黄龍伝説

〜ハーレム・パラダイス〜

(7)
2002年1月1日 更新

 旅なれていない秋生の無理の出来ない体調を思い、ゆっくりと旅をしようと決めたビンセントの考えに思わぬ反対があった。それは、故郷への帰還を急ぐ臣下達であった。
 「王よ。国では一刻も早く王が帰還なさることを待ち望んでおりますし、兵士達誰もが一日も早い帰還を望んでおります。それをあの敵国の王子のために遅らせることに賛成する者など一人もおりません」
 幼い時よりビンセントの忠臣として使えてきた廖の苦言に、その場にいる者全てが同意を示して頷いた。

 いついかなるときもビンセントの言葉に忠実に従い戦ってきた者達だけに、その決意に偽りがないことはよく理解できた。彼らの心がわからないではない。長く離れていた故郷にやっと帰ることが出来るのだ。それを望まぬ者が何処にいるというのだろう。

 だが、彼らにとって秋生がまだ敵国の王子として認識されたままであるということは、由々しき問題であった。彼らはまだ秋生の人柄を良く知らないのだから仕方がないし、敵国の王子だといのは紛れもない事実であるのだから否定はしない。だが、黄龍の生まれ変わりとされたエルフェリアの息子であることも紛れもない事実なのであった。

 「秋生がエルフェリアの息子で、ミレニア王家の直系であることも紛れもない事実。私が彼女を取り戻すために戦ってきたのだということは、皆も知っている事と思う。その息子である秋生は人質として後宮に幽閉されるようにして暮らしてきたのだ。それを救いだした私が責任を持ってミレニア王家にお返しするのに、何処に問題がある」

 臣下達を一喝すると、誰しもが気まずそうにビンセントの視線から顔を背けた。だが、廖は何かを思いつめたようにグッと拳を握り締めると、意を決したようにビンセントに訴えるのであった。

 「王は、ビンセント様は、あの子供にたぶらかされておいでです。目を覚ましてください」
思いもよらぬ廖の言葉に、ビンセントは唖然とした。確かに秋生を知り、強く惹かれ、愛するようになったのは本当のことだ。それは自らが望んだことなのに、信頼する者達にそのように誤解されていたとは、自分の不甲斐なさを感じずにはいられなかった。

 秋生はこれからもずっと大切にしたい大事な存在である。それをたぶらかされているとは、随分な言われようであったが、ここまで廖が口にするということは、覚悟のことであるということが分かるだけに、ビンセントは戸惑った。

 「廖、私は変わったか?」
「はい、少なくとも私の知るビンセント様は、個人的な意見を主張なさる方ではありませんでした」
唐突に頭痛を覚えたビンセントは、深いため息をつくのであった。

 「もし、変わったとしたら、それは私がかけがえのない大切な宝物を手に入れたからだ・・・・・・。いいだろう。このまま旅を続けよう。だが、秋生の具合がこれ以上悪くなることがあったら、私は彼を優先してそこへ留まる。お前達は先に行くがいい。そのつもりでいてくれ」
ビンセントはそう言い切った。臣下達の表情も険しかった。これが秋生が心配していたことだったのだと、ビンセントは事態を甘く考えていた浅はかな自分を恥じるのであった。

 秋生の身体に流れるクルード王の血を憎むようになるといった秋生の心配の種が、すでに皆の心に育ってしまっていたのだ。ビンセントは今ほど王などという窮屈な立場から逃げだしたいと思ったことはなかった。客観的に考えてみると、確かに皆の目には、ビンセントの姿は滑稽に映っているのだろうと思う。

 捜し求めた人と瓜二つの敵国の王子にいれあげている愚かな男。だが、彼の秋生への気持ちは彼自身のものであり、誰にも譲ることの出来ない心の底からの想いなのである。今のビンセントは秋生しか見えていないと言われれば、そのとおりであった。だが、決して自分を失ってはいない。ましてやたぶらかされているはずなどなかった。皆は秋生を知らないのだと声を大にして訴えたかったが、それはきっと時が解決してくれるだろう、ビンセントは信じたいのであった。


