亜州王国物語2


2005年2月18日 更新
(3)

 「これは酷い〜っ」
王宮の広い庭園の片隅の草むらから発見された犠牲者の姿に、勇猛果敢を自負する騎士達もさすがに眉ひそめた。

 まだ十代半ばの少年の着衣はズタズタに引き裂かれ、剥き出しになった白い肌には肉を引き裂かれて出来た醜い筋がいくつも走り、食いちぎられた咽喉はパックリ裂けていた。そこから噴き出した血が、辺りの地面に赤黒い染みを作っている。
 生きている時はなかなか美しかったであろう少年の顔は、恐怖に歪み、今は何も映さない黒い円らな瞳は、突然訪れた死の理不尽さを無言の内に訴えている。

 「ナレス大臣つきの小姓で、昨夜、大臣の手紙を持って使いにでたまま、帰らなかったそうだ」
 銀髪を短く刈り込んだ二十代前半の若い騎士が、現場を遠くから見守りながらザワザワと囁きあう人々から、少年の身元を聞き出した話を、仲間につげた。

 「これで20人目だ。最初は一月に一度。それが半月になり、心と頃は三日とあけずだ。それもここ三ヶ月は王宮内で頻発し、我々の警備の裏をかいたように襲われている。何故なんだ」
銀髪の男はギリギリと歯を噛み締めて悔しがった。

 「シェン、焦るな」
エリアルドが声をかけ、励ますように肩をポンと叩く。
「エリー。だが、これ以上犠牲者を出すのは耐えられない」
硬質な男らしく整った顔に、普段は浮かべる事の少ない感情を顕にして、シェンことシェンラッド・カーンが心の底から怒っている事を、エリアルドは感じていた。

 亜州王国で、2年に一度開かれる武術大会において、2回連続優勝しているシェンは、名家の出身であり、彼の父親は現在、亜州王国の陸軍の将軍を務めている。シェンラッドとエリアルドは幼馴染である。

 「ああ、可哀相に・・・・・・」
エリアルドは少年の側に歩み寄ると、見開かれた両目に手を置いて、そっと瞼を閉じさせた。そして、そのまま傍らに跪くと、守護神青龍へ、哀れな少年の魂の行く末に安らぎが訪れるように祈りを唱えた。

 エリアルドはかつて神官になるべく神殿に仕えていたことがあったが、修行も終わりに近い頃、何を思ったのか突然、神殿を出奔し、寄せ集めの騎士団に入団したという変わった経歴を持っていたが、祈りの心には偽りはなかった。

 騎士団の誰もが焦りを感じていた。都内で10人。そして、彼らの警護する王宮で、犠牲者を出したのはこれでもう10人目になるのだ。厳しい厳戒態勢を掻い潜ったように、むごたらしい殺人がおこなわれ騎士団の昼夜を問わない努力が全て無駄になっている。何より犠牲者がいたいけな少年や少女ばかりというのも、彼らの心を重くしていた。

 エリアルドはふと、自分の祈りの言葉に重なる声に気づき、そちらの方を見て、秋生の姿に気づいた。団員達の邪魔にならないように片隅で様子を見守っていた秋生が、地面に跪き神妙な表情で祈りを捧げている。その真摯な姿に、エリアルドは微笑を浮かべた。

 肩まで伸ばした茶色の髪が、陽の光に輝いている。伏せられた睫の長さ、愛らしくつんと上をむいた鼻。赤い唇。秋生のその姿は、神殿の壁に描かれている、鳥のような羽を持つ神の使いに似ていた。犠牲になった少年とは同じくらいの歳である。

 エリアルドはふと、無残にも引き裂かれた秋生の姿を思い浮かべてしまい、すぐさまそれを嫌悪し、頭の中から振り払った。そんな事があってはならない。哀れな犠牲者のためにも一刻も早く犯人をとらえなければならないと、新たに決意するのであった。

