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2000年10月30日更新
「出ろ」
唐突に、鉄の扉が開き、差し込んでくる明かりの眩しさに目を細めながら、秋生は緊張してゴクリと喉をならすのであった。
男達に促されるようにして、部屋を出る。このまま『長老会議』にかけられて、何の弁明をすることも出来ずに、処分が決まってしまうのだろうか。きっと自分もジョイスも殺されてしまうのだろうと秋生は思うのであった。欲望を丸出しにして高笑いをするフェイの様子が脳裏に浮かび、頭を小さく横に振って、それを否定してみる。
そして、連れに来た男達に取り囲まれるようにして、二人は廊下を重い足取りで歩いていくのであった。
「うっ」
突然、後ろを歩いていた男が小さく呻いて、倒れ込む。
「えっ」
後ろを振り向いた秋生は、そこ煮立つ完全武装した屈強な五人の男達を見つけて、脅えて後ずさった。
迷彩服に身を包み、それぞれが銃を手に持ち、弾丸のベルトを身体に巻き付けている。まるで戦場の兵士そのものの様子であった。前を歩いていた男が気がついて振り返るが、すかさずジョイスが当て身を食らわして倒す。
「ジョイス様、手筈は予定どおりに。とりあえず今は、情勢を立て直しましょう」
男達の言葉に、ジョイスが笑みを浮かべて頷く。
「すまない、恩に着る」
「私達のボスは貴方だけです」
男達は敬意を込めた眼差しでジョイスを見つめ、それに応えるようにジョイスはしっかりと頷いて見せるのであった。
そんな彼らのやりとりを見つめながら、秋生は彼にの間に結ばれている強い絆を感じるのであった。
「屋上にヘリを用意しました」
「急いで下さい」
「うむ」
促されて、屋上へ向かって走り始める。だが、すぐに背後で叫び声が上がるのが聞こえてきた。
「逃げたぞ、追え!!」
「裏切り者を逃がすな」
「殺してしまえ!!」
ワーワーと廊下に響いてくる声や足音に焦りながら、一行は屋上に向かってひたすら走り続ける。
「いたぞ〜っ」
前方に人影が現れて、通路を防ぐ。
ズキューン、ズキューン
発射される銃の音と共に、ビシッビシッと近くの壁が音を立てて弾け、そこに空いた穴を見て、秋生はヒッと叫んで身を竦めた。と、先導してくれている男達が銃を構えて発砲する。
ダッダッダッ
連射される玉の音と、前方で呻いて倒れる人影。
「走って!!」
言われるままに再び秋生は走り出したが、今度は背後から多数の足音が追いかけてくる。
非常階段に出て、一行は一気に駆け上がった。が、途中の階から銃が乱射されて、動けなくなってしまう。
予想以上に早い対応は、前もって武装していたとしか思えない。このビルは表向きファーン・グループの本社であるから、何も知らずに勤めている一般人も多数いるのだ。
「くそ、フェイの奴、私と秋生を『長老会議』にかける前に、殺すつもりでいたな」
ジョイスが悔しげに呟く。
「挟まれたか」
「援軍が間もなく到着するはずです。時間を稼ぎましょう」
武装した男達は上へ下へと銃を乱射しながら、ジワリジワリと動いて階段を出てると、近くの部屋へと飛び込む。そして、手際よく部屋の中の家具を廊下に運び出すと、忽ち、バリケードを築くのであった。
部屋の中で一安心とばかりに荒い息を整えながら、秋生は自分の格好がバスローブのままなのを恥ずかしく思って、部屋のクローゼットを開けて、服を見つけだすと、サイズの違いなど気にもせず、慌てて着込むのであった。
ダブダブの白いシャツと裾を幾重にも折り返したズボンという情けない格好ではあったが、バスローブよりは遙かにましだと思うのであった。
「こうなったら、貴方のお迎えに期待するしかありませんね」
ジョイスが苦笑しながら、秋生に向かって言った。
「ビンセント・青に貴方を迎えに来るように連絡しておきました。きっと飛んでくるんでしょう」
「えっ、本当?連絡してくれたの」
「ええ、万が一、何か異常が発生したときには、すぐに連絡するように指示を出しておきました。貴方だけは何があっても無事にお返ししなくては。内輪のもめ事に巻き込んでしまって申し訳ありません。間に合ってくれると良いのですが。ここで稼げる時間はそんなに多くはありませんから」
