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2000年10月16日更新
一昼夜が過ぎても部屋からはなんの連絡もなく、業を煮やしたジョイスが内線を入れても、応答はなかった。誰も邪魔はするなという山主の命令であったが、ジョイスは嫌な胸騒ぎを覚えて、部屋の扉を叩いたのであった。
「山主、義父上、お邪魔して申し訳ありません。どうかなされましたか。山主」
中へ呼びかけながら、扉を叩く。だが、やはり返答は返らなかった。
(何かあったのですか?義父上)
ジョイスは叱責覚悟で、扉を強引に開くように、ボディーガード達へと告げた。
「しかし、ジョイス様。山主は何があっても開けるなと」
彼らはかたくなに指図を守ろうとする。
「責任は私が取る。嫌な予感がするのだ。内線を入れてもお出にならない。何かお身体に差し障りがあってからでは、遅いのだ」
「はっ、しかし・・・・・・」
「開けろ!!」
ジョイスのただならぬ迫力に、ボディーガード達は扉を開くのであった。
「山主!!」
部屋に飛び込むように入ったジョイスは、信じられない光景に言葉を失って、立ち尽くした。
床の豪華な絨毯が流れ出た大量の血液でどす黒く染められており、その中に目を見開いたまま仰向けに倒れている山主の哀れな骸が転がっていた。
「義父上、そんな、まさか・・・・・・」
目の前の光景が信じられずに、恐る恐るフラフラと近寄るジョイス。傍らに跪き、山主の青白い頬に触れてみるが、その冷たさにおののくのであった。
「義父上ーっ」
呼びかけても最早応えることはない冷たいと骸と化した山主の、恨めしげに見開かれたままの両目を手の平でそっと閉じる。認めたくない事実であったが、彼は確かに死んでしまったのであった。
(ああっ、義父上。どうして一人で逝ってしまったのですか?)
誰よりも大切だったその人へ呼びかける。
自分の人生は、出会った7歳の時から今日まで、彼と共に在ったのだった。その事をどんなに光栄に思い、偉大で尊敬してやまない彼に少しでも近づきたくて、そして、彼から必要とされる人間でありたくて、必死に努力してきたのである。ただ、愛されたいがために・・・・・・。
それが、突然、こんな終わり方をするなんて、信じたくなかった。彼にこんな寂しい死に方をさせてしまった自分が、なんの力にもなれなかった事が情けなくて、ジョイスは激しく自分を責めるのであった。
ふと、見やると、ベッドの脇の床に、全裸の秋生がうつ伏せに倒れていた。が、外傷らしきものは見られなかった。
ジョイスは鉛のように重い虚脱感にとらわれた身体を引きずるようにして、秋生に近寄り生死を確かめるのであった。
(生きている!!一体何があったのだ)
気がつけばジョイスは倒れた秋生の身体を乱暴に引き起こして、その頬を思いっきり平手打ちしていた。
「秋生、起きなさい!!」
何が起こったのか知りたい一心であった。
二度、三度容赦なく打つと、ウッと顔をしかめて、秋生が身じろぎ目を開いた。
「秋生、何があったのです。貴方が山主を殺したのですか」
「ジョイス!?」
唐突に尋ねられてわけが分からないといった感じの、秋生のぼんやりとした態度がもどかしくて、ジョイスは乱暴に引きずるようにして力ずくで立ち上がらせると、山主の死体の側へと連れて行った。
「ヒッ!!」
その悲惨な姿を目にして、秋生が身を強ばらせる。
そして、目をそらせようとする秋生の顔を捕らえて、山主へと向けて、冷たい声で詰問するのであった。
「貴方がやったのですか?」
「ち・違う」
プルプルと震えながら、否定する秋生の答えに、苛立ちを隠せなかった。
「何があったのです!!」
「分からない。本当に分からないんだ」
バシッ
容赦なくジョイスの平手が秋生の頬を打った。
「うっ」
痛さに顔をしかめた秋生の目に涙が滲む。決して感情を表さないジョイスの口調の、その冷たさに恐怖を覚えていた。静かに、だが深く激しく彼が怒っているのが伝わってくるのだ。
「山主は僕を乱暴しようとしたんだ。自分のものになれっていって。お茶に入ってた薬のせいで、身体が思うように動かなくなって。抵抗したけど全然駄目で、でも、僕は嫌だった、あんな事。そのうち意識が薄れて。何も分からなくなって・・・・・・」
秋生はその時の生々しい感触を思い出して、嫌悪感に苛まれて涙を流しながら叫んだ。
