亜州王国物語2


2005年5月27日 更新
(5)

 「遅いな、二人とも」
いつものように居酒屋『ヘブン』に集まった騎士達は、まだ帰ってこない秋生とランの二人をそれとなく待って過ごしていた。

 「まさか本当に送り狼になっちまんたんじゃ」
「馬鹿、何を言っている」
「それにしても遅くないか」
寝るにも寝られず落ちつかない騎士達。誰もが自分が迎えに行くんだったと後悔し始めていた。

 「た・大変です。ランが!!」
叫びながら店の中に飛び込んできた秋生は、肩で荒い息をしながら必死で訴えた。髪が乱れ、顔や服に返り血を浴びたその姿が、緊急事態を告げていた。

 「強盗に襲われて、ランが怪我を!!」
「何っ」
「どこだっ」
騎士達が慌てて立ち上がった、その時、秋生の背後に音もなく現れた男に、誰もが目を奪われた。

 ランの巨体を軽々と担いだ男は、息を切らすこともなく、スタスタと店の中に入ってくると、ランをテーブルの上へと寝かせた。
 黒いマントを羽織った旅姿の長身の男は、その長く美しい黒髪を背で一つにまとめていた。整いすぎいて冷たくさえ感じる美貌には、女性的な優しさとは全く違った、男性的で剣の刃のような鋭さがあり、感情の激しさや思いの全てを隠した鉄壁な無表情でありながら、神々しいまでの気品と神秘的な輝きを放っていた。

 歳は20代後半くらいであろうか。だが、その落ちついた雰囲気には、どこか老成した感じが漂い、ただ者でないオーラを発していた。
 「出血が多いようだ」
言葉少なに告げた男に、我に返ったエリアルドが急いで手当てにかかる。彼は神殿で医術も学んでいた。

 「熱いお湯と綺麗な布を。俺の部屋から薬箱を持って来てくれ」
「よし、わかった」
わらわらと用意を始める騎士達。騒ぎを聞きつけたセシリアとヘンリーも店の奥から顔を出す。そして、旅姿の男を見た二人は、言葉を失うのであった。

 「これを使え」
黒髪の男が、腰に下げていた小袋を差し出す。
「傷の化膿を防ぐ薬が入っている」

 袋を受け取りながらエリアルドは、男の美貌に改めて感心し、不可思議な想いを抱くのであった。
 (どこかで会った事があるような気がするが・・・・・・)
実際に会っていたら決して忘れる事はないだろうが、何故か遠い昔の懐かしさにも似たような感覚がエリアルドの心をとらえていた。

 だが、すぐにエリアルドは、その想いを中断して、手当てに専念するのであった。騎士達が用意した布とお湯で、ランの傷口を綺麗に洗い、黒髪の男から渡された袋に入っていた薬草(それは確かに傷の化膿を防ぐとされるトリノコ草であり、高い山にだけ生えるその草は、都では滅多に手に入れることの出来ない貴重な薬草であった)を、すりつぶして傷口に塗りこみ、傷がひらかないように丁寧に布で巻いた。

 秋生は邪魔にならないように店の片隅に立ち尽くし、ショックでガタガタと震える身体を抑えるように、自分の両腕で自分を抱き締めていた。
 (ラン、死なないで・・・・・・。守護神青龍様、どうぞランをお助け下さい)
心の中で必死に祈り続けた。そして、祈る事しか出来ない無力な自分がもどかしくてたまらなかった。

 「秋生のせいではない・・・・・・」
静かな言葉と共に、秋生は背後から優しく抱き締められていた。その腕の温かさとしっかりした逞しさに、安心してホッと一息をつくと、ガチガチになっていた身体からスーッと力が抜けていくのを感じた。

 「彼は大丈夫。命に別状はありません」
「ビンセント、ありがとうございます」
再び自分の窮地を救ってくれた人。彼が棲んでいる森で別れてから三ヶ月。ずっと心の中から消えることのなかったその変わらぬ美しい姿が、今、側にあった。

 「会いたかった、ビンセント」
「私もです、秋生」
その言葉に身を捩り、自分よりも頭一以上高い男の顔を見上げる。

 「本当!?」
「ええ。貴方を送り出してからの私の暮らしは、今までとは全てが違って、味気のないものになってしまった。いつも貴方の事ばかり考えていました」
「ビンセント」

 茶色の瞳を伏せて言う男の深い想いが、彼の逞しい腕を通して、自分の中に流れ込んでくるような気がして、秋生は森での最後の日に彼と交わした熱く激しく甘い行為を思い出し、羞恥に頬を染め、動揺を知られないようにその腕から抜け出そうと、身を捩った。だが、ビンセントはそれを許さず、より強く秋生を抱き締めるのであった。