「大丈夫、きっと来てくれる。飛んででも来てくれるよ」
秋生は窓から外を眺めながら、心の中で叫ぷのであった。
(ビンセント、早く来て。僕は此処にいるよ)
頼もしい恋人と仲間達の姿を思い浮かべながら、必死で祈り続けるのであった。
そして、遙か香港より秋生を求めて、聖獣達は空を凄まじいスピードで、ニューヨークに向かって一直線に飛んでいた。
やがて、遙か天に向かってそびえ立つ摩天楼の、中でも一際高いその頂点へと降り立つ。
「黄龍殿は、何処においでだ」
「あれだ」
ビンセント・青こと青龍の指し示す建物は、紛れもなくファーン一族の富と繁栄の象徴である、ファーン・グルーブ本社ビルであった。
「これでは、いくら我等でも『黄龍』の《気》を察することが出来ぬはずだ」
「ビルそのものが結界になっているわけね」
「このまま中に入れば、我等の力も半減するぞ。どうする?」
「結界を崩すまでのこと」
あくまで青龍の冷静な言葉に、残りの三聖獣達はヤレヤレと顔を見合わせるのであった。
「あれを使おう」
再び青龍が指したのは、ビルの屋上のヘリコプターであった。
「外からあれで建物を破壊すれば、当然、結界は崩れる」
「なるほどな」
「行くぞ!!」
言うなり、青龍はそのビルの屋上に向かって跳躍していた。他の者も躊躇うことなく続く。
四つの姿が軽やかに宙を舞った。途中のビルを踏み台にして、軽々と飛び移っていく。目指すはファーン・グループの本社ビルであった。
ヘリの中では、パイロットが脱出してくるジョイスや仲間達を待って、いつでも出発出来るように待機していた。
そんな彼の目の前に、突然、うら若き美女が現れて、ニッコリと微笑む。彼の趣味からすればいささかスレンダー過ぎるホディではあったが、それでもお釣りが来るのくらいの美形であった。
「ハーイ、お暇かしら」
魅力的な笑顔を振りまいて、声をかけてくる美女に一瞬、心奪われかけたパイロットであったが、すぐに自分の任務を思い出して、扉を開いて身を乗り出すと、忠告するのであった。
「此処は危ない。すぐに離れたほうが良い」
「あら、残念だわ」
そう言って片目をつぶってウインクして見せる美女に見惚れた彼は、突然、強い力でヘリから引きずり降ろされ、地面に叩きつけられて、意識を失ってしまうのであった。
「傾城の美女はまだまだ健在ね」
ホホホホホと気分良く笑うセシリアを完全に無視して、ビンセント、ヘンリー、ユンミンは、ヘリにそそくさと乗り込むのであった。
「さっさと乗れ」
操縦席に座ったヘンリーの愛想のない声に、目をつり上げながら、セシリアはフンと鼻を鳴らして、ヘリへと乗り込む。それを待ちきれないかのように、ヘリは飛び立つのであった。
ガーン、ガーン
非常階段の扉を打ち破ろうとしている耳障りな音が響いてくる。秋生は不安な心を押し隠して、空を見上げた。五人の頼もしい味方は、無言のままに手際よく銃の弾倉を装備したり、武装を整えている。そして、ジョイスは室内の電話であちこちに連絡を取っていた。
「今さえ乗り切れば、後は我々の方が有利だ。長老達もファーンの分裂を恐れている。既にフェイ叔父の悪行に関する報告書は、彼らの元に届けてある。ただ、山主の事があったからおおかたの者は慎重になっていただけで、八割はこちらに協力してくれる。今少し持ちこたえれば大丈夫だ」
ジョイスの言葉に男達はしっかりと頷いた。例え不利であっても彼らは最後まで闘う覚悟は出来ていた。
ガシャーン
扉がついに打ち破られた音に男達に緊張が走り、部屋の入口に築いたバリケードに身を伏せて、
銃を構える。
ズキューン、ズキューン
「殺せ、殺せ!!」
フェイらしい男のわめき声と銃の乱射が騒然と部屋に響いて、秋生は恐怖を覚えて身を竦ませた。
どのくらい待てば助けが来るのだろう。こちらの持っている銃弾には限界がある。それまでに助けがこなければどうしようもない。
(ビンセント・・・・・・)
愛しい存在との突然の別れに、理不尽なものを感じながら、それでもこのまま何もせずにみすみす殺されてしまうのはもっと理不尽な気がして、秋生はバリケードに身を潜めて、迫り来る敵を迎え撃つジョイスの側に近づいた。
