亜州王国物語2
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2005年1月18日 更新
(2)
静けさが重かった。自ら一人でいる事を望み、長い間それに慣れ親しんできたはずなのに、どうしてしまったのか・・・・・・。
その理由は痛いほどよく分かっていた。
廃墟となった神殿の地下にある冷たく暗い住処を、唯一照らし出している蝋燭の揺れる炎が、こんなに寂しく儚げなものだと、彼は始めて気がついた。今はもうここにはない無邪気な笑い声が、記憶の中で鮮明に木霊する。
「ビンセント」
自分を呼ぶ明るい声。陰りのない光に満ちた大きな黒い瞳。彼の心を吹き抜けて行った一陣の爽やかな風のような、美しく愛らしい少年。
一緒に暮らしたのは、僅か一月余りであった。ほんの気まぐれに助けた人の子。崖から落ちて瀕死の重傷を負った少年は、彼の力に属する剣を持っていた。
その剣自身が認めた正式な所有者である少年を、見殺しにするのも忍びなく、仕方なく助け、看病したのであった。
煩わしいとばかり思っていた人との関わりが、何故か新鮮な喜びを彼に与えてくれた。少年の素直な真っ直ぐな瞳が、厚い殻を被った頑なな彼の心を、いとも簡単に破って目覚めさせ、不可思議な感情を大きく育ててしまったのである。
都へ夢を追い駆けて行ってしまった少年の存在の大きさを、今、失ってなおさらに感じ、そして、自分にこんな激しい感情が残っていたのかと呆れるほどに、驚いていた。
(会イタイ・・・・・・)
その成長途中の柔らかで華奢な身体を抱き締め、自分の想いの全てを告げたいと思った。あの最後の日のように・・・・・・。
だが、それは最早、適わぬ夢であった。
「貴方と一緒に居ます。お願いです。置いて下さい」
縋りつくような必死の思いを躊躇う事無く自分にぶつけてきた少年を、ありったけの虚勢をはって送り出したのは間違いでなかったはずだ。輝ける未来を持つ人の子を、世を捨てた人ならぬ自分に付き合わせる事など出来るはずがなかった。
おまけに少年は、彼の存在の全てであり、共にありつづける事を望み、見守りつづけてきた偉大なる主、黄龍の転生体でもあったのだ。
その昔、人の行いの醜悪さに愛想をつかしその存在を拒否し、滅びの運命を下した天帝に、唯一反対した黄龍は、持てる力の全てを使い果たして倒れた。そんな黄龍の人を思う健気さに心動かされた天帝は、黄龍の命を救い、人に最後のチャンスを与えたのである。
それは力をなくして普通の人となった黄龍が人の世に生き続け、転生を繰り返す間はその存続を認めるが、もし、黄龍が人の世を恨み、憎しむ事があればその時こそ、人の世を滅ぼすというものであった。
そして、それを受け入れることしか出来なかった黄龍は、自分の心を恐れる余りに、自らの記憶を封じ、長い眠りについたのである。
彼の正体は、そんな黄龍の眠りを守る青龍、白虎、朱雀、玄武の四聖獣のうちの、青龍であった。人知れず気の遠くなるほどの長い年月を経る間に、彼を除いた他の聖獣達は、人の世の余りの乱れに愛想を尽かし、天界へ戻って行ってしまった。彼は黄龍を一人残して去る事がどうしても出来ず、人の世から離れた深い森に隠れ棲んだのである。
気まぐれに助けた少年は、久しぶりに巡りあった黄龍の転生体であった。それが偶然なのか、それとも運命だったのかは分からないが、少年のその人生は穏やかで幸せなものでなくてはならない。
黄龍の願いどおりに、平穏な生涯を終えて、次の転生を果たさなくはならない。
それを充分に分かっているはずの自分が望む事は、それを脅かす何ものでもなかった。だから、諦めたのだ。
本当は、心の奥で手放したくないと叫びを上げながら冷静を装って、少年の幸せを願って送り出したのだ。
だが、理性で割り切れない激しい感情の渦は、忘れ去ろうとする努力も空しく、日増しに大きくなっていくばかりであった。
(会イタイ・・・・・・)
だが、今更どの面下げて少年に会いに行けよう。いっそ全てを忘れて、再び眠りにつくのもいいと思った。目覚めることのない永遠の眠り。それが自分には相応しいかもしれないと。
(嫌ダ、忘レルナンテ。会イタイ!!)