身体を這い回った山主の愛撫の手にもたらされた快感に、一服盛られていたとはいえ、確かに感じてしまった自分の、ビンセントへの裏切りの行為。最後の一線を越えた覚えはないものの、ビンセント以外の男に抱かれて、よがってしまった自分の記憶は、秋生の中に罪の意識となって、深く刻み込まれていた。
そして、病に冒されていたとはいえ、昨日まで確かに生きていた山主の無惨な死。記憶がないのは事実だが、自分以外の誰が関与していたというのだろうか。この部屋には自分と山主しかいなかったのである。もしかしてという恐れが、強迫観念となって、秋生の心を苦しめるのであった。
ポロポロと涙を流して、しゃくりあげる秋生の姿に、ジョイスは怒りのやり場を失いかけていた。どう考えても、この平凡で、素直な若者が人を殺して平気でいられるとは思えないし、彼自身の手によってお茶に入れた薬と、部屋に焚いた香には催淫効果があり、秋生が自分の身体の自由を奪われたのは、間違いないはずであった。
そんな状態で、山主を死に至らしめることは、とても可能であったとは思えない。だったら、何故、山主は死んでしまったのか。誰に殺されてしまったと言うのだろうか。
(義父上・・・・・・)
ジョイスは秋生から手を放すと、力無く山主の死体の側へと歩み寄り、ガクリと座り込んだ。
(何より、誰より貴方が大切でした・・・・・・。愛していました・・・・・・)
心の中の告白も、彼が生きていたときには、出来なかった事である。彼との仲が拗れる前、彼の腕に抱かれていた時にも、許されなかった事であった。
いつもジョイスは山主の従順な奴隷であり、飼われた身の上に愛の告白など無用な事であったのだった。
傷つきながらも涙をながすでもなく、茫然と座り込んだままのジョイスの姿に、秋生はただ泣くだけしか出来ない自分の弱さが恥ずかしくなり、慌てて涙を手の甲で拭うと、ベッドの脇に落ちていたバスローブを羽織って、静かにジョイスの後ろ姿を見守るのであった。
「私は、貴方が、『黄龍』が山主を救って下さるとは、最初から思っていませんでした。こんな結果になるとは予想外でしたけれど・・・・・・」
「えっ」
ジョイスの思いがけない告白に、秋生は耳を疑うのであった。
「全てはあの方が望んだから。貴方が欲しいと、『黄龍』を捜して連れてこいと、命じられたからです。山主の言葉は絶対で、私は逆らうことなど出来なかったのです」
それは相変わらず感情野こもらない淡々とした口調であった。
「でも、ジョイスは言ったじゃないか。『黄龍』の力で山主を助けて欲しいって。あの言葉は嘘じゃなかったでしょう」
「・・・・・・ええ、嘘ではありませんでした。助けられるものなら何としてでも助けてさしあげたかった。大切な方でしたから。しかし、あの方は山主。私の気持ちなど二の次で、あの方の命令は絶対でした。私は命令に従っただけ。だから、こんな寂しい死に方をさせてしまった。大事な人を失ってしまったのです」
「ジョイス・・・・・・」
秋生には彼の言おうとしていることが分からなかった。が、僅かに察せられるのは彼が山主の死を心から悲しんでいることであった。
慰めたくて、秋生がそっと肩に手を置くと、悲しみをグッと飲み込んだ彼の肩が震えているのが、感じられた。認めたくない事実の重さに耐えかねて震えているように思えるのであった。
「ジョイス、どうした。山主は御無事か?」
突然、ドヤドヤと部屋に入ってきたのは、フェイであった。彼直属の手下達を引き連れていた。
「ジョイス、山主は?おおっ、なんということだ」
倒れている山主の姿を見つけたフェイは、その場にまだ座り込んだままであったジョイスの胸ぐらをつかむと、強引に立ち上がらせ、問いつめるのであった。
「お前か、お前が山主を殺したんだな!!」
大声でわめき立て、反応しないジョイスの様子に、そうだと決めつけたかのように、彼を幾度となく激しく打つのであった。
「止めろ、ジョイスが殺したんじゃない!!」
秋生はされるままになっているジョイスをフェイから庇おうと、二人の間に割って入るのであった。
「それではお前が殺したんだな!!ジョイスとグルになって『黄龍』などと偽って近づき、油断させて山主の命を狙ったのだろう!!」
「違う、そんな事するもんか!!」
フェイの思いがけない言葉に、秋生は頭を横に振って激しく否定したが、フェイはそうだと決めつけて、テンションを上げて、秋生とジョイスを罵るのであった。
