黄龍伝説
〜ハーレム・パラダイス〜
(8)
2002年1月18日 更新
先程まで晴れていた空は、人々の不安な心を映したかのように、いつしか黒い雲に覆われ始め、隠された太陽の鈍い光は、西の空へと容赦なく傾いていった。
秋生は躊躇う事なく目前にそび立つ高い山へと登り始めた。あちこちでトネリコ草を探す兵士達の姿を見かける。彼らの必死な様子に励まされるように、ただひたすら歩き続けた。
ただでさえ、鍛えられていない貧弱な秋生の身体はすぐに悲鳴をあげ始めたが、負けてしまうのが嫌で、歯を食いしばって耐えるのであった。
ザワザワと草木が風に揺れる。空はすっかり厚い雲に覆われてしまった。まもなくポツリポツリと雨が落ち始める。
しかし、引き返すつもりはなく、必死で記憶にある草の姿を探し求めつづけた。
(神様、どうかビンセントをお助けください。彼なしで僕は生きていけません。お願いです。ビンセントを奪わないで)
ゴロゴロ、ズッシャーン
自分本位な秋生の願いをあざ笑うかのように、雷がすぐ近くで鳴り響き、秋生は恐怖に耳を塞いだ。雨は勢いを増し、地面に叩きつけるように激しく降り始める。秋生はずぶ濡れになりながら、天を恨めしげに見上げて叫ぶのであった。
「負けるものか!!ビンセント待ってて。きっとトネリコ草を探して帰るから」
決意を新たに唇をギュッと噛み締めて、秋生は険しい山道を歩き始める。雨でズルズルとすべり、幾度となく躓き、転びながら秋生はひたすら草を探し求めて歩きまわった。
ピカッ、ズシャーン
眩い閃光が走り、目の前が真っ白になったかと思うと、そばにあった大木が火柱をあげ、真っ二つに切り裂かれ、秋生の方へと倒れかかってきた。
「うわぁっ」
逃げようとしたが、間に合わず木の破片に強打されて、弾き飛ばされ、草むらに転がった。全身に痛みが走り、運命の余りの仕打ちに秋生は打ちのめされそうになった。が、それでもなんとか這い上がろうと、手足を動かしてみたが、激しい痛みが身体中に走って動けなかった。
(ああっ、ビンセント)
ビンセントの青ざめた苦しそうな顔が秋生の脳裏に浮かぶ。
(嫌だ、嫌だ、ビンセント)
苦しんでいる彼のために何も出来ず、このまま死ぬのは嫌であった。
容赦なく降り続ける雨に打たれながら、寒さに凍えきった身体と心を何とか奮い立たせようと、秋生は悔しさを拳に込めて、地面を叩いた。
「どうして、こんなこと。嫌だ、ビンセント――」
挫けそうになる自分の弱さと不幸を呪いながら、でも、自分がまだわずかだが動けることに
気がついた。諦めたときこそが彼を失うときであり、彼の愛への裏切りなのだと自分を励ます。手足が動けば這う事だって出来るではないか。苦しさに負けそうになった自分を恥ずかしく思いながら、手足を動かして前へ進むことだけに集中した。
どのくらい時間が経ったのか分からなかった。一瞬であったり、永遠のように長く感じられたり。辺りはいつしか真っ暗な闇に包まれており、時折、空を切り裂く稲妻の青い光が、周囲の様子を浮かび上がらせるのであった。心細くて仕方なかったが、ビンセントの思いだけで秋生の正気は保たれていた。
こんなに辛くて怖いのは初めてだったが、ビンセントへの愛は自分でも思いもよらぬエネルギーを生み出し、秋生を突き動かしていた。今までの自分は何かを始める前に諦めてしまっていたような気がした。どうせ駄目だからと最初から動こうとしていなかったのだ。境遇を恨めしく思いながらも、どうしようもない現実に負けて、心を閉ざし、目を塞いでいたのだ。自分を誤魔化して・・・・・・。
巨大な自然の脅威の中で、独りぼっちの自分はほんの小さな取るに足らない哀れな存在でしかないが、それでも、足掻きつづける限り、確かに自分は存在し、夢を見ることが出来る。ビンセントを愛し続けることが出来るのだ。
