黄龍伝説

〜ハーレム・ナイト〜

(2)
2001年8月27日 更新

心臓の鼓動はさらに高まり、身体中が熱く火照る。息苦しさを覚えた秋生は、たまらず小さく身を捩って、彼の束縛から逃れようと試みた。
 「お願いです。離して・・・・・・、く・苦しい」
それに答えたかのようにビンセントの腕の力が弱まり、その眼差しが秋生を再び捕らえた。
「エルフェリア・・・・・・」
彼の想いの全てが込められたような呟きが零れ、同時に彼の眼から涙が一筋流れ落ちた。その瞳は熱い思いを秘めて、秋生をまっすぐに見つめていたが、何処か遠いところのものを見ているようであった。

 (ああっ、なんということだろう)
熱く高鳴っていた秋生の心は、そんな彼の様子に急速に冷えていった。ビンセントが自分を見つめているのではなく、彼の中にある母の面影だけを追い求めていることに気がついたからである。
 母とビンセントの間にどういう経緯があったのかは知る由もなかったが、敵国の後宮に忍び込むという危険をおかしてまで会いに来たということは、二人がただならぬ関係にあったことを証明しているように思えて、少なからず秋生はショックを覚えるのであった。
 誰もがそうなのだ。誰も秋生を見ない。いつも彼は母の影でしかなかった。


 ドラゴン王国軍は圧倒的な力で、無敵を誇ってきたクルード王国軍を打ち破り、ついには王都までその手をすすめ、王城への攻撃は日に日に激しくなり、200年の歴史を築いてきたクルード王国の滅亡も、最早時間の問題になっていた。
 王や生き残った他の王子達は、最後まで戦う決意の元に、王宮ヘ集結し、最後の攻防に備えていた。

 だが、王子ながらもいつも差別されてきた秋生は、今度もそれを許されず、どんなに強く願い出ても最初から数にさえ入れてもらえなかった。後宮で義母や義姉達と共に、運命の時をただ待つばかりの情けない身であった。
 勿論、敵の手に落ちる前に自刃する覚悟は既に出来ていたが、それは義母達も一緒であり、特別なことではなかった。

 ところが、ドラゴン王国軍は圧倒的に優勢な立場からはとても信じられないことだが、賊として後宮に侵入してきたのである。それが秋生の母、エルフェリアだけのために犯した危険であるとすれば、彼女とビンセントの関係はただならぬものである事に違いなかった。
 母に似ていることが不幸であると感じたことは今まで一度もなかったし、秋生の誇りでさえあったが、ビンセントが自分の中の母の面影を求めていることが、秋生には何故か許せなく思えるのであった。


 「キャ〜ッ」
神殿の中から響いた悲鳴に、秋生の暗い思考は中断された。続いて、男達の怒声が聞こえてきて、ビンセントは秋生から身を離すと、神殿の中へ入っていった。
 秋生もその後を続き、そして、神殿のなかで、男達に囲まれて地下通路から引きずり出される女性の姿を秋生は認め、信じられない思いに叫ぶのであった。

 「モアラ!!」
(どうして!?)
彼女が秋生に気づいて、男達の囲みから強引に抜け出し、秋生の方へと駆け寄ろうとする。そんな、彼女が逃げ出すのを阻止しようとした男が、背後から剣で斬りつける。
 モアラが悲鳴を上げて、ゆっくりと崩れ落ちる姿を、秋生はただ黙って見ていることしか出来なかった。倒れ伏した彼女の背中がパックリと開いて、赤い血がドクドクと流れだし、冷たい石の床を濡らしていく。

 (モアラ、嫌だ。どうして、こんなこと・・・・・・)
心の中で悲鳴を上げながら、なんとか彼女の元へと歩み寄ろうとするのに、情けないことに秋生の身体はいうことを聞かず、ガクガクと震えるばかりで、一歩も足を動かせなかった。

 「どうした」
冷たい声で問うビンセントの声が、秋生の頭の奥に響いた。
「ビンセント様、王妃達は抜け道を通って、王宮へ逃げたようです。ただ、この女だけがどういうわけか引き返して来たところを捕まえたのですが」
 義母達が無事に逃げられたという事実にも、秋生の心は動かなかった。ただ、モアラが引き返してきた理由が自分にあったのだということを悟って、後悔だけが胸を引き裂くのであった。