 「秋生」
耳元で名前を囁かれて、ゾクゾクとした震えが背中を走り抜け、気がつくと男の美貌が間近に迫っていた。と、思う間もなく唇を塞がれていた。

 「あっ――」
為す術もなくされるがままに、秋生はビンセントの熱い口づけを受け入れていた。
 ガクガクと膝が震えて、立っていられなくなる。そして、ついにはガクリと崩れ落ちそうになった秋生の身体はビンセントの腕によって支えられ、再びその胸の中に大事そうにそっとだきこまれてしまうのだった。

 「秋生――っ」
ビンセントは繰り返し愛しい人の名前を呟き、秋生はただその心地よさに酔って、彼のなすがままに身を委ねた。

 「お・おまえ、秋生になんてことを!!」
突然、怒声が上がり、ハッと我に返った秋生は、騎士達が自分とビンセントを凝視しているのを認めて、慌ててビンセントから身を離した。

 「この野郎。どさくさに紛れてなんて事を」
シェンが顔を怒りに真っ赤にして、ビンセントに詰め寄ってくる。だが、ビンセントは美貌を少しも動かすことなく、騎士達に向かって言い放った。

 「秋生は私のものだ。お前達にとやかく言われる事はない」
「な・なんだと!!」
今にも掴みかかりそうなシェンの様子に、秋生はビンセントを庇うように間に入った。
 「あ・あの、この人は僕の命の恩人なんです。都へ来る旅の途中に、崖から落ちて怪我した僕を助けて、看病してくれた大事な人なんです!!」

 慌てて叫んだその勢いの激しさに、シェンは度肝を抜かれて立ち尽くし、秋生は恥ずかしさに顔を真っ赤にしたまま俯いてしまう。そんな秋生の背後から、ビンセントは自分の物たとばりに、あからさまに抱き締めてみせるのであった。

 「こ・この野郎!!」
その余りの大胆さに騎士達は言葉を失い、呆れたように目を見開くのであった。

 「ちょっと、ちよっとい加減にしなさい。今はそんな事をしている場合じゃないでしょう。怪我人の前でなにやってんの。さっさと離れなさい」
我を取り戻したセシリアが、ワナワナて怒りに震えながら、ビンセントに言い放つ。さすがのビンセントも彼女の剣幕に恐れ入ったのか、秋生の身体から渋々手を放すのであった。


 食堂の隅のテーブルにつき、悠然と用意された料理を食べている男を、騎士達は遠巻きにチラチラとうかがっている。ランを宿舎の部屋に移して、食堂に戻ってきたエリアルドはその様子がおかしくて、クスッと笑って騎士達に声をかけた。

 「ランはもう大丈夫だ。三日も寝ていれば起きられるようになる」
その言葉に団員達からホオッと安堵の声があがった。エリアルドは黒髪の男に歩み寄り、声をかけた。

 「薬をどうもありがとうございました。お陰で助かりました。半分ほど使わせていただきました。貴重なものをすみません」
懐から男に渡された袋を取り出して礼を言った。

 「気にすることはない。それよりまだそれは必要だろうから、とっておくがいい」
きっぱりとした口調の男に、エリアルドは素直に従った。確かにまだ必要であった。
 「お言葉に甘えさせていただきます」
ペコリと頭を下げるエリアルドは、男のその冷たく無表情だとばかり思っていた面に、わずかだが優しい雰囲気があるのを感じ取った。

 「ビンセント。貴方と何処かでお会いしたような気がするのですが・・・・・・」
エリアルドは心にわだかまっていた思いを口にした。
 「この都に来るのは、本当に久しいが・・・・・・」

 意味ありげに言って、エリアルドをその茶色の瞳でまっすぐに見つめてくる。その威圧的な視線から逃れられず、エリアルドは息を飲み、男の正体についておもいをめぐらせた。
 漆黒の髪に理知的な光に満ちた茶色の瞳。最高の芸術作品とも言える整った容貌。その神々しいまでの輝きに満ちた、何人も犯しがたい気品と風格。

 (神々しいまでに・・・・・・)
エリアルドは自分の中にある懐かしい感覚に、ハッと思い当たった。かつて自分を育ててくれた神官長に、まだ幼い頃に一度だけ見せられた、普段は人の出入りが禁じられた聖域、神殿の奥深くの祭壇の壁画に描かれた守護神、青龍の勇ましい姿。それを見た時に感じた思いに似ているのだ。

 まだ、自分が神官への道を迷うことなく信じていた遠い昔の懐かしい記憶。今の自分が失ってしまった夢ととても大切な人。
 そんなエリアルドの心を読み取ったかのように、ビンセントという男は興味ふかげな視線を彼へと向けた。

