亜州王国物語
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DORAGON
2002年5月10日 更新
(1)
遥か遠い昔。神々が地上に在った頃。
人は神を崇め、神は人を守り、平和に仲良く暮らしていた。
だが、やがて人は、神の力の偉大さに溺れ、その力にのみ頼るようになってしまった。働かず、毎日を遊んで暮らし、自然の豊かな実りを、無駄に浪費した。
そして、ついには、個人が己だけの幸せを望むようになり、そのための争いが絶えず、人の暮らしは荒れていった。
神々は、人を見放し、天へと昇っていったが、それでも、人の善を信じる神が一人、地上に残った。
神の名を黄龍。
黄龍は、四匹の聖獣と共に地上から争いを一掃し、再び平穏な時をもたらした。が、それは一時的なものであり、人々は唯一の神の力を望む余りに、黄龍を捕らえて、神殿の奥へと封じてしまった。
自由を奪われた黄龍は、それでも人の愛を信じ、惜しみなく恵みを与え続けたが、その力は徐々に失われていった。
天の神々は欲望に囚われた人に戒めを与えようと、天災を起こしたが、黄龍は最後の力を振り絞って人々を救い、力尽きて倒れてしまった。
「黄龍よ、何故にそれまでして人を庇う?人のお前への罪深い仕打ちを忘れたとは言わせぬぞ」
人への憎しみもあらわな天帝の問いに、息も絶え絶えに黄龍は答えた。
「人が幸せを願う気持ちに罪はありません。人を奢らせ誤らせてしまったのは神の力。力で幸せを与えようとした私の罪でございます」
天帝は、黄龍の言葉に心を動かし、人への罪を問わぬ約束をしたが、その代償として、黄龍をただの人の身に変えたのであった。
「それほどに人を愛するのならば、人として生きてみるがいい。人の世で転生を繰り返すのだ。そして、お前が人を恨み、憎しみの心を持った時が、人の世の終わりとなるだろう」
黄龍は憎しみの心を恐れて、自らの記憶を封じ眠りについた。そして、黄龍を守護していた四聖獣はそのまま地上に残り、その眠りを見守って長い時を過ごしたが、やがて転生体を見失い、一人、一人と天へと戻っていってしまった。
最後に残った青龍は、転生体を見出せぬまま、荒れるいっぽうの人の世に失望したが、それでも天へ帰る事なく、ただひたすら転生体との再会を夢見て待ち続けるのであった。
そして、時は流れ・・・・・・・。
キーン・・・・・・キーン
突然、静寂を打ち破り、頭の奥深くまで染み込んでくる耳障りな金属音の響きに、彼の意識は覚醒した。
〈誰ダ、私ヲ呼ブノハ〉
外界との全ての接触を断って、幾星霜。頑丈に張り巡らした結界をすんなりと破って、侵入してくる遠慮のない響きを無視しようと、寝返りをうち、耳を塞ぐ。だが、音はいっこうに静まらない。
キーン・・・・・・キーン
音は聞こえるというより、彼へ直接響いてくるのだ。彼に属する存在からの、叫び。
〈誰ダ〉
その存在を確かめるべく、冷たい石の寝床からゆっくりと身を起こし、彼の住処である神殿の廃墟より外へと出る。
闇の中、新月の、細い銀色の光に照らし出された廃墟は、人の侵入を阻む深い森の中にあった。長い年月の間、風雨にさらされた神殿は、最早建物としての形を止めず、崩れ落ちた石がわずかにその存在を示すばかりで、その残骸にも森の侵食は進み、蔦が、雑草が凄まじい生命力で覆い茂っている。
彼の住処はその地下にあった。白い寝着に黒のマントを羽織り、素足のまま夜露に濡れた蔦に足を取られないように、静かに表へと歩み出た彼は、ゆっくりと夜空を仰いだ。
キーン、キーン
金属の響きが一層強くなる。長身の彼の、月の光を集めたような銀色の、腰まで届く長い髪が、森の湿った冷たい風にサラサラと揺れる。静かに目を閉じ、両手を僅かに横に開き、月の光を身体で浴びる様に、自分を呼ぶ属性の叫びに、意識を同調させる。
