血の契り

〜魔導士誕生〜


2006年8月13日 更新

(2)


 「うわあ〜っ、綺麗だ!!」
そこには、草原が広がっていました。空は青く澄み渡り、小鳥達がさえずりながら、飛んでいきます。草の緑の絨毯の中には、色とりどりの花が咲き乱れて、心地よい爽やかな風がそれらを揺らして、渡っていきます。

 あまりにも長閑な美しい風景に、僕はしばらくの間、全てを忘れてその風景を眺めていました。
 魔界がこんなに美しい世界だったなんて・・・・・・。僕の想像では、怖い生き物がうようよと蠢いている、そんな恐ろしい世界のはずでした。

 それなのにどうでしょう。この美しさは・・・・・・。
先に入ったはずの仲間の姿は、見渡してみても何処にもありません。校長先生の言葉どおり、人それぞれに違った景色が見えているのでしょうか?

 僕はあまりの美しさに、魔界へ抱いていた恐怖をすっかり忘れてしまっていました。草の上に座って、ポカポカと暖かい日差しを浴びて、そよそよとそよぐ心地よい風に身を任せていると、昨夜、緊張してなかなか寝付けなかったせいか、急激な眠気に襲われて、いつしか僕はうとうとと眠り込んでしまいました。

 さっきまであんなに緊張していたくせに、元来ののんびりやの性格がこんな大変な時に出てしまうとは、なんて大馬鹿者なんでしょう。
 でも、凄く気持ち良かったのでした。


 フッと目が覚めると、陽は真上に昇って輝いていました。ぐっすり眠ったせいで疲れはすっかりとれていました。

 (あっ、大切な試験だった!!)
今更気がつくと言うのも、本当にマヌケなお話なんですけれど、僕は慌ててスクッと立ち上がると、魔物を呼び出す召還の呪文を唱えました。

 「我、古代よりの契約に基づき、魔を召還する。来たれ、我が友よ。我の招きに応え、姿を現したまえ!!そして、我と血の契りを交わし賜え」
大きな声で叫びながら、目を閉じて、必死で念じました。

 一分、二分がこんなに長く感じられたのは、初めてでした。僕は魔物が現れるのを願いながら待ちました。が、反応は全然ありませんでした。

 そっと目を開けても、先程と変らぬ長閑な風景が広がっているばかり。
 (失敗しちゃったんだ!!)
絶望が僕を襲いましたが、ここで負けては駄目なんだと思い直して、もう一度呪文を唱えてみました。

 それでも反応はありませんでした。
 そして、諦めきれずに何度も試してみましたが、魔物は全然現れませんでした。

 「・・・・・・我と血の契り、交わし賜・・・・・・え」
何度目か分からない呪文も、最後の方は涙がうるうる溢れてきて、途切れがちになってしまいました。これでは、魔物が現れてくれるはずはありません。

 (僕、魔導士になれないんだ・・・・・・)
やはり、最初から無理だったのでしょうか?

 やめた方が良いと薦めてくれた先生の言葉に間違いはなかったのです。結果は見えていたのです。おまけに大切な試験の途中に居眠りしてしまうなんて前代未聞の事をしてしまった愚か者は、きっと僕が初めてに違いありません。

 その上、こんな事態になって初めて僕は、先程入ってきた扉が、いつの間にか影も形もなく消えてしまっている事に気づいてしまいました。
 (どうやって帰ればいいんだろう?)

 校長先生は帰る扉は別にあるっておっしゃっていたのに、辺りを見回しても扉の姿なんて何処にもありません。

 僕は魔導士になれないというショックと、迷子になってしまったというショックに青ざめてしまいました。
 (どうしよう)

 美しい風景もそうなっては目に映りません。僕はあてもなくとぼとぼと歩き始めました。このままここにいてもどうしようもないと思ったからですが、何処へいけばいいのかも分からなくて、ただ歩くだけでした。

 やがて、草原の向こうにも森が見えてきて、僕はその中へと入っていきました。が、すぐに後悔しました。

 森は高い木が沢山茂っているために、太陽の光が届きません。そのために草原の輝くような美しさとは全然違っていて、薄暗い上に時々、ギャーッという凄まじい獣の鳴き声が聞こえてくるのです。とても怖くてたまりません。

 早く抜け出したくて、僕はひたすら速足で歩きました。
 (怖いよ〜、誰か、助けて〜っ)
心の中で助けを求めてみましたが、誰かが助けてくれるはずもなく、ますます独りであることを感じて、僕は泣きたくなってしまいました。

