黄龍伝説

〜ハーレム・ナイト〜

(3)
2001年9月10日 更新

 まず、感じたのは、柔らかな毛足の長い敷物の感触と、軽く暖かな毛布に包まれた心地よさであった。ポカポカと暖かく気持ちよくて、もっと眠っていたいという欲求に負けて、秋生は敷物に頬を押しつけ、スリスリと軽く顔を動かしてその心地よい感触を堪能した。
 近くでパチパチと薪の燃える音がしている。長い悪夢を見ていたような気がした。

 戦が厳しくなって以来、後宮では暖炉に使う薪や灯り用の油さえ不足しがちで、食料も以前と比べものにならないくらいに質素なものになっていた。義母や姉達は衣装やお化粧さえもままならないといつも愚痴をこぼしていたが、戦に勝ちさえすればもとに戻るのだ、それまでの辛抱だと励ましあっていた。
 けれども、もともと秋生の部屋は陽が当たらない北向きの部屋で、布団は薄っぺらだった。モアラが豆炭の行火をいれてくれたから、寒い冬もなんとか過ごせたのであった。

 (ああ、なんて暖かくて気持ちいいんだろう)
そんな想いが、頭がはっきりしてくるに従って、違和感へと変わった。
 (ここは、何処?)
慣れ親しんだ自分の部屋でないことは明らかだった。それとも今も自分は幸せな夢を見ているのだろうか。

 先程の夢は、酷い夢であった。モアラが殺されてしまうなんて、あんな悲しい思いは絶対に嫌である。夢で本当に良かった。モアラには内緒にしておこう。そんなとりとめのない事を考えながら、『ああ、やっぱり夢だったんだ』と、秋生はホッと安心して、欠伸を一つした。

 「目が覚めましたか?」
傍らからかけられた男の声に、秋生はギクリと身を強ばらせた。聞き覚えのある声であった。けれどもそれは現実のものではなくて、夢の世界の住人のもののはずであった。秋生は恐る恐る目を開いて、声のした方をそっとうかがうのであった。

 「丸二日眠っていました。怪我は幸い大したことはなかったのですが、熱が出てしまって。それに少し栄養失調気味だそうです」
見慣れぬ男が思いがけないほどの優しげな表情でそう告げた。しかし、その声には、確かに聞き覚えがあった。夢の中の黒ずくめの衣装ではなく、口元を覆っていた布はなかったが、その理知的な光を浮かべた眼差しは間違いなく、素顔は想像したよりも遙かに整っていた。

 (ビンセント。あれは夢じゃない!?)
慌てて身を起こすと頭が少しクラクラしたが、秋生は首筋に手を当てて、自分で切ったところが、しっかりと手当されているのを確かめた。

 「ここは何処?」
か細く震える声でビンセントに尋ねる。彼は秋生が眠っていた場所と、燃え盛る薪を挟んだ反対側の場所座っていた。白い上等な絹のシャツと、黒の皮のズボンを着た彼は、夢の中の冷酷な人物とはとても信じられないほどの穏やかな笑みを浮かべて、秋生を見つめていた。

 「ドラゴン王国軍の陣営です」
信じられない言葉に、秋生は部屋の中を見回した。テントの中でありながら、床にはふかふかの絨毯や毛皮が惜しげもなく敷かれ、豪華な調度品が置かれてあった。戦の最前線にもかかわらず物資の充実している様子は、日々の生活も苦しくなってきたクルード王国の、戦の不利を顕著に物語っていた。

 「僕を城へ帰して。父様のところへ返して下さい」
ここは自分のいるべき場所ではないと秋生はビンセントへ訴えたが、彼は駄目だと静かに頭を横に振った。

 「お願いです。僕は何も役に立たないけれど、せめて死ぬときぐらいみんなと、父様と共に死にたいんです」
クルード王国に最後の時が近づいて来ていることは、何となく分かっていた。みんなにどんなに蔑まれようと、秋生が生まれ育ったのはクルード王国に間違いなく、それを誇りに今日まで生きてきたのである。戦に参加する事は許されなかったが、王子として国のために命を捨てる覚悟は出来ていた。

