男達の間からヒューッという口笛が漏れた。
寝間着の下は下着をつけているだけであり、ほっそりとした秋生の素足は、薄闇の中、松明の明かりに照らし出されて、その白い滑らかな肌を男達に晒すのであった。
「あっ」
羞恥に喉に突きつけられた剣の存在を忘れて動いてしまった秋生は、喉元にチクリと痛みが走るのを感じて、動きを止めた。ツーッと血が滴る感触がある。
まるで野獣の手の内で、嬲られている獲物と同じようだ秋生は思った。圧倒的に優位な立場にある彼らは、獲物である秋生のもがき苦しむ様をみて、明らかに楽しんでいる。いっそひと思いに殺してくれと願ったが、その選択さえ今の彼には自由にはならないのであった。
我が身の情けなさに思わず涙が零れそうになったが、それさえも彼らを喜ばせるだけなのだと、ギュッと唇を噛みしめて堪え忍ぶであった。が、その必死に堪える姿さえもが男達をそそらせていることに、秋生は気がつきはしなかった。
「ヒョ〜ッ、可愛いあんよだな」
「全部剥いちまえよ」
仲間にせかされた男が、今度は剣を喉元から下へとゆっくり動かして、寝間着を切り裂き始め、ビビッビビーッという音と共に寝間着は半分に裂かれてしまうのであった。
辛うじて残った下着がまだ救いではあったが、余りの羞恥に秋生は、男達から視線を逸らせて俯き、じっと堪えることしか出来なかった。
「やっぱり男か」
「見ろよ。綺麗な肌だぜ。男にしては細いし、別嬪だし、これだけの上玉はそうお目にかかれないぜ」
「きっと王子に仕える色小姓かなんかだろう。毎晩、可愛がってもらっていたのに違いねえ」
ゾッとするような厭らしい言葉を吐いて、ニヤニヤと笑う男達に秋生は自分の最後の時が今まさに訪れようとしている事を悟り、ガクガクと身体を振るわせた。
(!?)
男の一人が秋生の顎にその無骨な手をかけて強引に上を向かせる。殺意ではない別のギラついた光を浮かべた視線に晒されて、秋生の恐怖は一気に増し、叫び声をあげて泣いてしまいたい衝動に駆られた。
(ああっ、僕の人生ってなんだったんだろう)
聡明で気高く美しかった母の顔が脳裏に浮かぶ。
(そうだ。死にさえすれば楽になるんだ。母様に会える)
そんな誘惑が秋生を現実から逃避させた。退屈な日々も嫌がらせも無視もない、穏やかで幸せな楽園。そこにはきっと母様がいて、幸せに過ごすことが出来るに違いない。
例え男達にどんなに酷い目にあわされようと、死んでしまえばそれで全てが終わるのだ。
だが、運命の女神は悪戯に秋生にチャンスを与えた。秋生に触れようとして喉に突きつけた剣を外したのである。
大きな手が幾つも乱暴に秋生の身体を嬲り始めた。身体中を容赦なく這い回り、秋生の急所を下着の上から弄ぶ感触に、嫌悪を覚えるが、抵抗するすべもなく、ただ受け入れるしかなかった。死への誘惑だけが秋生を支えていた。
その内、男の一人が口元を隠している布を押し下げて、秋生の唇を奪う。ムッとするような生臭さに堪えていた秋生の手は、油断している男の腰の小刀に偶然、触れる。
(!!)