 ガサガサッ
近くの茂みが音を立てて揺れて、僕はヒッと息を飲んで立ち竦みました。
 ガサガサという草の音と共に、グルルルッという唸り声まで聞こえてきて、僕の心臓は恐怖にこれまでにないというくらいドキドキと高鳴り始めました。

 本当は叫び声をあげて、逃げ出したかったのですが、それだとかえって後を追いかけられそうな気がしたので、必死で声を上げないように唇を噛み締めました。

 やがて、茂みの中に光る青い瞳を二つ発見しました。
 その瞳は僕をじっと見つめています。僕は契約の魔物が現れたのだと思い当たって、怖さを隠して、声をかけてみる事にしました。

 「あ・あの、魔物さんですか?始めまして。僕、工藤 秋生っていいます。あの〜っ、もしもし」
しばらく待ってみましたが、応えは返ってきませんでした。
 やがて、ガサガサと動く音がしたかと思うと、大きな狼に似た生きものが現れました。でも、僕が知っている狼の二倍は軽くある大きさで、しかも尻尾が二つに分かれており、口から覗く牙は、大きく尖っていました。

 「あの、魔物さん――っ」
狼に似た魔物はグルルルルという唸り声をあげて僕に近づいてきます。長いしたがペロリと口元を舐めて、ニンマリと笑ったような気がしました。とても怖くて逃げだしたいのに、足が地面にはりついたように、ビクリとも動いてくれません。

 (僕の魔物さんじゃないのかな?どうしよう)
狼は僕が怯えて震えているのを見て、フフフッと藁って言ったのでした。

 「カワイイヒトノコガ、コンナトコロニイルトハ、ツイテルゼ。オビエナクテモダイジョウブダヨ。オレサマガ、バリバリトクッテヤルカラナ!!」
大きな瞳はまるで炎のように爛々と輝いています。

 「う・うわぁ〜っ、誰か助けて〜っ!!」
叫び声が口から零れ出たとたん身体の自由が戻って、僕は狼から逃げ出そうと、必死で走り始めていました。自分がこんなに速く走れるのかと初めて知ったぐらいの凄い速さでした。
 狼は僕の事を馬鹿にしたかのように、すぐに後ろを追い駆けてきます。

 「イキガヨクテ、ホントウニオイシソウダナ。ニゲテモムダダヨ。オトナシククワレナサイ」
僕が息を切らして必死で走っているのに、狼は余裕でそう言って嬉しそうに笑うのでした。

 やがて、森がきれて、大きな湖が姿を現しました。おまけに人影を発見した僕は、その人に向かって助けを求めました。

 「助けて〜!!助けて下さい〜」
 でも、その時ついに狼が後ろから僕に襲い掛かり、僕は倒れて勢いよく地面に叩きつけられてしまいました


 (食べられちゃう!!)
首筋に狼の生暖かい息を感じて、僕は死を覚悟して、ギュッと目を瞑りました。

 ズシャッ、ギャ〜ッ
凄まじい叫び声が響き渡り、狼の身体が僕の上にドシッとのしかかってきて、ドロリとした暖かい液体が僕の手を濡らしました。

 (ああ、僕、死んじゃうんだ)

 「大丈夫ですか?」
低い男の人の声が僕に呼びかけ、手を掴んで狼の下から引っ張り出してくれました。

 「もう大丈夫です。狼は退治しました」
言われて、僕は半身半疑で瞑っていた目をそっとひらいてみました。

 「あっ!!」
そこには、今まで見た事がないくらい綺麗な男の人が立っていました。

 背は友人のハンクと同じくらい高く、スラリとしていて、顔の部品がどれも形よく整っていて、それが絶妙なバランスで配置された、とても美しい人でした。目の色と髪の色は黒で、瞳には知的な光が宿っていて、僕をまっすぐに見下ろしていました。

 (なんて綺麗な人なんだろう)
じっと見つめられているとなんだか恥ずかしくなってきて、頬が赤くなってしまうのでした。

 「怪我はありませんか」
「は、はい」
慌てて頷くと、その人は手に持っていた剣をサッと腰の鞘に戻し、クルリと踵を返すと、スタスタと元いたところへと帰り始めました。

 黒のシャツに黒のズボン、黒のマントとブーツという、黒ずくめのその人の格好と立派な腰の剣からすると、どうやら騎士様のようです。腕前といえば、僕に襲い掛かってきて狼は、見事に身体が半分に切られて、絶命しています。

 僕は助かったんだという安心感から、その場にヘナヘナと座り込んでしまいました。
 (良かった〜っ)
あのまま狼に食べられていたらと思うと、背筋がゾーッと寒くなります。

 (あっ、僕の馬鹿。騎士様に御礼を言ってないや)
混乱していたとはいえ、命の大恩人に御礼を言わずにいた自分が恥ずかしくなって、僕は慌てて立ち上がると、騎士様のいる方へと近づいて行きました。