「ジョイス、僕にも銃を頂戴。一緒に戦うよ」
少し驚いた表情をしたジョイスであったが、すぐに頷くと予備に持っていた銃を秋生に手渡した。秋生はそれを受け取ると、ジョイスの側に身を屈めて、迫り来る敵に向かって反撃を開始するのであった。
キューン、キューン、ビシッビシッ
敵が撃った弾がバリケードに当たって跳ね、耳元を掠める。
味方の何人かも弾が掠ったのか、腕や額から血を流している者もいたが、攻撃の手を休めることなく一心不乱に戦っていた。
日本にいた頃は、自分が銃を撃つ日が来るなんて考えもよらぬ事であったが、それでも今、必死に銃を撃って生き延びようと秋生を突き動かしているのは、ただ、ビンセントに一目会いたいという思いだけであった。
(絶対に生きて、ビンセントと会うんだ)
その健気な思いゆえに、震える手を必死で抑えて、引き金を引くのであった。
カチカチ
ついに弾が切れる。相手の攻撃は少しも治まらない。味方の弾も一人、一人底をつき始める。
「ジョイス様、部屋の奥へお入り下さい」
促されて、ジョイスは秋生を伴い、奥へと入った。
「貴方だけは何としても助けたいのに」
渋い表情のジョイスに、秋生は笑顔で言うのであった。
「大丈夫、きっと、きっとビンセントが助けに来てくれるから」
その明るさにジョイスもつられて微笑むのであった。
「本当にビンセント・青が羨ましい。貴方にこんなに信頼されて」
「ジョイスだってそうじゃないか。貴方を助けるために、命をかけて戦ってくれる人達がいる。貴方を必要としている人は、もっといるはずだよ」
「そうでしょうか・・・・・・」
気弱なジョイスの呟きに、秋生はそうだと満面に笑顔を浮かべて大きく頷くのであった。
(義父上、リード、貴方が山主でなくただの平凡な人でしたら、私は秋生のように貴方の愛に素直に応えることが出来たかも知れません。貴方を一人寂しく死なせはしませんでした)
疑われるのを承知で裏に回って着々と組織の土台を固めようとしたジョイスの行為を、自分への裏切りと信じてしまった山主。近づく死に永遠の命を願った彼の思いを、無駄だとは知りながら止める事も出来なかったのであった。自分の全ては山主のためであったのに、それを告げることも出来ぬまま、深い溝を残して逝ってしまった人は、誰よりも愛しい存在であった。
彼と暮らした幸せな少年時代。時には厳しく、そして、優しく、貧しさに荒んだジョイスの心を愛でいやしてくれたリード。このままフェイの手にかかって死んだら、彼の元へ行けるかも知れない。それも悪くないと思う。煩わしい現実を逃避して、思いでの中で死んで行けたら、それも幸せなのかも知れないとジョイスは思うのであった。
そして、あの人ともう一度会って、自分の正直な心を告白し、やり直すのだ。
だが、秋生だけはこのまま死なせてはいけない。何の罪もないこの若者だけは、守護する者達の元へ返さねばならない。
(リード、力を貸して下さい)
救いを求めるように窓の外へ視線を移動させたジョイスは、上空からスーッと降りてくる物体を目にした。
「あれは!!」
彼の叫びに、そちらを見た秋生の目が大きく見開かれ、みるみる涙が溢れてくる。
「ビンセント!!」
小さく叫んだ秋生は窓へ走り寄ると、分厚いガラスをガンガンと拳で叩いて、必死に叫ぶのであった。
ヘリはビルの屋上からゆっくりと下降していった。そのまま突っ込む事も彼ら四聖獣にとっては、何でもないことであったが、肝心の秋生を巻き込む恐れがあったために用心したのである。
その姿を探すかのように、ゆっくりと降りていくヘリから、ビンセントは身を乗り出すようにして、ひたすら秋生の姿を求めるのであった。
(ビンセント・・・・・・)
その微かな声に呼ばれるようにして、そちらを見やり、窓ガラスに張り付くようにして、こちらに向かって叫んでいる人物の姿を認める。
(ああ、秋生、生きていた)
大きな安堵と、一刻も早く抱き締めたいという苛立ちに、ビンセントが叫ぶ。
「いた、あそこだ」
「よし」
ヘンリーが絶妙なテクニックでへりを窓に近づける。上空を流れる強い風に機体がユラユラと揺れる。一歩間違ってプロペラがビルに接触すれば、大事故を引き起こすことになりかねない。