ずぶ濡れで泥まみれのみっともない姿。なのに心は温かな思いで満たされていた。危険のない安全だけはとりあえず約束されていた後宮での生活では、決して得られなかった幸せな思いが、死と隣りあわせた今、大きな力を生み出していた。生きている実感が、もっと生きていたいという執着を、秋生に教えてくれたのである。
ふと気がつくと、雷は遠くに去り、次第に雨も弱くなって、やがて、すっかり上がってしまった。空を覆っていた雲も消え去り、満点の星が煌いている。
秋生はゆっくりと身を起こした。身体はギシギシ悲鳴をあげたが、それでもわきおこる熱い思いの力を頼りに立ち上がった。
前方の草むらがほんのりと白く輝いているのが見えた。その余りにも幻想的な美しさにうっとりしながら、秋生は幻ではないかと目を凝らして、確かめた。だが、それは確かに在った。
その幻想的な光景は、雨の雫にぬれた花が星のわずかな光を反射してそう見えたのだった。何故、あのようにはっきりと光って見えたのか不思議に思うくらいに、近づけば少しも光っておらず、落胆しかけた秋生は、その花に見覚えがあることに気がついて、ハッと息を飲んだ。その光っていた白い花は、間違いなく記憶の中にあるトネリコ草であった。
(ああ、ビンセント)
これで彼が助けられると思うと、胸がキュンと熱くなった。この素晴らしい奇跡的な自然の贈り物を神に感謝しながら、秋生は草を両手一杯に持てるだけ摘んだ。そして、山道を急いで下り始めた。
先程まで動けなかったのが嘘のように、元気があふれ出て、秋生は走りつづけるのであった。
(待っていて、ビンセント。もうすぐだから)
暗闇の中、雨にぬれた山道を幾度も滑りながら、転がるようにして下りた。ただ、両腕にしっかりと抱えたトネリコ草だけは何があっても放さず、大事な宝物のように守り抜いた。
前方の闇の中を松明の明かりがいくつも揺れているのが見えた。大勢の人の気配を感じた秋生は、もうすぐだと自分を奮い立たせて、そちらのほうに懸命に走りよった。
「誰だ」
闇の中、松明の明かりに照らし出された兵士が、秋生に気づいて威嚇の声を上げる。秋生は構わずその兵士へと近づいた。
「こ・これをビンセントに早く!!」
息が切れて思うようにならない声を振り絞るようにして訴えた。
「何、王にだと?」
まだ警戒しているのか、なかなか近づいて来ない。秋生は草を必死で指し示して叫んだ。
「早く!!蛇の毒を消す草です。お医者様に早く渡して。急いで、お願い!!」
「よ・よし分かった。すぐに人を呼んでくるから、待っていろ」
草を受け取った兵士が駆け去っていくのを、どうか間に合いますようにと祈りながら、秋生は身体の力が急速に抜けていくのを感じて、ズルズルとその場に座り込んでしまった。情けないことであったが、彼の体力の限界はとうに越えていた。なんとか辿り着いたと安心感で疲労が急速に増したのだ。
意識までが朦朧としてきたが、ビンセントの様子を一目見るまではしっかりしていなくてはと、ふらつく体を意志で支え、目を見開いて暗闇を見つめた。やがて、すぐに人が近づいてくるのが見えた。
「秋生様〜っ、秋生様〜っ」
「ここだよ、ここにいる」
必死で叫ぶと、すぐに秋生の方へ人影が走りよってきた。
「秋生様、なんというお姿に。大丈夫ですか?」
秋生の哀れな姿をを見たその人物はハッと息を飲むと、自分が汚れるのもかまわずゆっくりと抱き起こしてくれた。彼はビンセントの側近の廖であった。
「僕は大丈夫です。それよりビンセントは」
「大丈夫です。間に合いました。早速、お医者様が手当てをしてくださっています。きっと助かります。貴方が貴重な草を見つけてくださったから」
そういう廖の声は震えていた。
「よかった。廖さん。もしよかったら僕をビンセントのところまで連れて行ってくれませんか?」