秋生はほとんど無意識のうちにその小刀を引き抜き、その男の脇腹へと突き立てたのであった。
「グワ〜ッ」
男の口から野獣の唸り声に似た声が漏れ、ピクピクと痙攣しながら、秋生へと覆い被さってくる。秋生はその身体を思いっきり突き飛ばすと、唖然とする他の男達の隙間を床を滑るようにしてすり抜けた。華奢な身体がこういうときに役に立つとは、随分と皮肉なものだなと思いながら、自分の中にまだ残っていた生への執着心を、苦笑した。
秋生に刺された男は、床の上を転がりのたうち回っていたが、仲間の一人がためらうことなく剣でとどめをさすのであった。
ギャ〜ッという断末魔を信じられない思いで耳にしながら、秋生は床に転がっていた自分の剣を素早く拾い上げるのであった。
「このガキが!!」
「殺してやる!!」
怒りの形相で剣を振り上げる男達の様子に、後一人ぐらいはなんとか道連れに出来れば本望だと秋生は思うのであった。
人を始めた殺めた事実に恐怖が麻痺してしまい、ただ、恐ろしく冷静に物事を判断する、感情をなくした自分を感じた。
このまま男達に陵辱されて果てるよりは、いっそ潔く自決するのもいいかもしれないと考えた。義母達を安全な所まで逃がすには、まだ少しだけ時間が必要だった。それをなんとしても成し遂げることが秋生の、みそっかすの王子としての最後の意地であった。
ガキ〜ン、ガキ〜ン
幾度かの攻撃を辛うじて防ぐだけで、秋生の息はすぐに上がってしまった。ハアハアと肩を上下に荒い息を吐く。それでも自分にしては上出来だと感じていた。人間死ぬきでやればなんとかなるものだとしみじみ思う。
「しぶといガキだぜ」
「さっさとやっちまおうぜ」
余裕をみせる男達に、自分の限界を知らされるが、心は不思議と恐れを感じてはいなかった。
(さあ、ひと思いにやるがいい)
秋生はゆっくりと目を閉じるのであった。
「お前達、何を遊んでいる。王妃達の後を追わぬか。一人も逃がすな」
突然、背後からかけられた叱責に、男達の表情が強ばり、姿勢を正して一礼すると、神殿の扉を開き始めた。
「駄目だ」
神殿への侵入を阻もうとした秋生は、声をかけてきた男の素早い圧倒的な一撃を受けて、身体ごと弾き飛ばされて、壁へと打ち付けられた。それでも起きあがろうとした秋生の目の前には、その男の鋭い剣先が光っていた。
「何処にもいません」
神殿の中から焦った声が告げる。
「王妃達を逃がすために、その身を犠牲にしたか」
秋生の目をのぞき込むようにして、男が呟く。その男は他の男達とは全く違った雰囲気を身にまとっていた。それは父王のもつ威厳に似ているように秋生には感じられたが、その眼差しの冷たさに恐怖を覚えずにはいられなかった。
凍り付くような冷たい視線。だが、その視線から何故か目を離すことが出来ず、秋生は不思議な思いで男を見つめるのであった。
他の男達と同じように黒服に身を包み、黒い布で口元を隠している。彼もまた何故だがジッと秋生を見つめていた。
「探せ、何処かに逃げ道があるはずだ」
男達に指示する間も、秋生から視線を外すことはなかった。
(なんだろう!?)
冷たい光の中に浮かび上がった切なげな光。
「お前、名前はなんという?」
その問いの思いがけない優しさに、一瞬、素直に答えそうになった秋生であったが、ハッと我に返ると、敵に答えるものかと、グッと唇を噛みしめた。
「良い覚悟だな」
黙り込む秋生をみて、男がクククッとおかしそうに喉の奥で笑った。それが何故だか酷く馬鹿にされているように思えて、秋生には酷くショックに感じられた。
秋生の必死の思いも何かも、圧倒的有利な立場に立つ彼にとっては、哀れな足掻きにしか見えないのだと思うと、なんだかとても悔しくて堪らなかったのだ。
「ビンセント様、ありました。祭壇の下に通路があります」
「追え!!」
ハッと息を飲む秋生に、彼の目はフッと笑った。
「折角の努力も台無しだな」
ビンセントと呼ばれた男は、秋生の目の前から剣をひくと、片手で秋生の顎を捕らえた。
「逃げた王妃の中に、エルフェリアはいるのか?」
(エルフェリア!!)