 祈りの言葉を終え、顔を上げた秋生の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
 「どうした」
近くにいた騎士が気づいて、優しく尋ねる。秋生は慌てて拳で涙を拭って、犠牲者の少年を見つめてポツリと言った。

 「一体彼が何をしたというのでしょう。どうしてこんなめにあわなければならなかったんでしょうか?僕も香港の都へ来る途中、盗賊に教われて崖から落ちて怪我をした時、なんで自分がこんなめに遭わなければならないのかと、その理不尽さに怒り嘆きました。僕の場合は幸運にも大した怪我じゃなかったし、親切な方が助けてくださったから良かったんですけれど、死んでしまったら、夢も未来もそれで終わりなんです。そんなの酷すぎる。納得できません。こんなの許せません」

 静かだが激しい怒りのこもった言葉に。騎士達は言葉を失った。秋生のその言葉は皆の想いでもあった。

 シェンは秋生に近づき、その髪をクシャクシャと乱暴に撫でて言った。
「俺達は俺達の出来る精一杯の事をやる。そうだろう!?違うか!?」
シェンの乱暴だが、優しさのこもった励ましに、秋生はコクリと頷いた。

 「よ〜し」
シェンが大きく頷く。秋生は落ち込んでしまった自分を元気づけようとする先輩騎士達の思いやりに感謝して、明るく元気に笑ってみせた。
 「絶対に犯人を捕まえましょう」
「ああ」
騎士達は、笑顔で頷いた。

 「それにしてもこの傷は、まるで獣に引き裂かれたような痕ですね。犯人は人ではないのでしょうか」
秋生は思っていた疑問を口にした。故郷で、幾度か狼や熊に襲われた人の傷を目にした事があるのだが、それに似ているようにしか思えないのである。決して刃物とかの鋭利なもので切られた痕ではない。

 「だが、獣が誰にも見られずにここまで入り込むのは無理がある。それならばとっくに我々の警備網に引っかかってもいいはずだ」
「まるで警備の裏をかいているようにしか思えないしな」
「人にしてもおかしい。何の手がかりも残さず、どうしてこのようなことが出来るのだ」
「獣のような人。それじゃまるで魔物じゃないか」

 『魔物』という言葉に、ハッと誰もが鋭い視線を交しあった。そして、エリアルドに自然とそれは集まった。が、彼は秀麗な眉を潜めて、名にやら考え込んでしまっている。神殿で学んだという彼の知識は、香港の都の中でも群を抜いていると言われており、その美しい面に隠された頭脳は、容姿と共に香港の宝と謳われていた。神殿を出た今は、騎士団の参謀的な役割を果たしていた。

 「その昔、ラディス一世の願いに応えた守護神青龍により、魔物は封じられたという。そして、亜州王国は繁栄した。だが、それは遥か昔、今より千年以上も前のことだ。新たな『魔』が育つには充分過ぎる時は経っている。『魔』は人の心に育つという。ならば今のこの都は、魔物にとって絶好の餌場とは言えないだろうか」

 エリアルドが恐ろしい言葉を平然と語る姿を団員達は複雑な面持ちで黙って聞いていた。亜州王国では守護神、青龍を祭る神殿の権力は絶対的なものであり、批判する事は、亜州王国そのものの批判と取られても仕方がないのが実情である。はみ出し者扱いの騎士団員達は、実際は王国の腐敗した現状への反対者であり、状況はそれぞれ違ってはいるが、心に深い傷を負った者ばかりであった。

 エリアルドは下級貴族の出身であり、幼い頃に両親を流行り病で亡くした後、頼る親族もなく、神殿に引き取られ、神官を目指していた。が、ある日、突然それを捨てたのである。
 彼の容貌に憧れた女性信者達が、彼を巡って争いを起こし、その責任をとって自ら破門になったというが、それは表向きの話であり、実際には、神殿の中の権力争いや金権主義に嫌気がさしたというのが大きな理由であった。