「はい・・・・・・」
廖は秋生をそっと抱いて立ち上がると、静かにビンセントの天幕へと歩き始めた。
天幕の外には多くの兵士達が集まっており、秋生を抱いた廖が近づくと、誰も何も言わずにすっと道を開けて通してくれるのであった。
(ああ、皆がビンセントの事、心配してるんだ。きっと大丈夫。助かるよね)
天幕の中央に寝かされたビンセントを医者が手当てしていた。その様子を重臣達が青ざめた表情で見守っていた。廖はビンセントの側にそっと秋生を降ろしてくれた。
「先生、ビンセントは?」
「おお、秋生様。なんというお姿で。良くぞ草をお探し下さいました。手当ては今、終わりました。大丈夫です。王はきっと助かります」
「ああ、良かった。先生ありがとうございます」
嬉しさに思わず涙が溢れ出た。
「いいえ、お礼を言わなければならないのは、私共の方です、秋生様。貴方がトネリコ草を探してくださったお陰で、我々は大切な王を失わずにすんだのです。ありがとうございました」
「ありがとうございました、秋生様」
思いもよらぬ廖を始めとする重臣達の礼の言葉に秋生の涙はとまらなくなってしまった。彼らもまた泣いていた。
「嬉しい・・・・・・」
彼らが本当にビンセントの事を大切にしているのだという、そんな気持ちが伝わってきて、秋生は彼らに愛されているビンセントを、自分もまた愛することが出来たという幸せを誇らしく思い、役立たずでみそっかすだっだ自分が少しでも人の役に立つ事が出来たというのがとても嬉しくて感じられるのであった。
「さあ、ビンセント様、これをお飲みください」
医者が煎じた薬を飲まそうしたが、意識を失ったままのビンセントは、薬を受け付けようとしなかった。
「お願いです、王よ。お飲みください」
皆の祈るような気持ちは、だが、通じず、薬は唇から零れてしまうのであった。
咄嗟に秋生は医者から薬の入った器を受け取ると、それをグッと口に含み、そのままビンセントへと口移しで飲ませてみる。
(お願いだから飲んで!!ビンセント、お願い!!)
祈るような思いで、ビンセント口内へ薬を流し込む。
ゴクリと彼の喉が動き、薬を飲み干した。
(ああ、ビンセント)
医者、廖や重臣達の顔に喜びが走る。秋生も嬉しくて、残りの区仮をもう一度口に含むと、口移しで与えた。すると、再び、ビンセントはそれを飲み干すのであった。
「もう、大丈夫です」
医者の言葉が嬉しくて、再び秋生は泣いてしまうのであった。
「ううっ、ビンセント、良かった・・・・・・」
喜びの涙は後から後から溢れたきた。
不意にグラリと視界が揺れ、グルグルと周囲が回り始め、秋生の意識は急速に闇に包まれ、最後に目にしたのは、ビンセントの穏やかな寝顔であった。
「秋生、秋生」
ビンセントが笑顔で呼んでいた。彼の側に行きたくて、一生懸命走ろうとするのだが、足が鉛のように重くて走れない。それなのにビンセントはどんどん先へと行ってしまうのだ。
「待って、ビンセント。ビンセント、置いていかないで。一人にしないで」
声を限りに叫んでみたが、それは声にならず、もどかしさに秋生は焦った。
ところがもがけばもがくほどに何故だか身体の自由は失われてしまうのだ。やがて、ビンセントの姿は見えなくなってしまった。
(ああ、ビンセント。貴方まで僕を一人残して行ってしまうの)
涙がポロポロ零れ落ちた。
(嫌だ、置いていかないで。愛しているといってくれたのは、嘘だったの。僕を幸せにしてくれるって言ったのに)
絶望の暗闇の中へと深く深く落ちていった。
「秋生」
「秋生様」
再び彼の名を呼ぶ声がした。今度は二人。それもとても懐かしい声であった。恐る恐るそちらを見ると、闇の中に明るい二つの光があった。眩しくてよく見えないのだが、その光の中に人の姿があるのは分かった。
「母様、モアラ!!」
