
2003年1月27日 更新
(1)
青い小鳥さん、宇宙(そら)を行く、
あの人へ伝えて。
今もこの星で貴方を待っていると。
青い小鳥さん、私は羽根のない籠の鳥。
思い出のあの曲を、
口ずさむ歌姫。
だけど、届かない、
あの人への愛を、
青い小鳥さん、どうぞ伝えて。
私は待っていると。
下の店から漏れ聞こえてくるBGMの古いラブソング。場末の酒場の歌姫だった母さんの、お気に入りの唄。
その唄の文句どおりに、『必ず帰ってくるから』と約束して、船で旅立っていった父さんの帰りを待ち続けて、そして、死んでしまった母さんが好きだった唄。
貧乏で暮らしは楽じゃなかったけれど、少女のように夢を追い駆けて死んだ母さん。船乗りの約束がその場限りの嘘である事は、分かっていたはずなのに、幸せな一時を永遠の時に変えて逝った母さん。ある意味で貴方は幸せな人だった。
夢の中で生きていられたから・・・・・・・。
残された僕にあるのは、酷い現実だけ。夢も希望も、現実が押し潰す。僕には誰も迎えはこない。ここから連れ去ってくれる人は、誰もいない。
「それじゃな、秋生。楽しませてもらったぜ。ほら、チップだ。受け取りな。じゃあな、また来るからよ」
ベッドの上に小銭を何枚か投げてよこす名も知らない男に、営業用のスマイルで挨拶を返した。
「ありがとう。貴方も最高だったよ」
本当は全然最高じゃなくて、最低に嫌な奴だったけれど、お客だからしょうがない。まあ、あんなにしたい放題していて、料金は払っているからと当然ですまされるよりも、はした金でもチップをくれるのだから、悪いお客じゃないほうだ。このお金だけは、間違いなく僕だけのものになるのだから。
お客が出て行った後、慌ててベッドから飛び起きて、お金を拾い集めると、部屋の隅のタンスの引き出しを開けて、中の巾着の口を広げると、拾った小銭を入れた。
チャリッと音はするけれど、まだ巾着の三分の一くらい。全部お客から貰ったチップだ。でも、皆がくれるというわけじゃないから、なかなか貯まらない。店から貰える給料は、微々たるもので、部屋代とか食事代とかいろいろ引かれて、生活に必要な身の回りのちょっとしたものを買うとなくなってしまう。
それでは、いつまでも此処から抜け出す事は出来ないから、こうして少しずつ集める事にしたのだ。
辛い現実で学んだ事。それは、夢はお金で買えるって事。お金さえあればこの店から自由になれるし、他所の星へ行ける船のチケットも買える。
たとえ僕が身体を売って糧にしている男娼でも、お金さえあれば誰に文句を言われる事なく堂々とチケットを買って、船に乗ることが出来る。
それには、後何年も、もしかしたら何十年とかかるかもしれないけれど(多分かかるだろうけれど)、それが僕の唯一の夢、生きる希望となっている。
ドンドン
部屋の扉を乱暴に叩く音がして、秋生はハッと身を竦ませた。
「秋生、何をグズグズしているんだい。店が混んでいるんだよ。とっとと下りて、手伝うんだ」
「は・はい」
秋生は慌てて返事をしながら、巾着をタンスの服の間の奥に突っ込み、引出しを閉めた。
「すぐ、行きます」
「早くおし。もう、愚図なんだから」
文句を言いながら、遠ざかっていく店の女将、マダム・トーニャの足音を、耳をひそめて確かめながら、秋生はフ〜ッと溜息をついた。
いつもの事だが、お客を取ったからといって、それで終わりになる事はない。ウエイターや洗い物や、閉店後の店の掃除としなくてはならない用事がいっぱいある。けれども、それは大した事ではなく、店に下りた時に浴びせかけられる好奇の視線とかあからさまな厭らしい揶揄のほうが秋生にはたまらなく嫌だった。
店に来る馴染みの客は、ほとんど秋生がお客を取っている事を知っている。下の店は酒場になっているが、お客は気に入った店の者を指名して、その者の部屋で個人的に相手をしてもらえるというシステムになっていた。
大概の客はその個人的なサービスが目当てで通ってくるのだが、秋生はこの店の唯一の男娼であった。他はみんな女性で、酒場で客の相手をして、指名があったら上の自分の部屋へとお客と共にあがって、偽りの愛の一時を過ごすのである。
最初は手伝いで女性達の世話や店の用事をしていた秋生であったが、物好きなお客が指名してからというものの、それは当たり前のことにされてしまった。
あれから二年、17になったいまでは、秋生を目当てに通ってくるお客も少なくはなかった。
秋生はもともとはこの店の歌姫であり、いつまでも少女のように可憐だった母親の面差しをそのまま受け継いだ整った面立ちをしており、質素な生活のために成長不良である華奢な体つきが災いして、中性的な危うい雰囲気が、その趣味のある者達にはなかなか人気があったが、普通の客達には揶揄するネタにされていた。
