亜州王国物語

 DORAGON

2002年8月19日 更新
(5)


 水底の暗さと冷たさは、彼の熱く乱れた心と身体を静めるのに、ちょうどいい場所であった。ここならば、秋生の思考をとらえる事はない。
 その存在は、無視しようと思えば思うほどに意識してしまった。冷静を装いながらも、心は揺れ動いた。

 なんでもないと、諦めようとしながらも、秋生の口から別れを言い出される日が来るのを恐れ、逃れていた。それでも、一緒にいたかった。
 一緒にいればまた、気まずい思いをするのを分かっていたし、秋生が戸惑っているのが手にとるように分かるだけに、彼を避けようとした。が、姿を見ないではいられない。

 葛藤する心。自分でも愚かな事をしているのは分かっていたが、どうしようもなかった。それほどに秋生に魅せられていた。
 その思いは、彼が長い間捜し求めていた黄龍の転生体であるという事実を越えて、いつしか、ただの人である少年への愛に姿を変えていた。

 意識を閉ざして、眠りに入る。この泉で秋生が水遊びに興じる事は知ってはいたが、この深さまでは人が降りて来られないだろうと軽んじていた。
 だが、違っていた。水底に横たわる彼の、聖獣としての真の姿を目にしながらも、無謀にも自分のもとへと降りてきた。危険をおして、自分を助けようと突き進んできたのだ。自分の命を顧みずに、自分の元へとまっすぐに・・・・・・。

 秋生の心があげた悲痛な叫びに彼の意識は覚醒した。薄れいく意識の中で、死を予感しながら、己でない他人の命を救ってくれと、心の底から神に祈っていた。
 (なんという存在。健気な心)
愛しさが大きくビンセントの中で膨れ上がった。
 (もう離さない。誰にも渡しはしない)
恐れや迷いは消え去り、ただ深い愛だけが、彼の心を満たすのであった。

 秋生の華奢な身体を強く抱き締め、口づけを与える。
(死なせはしない。何があっても守り抜く)
彼の聖獣としての力を分け与える。

 水面を脱し、空中へと身を躍らせた。秋生をその腕に抱いたまま、ゆっくりと宙を舞って、泉の淵へと降り立った。
 「もう、大丈夫です」
声をかけると、秋生はしがみついていた胸からそっと顔を上げ、そして、辺りの様子に気付き、つぶらな目を大きく見開いて、信じられないというようにビンセントを見つめた。

 「ど・どうして?」
だが、それに答える事はなく、ビンセントは秋生を再び抱き寄せて、その細い首筋に顔を埋めて、ついばむような軽い口づけを与えた。
 そして、一方で、性急にシャツを捲りあげると、手を這わせて、瑞々しい素肌の滑らかな感触を味わった。

 「あっ、やめっ・・・・・・」
身を震わせてビンセントの束縛から逃れようとする秋生の抵抗を許さず、その身体を近くの岩へと押し付け、被さるようにして動きを封じる。
 「愛しています。一目見たときから、心惹かれていました」
耳元で囁くように告白し、耳朶をそっと噛む。

 「あんっ」
甘い声をあげてビクンと身をそらす秋生。その素直すぎる反応に、ビンセントはますます図にのって行為をすすめるのであった。

 深く長い口づけを与え、散々貪り、秋生の身体から力が抜けるのを見計らって、シャツを両手で強引に引き裂いて、胸のピンク色の小さな突起の一つを口に含み、舌で丹念に転がす。そして、もう片方を左で弄りながら、右手は、初めての快感に戸惑いながらも反応し始めている秋生自身を捕らえて、やんわりと揉みじたいた。

 「あっ・・・・・・はあんっ・・・・・・・」
身体を走り抜ける甘い疼きを、頭を左右に振って否定する秋生。屈辱に頬を赤く染め、瞳を潤ませ、それでも気丈に睨みつけてくる。
「だ・駄目。こんなこと、許されない」
息も絶え絶えに訴える初々しさに、ビンセントは苦笑した。

 「誰に許させないというのです。ここには、貴方と私しかいないのに・・・・・・」
「か・神が、いらっしゃる」
「はっ、そんなものが何になるというのです。秋生、ならば神とやらに助けを求めるのですね。叫んでみなさい。神が現れて貴方を救ってくれるか、どうか!!」