 (ああ、僕のせいだ。僕のためにモアラがどうして死ななくちゃならないんだ)
「モアラ〜ッ」
悲鳴のような叫び声が口から零れ出て、それと同時に身体の自由を取り戻した秋生はモアラの元へと駆け寄った。
 傷からは赤い血が流れ続けていたが、まだ息があり、秋生の姿を認めた彼女は、蒼白な顔にいつもの暖かな微笑みを浮かべて、優しい瞳で秋生を見るのであった。

 「秋生様」
「モアラ」
彼女の身体をそっと抱き起こすと、力無い手で秋生の頬をそっと撫でようとする。
「秋生様・・・・・・御無事で・・・・・・」
秋生はモアラの手を取り、しっかりと握り締めた。
「モアラ、僕は大丈夫だよ」
「良かった、秋生様・・・・・・」
そう言って微笑んだもう一度安心したように微笑んだモアラの身体から不意に力が抜けて、彼女はそれっきり動かなくなってしまった。

 「い・嫌だ、モアラ。眼を開けて、お願いだから、ねえ、モアラ」
何度も揺さぶり声をかけてみたが、答えが返ることは二度となかった。
 「もう死んでいる」
あくまで冷静に告げる声の主を、秋生は睨み付けた。ビンセントは無表情に、彼を見下ろしており、その態度の傲慢さに秋生は激しい怒りを覚えるのであった。
 「どうして、モアラは何もしていないのに。どうして殺したんだ。どうして!!」
モアラの身体をそっと静かに横たえて、ビンセントヘ怒りの全てをぶつけた。

 「何故、殺さなくちゃならないんだ!!」
秋生よりも頭一つ背の高い長身のビンセントに飛びつくと、その胸元を秋生は拳で滅茶苦茶に打ち据え涙まじりに訴えた。その間彼は抵抗するでもなく、じっと黙って立ち尽くしていた。
 「うっ、ううっ」
秋生は恥も外聞もかなぐり捨てて、悔しさと無念さにポロポロと涙を流すのであった。

 モアラだけが後宮のなかでの味方であり、母が死んだ後は心の支えとなり、本当に心の許せる唯一の大切な人であったのだった。その彼女を無惨に奪われた怒りと悲しみは、余りに大きいのであった。

 不意に秋生の両手がビンセントによって簡単に封じられる。
「これが戦いというものだ。違うか?」
言われて違うと、答えられずに秋生は息を飲んだ。そう、ビンセントは敵であり、クルード王国を破滅へと追い込もうとしているドラゴン王国の人間なのである。秋生とて先程、彼らの仲間を傷つけ死に追い込んでしまった。
 例えモアラが秋生にとってどんな大切な人間であっても、その人の思いも何もかも踏みにじり争うのが、戦なのである。

 「ならば僕も殺すがいい。さあ、殺せ!!」
秋生は自棄になって叫んでいた。こんな無力で愚かな自分がこれ以上生きていても仕方がない。
 そんな秋生をビンセントは表情一つ動かすではなく、じっと見つめていた。それが秋生には屈辱的に思えて、彼への憎しみと絶望感が一気に膨れ上がり、死への誘惑が秋生の心を支配するのであった。

 (剣を・・・・・・)
自分が自分であるために出来る事は自ら命を絶つことだと、モアラという大切な人を目の前で殺されて動揺し追いつめられている彼には、それが最善の事のように思えた。
 秋生はビンセントの脇をすり抜けるようにして、神殿を飛び出すと、廊下に飛び出すと、先程落とした自分の剣を拾い上げるのであった。

 剣の刃を迷うことなく首筋へあてた。このまま一気に引けば簡単に死ぬことが出来るのだと大きく一呼吸し、あの世で待っている母やモアラに『今行くから、どうか怒らないで迎えて欲しい』と、早すぎる17歳の死を心でわびた。
 そして、眼を瞑ると、剣を握る手に力を込めて、一気に引くのであった。

 首筋に鋭い痛みが走ったが、何かに妨げられて、剣はそれ以上動くことはなかった。確かに首から流れ出る血の感触はあるのに、いくら力を込めても剣はピクリとも動かなかった。
 恐る恐る眼を開いた秋生の目の前には、ビンセントの怒りの眼差しがあった。彼は素手のままで゛剣の刃を握りしめており、指の間から血を滴らせていた。
 予想もしなかったビンセントの行動は余りにも不可解であったが、それよりも自分の選んだ死の道さえも邪魔された事が、秋生には許せなかった。

