(5)
9月26日 更新
シャワーを浴びるように命じられ、バスルームに入っても、思いはマカオのホテルで爆発に巻き込まれて行方不明になっているというビンセントへと向いていた。
不死身であるはずの彼に、間違いはないと思いたいのだが、それでも心配せずにはいられなかった。
冷たい水にうたれながら、秋生はただひたすらビンセントの無事を祈っていた。
「秋生、まだですか?」
曇りガラスの向こうから声をかけて来るジョイスの声にも応えず、彼の面影を閉じた瞼の裏に思い浮かべる。
キリッとした男らしい面立ち。あまりに整い過ぎて冷たささえも感じるその秀麗な顔に、秋生だけに向けて浮かべられる優しい微笑。優しく髪を撫でてくれるそのしなやかな指。『ミスター工藤』、『秋生』と自分の名を呼ぶ時の低く静かで暖かな声。
(ビンセント・・・・・・)
こんなに鮮やかに彼のことを思い出せるというのに、その存在は、今の自分には遙か遠くの手の届かないところにあるのだ。それも安否さえ確かではない。今すぐに会いたいというのに、二度と会えないかもしれないのだ。
(そんなの嫌だよ。きっと大丈夫だよね。そして、僕のこと、助けに来てくれるよね)
自分はその存在無くしては、最早生きる事さえなんの意味もなさなくなってしまっている。
時は止まり、秋生の心は凍りついたまま、暗黒の闇の中へと落ちて行くばかりであった。
「秋生、どうしたのです」
幾度、声をかけても答えは返らず、業を煮やしたジョイスはガラス戸を開いて、バスルームへと入った。
「秋生!!」
勢いよく噴出するシャワーにうたれながら、ぼんやりと立ち尽くしている秋生。連れ出そうとして、触れた水の冷たさにジョイスは、自分が濡れるのもかまわず、シャワーの水を止めた。
そして、抱き締めた秋生の身体が冷え切っているのを知り、慌ててバスタオルを取って来ると、包み込んでふき取り、マッサージを加えた。秋生はその間もぼんやりとしていて、まるで人形のように無抵抗であった。
「秋生、しっかりして下さい。一体、何を考えているんです。こんなに冷えてしまって」
ジョイスは青ざめた秋生の頬を軽く叩いて、正気を取り戻させようとした。
「あっ、寒いっ!!」
唇を真っ青にして震わせながら、秋生が自分の腕で身体を抱いて震え出すのを見て、ジョイスはホッと安心するのであった。
「当たり前です。本当に手の掛かる坊やですね」
皮肉まじりに言いながら、身体中に満遍なくマッサージを加える。
「嫌だ、止めて」
身を捩って逃げ出そうとする秋生の身体をしっかりと抱き締めながら、やがて、ジョイスはその身体を抱き上げて、バスルームを出た。
「やだ、離せ!!降ろせってば!!」
子供のように足をバタつかせて抵抗する秋生の身体を、ベッドの上に乱暴に放り投げる。
「そんなに嫌なら自分でちゃんと拭きなさい。すぐに熱い飲み物を用意させますから」
冷たく言い放つジょいすの言葉に、だが、秋生はプイと横を向いてしまう。
「本当に手のかかる子供ですね、秋生。いいでしょう。こちらも好きにさせていただきます」
ジョイスはそう言うと、秋生のまとっているパスタオルを引き剥がしにかかった。
「うわあっ」
全裸に剥かれそうになって、慌ててタオルの端をガッシリと捕らえて、取られまいとする秋生と、グイグイと力任せに引っ張るジョイス。
だが、その勝負は、あっさりと決まってしまった。ジョイスに引っ張られてもタオルを放さずにいた秋生が、ベッドから転げ落ちてしまったのだ。落ちた拍子にタオルは秋生の手を放れて、ジョイスも勢い余って、尻餅をついてしまう。
一瞬、何事が起こったのか分からなくて沈黙した二人であったが、お互いの哀れな状態を目にして、気まずさに顔を見合わせて苦笑いし、ジョイスは何事もなかったかのようすまして立ち上がり、再びタオルで秋生の身体を覆った。