 「大丈夫ですか?具合が悪くなったらすぐに言ってください」
自分のためにわざわざ用意してくれた馬車の側に馬を寄せて、声をかけてくるビンセント。彼の優しさだけが今の秋生に生きる勇気と力を与えてくれていた。
「はい」

 窓から顔をのぞかせて、秋生は精一杯の笑顔で彼に応える。ビンセントにこれ以上心配かけたくなかった。彼の重荷となって煩わせたくはなかった。だが、その思いとは裏腹に、結局心配をかけてしまっているのが実情。病弱な自分の身体がもどかしくて堪らなかったが、だからといってどうしていいのかさえ今の秋生には分からなかった。

 慣れない旅は、幽閉暮らしの長かった彼の身体には随分と無理がたたったようで、思い通りにならない虚弱な身体がこれほど疎ましく思えたことはないのであった。
 ビンセントと共に馬を走らせることが出来たらどんなに幸せだろうと思う。そんなささやかなことさえも今の秋生には出来ないのである。そうすれば半日もたたずに倒れてしまうのが目に見えていた。

 結局、ビンセントの優しさに甘えることしか出来ないでいる。それが秋生には情けなくて堪らなかった。最初は少しでも負担にならないようにと意地を張ってみたのだが、しかし、それは彼に心配をかけるだけの結果に終わってしまった。

 それなのにビンセントは、秋生に遠慮せずにもっと甘えて、我が儘を言って欲しいと言ってくれるのである。愛されるということが、こんなにも素晴らしいとは思ってもみないことであった。今までクルー度王国の後宮で誰にも顧みられることなく、ひっそりと生きてきた秋生にとってはとても信じられないことであり、そんな自分を愛してくれるビンセントに出会えたことを神に感謝し、そして、この幸せが長く続きますようにと願うばかりであった。

 全てを失い、絶望に死を決意さえした秋生が、一人おめおめと生き延びることは、今はないクルード王国の王子としては、許されない事なのはわかっていた。が、ビンセントが言ってくれた『ただの秋生でいい』という言葉に、秋生は縋って生きていた。彼もまたビンセントを愛してしまったのである。彼に必要とされなくなるその日まで、もう少し生きていようと決めたのであった。

 ビンセントは一度に沢山のものを秋生に与えてくれた。生きる力、愛、そして、希望。後宮で人に疎まれながら暮らしてきた彼にとってそれは素晴らしい夢となり、全てのものが輝いて見えるほどの幸せであった。

 何処までも続く大地。山々、空。人々の暮らし。初めての旅で初めて目にしたもの。後宮から一度として出たことのなかった秋生が書物の中で知った世界を、今、自分の目で確認することが出来たのである。

 夢のような日々ではあるが、それなのに秋生の中に新たな欲が生まれていた。やっとめぐり合えた愛する存在、ビンセントから離れたくないという執着。それが秋生にとって最大の我が儘であり、人の道からは外れたことであることも分かっていたが、初めて生きてみたいと思った気持ちを、今は出来るだけ大切にしたいと思うのであった。

 ビンセントは優しく、当然、その命令を受けたドラゴン王国の人々もとりあえずは丁寧に接してくれてはいたが、それは彼らがビンセントに忠実であるだけで、敵国の王子であった秋生に対して警戒していることは、彼らの戸惑ったような様子と侮蔑の含まれた視線から感じることが出来た。

 それは仕方のないことだと秋生は思っていた。自分が敵国の王子である事実は一生消えることはない。それは初めからわかっており、それでも選んだ道であった。
 秋生はどんなことにも負けない強い力と心が欲しいと願ったが、それはないものねだりであり、自分自身で切り開いていかねばならない茨の道であることも知っていた。どんな試練が待ち受けていようと、秋生はビンセントと共に一緒に歩いていきたいと願い、頑張るのだと決心したのである。
 自分の初めての我が儘のために・・・・・・。