すぐにその正体は知れた。
〈オ前ハ・・・・・・〉
脳裏に浮かび上がった長剣。彼の呼びかけに、それはキラリと光を放ち、彼との再会を喜ぶかのように、一層、高く鳴り響く。その音の大きさに、彼は整った眉を歪め、剣を叱責した。
〈止セ、静ニシロ〉
ピタリと音が止む。そのかわりに剣は、幅広い磨き上げられた刃に、一人の若者の姿を映し出した。傷だらけでぐったりとした哀れな姿。頭から流れ出た血が、茶色の髪をぐっしょりと濡らしている。
〈誰ダ。オ前ノ今ノ所有者カ〉
その問いかけに、そうだとばかりに剣は大きく一度鳴る。その響きをまともに受け、ダメージを負った彼は、苛立ち紛れに剣との接触を断った。
紫の孤高な憂いを秘めた瞳がゆっくりと開かれる。夜空には雲一つなく、無数の星がきらめいていた。それだけは昔と少しも姿を変える事なく、そこで瞬いている。
〈哀レナ人ノ命ノタメニ、私ノ眠リヲ妨ゲルトハ・・・・・・〉
彼は大きな溜息をついた。
〈クダラナイ。チッポケナ存在ナド、私ニハナンノ関係モナイ〉
彼は人に裏切られ続け、そして、全てを拒絶し、人里離れた森の廃墟で、一人暮らし始めたのだ。今更、人の世に関わりを持つなど、真っ平であった。
〈クダラナイ。私ニハ関係ナイ〉
自分に言い聞かせるように何度も呟く。
その時、ひときわ強い風が廃墟を吹きぬけた。彼の銀色の髪とマントが煽られて靡く。闇の中に浮かび上がったその姿は、幻想的な美しさを携えていた。先の尖った耳。長い指先には、鋭い爪。人と呼ぶには恐ろしい、だが、美しい姿であった。
フッとその姿が音もなくかき消える。初めから其処には存在しない幻であったかのように、闇と月の光と静寂だけが昔と少しも違わず、廃墟を優しく包み込むのであった。
「ううっ」
秋生は呻き声を上げて、自由にならない身体をなんとか動かそうとした。が、ほんの少し指を動かしただけで、全身を引き裂かんばかりの激痛が走り抜け、彼の僅かな気力を奪い去ってしまう。
崖の上から落ちたのだから、今、生きているだけでも奇跡だと言えるかもしれない。が、彼は自分の身に起こった、この出来事の理不尽さを、嘆かずにはいられなかった。
此処のところ野宿を続けていた彼の、今夜、久しぶりに止まった宿が、盗賊に襲われたのである。一人旅の彼ではなく、たまたま同宿した商隊が狙われた訳なのだが、寝入って間もなく、宿屋の主人の叫び声で目覚め、きのみきのまま剣だけを持って、二階の窓から飛び出して応戦したものの、多勢に無勢。負われて逃げる途中で、足を踏み外して、崖から落ちてしまったのだ。
そもそも彼の旅の目的は、亜州王国の騎士になるためであり、それは押さない頃から彼が抱き続けてきた夢であった。その夢が後僅かでなんとか実現しそうな矢先の、この降ってわいた不幸が、どうしても信じられなかった。
〈これはきっと悪い夢なんだ〉
そんな風に思っても、身体に走る痛みは、確かなものであり、彼の心を絶望に追い込むばかりであった。
〈此処で、こんなところで僕は死ぬのかな〉
故郷の人々の懐かしい顔が、脳裏に次々と浮かんでは消える。末っ子の彼を、心配しながらも『頑張れよ』と励まし、笑顔で送り出してくれた父や腹違いの四人の兄達。村の人々や友人達。
秋生の故郷、大和は、亜州王国の領地の中でも外れにあり、隣国との国境を守護するのが大きな役割であったが、現在、平和条約を結び、友好的な関係を続けているために、それはあくまで形式的なものになっていた。今では、大和といえば、森を開いた畑で採れた葡萄で作る葡萄酒の産地として知られている。
