
2003年2月26日 更新
(2)
お昼の空いた時間に、秋生はいつものように空港に宇宙船を見に行った。ラウンジの片隅からガラス越しに、いつか自分が乗ってこの星を飛び立つその日を夢見る事が、最近のお気に入りであった。
ビンセント・青と名乗るその紳士とは、そこで偶然に出会ったのである。彼は観光でこの星に来たものの、案内人とはぐれて空港内を迷っていたのだ。
そして、たまたま彼が、ホテルの場所を秋生に尋ねて、暇だった秋生は彼をホテルまで案内したのである。
ビンセント・青は、秋生の好意を大変喜んで感謝してくれ、お礼の食事を約束したが、彼が仕事の電話(どうやら彼は貿易の仕事をしているらしい)をしている間に、秋生はホテルのロビーのソファーに座って待っていたところ、ホテルの支配人に『お前のような者の来るところではない』と、追い出されてしまったのであった。
確かにそのホテルは、秋生など普段は近寄る事も出来ない超一流の高級ホテルであり、場違いなのは自分でもよく分かっていたが、少しくらいの夢を見ることも許されないというのであろうか。しかし、それが現実であることを、日々、嫌というほどに思い知らされている秋生には、支配人の言葉にも大してショックなものではなかった。
「ミスター、どうして?」
店中の者が見守る中、ビンセント・青は秋生の姿を認めるなり、その整った面に涼やかな微笑を浮かべた。
「こんばんは、秋生」
秋生は自分の名を呼ぶ男の微笑に惹かれるように、彼のところへと走り寄った。
「秋生、探しましたよ。昼間はホテルの者が貴方に大変失礼をしたようで、申しわけありません」
自分よりも頭一つ高い長身の男を見上げなければならない秋生は、その言葉にとんでもないとプルプルと頭を横に振った。
「仕方ないです。本当にそうだから。僕こそミスターにご迷惑をかけたんじゃありませんか」
「とんでもありません」
穏やかな表情で否定する彼の笑顔が秋生には眩しすぎて、慌てて身を翻すと、空いている席を探して、キョロキョロと辺りを見回し、見つけると、ビンセントをそちらの方へと案内した。
店中の者が不躾な視線を寄越して来るのが分かったが、それでも思いがけない人との再会に秋生の心は浮かれていた。
「こんなところへわざわざお越しくださってすみません。汚くてビックリしたでしょう。ミスターのような立派な方がこられるところではないんです」
ホテルの支配人は、明らかに秋生の素性に気づいていたようだし、この店を探しだしたくらいだから、ビンセントはこの店がどういう店かを知らないはずはないと思うのだが、彼の態度は昼間と少しも変わらず、秋生への口調も丁寧であった。
「そんな事はありません。貴方が私にしてくださった好意は、何ものにも変えがたいものでした。相応しいとかそうじゃないかなど気にする必要は全然ありません。それに、何より私が貴方に会いたかったのです。だからここへ来ました。それだけです。そして、こうして貴方に会えて、私は嬉しいと思っています」
「ミスター」
嬉しい言葉であった。ビンセント・青にとっては社交辞令みたいなものかもいれないけれど、何気ないその優しい言葉が、なぜだか秋生の心に響いて、涙が出そうになってしまった。
「いらっしゃいませ。秋生が何か貴方様にご迷惑をおかけしましたでしょうか?」
突然、声をかけてきたのは、店の女将、マダム・トーニャであった。太った身体に悪趣味な派手なドレスをまとい、けばい化粧で若作りをしているが、目元や首の皺は隠し切れず、かえって妙に目立って醜さを強調している。
「いえ、昼間、道に迷っていた所を、彼にホテルまで案内してもらったので、そのお礼に」
「まあ、そうでしたか。ようこそいらっしゃいました。私はマダム・トーニャと申します」
媚びた笑みで自己紹介する。そんな彼女をビンセントは軽くあしらうのであった。
「それはどうも。私はビンセント・青。すみませんが、マダム、秋生と二人で話したいので、ご遠慮していただけますか?」
ビンセントの穏やかだが、有無を言わせない拒否に、マダムの顔色がいかれに青くなり、すぐに赤くなるのを秋生は目にした。これでは後で彼女のご機嫌をとるのが大変だと思ったが、今はビンセントと一緒にいたいと思う気持ちが強かった。
「すみませんね、ミスター。この子は今、仕事中ですので、そう言う勝手を言われては困るんですけれど」
さっきとはうって変わっていやみに言い放つマダムの、怒りがただ事ではない事を秋生は感じた。
「そうですか、申しわけありませんね、マダム」
「秋生を特別に指名していただいてもいいんですけれど。料金さえ払っていただければね」
「これは失礼しました。でしたら、いくら払えばよろしいのですか」
「ミスター!!」
決してビンセント・青の口から聞きたくなかった一言に、秋生は心を引き裂かれるような痛みを感じて、縋るような視線で彼を見て、その言葉が聞き間違いであることを祈るのであった。
「一時間、三万」
マダムの告げたその金額は、通常の三倍であった。
「いいでしょう。それでしたら朝まで、秋生をお借りいたしましょう」
そう言って懐から取り出した厚い財布の中から、マダムの提示した金額よりもはるかに多めのお札を取り出してテーブルに置くと、ビンセントは立ち上がった。
マダムは慌てて、それをテーブルから引ったくるようにして取ると、金額を確認してニンマリと取り繕った笑みを満面に浮かべた。
「秋生、何をぼんやりしているんだい。お客様をお部屋にご案内しないかい」
「あっ、は・はい。ミスター、こちらへ」
マダムにせきたてられて我に返った秋生は、泣きたくなるような思いを必死に隠して、ビンセントを上の自分の部屋へと案内して、階段を重い足を引きずるようにして上がるのであった。
つづく
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