どんなに嫌であっても店に下りないわけには行かず、秋生は手早く身支度して、白のシャツに黒いズボンというウエイターの制服に着替え、騒がしい店へと下りると、自分を見て厭らしい笑いを浮かべて囁きあう客達の視線を無視して、カウンターへと向かった。
「五番テーブルに」
バーテンダーのジェイクが、愛想のない声で事務的に告げ、出されたグラスを盆にのせて、指示されたテーブルへと運んだ。
「お待たせしました」
運の悪い事に、そこは馴染み客達のテーブルで、予想どおりのあからさまな嘲笑を彼らは浮かべるのであった。
「よう、秋生、随分とお楽しみだったようだな。なかなかいい締りをしているらしいじゃないか。さっきの男はえらく浮かれて帰っていったぜ」
「なんだったらお前、一度試してみろよ。秋生がいろいろと教えてくれるぜ」
「なんだ〜っ。俺は多少歳くっていても、やっぱり女がいいぜ」
「わからねえぞ。なかなかいいかもしれないぞ」
「だったらお前が試してみろよ」
ドッと下品な笑い声を上げる男達を、気にしないように秋生は努めたが、自然と顔が紅潮するのを感じて、そそくさとテーブルに注文の品を置くと、その場を去った。
(いつもの事だ。大した事じゃない)
と、心に言い聞かせる。慣れてはいても、やはり恥ずかしかった。自分が望んだ境遇ではないが、それでも生きていかなければならない。長いこと病気を患って、結局死んでしまった母親の治療代が、積もり積もって店に借金した金額は、ちょっとやそっとじゃ返せる金額ではなかった。
それを返さなければ、自分は自由にはなれない。日々、生きていく事も、たとえ自由になれる日がきたとしても、ろくな教育を受けていない自分では、仕事に就くことも難しいだろうと思う。頭では割り切って考えているけれども、心のどこかにそんな自分を惨めに思う自分が存在していた。
今夜の店はなかなかの賑わいで、忙しさ紛れてそんな煩わしい事に気を回している暇もなく働けることが、秋生にはかえってありがたく感じられるのであった。
ザワッ
そのお客が店へ入ってきた瞬間、店にいたお客と相手をする店の女達の視線が、自然とその男へと集まり、ざわめいた。
労働者階級の集まる場末の酒場には似つかわしくない、上等のスーツをサラリと着こなした、いかにも裕福そうな、それも思わず目をひくような端正な面立ちの男であった。
この星はほんの一握りの金持ちと、そんな彼らのもとで働く労働者とで成り立っており、お互いの生活空間は、まったく隔離されたものとなっている。男は間違いなく店に集まった男達とは異なった上流社会に属する男だった。
男は自分に注がれる視線をものともせずに入り口に立ったまま、ゆっくりと店の中を見渡した。
「い・いらっしゃいませ」
近くにいた店の女が緊張した声をかける。男は彼女に何かを囁き、女はそれに頷くと、慌てたように店の奥へと走り去った。誰しもが何事かと様子を伺っているなかで、男は涼しい顔をして、その場に立って待っていた。
その時、秋生は店の奥で洗い物を片付けていた。山のように詰まれた皿やコップをなれた手つきで洗っていく。水は冷たかったが、店にいるよりもはるかに気が楽であった。
「秋生〜っ、秋生〜っ」
叫びながらやってきたのは、仲間のミランダであった。秋生よりも十も年上の彼女は、付き合っていた男の借金のかたにこの店で働くようになって半年になるが、気さくな性格の彼女は秋生のよき話相手になってくれていた。
「ミランダ、どうしたの」
「秋生〜っ、あんたにお客だよ。凄いハンサムでお金持ちみたい。あんたを探しているって」
「!?」
秋生にはミランダのいう金持ちの知り合いに全く心当たりはなかった。
「早く、早く、待っているわよ」
興奮して叫ぶミランダの様子からしてそれが嘘だとは思えなかったが、お客と聞いても、嬉しくはなかった。さっきお客を取らされたばかりの秋生の身体は、まだ先程の行為の名残に疼いていた。だが、拒む事は決して許されない。
ミランダに引きずられるようにして、秋生は店に出た。そして、入り口に立つ、長身のその姿は否応でも目に付いた。
ミランダが凄いハンサムだというのも良く分かる。確かに彼の整った涼しげな面立ちは、男であるにもかかわらず美しいと言って良かった。
その身なりと同じように高貴な雰囲気を漂わせて、汚れた自分とは違った世界の人であることを感じさせる清廉さは、この店には全く似つかわしくなかった。
「あっ、ミスター、ビンセント・青!!」
秋生はその人を知っていた。今日の昼、出会ったばかりの人であったが、忘れられないその整った容貌は、確かに間違いなかった。
つづく
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