秋生の父は、大和の領主であり、剣を鍬に持ち替えて、森を開き、畑を耕して、今日の大和を作り上げてきたのだ。豊かとは決して言えないが、穏やかなのんびりとした村で素朴だが暖かな人々に見守られて、彼は育った。
そんな田舎育ちの彼の憧れは、亜州王国の騎士になることであり、年に一度、葡萄酒の買い付けに訪れる商人から聞く亜州王国の都の華やかな話は、彼の夢を育て、二年に一度、越冬するために彼らの館を訪れる、今は亡き祖父の友人の玄冥老人から剣を教わる事で、少しでも夢に近づこうと、精進してきた。
そして、この春の事であった。玄冥老人が秋生の腕前を認め、騎士団への紹介状を認めてくれたのだ。それまでは、玄冥が、騎士団に顔が利くほどの、名のある人物とは全く知らなかった秋生であったが、その時、玄冥が彼に譲ってくれた剣は、まだまだ未熟な彼が持つには恐れ多い名剣である事は、一目瞭然であった。
(それなのにどうして・・・・・・)
悔しさに、涙が頬をツ〜ッと伝って落ちた。痛みは治まるどころか、段々激しくなるばかりである。
(剣はどこ・・・・・・)
崖から落ちた際に手放してしまった剣を探そうと、痛みをおして顔を上げると、彼より少しだけ離れたところに剣は落ちていた。何よりも大事な剣。彼の夢。秋生はそれを掴もうと手を伸ばした。が、僅かに届かない。身体がギシギシと悲鳴をあげるのもかまわず、彼は歯を食いしばって、必死で這い寄る。指先が触れそうで触れない。後、もう少しーっ。
目前の剣がスーッと宙に浮かんだ。
「えっ」
驚きと同時に、それでも剣を掴もうと、残っていた僅かな気力を振り絞って、手を精一杯に伸ばした。が、空しく宙を切る。その時、秋生は、彼の剣を持って立つ人影を認めた。
(僕の剣・・・・・・)
だが、そこまでであった。秋生の気力は潰え、意識を手放してしまったのである。
外影は、静かに剣を鞘に収めると、自分の腰の帯に差し、意識を失った剣の持ち主をそっと抱き起こした。
だらりと彼の腕の中にしな垂れる人物の顔があらわになる。その意外な菅と身の軽さに、男は微かに驚いた。
〈マダ子供デハナイカ。それにコノ気ハ、アア、確カニアノ方ノモノ。オ待チシテオリマシタ。黄龍殿〉
男の表情は少しも変わらなかったが、その心は、思いがけない喜びに震え、深い思いのこもった真摯な瞳で、少年を見つめた。
華奢な手足に、汚れ傷ついてはいるものの愛くるしい少女のように繊細で整った面立ち。その思いがけない美しさに、しばし見惚れてしたが、やがて、マントで少年の身体を大事そうに包むと、再び闇の中へ吸い込まれるように姿を消すのであった。
つづく
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コメント
うわぁ〜っ、久しぶり過ぎて自分でもすっかり忘れてしまっておりました。懐かしい。確か亜州本第二弾くらいだったような。
もともとはオリジナルな話でしたが、ビンセントと秋生にもうピッタリだったので、ついつい書いてしまったのでした。この後、完売して、番外編1として総集編本に載せるために手を入れてて、続きが書きたくなって2からのお話を書き始めたのでした。
今回アップしてて、自分でも忘れていた最初の頃の設定とかいろいろと思い出して、そうかこれってもっと長い話だったんだとしみじみしてしまいました。
現在、まだ2から5までの本は発売中なので、是非、これを機会に読んでみてやってくださいませ。〈ちなみに完売しないとホームページには載せません。とさりげなく宣伝〉
在庫、まだまだありますです。トホホ
もう、亜州からは大外れの話なんですけれど、それでも私的には結構好きな話です。
この続きは早々と更新するよう努力いたしますので、お楽しみに。