秋生もバツの悪さに今度はおとなしく従ったが、先程の互いの姿を思い浮かべた二人からどちらからともなく笑い声が漏れ、やがて、それは大きくなっていった。
(ジョイスって酷い奴だけど、どこか憎めないんだよね)
バスローブを羽織って、ベッドの端におとなしく座っている秋生の、濡れた髪をドライヤーで丁寧に乾かしてくれるジョイス。気がつけば、部屋の遮光カーテンが閉められて、薄暗くなった部屋の照明といえば、ベッドサイドのライトだけである。
どこかで香が焚かれているらしく、花の甘い匂いに似た香りが、漂っている。自分の髪を優しく梳くジョイスのしなやかな指の動きに、秋生は戸惑いを感じながら逆らうことも出来ずに、されるままになっていた。
ガチャッ
突然、部屋の扉が開かれて、フェイが押す車椅子に乗った山主が入ってくる。彼らの姿を認めたジョイスは、ドライヤーのスイッチを切って立ち上がると、山主に一礼するのであった。
「準備は調ったようだな、ジョイス」
尋ねるフェイにジョイスは静かに頷く。
「はい」
「それでは山主、何かありましたら、お呼び下さい」
「うむ」
「ジョイス・・・・・・」
部屋を出るように促すフェイの目と口元に何とも言えない好色な笑みが浮かぶのを見て、嫌悪感を抱きながら、ジョイスは何も知らずにいる秋生の背をポンと励ますように叩く。
(秋生、貴方にはとても辛い事かもしれませんが、どうか山主の、義父の願いを叶えてください。お願いします)
フェイの後を追うようにして、部屋を出たジョイスであったが、自ら閉ざした扉にもたれるようにたたずみながら、祈るように願うのであった。
黙ったまま部屋から出ていってしまったジョイスが今すぐらでも戻ってくれる事を願いながら、秋生はベッドの端に座ったまま彼が出ていった扉の方を見つめていた。
カタン
物音にそちらの方を見やると、山主が車椅子から立ち上がろうとしていたが、身体を支えようとする腕は、ブルブルと震えて思うように力が入らないらしく、見かねた秋生は思わず彼を支えようと、側に走り寄っていた。
「大丈夫ですか」
「すまない」
秋生の助けを借りて、山主はベッドの側のソファーへと移動する。
「情けないことだ。自分の身体が思うようにならないとは」
ゆったりとした椅子に落ちつきながら、山主が苦笑する。その整った上品な雰囲気の顔に色濃く影を落とす病魔。それが確実に彼の命を蝕んでいることを、秋生は感じるのであった。
(あの方の命を救って下さい)
癌だと宣告された山主を救って欲しいと懇願したジョイスの真剣な瞳を思い出す。
(助けられるなら、助けてあげたい)
でも、それは出来ないことであった。自分、工藤 秋生は人であって神ではない。いくら『黄龍』の転生体であったとしても、なんの力もないのだ。
以前、強盗に傷つけられた秋生をビンセントが聖獣の『気』によって直してくれた事がある。彼ら四聖獣であれば、もしかしたら直せるかもしれない。
もし、自分の父親が病魔に冒されて、余命幾ばくもないと宣告されたならば、自分もジョイスのように僅かな可能性と奇跡を求めて、あらゆる病院を回り、それでも駄目ならば怪しい薬、心霊治療や祈祷なんて言うものにさえ手を出してしまうかもしれない。
きっとジョイスや山主にとっては、それが『黄龍』であったのだと思うと、自分を誘拐した気持ちも分からないではなかった。が、ビンセント達への酷い仕打ちだけは決して許すことは出来ない。
秋生は複雑な気持ちで、山主を見つめるのであった。
「お茶をいれてくれないだろうか。よかったら秋生も飲むといい」
「あっ、はい」
ソファーの横のテーブルに用意されたポットとカップ。手際よくお茶を注いで、山主と自分のためにいれると、秋生は山主と反対側の椅子に座った。