会いたくて仕方なかった二人の姿に、秋生は彼女達の元へと近寄ろうとしたが、何か見えない壁に阻まれて、それ以上、進むことが出来なかった。
「秋生、貴方はまだこちらへ来る事が出来ません」
母様の優しい声が告げた。
「どうしてなの。僕を一人にしないで」
「貴方は一人じゃないでしょう。さあ、お戻りなさい。そして、どうか幸せに。ずっと見守っているわ。さあ、秋生。帰るのです」
「秋生様、どうぞお幸せに」
母様とモアラが優しく微笑むのを感じたが、二人の姿はフッと消えてしまうのであった。
「母様、モアラ行かないで!!」
だが、秋生の叫びはむなしく響くばかりであった。
(ああ、皆、僕を置いていってしまうんだ)
空しさが募り、全てを諦めて心を閉ざそうとした。もう、どうでも良かった。このままここで死んでしまってもかまわないと思った。
「秋生、秋生」
遠くで誰かが呼んでいたが、答えるのもだるくて、そっとしておいて欲しいのにと、秋生は恨めしく思うのであった。
「秋生、秋生」
耳元で誰かが強く叫んでいた。その声は誰だったろうかとぼんやり考える。と、気有職に秋生の意識は浮上し、現実へと引き戻されていた。
目を開くと、そこにはビンセントの優しい笑顔があった。
「ビンセント。ああ、元気になって良かった」
少しまだやつれているような気がしたが、彼は十分にハンサムであった。
「貴方って人はもう。私よりも貴方の方が大変だったのですよ。無茶ばかりして」
本気で怒るビンセントの瞳が涙に潤み、不意に彼は秋生をギュッと力強く抱きしめるのであった。
それは紛れもなく強く暖かな現実のビンセントに間違いなかった。
「貴方のお陰で命が助かりました。私はもうすっかり元気です。ですが、貴方はもう一週間も意識が戻らなくて、大変心配しました。
「ごめんなさい。ビンセント、どうか僕を嫌いにならないで」
「なるものですか!!こんなに愛しているのに」
ビンセントは秋生の手を取ると、指にそっと口付けた。甘い痺れがその場所から身体全体へと広がり、うっとりと彼をみつめるのであった。
「僕も愛しています。貴方だけを永遠に」
「嬉しいですね」
そう言ってビンセントはもう一度、秋生の手に口付けるのであった。
ワーッ
沿道をうめた人々の歓声が大きく空気を揺るがしていた。誰しもが笑顔で王であるビンセントの帰還を喜んでいる。ビンセントは手を上げてそれに応え、その傍らに立つ秋生も千切れるくらいに手を振った。
二人を乗せた馬車は王宮の前に止まり、兵士達が列をなして見守る中、ビンセントに手をとられるようにして、秋生は馬車から降りた。
そして、王宮の中へと歩みを進める。
ワーッ
再び割れるような歓声がわきおこり、秋生が驚いたようにビンセントを見ると、彼は優しく笑って、大丈夫ですよと、目で合図した。
多くの人が見守る中、秋生はビンセントと並んでゆっくりと歩いた。フカフカの赤い絨毯の先にあるのは、王座。
だが、そこに辿り着いたとき、ビンセントは自分が座るべきそこに、秋生を座らせ、自分はその傍らに立って、人々へと告げるのであった。
「ミレニア王国の秋生・ミレニア・黄、我らが守護神『黄龍』の帰還は、我がドラゴン王国に永久の平和と繁栄をもたらすだろう」
その声に応えるように、誰かが叫ぶのであった。
「ドラゴン王国、万歳!!」
「秋生様、ビンセント様、万歳!!」
それはみるみるうちに広がって、歓声と拍手が王宮を揺るがさんばかりに響き渡った。
まるで夢のような光景であった。秋生の傍らでビンセントが笑っていた。秋生も笑おうとしたのだが、余りに幸せすぎて、変わりに嬉し涙が零れてしまった。
ここは素晴らしい天国。愛する人との永遠の楽園を、秋生は手に入れたのであった。
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