「お前らの魂胆は分かっていたのだ。山主には以前からお前が裏切るつもりであることを、忠告していたのだがな。そうだろう!!さあ、捕らえるのだ!!」
フェイの言葉に彼直属の手下達が、秋生とジョイスを囲んで、腕を乱暴に捻り上げて、自由を奪ってしまう。
「長老会議にかけて、裁いてやる。準備が整うまで逃げられないように閉じこめておけ!!」
勝ち誇ったような顔をして叫ぶフェイは、晴れやかな喜びに満ちた表情で、手下によって動きを封じられたジョイスの腹を、拳で思いっきり殴りつけのであった。
「うっ!!」
呻いて前のめりになったジョイスの顎を捕らえて、自分の方を向かせたフェイが、彼の端正な顔に向かってさも汚らわしそうに唾を吐き捨てる。
「覚悟するがいい。お前のような何処の馬の骨とも分からない奴に、ファーン一族を好きにさせてたまるか!!お前はもう終わりだ、ハハハハハ」
調子に乗って思わず本音を垣間見せたのにも気づかないフェイの高揚した声に、ジョイスは覚悟したかのように目を伏せるのであった。
「山主を殺したのはジョイスじゃない!!彼じゃない!!」
「うるさい、黙れ!!」
必死に訴える秋生の頬をフェイは容赦なく打つ。
そして、秋生は知るのであった。フェイにとって山主を殺した犯人はジョイスであればいいのだ。彼の貪欲な光を浮かべた瞳が、喜びにギラついていた。その事を最初から気づいていたのか、無抵抗なままジョイスは、力無く項垂れるばかりである。
「連れて行け」
ジョイスと秋生は男達に引きずられるようによして、部屋を出るのであった。
「観念して待っているんだな」
男達の捨てぜりふと共に鉄の扉が閉められて、窓もない小さな物置のような部屋は、闇に包まれた。
秋生はバスローブを羽織ったままの姿で、床のコンクリートの冷たさが素足に凍みて、自分の腕で身体を抱き締めるのであった。
「秋生、大変な事に巻き込んでしまいましたね。貴方には大変申し訳ない事をしてしまいました」
「......}
何と応えて良いのか秋生は迷うのであった。誘拐されて自分の意志に反して連れてこられたのだから、確かにもっと怒って良いはずなのにそんな気に少しもならないのである。ビンセントは爆発で行方不明で、山主には強姦されそうになってもう最悪の状態だし、おまけに山主殺しの犯人にされてしまいそうに(これに関しては、自分にもハッキリとした記憶がないので強く否定することは出来ないのだが・・・・・・)なっている。
「そうだね、大変だよね。自分の事ながら呆れちゃうぐらい波瀾万丈かも。やっぱりカジノでまぐれ当たりしたのが良くなかったのかも。それにビンセントととっても幸せだったから、きっとまとめて運を使い果たしちゃったんだよね」
他人ごとのようにのんびりとした口調の秋生を、ジョイスは驚きの眼差しで見つめるのであった。
「今年の春に香港を訪れて、自分が『黄龍』の転生体であることを知って、僕自身は何も変わらないのに行きつく暇もないほどつ疑義にいろんな人に狙われて、いろんな事が起こって、でも、僕を守ってくれる心強い仲間達がいて、いつももう駄目だって思ったときに、必ず助けに来てくれた。だから、もう大概の事には驚かなくなっちゃった。セシリアに言わせると、《ぼんやり》し過ぎているからだし、ビンセントは目が離せないって、凄く過保護だし」
クスクスと思いだし笑いをする秋生の幸せそうな顔を見ながら、ジョイスは『黄龍』を守る四聖獣の気持ちがなんとなく分かるような気がするのであった。
「貴方のことがとても大事なんですね」
マカオのカジノで秋生と話している時に現れたビンセント・青の、自分の正体を探るような、そして、挑むような視線の強さをジョイスは思いだした。冷静沈着と評判の彼の、秋生への激しい執着の大きさを物語っていたように思える。
「うん、あんまり過保護なのは困るけど、でも、守られているっていうのは、とても気持ちがいいんだよね。だって僕の事をいつも大切に思ってくれているって言うことだもんね」