 体力的にとても辛かった旅も佳境に入り、秋生の身体の調子もビンセントの細かい気配りのお陰で、良好とは言いがたいが何とか保っていた。周囲の人々の何処かぎくしゃくとした関係は相変わらずであったが、とりあえず表立って揉める事もなく、ビンセントの愛に支えられて、秋生は安心しきっていた。

 ある日の事であった。高い山の裾に広がる草原に差しかかったドラゴン王国の一行は、昼の休憩を取るために立ち止まった。
 響いてくる号令を合図に馬車が止まり、秋生は馬車を出て地面に降り立った。

 初夏を彩る美しい花々があたり一面に咲き誇り、爽やかな風に揺れていた。空は青く澄み渡り、飛び交うトリノ港も心なしか軽やかに浮かれているように聞こえる。秋生は縮こまった身体を伸ばして大きく深呼吸し、美しい風景を満喫した。自然の中の自分は酷くちっぽけな存在に思えたが、その中へ溶け込み一体となり、その素晴らしさを素肌で感じる事が出来るのである。後宮の手入れされた庭や風景とは全くの別の、本物の美しさが今は秋生のものであった。

 「うわぁーっ」
「ビンセント様」
突然、悲鳴とも言える声があがり、大勢の人々の慌しく取り乱した声が、穏やかな一時を中断した。秋生は何故か胸騒ぎを覚えて、そちらの騒ぎの方へと走っていった。
 そこには、ビンセントの腹心の部下である面々が、青ざめた表情で立ちすくんでいた。

 「どうかなさったのですか?」
「ああ、秋生様、王が毒蛇に――」
廖の言葉を信じられない思いで聞きながら、人垣を割って秋生はその中心へと歩みを進めた。

 「ビンセント!!そんな――っ」
その信じられない光景に秋生は息を飲んだ。腹心の部下達の囲みの中に、ビンセントが倒れていた。その左足の脛の辺りまでズボンが切り裂かれており、露になった底はどす黒く変色して、異様に膨れ上がっていた。

 「馬から降りられてすぐのことでした。いきなり草むら蛇が飛び掛り、あっという間に。毒はすぐに吸い出したのですが、王は意識を失ってしまわれ、医者にすぐに見ていただきましたが、手のほどこしようがないと」
廖は無念さに身体を震わせて言った。

 「嘘だ。そんなこと信じられないよ。ビンセント、ビンセント!!」
秋生は側にかけより、その身体を揺すってみた。が、血の気の引いた彼の瞼が開かれることはなかった。
「先生、手立てはないのですか?」
縋るような思いで、いつも秋生の健康状態を見てくれている医者に尋ねたが、彼は苦い表情で頭を横に振るのであった。

 「一応、応急処置で毒は吸い出したのですが、それでは完全とは言えず、残念な事に蛇の猛毒が全身に回ってしまわれています。今夜が峠かと。蛇の毒消しがあれば王の命を救うことが出来るかもしれません。が、蛇の毒に効くという薬草は特殊なもので、聞いたことはありますが、私にはそれがどのようなものかさえもわかりかねるのです」

 「蛇の毒に効く薬草」
医者の言葉に秋生は以前に読んだことのあるある本の内容を思い出すのであった。後宮での退屈な日々を過ごす為に、乱読した本の中に確かにそれについて書かれた本があったのである。秋生は必死にその内容を思い出そうとした。蛇の毒を消す薬草の名前。うろ覚えのその名前と姿を記憶の片隅から必死になって呼び起こす。