「ありがとう」
礼を言う山主の穏やかな微笑みは、ジョイスの笑顔に似ていた。顔立ちとかではなくて、雰囲気がそうなのである。
「ジョイスが貴方の事をとても心配していました」
秋生がそう言うと、山主の目が細くなって、嬉しそうに笑った。
「あれは優秀な男だ。私の思うとおりに育ってくれた・・・・・・」
その語調の思わぬ優しさに、それが本心であることが伺える。
「美しく、賢く、度胸もある。自慢の跡取りだ・・・・・・。だが、野心もある」
山主の瞳に鋭い光が走ったのを秋生は見逃さなかった。
「あれと私には血のつながりがない。スラムで拾った子供だ。親が誰かもハッキリとは分からない。だが、ジョイスは誰よりも光っていた。だから、引き取って育てたのだ。あれはそれを恩義に感じて、よく尽くしてくれた。今回も、私の望みどおりに『黄龍』を捜しだしてくれた。本当によくできた息子だと信じていた。だが、あれにとって私は野心を適えるための一つの持ち駒にしか過ぎなかったようだ」
「えっ」
意外な言葉であった。
山主がフ〜ッと重い息を吐き、けだるそうにソファーの背にグッともたれかかる。
「私はあれにとって最早必要のない人間になったのだ。だが、私の目の黒いうちにはあれに好きにはさせん。そのためにも私は生き延びなければならない。秋生、いや『黄龍』、私に生きる力をくれ。僅かでもいい。生きる力を与えて欲しい」
死期の迫る山主の切なる願いであった。
ゴクリとお茶をを飲み干しながら、秋生は山主とジョイスの間に生じている不協和音を感じ取っていた。ジョイスは山主の命を救いたいと心から願っているというのに、山主はその心を疑っているのだ。
(あれ)
身体がポーッと火照ってくるのを秋生は感じた。熱いお茶を無飲んだせいだと思ってみたが、頭もぼんやりとしてきたのである。どこかで焚かれている香の甘い匂いが部屋中に広がっており、秋生は息苦しさを覚えるのであった。
(どうしたんだろう。お茶のせいかな。でも、山主にも同じのをいれたし。あっ、飲んでない)
秋生がいれたお茶は手つかずのまま、テーブルの上であった。
「どうしたんだね、秋生」
「あっ、なんで・も、ありま・・・・・」
声がうわずって返事もままならない。身体が燃えるように熱くて、そして、悪い酔いしたように思考が鈍り、身体も動かなくなってくる。
「さあ、『黄龍』。私に力を与えてくれ」
山主の声が耳元で囁かれ、手を取られてそのままベッドへと導かれるが、秋生には抵抗する意志さえ起こらなかった。
ぼんやりと薄れていく意識の中で、自分の身体がそっと横たえられるのを感じる。そして、バスローブの紐が解かれて、前がはだけられる。
山主の手が肌を滑るように撫でて、秋生はピクリと身を竦ませた。彼が触れたところから、甘い疼きが身体中に広がっていくのだ。
「黄龍、力を!!私に力を与えてくれ」
(嫌だ、放して!!こんなの嫌だ!!ビンセント、助けて!!)
だが、身体は心に反して、山主の愛撫に忽ちのぼりつめていく。
秋生の頬を涙が一筋伝い落ちる。遙か遠くの愛する存在を求める声も空しく、違う男に翻弄されて、拒否することも出来ず、感じてしまう自分の淫らさを恥じて秋生は、悔しさにギュッと拳を握りしめ、そして、覆い被さってきた山主の胸を力無く叩いて、精一杯の拒否を訴える。
「あっ、いや・・・・・いや・だ・・・・・・たす・け・・・・・・」
だが、容易く山主の腕に取り押さえられるのであった。
「誰も助けは来ない。これも運命と諦めるのだな。ほら、身体は正直だ。こんなに感じて」
そう耳元で囁きながら、山主が秋生の反り立ったものをやんわりと握りしめる。
「い・やっ!!」
(嫌だ〜っ!!僕に触れるな〜っ!!)