「そうですね・・・・・・。私は山主、いえ、義父上の事を守りたかった。あの方を誰よりも愛していました。これは貴方へのビンセント・青の気持ちと通じるところがあると思います。本当の親は小さい頃に亡くなったので顔も覚えていません。義父上はスラムで生きるために、その日暮らしの荒れた生活をしていた私を拾い上げて、育ててくれました。教育を、そして、人を愛するという気持ちを教えて下さいました。何処の馬の骨とも知れない私を息子として信頼し、自分の、ファーン・グループの跡継ぎにとまで考えて下さったのです。私はそのお心に少しでも沿うようにと努力して来ました。でも、それはファーン一族の地位とか名誉とか、財産とかが欲しかったからではありません。ただ、義父上に、リードに必要とされる人間でありたかった」
それがジョイスの本音であることは、秋生には伝わっていた。だが、ジョイスにそこまで思われながら、何故山主は、ジョイスの野心を恐れていたのであろう。確かにジョイスの優秀さを山主は認めていた。良い跡継ぎだとさえ言ったのだ。だが、彼はジョイスにまだ後を任せたくないと思い、病に冒された自分の命を少しでも延ばそうと、一日でも長く生きようとして、『黄龍』の力に縋ったのである。
(どうして、山主はジョイスを疑ったんだろう。こんなに思われているのに。これじゃジョイスが可哀想じゃないか)
そして、秋生は山主の側にいたフェイが、ジョイスをあからさまに疎んじて、排除しようとしていたのに思い当たるのであった。
『お前のような何処の馬の骨とも分からない奴にファーン一族を好きにされてたまるか』
優秀なジョイスは、他の野心のある一族の者にとっては、邪魔な存在であったのだ。
「全ては山主の病気から始まりました。それまではなんの問題もなかったのです。あの方が病に倒れて癌だと知らされ、後一年の命と診断された時、後継者問題が一気に表面化しました。私を後継者として不満に思う人々と、自分が後継者だと主張する人々が手を組み、画策を張り巡らして、私を陥れようと暗躍しました。山主にあることないことを耳に入れました。私がファーン・グループを独り占めしようとしているとか、自分の野望を実現させるために色仕掛けで山主に取り入って利用したのだとか。私に取ってはファーンなんてものは最初からなかったのですから、失う事に対して何の未練はありませんでした。ですが、彼らのやり口は卑劣で、それは義父上が大切に守ってこられたファーン・グループを混乱させる事になりかねなかったので、私はそれらの動きを止めようと、私に協力してくれる人々をまとめて、密かに対抗するために動き出しました。が、それを反対に私を蹴落とす材料に使い、最初は私を信じていて下さった山主も、次第に疑いを抱くようになり、私を遠ざけられるようになりました。私は何も求めていないのに、一番必要としている人に疎んじられてしまったのです。だからと言って途中で放り出すことも出来ず、私と義父上の間に生じてしまった溝は修復不可能なほどに広がってしまいました。結局、私のしたことは、あの人を苦しめる結果になってしまったのです」
絞り出すような悲痛な告白に、秋生はたまらずジョイスを抱き締めるのであった。
「違うよ。きっと病気が山主の身体を病んでいったように、彼の心を蝕んでいったんだ。それでも山主はジョイスの事を愛していた。だって、僕に言ったんだ。ジョイスは誰よりも輝いていたって。自分の思い通りに育ってくれたって。美しく、賢く、度胸もあるって。本当に自慢そうに僕に言ったんだから。自慢の跡取りだって」
お互いに惹かれあっていながら、すれ違ってしまった二人の心が哀れで、秋生はポロポロと涙を流すのであった。
「秋生、ありがとう。リードのために泣いて下さって。貴方だけは何があっても私が守ります。ちゃんとビンセント・青にお返ししなくてはなりません」
「えっ」
驚いて顔を上げて、目を見張る秋生。そんな彼にジョイスは優しく笑って見せるのであった。
「ビンセント・青は生きてらっしゃいます。今、香港は大騒ぎですよ。ミスター青は不死身だと。ホテルの爆発から無傷で生還したと」
「ほ・本当!?」
「ええ」
頷くジョイスに秋生は喜びのあまり、再び抱きつくのであった。
「ああっ、ビンセントが生きていた。良かった、ビンセント」
喜びに震える身体を必死に抑えて、縋り付いてくる秋生をジョイスはそっと包み込むように腕で抱き締める。
(貴方だけは、何があっても守ります)
心で誓いながら、秋生の思い人を少し羨ましく思うジョイスであった。
つづく
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