 「トネリコ草です。先生、以前読んだ本の中に確かにそう書かれてありました。高い山に生えるトネリコ草の葉の汁が、蛇の毒に効くと」
「おお、トネリコ草。そうだ、確かにそのような名前でした。秋生様、良くご存じて。どのような草かお分かりになりますか?」
「はい、実物は見たことはありませんが、こういう草だと絵が書いてありましたので、大体ですが思い出せます」

 秋生は本に書かれてあったトネリコ草の絵を、記憶を頼りに紙に書いて見せた。それを皆に見せたが、誰も知っている者はいなかった。
「探して下さい。お願いします。ビンセントを助けて!!」
叫んだ秋生に返されたのは、人々の冷ややかな視線であった。

 「貴方に言われるまでもありません。ビンセント様はわれらの大事な王です。必ずお助けいたします」
その言葉と突き刺さるような視線に、彼らの本音を見た気がして、秋生は黙り込むのであった。そして、自分一人が取り乱して心配しているような印象を、彼らに与えてしまった事を深く反省した。彼らがビンセントのことを心配していないはずはないのである。

 そのとおりに彼らの行動は早かった。秋生の書いた絵を兵士達に覚えさせると、すぐにトネリコ草の捜索を始めた。ビンセントはすぐさま用意された天幕に運び込まれ、手厚い看護を受けたが意識は戻らないどころか、次第に足の腫れが広がっていく。苦しそうな呼吸を繰り返すビンセントの様子を、秋生はただ邪魔にならないように隅のほうで見ていることしか出来なかった。

 (ビンセントが死んでしまう)
恐ろしい考えが浮かび、それを何とか振り払おうとしたが、恐怖はジワリジワリと秋生の心を侵食していった。
 (嫌だ、ビンセント。死なないで。僕を一人にしないで)

 彼を助ける何の手伝いも出来ず、ただ心配することしか出来ない自分が堪らなく嫌だった。彼が死んでしまったら秋生の生きる意味はなくなってしまう。せっかくであった大切な存在をこんなに簡単に奪われてしまうのは嫌であり、秋生は余りにも残酷な運命を呪うのであった。

 (神様、どうかビンセントを僕から奪わないで)
かわれるものならば自分が替わりたいと思うのであった。
 だが、人々の努力も空しく、ビンセントの顔はますます青ざめて、脂汗が流れ落ちる。その端正な顔に明るく爽やかな笑顔を浮かべて、秋生に笑いかけてくれた彼の面影は今は何処にもなく、死の影は刻一刻と愛する存在を奪って行こうとしていた。

 (嫌だ、ビンセント、死なないで)
このまま泣いて彼の死んでいく姿を見守るだけなのを辛く感じた。神に祈ることさえも無意味に思えてくる。今までの自分がずっとそうであった。いつも回りの状況に流されるばかりで、自分というものをしっかり持つことも出来ずに、それでもいつか幸せになりたい。きっと幸せが訪れるに違いないと信じて、その日を夢見てズルズルと日々を過ごすだけであった哀れな自分。最初から諦めて、自分の手で何かをしようとしたわけでもなく、状況を変えようとしたわけでもない。戦ったわけでも、ただ流されるだけであった。そして、何も変わらぬままに秋生は大事なものを沢山なくしてしまったのである。

 ビンセントに会って秋生は初めて自分で幸せになりたいとという欲を持った。生きていたい。彼に愛されたいと願うようになったのである。それなのにビンセントが苦しんでいるというのに、見守ることしか出来ないなんて。これでは彼を見殺しにするのと一緒である。せめて自分が出来るだけのことをしたいと思うのであった。

 (僕もトネリコ草を探しに行こう)
今、ビンセントの命を救えるのはその草しかないのだ。後悔するのはもう嫌であった。
 秋生は決意し、ビンセントの姿をもう一度目に焼き付けると、天幕を誰にも気づかれることなく抜け出した。
 といっても、秋生に注意を払うような者は誰もいなかったが・・・・・・。

                                      つづく
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