 苦々しく吐き捨てるように、冷たく言い放つビンセント。ビクリと秋生の身体が強張り、涙が零れて頬を伝わる。伏せた長い睫が涙に濡れて揺らめいている。そんな哀れな姿に、心の奥がズキンと痛むのを感じながら、それでもビンセントは言わずにはいられなかった。
 「貴方の心はどうなのです。私を求めてはいませんでしたか?私を愛していないと、貴方は神に誓えますか?」

 バシッ
秋生がビンセントの頬を打ち、唇を戦慄かせてキッと睨みつけてくる。
「貴方は傲慢だ。人の心をなんだと思っているんです!!」
憤りに身を振るわ゛ながら、果敢に挑んでくる。そんな姿さえ愛しく思いながら、ビンセントは酷い言葉を吐いていた。

 「確かに私は傲慢です。神や人の心など信じていませんから。私は、私でしかない。そうさせたのは、誰でもない人の心です。それほどに私は裏切られ続け、失望させられたのです。誰も私を救ってくれなかった。だから、全てを捨てて、一人で暮らし始めました。煩わしさから逃れるために。それなのに貴方が現れた。私の心をこんなに翻弄しながら、それでも貴方は私のこの思いさえ否定するのですか?それこそ欺瞞です。神という作られた理念だけで判断して人の心をはからないで。自分を偽らないで下さい。さあ、おとなしく私のものになるのです」

 酷い言葉の数々に傷つき顔を青ざめながらも、秋生は訴えた。
「偽ってなどいません。貴方なんか大嫌いだ。絶対にご免です!!」
「ならば力ずくです」
静かな恐ろしい言葉に、ヒッと美和竦ませながら、秋生の手が救いを求めるように岩肌を這う。そして、そこに偶然に置かれてあった剣を手にすると、覆い被さろうとするビンセントの身体を、鞘で思いっきり撥ね退け、束縛から逃れるのであった。
 剣を抜いて構える秋生。きつく噛み締めた唇が、怒りと悲しみに震えている。

 「私を切りますか?」
唇を歪めて、苦笑しながら、悠然と県の前に歩み出るビンセント。信じられないというように頭を横に振りながら、後ずさる秋生。絡み合い火花を散らす二人の視線。

 張り詰めた糸が唐突にプツンと切れる。秋生の手から剣が落ちると、ガクリと膝をつき、地面を拳で打って号泣した。
「貴方を切れるわけがないじゃないか。こんなに愛しているのに・・・・・・」

 聞きたいと望んでいたその言葉を耳にしながら、ビンセントの心は勝利に酔うどころか、絶望という闇の中へと落ちていった。
 その愛しい存在を自分のものにしたいがために、己の醜い欲望のためだけに、純粋な心を踏みにじってしまった自分。秋生が何をしたというのだ。命を捨ててまでも自分を助けようとしてくれたその心だけで、満足ではなかったのか。傷つけるために愛そうとしたのではない。身体だけを欲していたわけではないのに。

 なんという愚かな、なんという愚劣な心。人の欲望を否定する資格など、自分にあるはずがない。まさに秋生の言ったとおり、傲慢のなにものでもない。人の醜い心を否定して、森で長く暮らしているうちに、自分という狭い世界の中の、偏った都合のいい世界に君臨する神とやらに、いつしか自分がなってしまっていたのだ。

 「ああ、秋生許して下さい」
彼が求めてやまなかった黄龍の転生体。それが秋生であるということは、今となっては彼が愛を貫くためには邪魔な要素の一つでしかなくなっていた。黄龍が目を覚まし、人へ負の感情を抱いた時、この世は神々の力によって終末を迎える。その引き金を、守護する立場の自分が引いてどうするのだ。それこそ今まで払ってきた大きな犠牲の意味がなくなってしまうではないか。秋生にこれ以上かかわるのは危険である。

 剣を拾って鞘に収め、地面に蹲ったままの秋生の背中を優しく撫でる。彼が触れた瞬間にビクリと本能的な怯えを露骨に感じて、ビンセントは己の罪深さを改めて思い知る。

 「明日、旅立つといい。貴方ならばきっと立派な騎士になれるでしょう」
精一杯の優しさをこめて告げ、剣を秋生に手渡す。
 そして、クルリと背を向けると、その姿は、少年の目前で、宙へと吸い込まれるように消えてしまうのであった。


                                 つづく
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