 (神ハモウイナイ。今ハ全テが闇ニ包マレヨウトシテイル。オ前ノ信ジル道ヲ行クガ良イ)
「えっ!?」
彼の低い囁くような声が聞き取れず確かめようとしたエリアルドから、何事もなかったように男の視線は外されて、料理の方へと向けられていた。もう一度、尋ねようとしたその時、ドヤドヤと足音が響いて、外に出ていた騎士達が戻ってきた。二人が襲われた現場を調べに行ってきたのだ。

 「お帰りどうだった」
エリアルドの問いに、秋生と共に調べに行っていた騎士達は渋い表情で答えた。
 「それが怪我して倒れていた男達も、その痕跡さえも全然残っていないんだ。王女様からいただいた服だけはちゃんと残っていたけどな」
大事そうに抱えていた包みを、秋生は見せた。

 「そうか。ただの強盗ならばそれでもいいんだが」
「でも、確かに僕の剣を渡せって。最初から狙っていたみたいでした」
「何、ファルシオンを狙っていただと。どういうことだ」
魔物の正体を見極めることが出来るのが秋生の持つ聖剣ファルシオンだけだという話をした矢先に起きたこの事件に、単なる偶然とは思えない何かをエリアルドは感じた。

 「明日、明るくなってからもう一度調べてみよう。秋生、疲れただろう。今日はもう休むといい。お客様もお待ちかねだよ」
そういわれて、秋生は恥ずかしそうに、でも、嬉しさを隠し切れずにビンセントを見つめた。

 「はい、すみません。ビンセント、良かったら僕の部屋で休んでください」
「そうさせてもらおう」
ビンセントが立ち上がり、秋生の案内で二階の部屋へと上がっていく。男の静かな無駄のない優雅な振る舞いに圧倒されながら、騎士達は二人の姿を心配そうに見送った。

 「おいおい、二人きりにして大丈夫かな」
「大丈夫なわけないだろう。さっきのを見たか」
「ああ、秋生〜っ。あんな男に持っていかれちまうなんて、悔しいぜ」
「゛ても、秋生もまんざらじゃなさそうだったぞ」
「邪魔しに行ってやろうかな」
悔しがり、二人が消えていった二階を恨めしげに見る騎士達から、ため息が漏れるのであった。


 「ど・どうぞ」
少し緊張気味に秋生はビンセントを部屋に招きいれた。
「すぐに灯りをつけますから」
言って、部屋の中央の小さなテーブルの上のランプをつけようとした秋生の腕がとらえられ、気がついたときにはビンセントの逞しい腕に抱きこまれてしまった。

 「会いたかった。貴方のことばかりを思っていました」
切ないほどの想いの込められた囁きにうっとりと酔いしれながら、秋生も小声で告白した。
「ビンセント・・・・・・僕もです。貴方の事を想わない日はありませんでした。僕の我が儘で貴方を一人、あの森へ残してきてしまったから。でも、折角送り出してくれた貴方の気持ちに報いるには、一人前の騎士になることだから、もし、なれたらすぐにでも森へ、貴方に会いに行こうと決めたのに、気ばかり焦ってしまって。すぐにでも貴方に会いたくってたまらなかった。こんな気持ち初めてだから。貴方の事を愛しているから・・・・・・」

 「精一杯の虚勢でした。情けない男だと笑ってください。今までずっと望んで一人で暮らして来たのに、貴方が去ってしまってからは、もう、全然別の世界なんです。寂しくて苦しくて、そして、とうとう貴方を追い駆けてきてしまった」
自嘲して笑う男の腕の中で、秋生はそれを否定した。

 「嬉しい。また、僕を助けて下さいましたね。あの時、僕は必死で助けを求めていました。でも、確かにそこにいるだろう街の人たちが誰も答えてくれなくて、絶望しそうになっていました。でも、貴方が来てくれた。僕がどんなに救われたか、言葉では言い表せません。本当にありがとうございました」

 秋生は絶望にとらわれかけていた自分の心を救ってくれたのがビンセントであったことが単なる偶然には思えず、まさに運命の出会いだと感じていた。誰も答えてくれる者のいない絶望の中で、秋生の心の叫びに答えるかのように現れたその人に、優しく抱き締められることはとても恥ずかしいけれど、でも、決して嫌というわけでもなく、むしろ居心地よくて幸せだと感じてしまう自分の気持ちに改めて気がついていた。

 そりはまだ本当に芽生え育ち始めたばかりの幼い想いであったが、確かに真実の愛に間違いなかった。

                                   つづく
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