 「それは出来ません。貴方を死なせはしない」
キッパリと言い切るビンセントの傲慢さが許せなかった。
 「どうして、そんな事を言うんですか?なんの権利があって、僕を苦しめるのですか?」
恨みの言葉をぶつけずにはいられなかった。自分には死を選ぶ事も許されないというのだろうか。余りにも理不尽な男の態度に、怒りを覚えずにはいられない秋生であった。


 秋生のまだ少し熱に潤んだ瞳が、責めるように見つめてくる。だが、ビンセントは秋生の願いを聞き遂げるわけにはいかなかった。
 (生きて欲しい。私と共に・・・・・・)
だが、その言葉は敵国の陣地に自分の意に介せずつれて来られ、不信感を抱く少年に告げるには、まだ早過ぎるであろう事をビンセントは知っていた。変わりに口をついて出たのは、彼を傷つける、酷い言葉であった。

 「今朝、クルード城は、陥落しました」
「えっ!!」
恐るべき事実を告げるビンセントを、秋生は信じられないとばかりに大きく目を見開いて凝視してくる。その華奢な身体がガタガタと震えだし、ギュッと拳を握りしめて、酷い現実を受け入れようとしていたが、とても無理な話であった。

 「う・嘘だ。そんな事、嘘だ」
そんなはずはないと強く否定し、どうしてそんな酷い事を言うのかと、信じられない様子で訴える。そんな秋生を哀れみのこもった瞳で、ビンセントは見つめるのであった。
 「本当です。今も城は燃えていますよ。夜空を赤く染めて、それは綺麗にね」


 「嘘だ!!」
おもむろに立ち上がると、秋生はテントの入り口へと走り寄った。そして、二重になった重い幕を開くと、ビンセントの言葉が嘘であることを祈りながら、周囲を見渡すのであった。
 「あっ!!」
信じられない光景がそこにあった。夜空を赤く染めて立ち上る火柱。燃え上がる城の最後の哀れな姿であった。
 「ああっ、そんな」
ビンセントは綺麗だといったその光景だったが、城の中にいるだろう人々の事を思うと、秋生にはとても残酷で悲しい姿にしか見えないのであった。

 「父上、義兄上〜っ」
きっと義母や義姉達も一緒のはずである。今更、叫んだところでどうしようもない事は分かっていたが、心の底からこみ上げる叫びを、秋生は止めることが出来なかった。
 周囲のテントの中からは、何事かと秋生の姿を覗き見る人影か次々と現れるのが分かったが、ヘナヘナと地面に力無く崩れ落ちるように座り込んだ秋生は、恥ずかしげもなく、ただひたすら泣き叫ぶのであった。

 (ああ、どうしてまた僕を置いてきぼりにするんです?)
クルード国の王子として、みんなと共にありたいと、戦い、そして、死にたいと願いさえしたのに、それさえも許されないというのだろうか。結局、最後まで自分は厄介者でしかなかったのだろうか。

 涙が止めどなくポロポロと零れて、激しく立ち上る火柱さえもがぼやけて、秋生の視界を揺るがせた。
 死んでいった人々への悲しみと、何もできなかった余りにも無力すぎる自分への悔しさをどう表現したら良いのか分からず、ただ、地面を拳で何度も打ち付けるのであった。

 「やめて下さい」
いきなりビンセントに拳を止められて、秋生は八つ当たりして彼に無茶苦茶抵抗してみせたが、難なく強引に抱き上げられて、元のテントの中へと連れ込まれてましうのであった。

 「降ろせ、馬鹿野郎!!」
口汚く罵る秋生を、ビンセントはフカフカの敷物の上へと乱暴に放り投げる。痛みは全然なかったが、その乱暴な扱いと、自分を見つめる彼の冷ややかな視線に無性に腹が立った秋生は、それがどんなに惨めで恥ずかしい事かは分かっていたが、彼に向かって怒りをぶつけることしか出来ないのであった。

 「さっさと殺せばいい!!この人殺し〜っ」
口にしたもののすぐに秋生は後悔した。その言葉を受け止めたビンセントの瞳に、今まで見たことがないような悲しげな光が浮かんだからである。