「無事のようね」
「よかったの〜っ」
彼らの安堵も接近するに従って消え去る。必死で叫んでいる秋生の様子が、ただごとではないのだ。
「どうしたのかしら」
「・・・・・・」
ビンセントは秋生のただならぬ様子に、急を要する事を察し、ヘリを可能な限り窓に近づけると、秋生に身振りで指示するのであった。
「窓から離れて下さい」
幾度か繰り返すと、秋生は大きく頷いて、窓から姿を隠して、奥の方へと隠れるのであった。
「行くぞ!!」
そう言うなり、ビンセントの身体からシューシューと青い光のオーラが溢れだし、身を乗り出したまま秋生のいる部屋の窓ガラスに向かって、彼の中に蓄積された怒りの《気》を発射した。
「窓から離れろだって」
秋生の言葉に、ジョイスは部屋の隅の家具の陰へと身を隠す。
そして、光の束が窓ガラスを直撃して、粉々に砕くのを目撃するのであった。
ピシーン、カシャーン
特別な防弾ガラスがいとも簡単に砕け散り、キラキラとした粒子になって、空へととけ込んでいく。その凄まじい力を目の当たりにして、ジョイスは改めて知るのであった。
彼らの《力》は神の力であり、決して人が手を出してはならないものなのだということを。
「ビンセント!!」
一緒に身を伏せていた秋生が立ち上がり、窓であったところへと走り寄り、そのままためらいもせずにヘリに向かってジャンプする。
「秋生!!」
信じられない光景であった。ユラユラと強い風に揺られるヘリに向かって、ビンセント・青の元ヘ身を身を躍らせた秋生。自殺行為であった。近づいているといっても、窓とヘリの間は五メートル以上はあるのだ。
だが、奇跡は起こった。落下するかのように見えた秋生の身体が、強風に煽られてフワリと浮かび上がり、ゆっくりとスローモーションのようにビンセント・青の元へと運ばれたのである。
(ああ、神よ)
これこそ奇跡であった。所詮神は、人など足下にも及ばない尊い存在なのである。奇跡は、無償の純粋な愛によってのみ起きるのだ。
「ああっ」
予想外な秋生のジャンプに、へりの中でも悲鳴が上がった。が、ビンセントは確信を持って、彼を受け止めるべく両腕を大きく開くのであった。
「秋生!!」
「ビンセント!!」
秋生の身体がゆっくりとビンセントの腕の中に飛び込んでくる。その身体をしっかりと抱き締めながら、今、確かにその大切な存在が無事に自分の元へと帰ってきたことを確認し、感慨に耽るのであった。
「ビンセント、来てくれたんだね」
「ええ、秋生。怪我はありませんか」
「うん」
秋生はそのままビンセントの力強さ温もりを感じていたかったが、そんな場合ではないことをすぐに思い出して、ガバッと顔を上げると。訴えるのであった。
「ジョイスを助けて!!悪い奴に狙われてるんだ」
「あの男をですか?」
秋生は気づかなかったが、聖獣達は青龍の気が怒りに震えて、ビシビシッと火花を散らすのを感じて、溜息をついた。
(これは後が大変だわね)
朱雀は長いつき合いの青龍が嫉妬に怒り狂うという、前代未聞の光景を想像して、その恐ろしさに慌てて頭を振って、想像を打ち払うのであったが、当の秋生は全然そんな事に気づいた風もなく、純粋にジョイスの身の安全を願うのであった。
「お願い、ビンセント。ジョイスを助けて!!」
ももとより秋生の願いを無視出来るわけもなく、奥歯をギリリッと噛みしめて渋々頷くのであった。
「ヘリをつけろ」
「OK」
ヘンリーがニヤニヤと笑いながら、ヘリをポッカリと空いたビルの一室の中へと滑り込ませる。
ガガガッガッシャーン
プロペラが壁面に当たってグシャリと歪み、ポコリと壁の一部を削り取りながらも、ヘリの胴体はビルへと侵入する。
そして、彼らはへりから降り立った。
「ジョイス、もう大丈夫。みんなが助けに来てくれたからね」
頼もしい守護聖獣達の存在を信じ切っている秋生の力強い言葉に、ジョイスは目映げに目を細めながら、大きく頷くのであった。
そして、秋生の言葉どおり、彼らの立場は一転して優勢に変わり、到着した援軍により、事件は一気に解決し、好転するのであった。
つづく
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