 神を称え、国の平和を願う祈りの言葉が最早何の力を持たぬ事を身をもって知ってしまったからである。
 彼を育ててくれた前神官長が、権力争いのとばっちりを受けて、つまらぬ濡れ衣をきせられ、香港の都を追われるように辺境の小さな村の神殿へ転任させられたあげく、長期の旅の無理がたたって病気になり、一人寂しく死んでしまったのだ。
 前神官長の死の知らせを聞いたエリアルドは、己の進んでいた道に愛想を尽かし、神官の道を捨て、友人であるシェンの薦めもあって、騎士団に入団したのだった。

 「魔物か獣か、警備のやり方を少し変えてみる必要があるかもしれない。騎士団長と相談してみよう。確かにこれは尋常ではない殺されかただ」
「ああ、そうだな」
騎士達は今までにない大きな敵の手応えを感じていた。

 兵士達によって犠牲者の少年が運ばれていく。それを見守っていた彼らの前に、三人の女官を供に、一人の20そこそこくらいの女性が現れた。
 「御苦労様です」
涼やかな声で騎士達に労いの声をかける。

 長いつややかな黒髪を見事に結い上げ、そして、額には豪華な幾つの宝石に彩られたサークレットが目を惹く。それだけではなく金銀の糸で刺繍がほどこされた白い絹のドレス。右手の薬指には亜州王国の龍の紋章が入った金の指輪が光っていた。

 豪華な装飾品をさりげなく身に纏い、それらの美しさに見劣りしない華やかな容貌をしていた。黒い瞳には知性の輝きがあり、少し尖った顎は、凛とした意志の強さを表していた。が、口元には自愛に満ちた柔らかな微笑が浮かび、気品が身体から溢れ出している。

 彼女こそは亜州王国の華麗な花、マリーナ王女である。現国王が病弱で他に子供がいないため、後々は王国の女王となる身分であった。
 彼女の姿を認めた騎士達が、跪いて一礼する。彼女はそれに応えて優しげな微笑を浮かべて頷いてみせ、皆に経つように促すのであった。

 「マリーナ王女様、このようなところへお出でになるとは」
シェンがかしこまって言った。
 「また犠牲者が出たと聞いて、じっとしていられなくて。邪魔をするつもりはないのよ」
穏やかに応える王女であったが、地面にこびりついている血の後を目にして、僅かに眉を潜めた。他の女官達は、集まって気味悪げにヒソヒソと囁きあっている。

 「ナレス大臣の小姓のリゲルですってね。とっても明るくて可愛い子だったわ。まだ16だというのに・・・・・・」
「力至りませんで、申しわけございません」
騎士団員達はますます畏まって頭を下げた。

 「あら、貴方達はよくやって下さっているわ。ここのところ夜昼なく王宮を警備してくださっているお陰で、私達が安心して過ごせるのよ」
騎士達は愛すべき王女の優しい言葉に、救われる思いがした。彼らの本来の任務は、彼女や王族達の身辺の警護である。だが、久しぶりの任務である今回の犯人捜しは、思うように成果があがらず、犠牲者が増える一方で、彼らの心は焦り、昼夜とわずの任務に疲労がこくなりはじめていたのだった。

 「憎むべきは残虐な犯人だわ。どうやってこの厳重な警備の王宮に入り込むのかしら。それで少し気になる話があるのだけれど、女官のミリーが昨夜、変な音を聞いたって言うの。ミリー、話してあげて」

 王女は供の女官の一人に声をかけた。ミリーは、騎士達も良く見知った王女つきの女官である。
 「昨夜の事なのですけれど、私、王女様のお部屋に御本をお届けに参りました。その帰りにこの近くを通りました時に、ドサッという音とバサバサと何か大きな鳥の羽音みたいなのが致しまして、私、急に恐ろしくなって部屋に慌てて戻り、そのまま布団を被って寝てしまったのであります。それで今朝、リゲルの事を聞きまして、もうビックリで・・・・・・」

 ミリーは少し興奮気味に話をした。とても嘘をつくような人柄ではない事を騎士達は知っていた。
 「大きな鳥の羽音ですか」
エリアルドの問いに、女官は彼の顔をウットリとした瞳で見つめながら、頬を赤く染めて頷いた。