 「あっ・・・・・・」
しまったと動揺する秋生を見つめながら、ビンセントは微かに笑うのであった。
 「いいんですよ。そのとおりです。私の手は血に濡れています。戦が、私の人生の全てでした。それもやっと終わったのです。クルード王国を倒すことが、私の悲願でした。そして、エルフェリアを取り戻すことが・・・・・・」

 「母様を?どうして」
ビンセントの口から出た母の名前に、何故だか秋生の心はズキンと痛んだ。が、一方で、二人の関係を知りたいという思いが頭の中でグルグルと渦巻き始めるのであった。
 (ビンセントと母様の間には一体何があったというんだろうか?)
ドキドキと高鳴り始めた鼓動を隠しながら、秋生はビンセントの答えを息を飲んで待つのであった。

 「夜は長いですよ。これから時間はいくらでもあります。お腹がすいていませんか?早く元気にならなければ旅も大変ですよ。貴方もきっと気に入ることでしょう。みんなが貴方を待っています」
秋生の疑問に対する答えではなく、彼の言う事の半分も理解出来なかったが、思いがけないほど優しい表情でフッと笑ったビンセントは、そういうのであった。

 (こんな時にお腹がすいていないかだなんて)
自分が彼に軽くあしらわれているようで反発心は高まったが、確かに身体は飢えを訴えており、彼の微笑みにつられるて、秋生は反射的に頷いてしまうのであった。

 ビンセントがテントの外の誰かに声をかけると、すぐに次々ととても食べきれないほどの豪華な料理が運ばれて来る。
 「さあ、どうぞ」
 戦場において、これだけのものを用意できるほどの豊かな物資が、ドラゴン王国にはあったというわけである。最近のクルード王国は戦のために、財政難ばかりか食糧不足が続いていた。
 昔の栄華もすっかり影を潜め、後宮でも義母や義姉、女官達がよく愚痴をこぼしていたものである。それでもすぐに昔どおりになる、戦に勝利すると信じていた。

 美味しそうな料理を見つめる秋生の脳裏には、先程見た夜空に燃え上がる無惨な光景が蘇っていた。
(僕はどうしてここにいるんだろう?)
鼻の奥がツーンとした感じを覚えたかと思う間もなく、涙がまたスーッと零れてしまうのであった。
 慌てて、着ていた服の袖で拭ったが、涙は後から後からこぼれ落ちるのであった。

 「泣きたいだけ泣きなさい。そして、早く元気になって下さい」
ビンセントの腕がスッと伸びてきて、秋生の髪を優しく撫でる。その余りの優しさに心が絆されて、彼にすがって泣いてしまいたいという思いがわき起こったが、秋生は必死に堪えるのであった。

 (どうして、こんなに優しいのだろう。ビンセントは母様の事、本当に大事に思っていたんだ。でも、僕は苦しくてたまらない。彼が優しくしてくれるほど、辛くてたまらない。どうして、こんな気持ちになるんだろう。彼は敵なのに。父上達を殺した憎いドラゴン王国の人間だというのに。僕はクルード王国の王子だ。みんなと一緒に死ぬべき人間だったのに)

 「貴方とこうして出会えたのは、エルフェリアがきっと導いてくれたからでしょう。生きていてくれて本当によかった。もし王宮にいたとしたらどうすることもできないまま、貴方の存在さえ私達は知らずにいたかもしれない。貴方の存在は、公には一切知らされていなかったのですから。エルフェリアに子供がいたなんて、知りませんでした」

 (えっ!?)
初めて聞く事実に秋生は驚愕した。自分は父にそれほどまでに憎まれていたのだろうか。だが、それで全てが納得できるのであった。
 父、義母、義兄弟達の自分への冷たい態度。それがビンセントの言う言葉が真実であると言う事を物語っていた。もしかしたら、父の子供ではないという噂さえも、まんざら嘘ではなかったのかもしれないと思うと、ショックと共に怒りが込み上げてくるのであった。

 実際には、母がそんな事の出きる人間ではなかったことは誰よりも分かっていたが、この仕打ちは秋生の心を酷く傷つけるものであった。

                             つづく
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