あくまで冷静であろうとする心と激しい感情の葛藤。自分の中に生まれた愛という名の『欲望』が、ずっと長い間、自分が嫌って人の世を遠ざけてきた大きな要因だった事に気がつき、その皮肉さを自嘲気味に笑い、絶え間なく身のうちにわきおこる衝動を抑えようと、深いため息をつくのであった。
「秋生――」
知らずその名前が口から零れ出て、儚い蝋燭の炎が彼の心を表したかのように、一際大きく揺らぐ。彼は暗い絶望の光を浮かべた紫の瞳を閉じて、今一度、少年と過ごした日々の想い出に浸るのであった。
騎士団の一行は、町外れにある彼らの宿舎にまっすぐに帰ると思いきや、隣りにある居酒屋へと入っていった。
亜州王国の騎士団と言えば、その昔は華やかさを誇り、選ばれた優秀な人材が集まり、貴族の子弟達の出世コースであり、団員数も何百人といた時代もあったが、平和な時が続き、王家自体が政権を離れた形になり(未だ王制ではあるものの、王が病気なのをいいことに大臣達が実権を掌握している)、お飾りとなってしまった今では、王家と王宮を守る騎士団も、国の重要な式典において最低限度必要とされるだけの存在となり、弱体化してしまい、富と名誉を欲する風潮が強い貴族の子弟の多くは、官僚となって王国の利益よりも個人の利益を追求することに励み、その主背から外れた落ちこぼれの変わり者達が、自然と集まったというのが実情であった。
したがって、はみ出し者扱いの騎士団とその宿舎は、王宮から追い出されてしまい、支給される費用も雀の涙ほどで、粗末な木造の狭い宿舎には、でかい図体を持て余した男達で満室ではあるが、雨漏りも酷く、その修繕する費用も、騎士団の世話をする者を雇う費用もなく、給料もないに等しく、町の人々の力仕事や雑用を引き受けて生活費にあてていたりする。
また、宿舎の狭い庭に畑を作り、腐るほどある時間を使って、ほとんど自給自足に近い生活を送っていた。
だが、このところ都を震撼させている連続殺人事件の捜査と警護を任ぜられたため、それに時間を取られて、食事の支度もままならぬ状態となってしまい、最近では宿舎の隣りに出来た居酒屋で、食事をするのが常となっていた。
店の名前は『ヘブン』。なかなかの美人だが毒舌で気の強い若い娘と、一見怖い顔をした寡黙だが料理の腕は確かな男が営んでいる。二人の関係を誰も怖くて聞けずにいるのだが、騎士団員達は随分とこの店を気に入っていた。
「ただいま〜っ」
店に入るなり、騎士団員達は我が家に帰ってきたとばかりに、人気のない店の奥へと声をかける。実際、この店には他のお客は少なく、騎士団員達が入り浸っている。
「は〜い、お帰りなさ〜いっ」
元気な声が応えて、店の看板娘のセシリアが奥の部屋からヒョイと顔を覗かせた。
20くらいであろうか。真っ直ぐな癖のない黒髪をショートにした活発な感じの美人が満面に笑みを浮かべて、出迎えた。
「お疲れ様、すぐに用意するわ。秋生、手伝って頂戴」
「はい」
秋生はセシリアと共に奥の調理場へと入っていった。
実は秋生は騎士団の宿舎が満室なので、この店の二階に居候していた。そして、家賃がわりに店の手伝いをしている。見習いでは給金も出ず、ほとんど騎士団が入り浸っている状態の店は、騎士団の宿舎の一部と化していたので、秋生にとってもありがたい事であった。
「よお、おかえり」
秋生が調理場に入ると、無骨な大男が調理中の鍋を振って、声をかけて来た。料理人のヘンリーである騎士団員といってもいいほどの鍛え抜かれた体の男である。ピンクの可愛いエプロンをして、手際よく料理していく姿は、実に不似合いなのだが、彼が作り出す繊細で絶品な料理を一度亜゛皺ってしまうと、他の店ではとても食べられなくなる。
しかし、開店以来、ほとんどの客が余り良い噂のない落ちぶれた騎士団員達ばかりとあって、一般の客が立ち寄る事は少ない。
『もう、あんた達のお陰で商売あがったりだわ。この疫病神と貧乏神の集まりの、鬱陶しいだけのつかえない集団だわね』
それがセシリアの、店に入り浸る団員達への口癖になっている。確かに゛数対のでかい男達にゴロゴロされたのでは、たまったものではない。
瞬く間に次々と料理を作り上げていくヘンリーの手際に見惚れるヒマもなく、出来上がった料理をテーブルの方へと運ぶ秋生の手際も、もう慣れたものであった。最初の頃は皿を何枚割ったかしれないが、セシリアのお小言に負けじと奮起した賜物である。
でも、秋生はセシリアもヘンリーね本当に大好きで、まだ出会って三ヶ月ほどであるが、もうずっと前から一緒にいるような錯覚にしばしばとらわれるぐらいであった。騎士団の先輩達とはまた違って、慣れない都暮らしの日常のいろいろな事が相談出来るし、甘えられるし、二人もまるで家族の一員のように遠慮なく接してくれるので、秋生は寂しい想いをするヒマもなく、故郷で夢見ていた騎士団の生活とはかなりかけ離れたものではあったが、思いがけなく豊かな食生活を手に入れ、元気で結構忙しい充実した日々を過ごしていた。