言葉にならない声で、秋生は絶叫するのであった。
秋生の中の別の意識が、精神の奥底でムクリと身じろぐ。深い眠りを妨げる転生体の叫び。何事かと興味本位に、寝ぼけたままで一気に浮上する。
「おおっ」
山主は異変を感じて目を見張った。秋生の身体全体が黄色のオーラを発し始めたのである。
最初は僅かだったそれが、次第に強く、燃え立つ炎のようにユラユラと揺らめき立ち、薄暗い室内を目映い光が照らし出した。
「これが黄龍の力か。ああ、なんと美しい」
山主はその奇跡を、うっとりとした表情で見守るのであった。
ベッドに横たわったままの秋生の身体がピクリと動くと、そのままスーッと浮かび上がる。そして、クルリと転じて宙に浮かんだまま身体を真っ直ぐに起こすと、閉じられていた瞼がカッと開いて、秋生ではない何か巨大な意識が、山主を見つめるのであった。
(オロカナルニンゲンヨ)
言葉ではない意志が頭の中に響き渡った。その強烈な響きに頭が割れそうな程の痛みを覚えた山主は頭を掻き毟る。
(ワレヲハズカシメルトイウノカ。ミノホドシラズガ!!)
「うわあっ」
グワングワンと響く意志に、山主は堪らず頭輪押さえて床へと蹲る。だが、彼は諦められない切実な願いを口にした。
「黄龍よ。私に力を与えて欲しい。私に命を与えてくれ。今、少しだけ生きる力を」
苦痛に呻きながら、彼は必死に訴えた。が、黄龍は冷ややかに彼を見つめて言うのであった。
(タニンノイノチハ、ドウデモヨクテ、ジブンダケハ、イキタイトイウノカ。ドコマデオゴリタカブレバイイノダ)
「お願いだ、黄龍。私に今一度のチャンスをくれ。今、死ぬわけにはいかないのだ。お願いだ、黄龍」
(・・・・・・)
沈黙の後、返されたのは重い溜息のみであった。床に蹲ったまま、なりふり構わず縋るように見上げる山主の哀れな姿を、その意志は冷ややかに見つめていたが、不意に秋生の瞼が閉じられると、同時にオーラの光は次第に弱り始めてしまう。
「黄龍、待ってくれ!!」
自分の願いが聞きとげられる事なく、消えていこうとする黄龍に焦った山主は、宙に浮いたままの秋生の足に縋り付いた。
バシッ
山主が秋生に触れた瞬間、激しく火花が飛び散り、何かに弾かれたように山主の身体は、まるで人形のように軽々と宙を飛んで、床へと激しく叩きつけられる。
「うっ」
小さく呻いた彼の口から、ゴホゴボと赤い血が流れ出て、彼の身体は激しく痙攣した。
「黄・りゅー」
這いずりながらそれでも必死に秋生へと手を差し伸べるが、その手は空しく宙をかき、やがて、力無く床へと落ちた。恨めしげに開かれた目からは、急速に生の輝きが消え失せて、望みを果たせずに命を失う自分の哀れむのか、涙がスーッと零れて落ちるのであった。
(ワレニワレルコトハユルサヌ。ヒトヨ、ミノホドヲシルガイイ)
黄龍が呟き、オーラガ消え去ると同時に、秋生の身体はドサリと床に落ちた。
その顔には悲しげな表情が浮かび、、涙に濡れた睫毛が、濃い影を落としていた。
意識を生身の身体に戻して覚醒する。まず、目にはいったのは、看護婦や医師達の驚いた表情であった。意識を取り戻した自分に、喜々として声をかけてくる。
「ミスター、ビンセント・青。奇跡です」
「あの爆発に巻き込まれて、軽傷ですむなんて」
「奇跡だ」
口々に囃したてる彼らの、自分の無事を喜んでくれる気持ちはありがたいと思ったが、今の彼には自分の事などどうでもいいことであった。
「社長!!」
自分を呼ぶ聞き慣れた声に、そちらの方を見やるとそこには彼の秘書を務める廖が目を潤ませて立っていた。
「廖」
名前を呼ぶと、看護婦達をかき分けて、ベッドの側に駆け寄ってくる。
「社長、御無事で何よりでした」
「心配をかけたようだな、すまない」
「いえ・・・・・・」
感極まって絶句する廖の、普段、冷静で無表情のままに淡々と仕事をこなす、優秀で忠実な秘書である彼からは想像も出来ない姿に、ビンセントは自分のような存在を、心から心配してくれる者がいることを、複雑な思いで受け止めていた。