彼の口から出た思いがけない名前に秋生は驚き、しばし言葉を失って、彼を見つめてしまった。
「どうして・・・・・・」
「言え。命を粗末にすることもないだろう」
「・・・・・・」
答えることが出来ないでいる秋生を見つめるビンセントの眼差しに厳しい光が宿り、唐突に、力まかせに秋生の頬を打つのであった。
「言え!!エルフェリアは、彼女はいるのか?」
その余りの激しさに秋生は怯えた。男達に襲われた時とは違って、冷静な彼が本気で怒っているのが分かるだけに、その迫力に恐怖を感じていた。
「言え、言うのだ!!」
幾度も頬を打たれ、その痛みに涙が零れそうになるのを必死でこらえたが、彼が何故彼女の名前を口にするのか、知りたいと言う欲求で秋生の心は一杯になり、ついに堪えきれず答えてしまっていた。
「エルフェリア王妃はいない。彼女は二年前に亡くなられた」
「なんと・・・・・・」
絶句したビンセントの顔が、見る見る青ざめていくのが分かった。
「嘘を言うな!!死んだなど嘘をつくとは!!」
彼女の無視を信じたくないと言う彼の心は、秋生の言葉を受け入れようとはしなかった。バシッと容赦のない平手打ちに、ついには秋生の口の中が切れて、血の味が広がっていく不快な感触を感じる。そして、涙がスーッと零れて落ちてしまっていた。
それは打たれた痛みよりも、自分の言葉を信じてもらえないというもどかしさと悔しさの涙であった。
「嘘じゃない。エルフェリア王妃は、二年前に病で亡くなられた」
「葬儀が執り行われたとは、何も聞いていないぞ」
険しい口調で詰め寄られて、秋生は嘘ではないと必死に頭を横に振って、訴えた。
「葬儀はなされなかった」
立ち会ったのは神殿から寄越された神官一人とモアラと秋生と墓堀だけの本当に寂しいものであった。
「そんな馬鹿なことが。仮にも第四王妃の葬式が執り行われなかったなどと言うことがあるものか!!」
なんとしても信じまいとするビンセントの心を思うと、それ以上の事を口にするのを秋生はためらった。何故、彼はエルフェリアの名を口にするのだろうか?秋生の母の名前を。
「ど・どうして、彼女の事を聞くのです?」
震える声で秋生は尋ねてみたが、ビンセントの答えは素っ気ないものであった。
「お前には関係ないことだ」
その余りの冷たさに秋生は打ちのめされ、誰にとっても自分の存在など屑にも等しいのかという怒りと悲しみを覚えるのであった。
「関係なくなどない。彼女は、エルフェリアは僕の母だ!!」
「な・なんだと!!」
ビンセントは秋生を乱暴に引き寄せて、間近で彼の顔を見つめる。その時、ドキンと秋生の心臓は一際大きく打つのであった。恐怖に怯えているはずの心が、ビンセントの瞳に浮かんだ悲しみに捕らえられて、大きく揺れ動かされる。
(あっ、とうして。こんな・・・・・・)
黒い布に覆われた口元は、どんな様子で、一体何を語るのだろうか。涼しげなその眼差しと同じように整い、美しいのだろうか。そんな不謹慎な思いが次々と浮かび、そして、唐突に我に選った秋生は、自分が抱いた邪な思いに羞恥を覚え、その眼差しから逃れたくて顔をそらせたが、彼はそれを許しはせずに、秋生の顎を捕らえると、自分の方へと強引向かせるのであった。
「なんと言うことだ、エルフェリア。貴方を救い出すために今日まで戦い続けてきたのに」
ビンセントは呻くように言うと、突然、秋生を引き寄せて、強く抱きしめるのであった。そして、秋生は余りのことに抵抗を忘れて、なされるままに立ちすくむのであった。
つづく
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