「お代わり〜」
「秋生、酒がないぞ〜っ」
「はいはい」
一日の疲れを吹き飛ばさんばかりの凄い勢いで食べる先輩達の間を、秋生は飛び回った。
そして、一息ついたところで自分の食事なのだが、先輩達と比べると半分もない量ではあったが、自分にしては随分と多い方だったのにもかかわらず、『少なすぎる』と勧められるままに一杯食べ過ぎた秋生は、まだ酒をグイグイと飲んでいる元気な先輩達の賑やかな声に負けず、いつしか疲れからウトウトと眠り込んでしまうのであった。
「秋生、寝ちゃったわね」
店の隅で壁にもたれるようにして眠ってしまった秋生の姿に気づいたセシリアが、騎士団員達にそっと告げる。彼らは愛しげに秋生の安らかな寝顔を見つめていたが、突然、申し合わせたようにそっと席を立った。
「それじゃまたな、セシリア。秋生をよろしく」
「お休み〜」
「お休みなさい」
小声で挨拶を交わしあって,団員達は宿舎へと戻っていく。明日もまた厳しい警備が待っている。
現在50名にも満たない彼らが、夜昼に分かれて王宮の警備をするのには、限界があった。それでもやらねば彼らの評価はますます悪化するばかりである。
しかし、それよりも彼らは久々の本来の任務に、あえて口には出さないまでも密かに闘志を燃やしているのであった。
片付けもまた見事な手際で終えたヘンリーが、煙草を燻らしながら調理場から出てくると、店の中を綺麗に掃除し終わったセシリアが、眠ったままの秋生を示した。
「部屋へ運んでくれる」
「ああ」
ヘンリーは近寄ると、ヒョイと秋生を抱き上げた。
「まったくちっとも肥えねえな。随分と無理しているんじゃないのか」
自分の料理を毎日たらふく食べさせているはずなのに、秋生が少しも太らないのをヘンリーは気にしているのだ。
「騎士団としては、久々の任務って事で随分と張り切っているけれど、あの人数で王宮を警備だなんて最初から無理な話だもの。また、秋生は何にでも一生懸命だから・・・・・・」
「ああ、そうだな。店の手伝いは控えさすか」
秋生の寝顔を覗き込みながらヘンリーは、心の底から心配していた。
「ううん、それも考えたんだけれど、この子ったらお坊ちゃん育ちの癖に妙に真面目なところがあって、家に厄介になってるだけじゃ申し訳なくって居られないっていうのよ。まあ、そんなに気合入れなくってもって思うんだけれど、なんだか自分に厳しすぎるっていうか、親の躾がしっかりしているって言うか。もう、一生懸命だからこっちもやめろって言えないし」
「ああ、可愛いだけじゃないな」
「うん」
二人はそっと顔を見合わせて静かに微笑みあった。
ヘンリーは階段をあがって二階の部屋へと上がり、暗闇の中、ベッドへと秋生を運んだ。そして、秋生が片時も手放さない長剣を外して、ベッド脇へと置いた。
「聖剣ファルシオンか。まだ、この世に残っていたとは」
ヘンリーが呟く。暗闇の中、先程までの料理人とはまったく別人の雰囲気を漂わせていた。
「聖剣の持ち主に選ぶには、まだ未知数じゃないのか」
剣に言っているのか、それとも他に誰かいるのか、ヘンリーはまだ幼さの残る秋生の額にかかる髪の毛を、大きな手でそっとかきあげた。
カタカタカタ
ベッドの脇に置かれた剣がその言葉に文句を言うかのように、鍔を振るわせる。
「黙れ!!」
その静かで鋭い叱咤に剣がピタリと沈黙する。
「ファルシオンに文句言っても仕方がないわね。それよりも、この青龍の守護印の方が問題だわ」
背後から声をかけて来たのは、セシリアであったが、彼女の様子も先程までとは何かが違っており、いつもの明るい雰囲気は何処にもなかった。眼差しは、厳しく鋭い光を浮かべている。
「このあからさまな印はどういうことよ。黄龍の転生体だっていうのは分かるけど、こうあからさまでは、かえって『魔』のターゲットになりかねないわ。それでなくてもこの都は『魔』が蔓延しているっていうのに、青龍は一体何を考えているのかしら」
秋生の身体を包む、人の目には決して見る事の出来ない、青龍が守護すると誓った印であるオーラの輝きを見つめながら、セシリアは呟いた。
「俺達があいつの事をとやかくいう資格はないな。一度は役目を放り出しちまったんだから。だが、あいつはずっと一人で待ち続けていた。黄龍の転生体を、この汚れた人間界でな」
「でも・・・・・・」
言いかけたものの、セシリアはそれ以上は口にしなかった。ただ、目の前で安らかに眠る、目の前の少年のこれから辿るであろう数奇な運命を思うと、胸が痛むのであった。
つづく
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