 「そうでございます、エリアルド様。それは大きな音で。私、怖くて怖くてたまりませんでした」
「それは大変でしたね」
「えっ、ええ」
間近でエリアルドを見た彼女は、可哀相なくらいに真っ赤になり、ウットノと目を潤ませて震えている。

 「今朝、ミリーからその話を聞いて、何か手がかりになるのではないかと思ったの。おかしな話だとおもうでしょう。でも、空からなら確かに簡単に、厳重な警備の隙を狙って王宮に入る事が出来るわ」
「・・・・・・」
 王女の言葉に、騎士達は空飛ぶ魔物の姿を想像し、正体不明の何かが確かにいることを確認するのであった。

 「まあ、秋生。今日も可愛いわね」
突然、王女は騎士達の傍らの秋生の姿を認めて、嬉しそうな声をあげた。秋生は美しく聡明な王女に恭しく一礼した。

 騎士達に連れられ、王宮に出入りするようになってつ、秋生はすぐにマリーナ王女に気に入られてしまった。それはありがたい事ではあったが、大きな問題があった。
 決して悪意があるわけではないのだが、世間知らずの王女の行き過ぎた親切は、限度を遥かに越えており、秋生の大きな悩みになってしまったのだ。

 だが、王の重い病気を献身的に看護する王女をお慰めするのも騎士の務めと先輩の励ましを受け、マリーナ王女のお相手を務めていた。
 「ウフフ、新作がいくつかあるの。後でお部屋にいらっしゃい。夜でもいいわ。絶対よ。今度のも絶対に似合うと思うの。とっても楽しみにしているわ」
「はっ、はいっ」
秋生は内心、冷や汗をたらしながら、作り笑顔で頷いた。

 長旅をしてやっと都に辿りついたものの、お金も乏しく、その上、貧乏所帯の騎士団では着るものもろくにない状態で(先輩達のお古を貰ったが、とても大き過ぎて着れないのだ)、秋生の話を聞いたマリーナ王女は、深く同情して彼のためにわざわざ何着かの服を用意してくれたのだが、それは普段着るには余りにも華美で、山奥の故郷で質素な生活を送ってきた秋生には、とても恥ずかしくて着られない。だが、王女がその姿を見たいというので、着てみせたのが大きな間違いであった。

 「可愛い〜っ、似合うわ〜っ」
とばかりに、王女と女官達は盛り上がって、ますますエスカレートしてしまい、お陰で騎士団の中でもかなりの衣装もちになってしまったが、それらの多くは普段は絶対に着ることが出来ないような華美なものばかりなのだ。が、身に余る王女の好意を断る事も出来ないでいるのだ。

 「今度のは私がデザインして作ったものなの。ちょっと自信作よ。女官達もとても楽しみに待っているの。今晩、来て頂戴」
「は、はい。ありがとうございます」

 女官を引き連れて去っていく王女の姿を見送りながら、秋生は小さなため息をついた。王女の好意は本当にありがたいことなのだが、自分としてはお世辞にも嬉しいとは言いがたかった。女官達に囲まれて、あれやこれやと人形のように服を着せ替えられる自分の姿を思うと、頭が痛くなるのであった。

 (ううっ、どうしよう)
そんな複雑な秋生の信条を見抜いたかのように、
「王女のお心遣い、感謝しろよ」
「これも騎士とししての立派な務めだからな」
と、もっともらしい事を言うシェンとエリアルドの二人も、他の騎士達も皆がニヤニヤと笑っている。

 彼らも秋生に同情しないでもなかったが(自分だったら絶対に嫌なのだが)、それはそれ、王女のためとあらばたとえ火の中水の中、躊躇わずに行くのが騎士道というものである。
 「これも修行だ。まあ、頑張れ」
全然説得のない言葉だが、秋生は、「はい」と力なく頷くしかなかった。

                                   つづく

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