 「どうして、邪魔するんです。せめて潔く死なせて下さい。手を放して」
「馬鹿が!!」
彼は叱責すると、鋭い刃がますますその手を切り裂くのも構わずに、グッと力を込めて、秋生の手から剣を奪い去るのであった。彼の手からポタポタと滴り落ちる手を見て、信じられないとばかりに、頭を小さく横に振って、ビンセントという男を見つめた。

 「何故、死に急ぐ!!」
「戦だから。貴方が言ったとおり、戦うすべのない僕に残された自由は、死ぬという事だ。それとも負けた者には死を選ぶ権利さえないというのですか。放っておいて下さい。僕は生きていてもしようがないんですから」
自棄になった秋生は、ビンセントへ怒りの全てをぶつけた。

 「許さない。簡単に死なせなどするものか!!」
怒りに燃えた瞳が秋生を睨み付け、容赦なくその頬を思い切り打つのであった。だが、秋生は打たれた頬の痛みを堪えて、必死に理不尽さを訴えるのであった。
「それじゃ、どうすれば良いんですか。僕なんか生きていてもしようがない。死なせて!!お願いです!!」
秋生はひたすら死を望み、瞳からポロポロと涙を零して懇願したが、ビンセントはそんな彼を無言でただ見つめるばかりであった。

 「ビンセント様、通路を通って兵士がやってきます」
慌てた様子の男達が、神殿から飛び出してくる。
「撤退する」
ビンセントは慌てる様子もなく静かに答えた。
「エルフェリア様は!!」
男の問いに、ビンセントは悲しげに頭を横に振る。
「彼女は亡くなったらしい。だが、代わりの宝を見つけた。行くぞ」
「はっ」
 ビンセントはおもむろに秋生の身体を抱きあげ、自分の肩にかつぐと走り出した。男達も躊躇わずその後に続いた。

 秋生は予想もしなかった自分への仕打ちに戸惑い抵抗した。このまま彼らの手に落ちて、犬死にするのは絶対に
嫌だった。
 「降ろして下さい。お願い。やめて」
手足をジタバタさせるが、その願いを聞き遂げられる事はなく、やがて、首からの出血に、秋生の意識は薄れ始め、やがて闇へと落ちていくのであった。


 (エルフェリア)
確かに彼女の面影を濃く受け継いだ、少年の儚げで美しいとも言える寝顔を見守りながら、記憶の中のその人へ、ビンセントは語りかけた。
 (哀れなこの子の命をどうか助けたまえ。貴方を求めてずっと戦い続けてきた私に、唯一残されたこの子を、連れていかないで下さい、エルフェリア)
それは彼の心からの願いであった。

 少年が自ら傷つけた首の怪我は大したものではなかったが、それが原因となって元から余り丈夫ではないのであろう彼の身体は高熱を出してしまい、もう丸二日も意識が戻らない。見た目にも華奢な身体が、なお一層衰弱していた。

 ビンセントは荒い苦しそうな呼吸を繰り返す少年の、汗ばんだ額を冷たい布で拭うと、自分の想いの全てを込めて、額にそっと口付けた。
 少年でありながら、母であるエルフェリアに生き写しであるその容貌。初めて見た瞬間、彼女が彼の記憶の中の姿のままで現れたことに驚愕し、他人の空似にしては余りにも瓜二つな少年に興味を抱いたのであった。

 だが、彼は容貌だけではなく、強烈な印象でビンセントの心に飛び込んできたのであった。王妃達を逃がすために自分の命を顧みず果敢に挑んできた気丈さ。剣など余り持ったことのないだろう細腕で、鍛え抜かれた兵士を相手に死にものぐるいで戦った勇気。そして、彼の安否を心配して戻ってきた侍女を殺された時の悲しみと激しい怒り。己の命を絶とうとした潔さ。
 その一瞬、一瞬の彼の表情と行動からビンセントは眼を放すことが出来なかった。いつしか賢明なその姿に惹かれてしまっていたのであった。

 (あ・き・お)
なくなった侍女が呼んだ彼の名前。幾度なく心の内で繰り返すたびに、長い戦いに疲れ、凍り付いていた自分の心の奥に、暖かな感情が広がって行くのをビンセントは感じ、まだ自分にそんな感情が残っていた事を不思議に思うのであった。

 (早く眼を覚まして下さい)
少年の顔に浮かんで欲しい暖かな微笑みを想像して、一刻も早く元気を取り戻して欲しいと、ひたすら願った。
 そして、無力な自分の焦るばかりの気持ちを持て余し、フ〜ッとため息をつくのであった。

                             つづく

 トップに戻る

(3)に進む