先程まで、人の存在を蔑み、滅亡も仕方ないとさえ思っていた自分に、〈人〉が涙するのである。 彼は、全ての人が憎むべき存在ではないことは知っていたが、どんな人の心にも善だけではなく悪が同時に存在することもまた知っていた。そして、この暖かさを信じたいのも本心ならば、黄龍を手に入れて世界を支配しようと企む憎むべき存在を滅ぼしたいというのも本心であった。
「廖、退院の手続きを頼む」
社長の言葉とはいえ戸惑う廖の代わりに、看護婦達が思いとどまらせようと反対する。
「それは無茶ですわ。ミスター・青」
「いくら軽傷とはいえ、先程まで意識を失っていたんですよ」
だが、ビンセントは端正な顔に憂いを浮かべて浮かべて、頭を横に振った。
「廖、ミスター工藤が何者かによって拉致された。爆発前、私は荷物を置きに部屋に戻ったが、ミスター工藤はショッピング街の喫茶で待っているはずだった。それを何者かが連れ去ったのだ。恐らく爆発もその者達によって行われたに違いない。すまないが、警察に連絡して、情報を集めてくれ。私はとりあえず家の方に戻る」
細かい指示を与えると、廖は大きく頷いた。
「分かりました」
緊急事態であることを察した廖が、いつもの優れた社長秘書の顔に戻る。医者や看護婦達の反対の声にも動ぜず、退院の手続きをするために部屋を出ていった。
ビンセントは、看護婦達を部屋から追い出すと、着せられていたパジャマを脱いで、部屋のロッカーを開けて、恐らく廖が用意しておいてくれたのであろう、彼のスーツに手早く着替えた。
そして、再び廖が部屋に戻ってきたときには、退院の手続きは完了し、幾つかの情報を入手していた。
「社長とミスター工藤が待ち合わせになっていた喫茶には、ミスター工藤はお入りにならなかったようです。が、他の店の店員が、ミスター工藤が社長とは違う別のハンサムな男と歩いているのを目撃していました。お二人が先にショッピングをなさったのが結構目立っていたようで、その直後に他の男とミスター工藤が歩いておられたので、みんな、興味を持ったそうで、よく覚えていたようです」
「ハンサムな男だと!!」
ビンセントのあからさまな怒りに驚きながら、廖はそうだと頷いた。
「二十代半ばくらい、黒髪に黒い目で、どこかの映画俳優に似ていたと」
「彼奴か!!」
カジノで秋生に馴れ馴れしく話しかけていた男を思いだして、吐き捨てるように叫ぶビンセントの瞳が鋭い殺意を秘めた輝きを浮かべる。
「心当たりがおありですか」
「ああ、カジノでミスター工藤に話しかけてきた男だ。確か、名前はジョイス・ファーン。アメリカから来たと言っていた。そうか、あの男か・・・・・・」
(最初から気にくわない奴だった。ただではすまさんぞ)
カジノのバーで秋生の隣に座って、親しげに放していた姿を思い出し、ビンセントはギリリッと歯噛みするのであった。
「ホテルの宿泊客をあたってくれ」
「はい」
病院から自宅へ戻る車の中でも、携帯電話による連絡があちこちに取られて、ビクトリアピークにある屋敷に戻った時には、ジョイス・ファーンに関する身上書が届いており、さらなる情報を集めるために、廖は東海公司本社ビルへ戻っていった。
自宅に入ると、既に仲間達がイライラしながら彼の帰りを待っていた。
「遅いぜ」
腕組みして睨みつけてくるヘンリーに、届いた報告書を放り投げる。
「ミスター工藤を誘拐したと思われる男だ」
「何!?」
貪るように報告書を読み出すヘンリーとセシリア。
「なかなかの男前じゃのう」
白黒のあまり鮮明でない写真のコピーをみて呟いたユンミンの言葉に非難の視線が集中する。
「ジョイス・ファーン、アメリカの企業、ファーン・グループの現会長、リード・ファーンの養子。後継者ナンバーワンと見なされている」
「ファーン・グループか。こりゃ一筋縄ではいかないな」
うなりながら言うヘンリーの渋い表情に、セシリアが驚いたように尋ねる。
「あら、ヘンリー、知ってるの」
「知ってるも何も、ファーンといえば今こそ大企業グルーブを作り上げてで幅広く商売しているが、もとをただせば、アメリカの黒社会では一・二をあらそう大物だぜ」
