黄龍伝説
〜ハーレム・パラダイス〜
(5)
2001年10月23日 更新
ビンセントの記憶に鮮明に焼き付いている彼女の美しく荘厳な姿は、二十年以上の時を経ようとも褪せることなく、その光景に触れた瞬間、彼は懐かしい失われた時へと、いとも簡単に連れ戻されてしまう。
陽もまだのぼりきらない暁の、ミレニア王家の神殿の中、松明の明かりに照らし出されている、祭壇の中央に祭られた巨大な黄龍の像の前で、多くの神官と信者を前に祈りの言葉を唱えるその美しい人の、静寂の中に響き渡る声は、ある時は低く囁くように優しく、ある時は高く激しく厳しく、頭の奥までしみこんで来るようであり、いつしかそれは人の声の域を遙かに超えて、一つの楽器の音色のように、心震わせる旋律を奏で、人々の心をしっかりと捕らえてはなさないのであった。
その時のビンセントは、まだ五つの子供であり、母の腕にしっかりと抱かれて、襲いくる眠気と戦っていた。だが、彼女が祭壇に姿を現したその瞬間、眠気は吹き飛び、その神聖なる儀式の意味を理解できぬままに、ただ熱く敷く神秘的な輝きを身にまとった彼女の姿をおっていた。
エルフェリア・ミレニア・黄。ミレニア王国の第一王女であり、大地を支配するという聖なる黄龍の生まれ変わりと言い伝えられる、ミレニア王家の直系という、人ならぬ神々しい存在である事よりも、彼女の清楚で聡明な美しさの虜になっているのは、ビンセントだけではなく、恐らくその場に居合わせた老若男女の区別なく、全ての人が瞬時に心を奪われていた。
ぬけるように白い滑らかな肌。憂いを秘めた思慮深い、黒い大きな瞳。祈りを唱える赤い唇。16という実際の年齢よりも大人びて見えるのは、その落ちついた雰囲気によるものだ。黄龍を神とあがめて信仰するミレニア聖教の大神官という立場が彼女をそうさせているのだろうが、それは生まれながらの高貴さとは別の、彼女が学び取った教養と努力した結果築き上げた人格が自然と醸し出す尊さであった。白い質素な大神官の長衣に流れるような黒髪。飾り一つもない姿であったが、誰よりも光輝いて、ビンセントの目に映るのであった。
そして、もう一つの記憶。王宮の花園の中で、屈託なく笑う年相応の顔をした素顔のエルフェリア。
「ビンセント、ビンセント。ほら、早くいらっしゃい」
やわらかな芝生の上をスカートの裾が乱れることを気にするでもなく、彼女ははだしで駆け抜けて行く。幼いビンセントは彼女に追いつこうと必死で走るのだが、その内、足がもつれて躓いて転んでしまった。思いっきり膝をすりむいた痛みと、彼女の前でさらしてしまった醜態が情けなくて、思わず涙が零れそうになってしまう。
「まあ、ビンセント。男の子が泣いてはいけないわ」
慌てて近寄って来た彼女は、彼の身体を優しく抱き起こして、頭を優しく撫でてくれた。
「貴方はドラゴン王国の王子様でしょう?そして、戦神、青龍の生まれ変わりだわ。黄龍である私を守ってくれるのでしょう?」
彼女の言葉にビンセントはそうだと大きく頷いて見せた。黄龍を守るのは青龍の務めであり、子供ながら青龍の生まれ変わりであることを、誇りに思っていた。
「だったら転んだぐらいで泣くような弱虫ではいけないわ。強く逞しくなって、私を守ってくれなくてはいけないでしょう。だから泣かないで。いいわね、約束よ」
そう言いながらビンセントの頬にそっと口付けてくれた彼女の唇のやわらかな感触に、ドキドキと心は高鳴り、彼女への忠誠を心に強く誓うのであった。
明るく優しく、そして、美しく聡明なエルフェリア。彼女は幼いビンセントの憧れであった。それは初恋と呼ぶにはまだ早すぎる淡い思いであったが、彼女を守るふさわしい人物になる事が、その瞬間から、ビンセントの目標となったのは確かであった。
だが、幸せなときは、ある日突然、打ち砕かれてしまった。クルード王国による突然の侵略。ミレニア王国を中心にして在る四つの国のうち、領主をなくしたばかりで国の守りが手薄になっていたラクシュ王国を圧倒的な兵の数で一気に陥落し、そのままミレニア王国に攻め入ってきたのであった。
美しい国は無残に破壊され、王女であるエルフェリアはクルード王国の人質同然にさらわれてしまった。大きな犠牲の元にくるーど王国の領地の一部として存続を許されたミレニア王家であったが、国の守護神である黄龍の生まれ変わりであるエルフェリアの身代金として、毎年、莫大な金額をクルード王国に要求された。
彼女の消息はただ無事であるとしか知らされぬまま、幾年も過ぎ去ったが、それでもミレニアの人々は彼女を取り戻したいという一念から、必死に身代金を払い続けた。だが、何年経っても彼女が帰ることはなかった。
あれから二十年あまりの歳月が流れた。ビンセントはちっぽけな無力の子供から大人へと成長し、辺境の小国であったドラゴン王国は、ミレニア、ラクシュその他の隣国を一つにまとめあげ、クルード王国に匹敵する力を蓄え、少しずつクルード王国の勢力を崩して、追い込んでいった。