「まあ、さすがご同業。よく御存じで」
セシリアの嫌みも今日は空しく空回りする。ヘンリーの渋い表情は変わらなかった。
「俺らとはまた格が違う。とにかく組織としてでかいな。それがまた何で坊やを攫ったんだ。それも跡継ぎが直々にお出ましとは・・・・・」
香港の黒社会で《一四Kの虎》と呼ばれて、恐れられているヘンリー・西が慎重になるほど相手は大物なのかと、セシリアは危惧したが、すぐにそれは自分達聖獣にとっては大した問題ではないことを思い出し、《人》としての暮らしにすっかり毒されてしまっている自分に、心の中で苦笑いするのであった。
「噂によれば、リード会長はかなりの重病らしい。そこで持ち上がったのが後継者争いだ。ジョイスは今でも実際にグループを動かすだけの実力を持っていて、大半の者は彼の存在を認めているらしいが、彼は養子で、リード会長や、ファーン一族とも一切血のつながりがない。その点で、一族の中には快く思っていない一派があるらしい」
ビンセントは淡々と仲間に状況を説明するのであった。
「なるほど後継者争いか」
「黄龍を手に入れた者が、この世を支配する。それほどまでに力が欲しいと言うのか」
「間違った伝承に踊らされて、自分達の首を絞めているんだから、人間って本当に愚かだわ」
「だが、その貪欲さが文化や科学を発達させ、今や人類は月まで飛んでいけるようになったのじゃから、一概に批判は出来ん。わしらは5000年前からなんだ変わらず、ただ黄龍殿を見守るだけしか出来なかった。その進化をこの目で見てきたじゃろう」
「そりゃそうだけど。だからといって許せるものではないわ」
「罪を憎んで人を憎まずじゃな。わしらにとって大事な『黄龍殿』の転生体は、間違いなく《人》であり、そんな『工藤 秋生』という《人》をわしらは随分気に入っておる。そうじゃろう」
「・・・・・・」
四人は沈黙した。そして、長いときを振り返った。転生体を見守るために、いつも彼らは《人》の中で生きて来たのだ。ずっと《人》と共に在り続けてきたのだ。
『秋生、きっと助けに行きます。それまでは絶対に無事でいて下さい。今、貴方を失ってしまったら、私はもう、生きてはいけない。聖獣としての務めを反故にしてしまいます)
ビンセントは秋生の無事を祈るのであった。
トゥルルルルル
電話のベルが鳴り、ビンセントは我に返って受話器を取った。
「はい、ビンセント・青」
《社長、廖です。先程、会社へ社長宛のファックスが届きました。差出人は、ジョイス・ファーン。今からそちらに送ります》
「何!?」
電話の横のファックスがカタカタと音を立てて動き出す。
「なんだ」
憮然とした表情のビンセントに何事かとヘンリーが尋ねる。
「ジョイス・ファーンからファックスが入ったらしい」
「なんだと!!」
「なんですって!!」
「こりゃこりゃ挑戦状か。それとも身代金要求か」
茶化すユンミンを三人は無視して、送り出された用紙に目を通す。
《黄龍殿をお預かりしている。至急、引き取りに来られたし。 ジョイス・ファーン》
グシャリ
用紙を握り潰すビンセントの拳が、怒りにプルプルと震えていた。
「くそったれが!!」
ヘンリーが苛立ち紛れに叩いた壁がボコッと壊れて、穴を空ける。
「いい根性してるわね。いいわ。行ってやろうじゃないの」
腕を組み、仁王立ちになったセシリアの全身から赤い怒りの闘気のオーラが立ち上る。
(秋生、待っていて下さい。今、行きますから)
ビンセントは己の脳裏に焼き付けられている秋生の笑顔に呼びかけながら、仲間達に合図をして促した。
シューッ、シューッ
四人の身体からそれぞれ青、白、赤、黒のオーラが凄まじい勢いで吹き上がり、やがて光の球体と化して、フワリと浮き上がり、四つの光はクルクルと回転しながら絡み合い、やがて、突然スピードを上げて急上昇すると、ビンセント邸の天井を突き破り、空の彼方へと飛び去るのであった。
つづく
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