だが、念願のクルード王宮への攻撃を前にして、ビンセントは思わぬ窮地に追い込まれてしまった。エルフェリアの消息がわからぬまま、攻撃をしかけて、彼女の命が危険にさらされる可能性が出てきたのである。それまで幾度となく彼女の返還を要求し、和解を提案していたのだが、それはことごとく拒否されていた。ビンセントは焦り、そして、決断したのだった。彼女のいる後宮へと侵入することを・・・・・・。
まさかの油断と金に転んだ裏切り者の手引きによって、正体を隠したまま用兵上がりの部下達と難なく後宮への潜入を果たし、ビンセントは彼女の懐かしい姿を求めて、捜しまわった。が、彼女の行方は知れず、許された時間は残り少なく、焦り始めたビンセントの前に一人の少年が現れたのであった。
荒くれの部下達の手によって辱められようとしていた少年の、羞恥に赤く染まる頬と、見かけの華奢さからは想像出来ぬ気丈さ。その細腕では剣などろくに扱えぬだろう少年が、命をかけて圧倒的な力を持つ敵へと挑もうとしていた。守りたい大事な存在のために。王妃達を逃がすために少年は犠牲になることを選んだのである。
敵ながらもその潔さに感心し、一方でビンセントはその少年に惹かれてしまっていた。少年の少女のように可憐で美しい容貌。それは記憶の中の、捜し求めているエルフェリアの面影そのものであった。これほどにそっくりな人間が存在するのだろうかという、戸惑いと焦りに必要以上に苛立ってしまったビンセントは、哀れな少年を厳しく問い詰めていた。
そして、少年の口から知らされた残酷な事実。エルフェリアはすでに二年前に亡くなってしまっていたのだった。ビンセントは人生の目標を失い、だが同時に新たなる夢を手に入れていた。少年はなんとエルフェリアの子供だったのである。なんと数奇な運命のめぐり合わせであろうか。それは敵同士である二人にとって残酷で、過酷な現実であり、全てを犠牲にしなければならない、非情な恋の始まりであった。
高熱にうなされて喘ぐ、憔悴した秋生のその儚げな美貌は、生命力に満ち溢れ輝いていたエルフェリアを太陽に例えるならば、闇を照らす月の淡い光のようであった。
華奢過ぎるその身体は、なれぬ旅に疲労し、日々やせ衰えていった。だが、その顔から笑みは消え去ることなく、痛々しいほどに元気を装ってみせるのであった。
クルード王国を発ってから二週間。勝利の喜びに沸き返るドラゴン王国軍は、帰途を急いでいた。戦いに明け暮れた長い日々に誰しもが疲れていたが、懐かしい故郷での安息を一時でも早くと、ひたすら先を急ぐ日々であった。
次第にやつれていく秋生の姿に気づきながらも、絶やされぬその笑顔に騙されて、ついに昨日倒れるまでその具合の悪さを認めようとしなかった自分の愚かさをビンセントは恨めしく思っていた。
「ごめんなさい、ビンセント。ごめんなさい。大丈夫ですから。少し休めばすぐに元気になりますから」
倒れてもまだ笑顔でそういうばかりの秋生。医者は簡単に良くなるものではないと診断した。これ以上無理な旅を続けれは゛、命にもかかわるとまでも言った。安静が第一だと。それなのに熱に冒され、朦朧とした意識の中でも、
「ごめんなさい」
と、ビンセントに謝るのであった。
だが、その言葉はビンセントの心に鋭い痛みとなって突き刺さるばかりであった。出会えた喜びに浮かれ、手に入れた幸せに酔い、秋生への気遣いを怠ってしまった自分の愚かさを深く後悔しながらも、苦しむ秋生をただ見守ることしか出来ない無力な自分。それなのに責めるどころか自分の身体の弱さをビンセントに許しを請うのだ。何の罪もあるはずがないのに。そうやって秋生に気を使わせてしまっている自分の愚かさが情けなくて申し訳なくてたまらなかった。
生まれてからずっと後宮で暮らしたきた秋生の身体は、まさに無垢といってもよかった。王位継承権第八位とはいえ、大国の王子として生まれながら、母親が他国の人質という特殊な立場であったがゆえに、その存在を公にすることなく隠すように育てられた秋生は、後宮から外に出たこともなく、ほとんど幽閉状態であったのだ。
小さい頃から病弱だったというが、それは多分に環境のせいであったと思われる。栄養状態もよくなかったらしく、成長期にあるはずの彼の身体は、始めてビンセントの手で抱きしめた時に感じたが、余りにも細すぎた。にもかかわらず愛しさは募り、強引にその身体をひらいてしまったのであった。
愛を告白したあの夜以来、ビンセントは秋生を抱いてはいなかった。昂ぶる激情に流されて抱いてしまい、傷つけてしまう自分を恐れていたからである。それほどに秋生は華奢で、繊細で、魅力的であった。
あの夜の行為は、ビンセントには麻薬のように危険で、とりこになるほどに妖しく官能的な素晴らしいものであった。
つづく
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