 騎士様はどうやら湖で釣りをされているようでした。僕は後ろからそっと騎士様に声をかけました。

 「あの〜、騎士様。助けて下さいましてありがとうございました」
「・・・・・・」
振り向いてくれませんでしたが、片手をあげて合図してくれました。

 「騎士様は、釣りをお楽しみでだったのですね。ご迷惑をおかけしました」
僕はそう言いながら、一体何が釣れるのだろうと思って、騎士様の側に座って、しばらく様子を見ることにしました。

 のんびりとした雰囲気の中、騎士様のウキはピクリともしません。それでも、退屈どころか、僕の心は期待感でワクワクと弾みました。

 騎士様は何も言わずに座って、釣り糸をたれています。僕達は無言のままに、不思議な時間を過ごしてしまいました。

 
気がつけばいつしか日は西に傾き始めていました。
 グウウウウ〜ッ
突然、なったのは僕の節操のないお腹でした。思えば朝寝坊して、何も食べていません。

 それにしても少し恥ずかしくて、なんて騎士様に言い訳しようかと思っていたら、彼は手元の紐を引いて、湖の中から籠をひきあげて、僕に差し出しました。

 「腹がへっているなら食べなさい。私の分も作ってくれると助かります」

無表情のままでしたけれど、僕は騎士様のさりげない優しさが嬉しくなってしまいました。

 「はい、ありがとうございます。すぐにご用意いたします」
籠を受け取った僕は、その中に30センチくらいの鱒が5匹も入っているのに驚きながら、魚を焼くためには焚き火が必要だと思い、まずは薪を集める事にしました。

 でも、さすがに森の中に入るのはためらわれたので、湖の岸の周りで探しました。が、思いがけなく調達出来ました。

 薪を組んで、その周りに小枝に刺した鱒を並べました。火をつけるものは持っていなかったのですが、心配はありません。僕の得意の魔法が役に立ちました。

 「火の精、お願い!!」
薪が燃えさかる様子を願いながら呪文を唱えると、パチパチという音共に、ボッと薪が燃え上がりました。

 自分でもうっとりするくらいの魔法なんですけれど、これって魔導士としては初級も初級の魔法なんです。

 魚が焦げないように、クルクルと回していたら、岸様がお肉の塊をドカッと大きな木に刺しておいてくれました。

 「先程の狼ですが、まあ、腹の足しにはなるでしょう」
食べられそうになった相手を食べるというのも、なんだか可笑しな感じがしましたが、お肉の焼ける匂いが余りにも美味しそうで、またまたお腹がグーッとなってしまいました。
 でも、騎士様はそれを笑うこともなく、僕の側に静かに座りました。

 「貴方の名前はなんというのですか?」
「あっ、すみません。まだ、名乗っていませんでしたね。僕は工藤 秋生といいます」
「私は、ビンセント・青です。秋生、貴方は魔導士なのですか?」
尋ねられて、僕は『はい』と大きく頷きました。

 「まだ学生なんですけれど」
「なるほど、人間の子供がこんなところで一人でいるなんて変だと思いました」
「もう、子供じゃありません。16です」

 普段、学校の仲間達と比べて子供っぽいかなと自分で思ってはいたものの、騎士様に子供扱いされるのは何故か凄く嫌に思えて、ついつい強気な発言をしてしまいました。が、すぐになんて失礼な事を言ってしまたのかと、後悔しました。

 「それは失礼しました」
騎士様は気にした様子もなく、その整った顔に少しだけ笑みを浮かべました。

 (あっ、やっぱり格好いい人だなあ)
僕よりも10ぐらいは年上だと思われる騎士様は、大人で随分と落ち着いていて、それに仕草の一つ一つが優雅で決まっているんです。

 やがて、魚も肉も美味しそうに焼けて、ますます食欲をそそる匂いがたちこめて、僕達はさっそく食べる事にしました。

 「あっ、そうだ。ハンクに貰ったおにぎりがありす」
僕はポケットからハンクに貰った包みを取り出しました。包みの中にはおにぎりが3個ありましたが、少し潰れ気味ではありましたけれど、僕は自分のを1つ取ると、残りを騎士様に渡しました。

 「朝、食べられなかったので、友達のハンクが作ってくれたんです。よかったらどうぞ」
「すみません、秋生。ありがとう」
潰れ気味のおにぎりを、騎士様は嫌がる風もなくうけとってくれたので、僕はホッと安心しました。

 その食事は特に味付けをしたわけでもないのに、とても美味しくて、僕は沢山食べてしまいました。
 そして、その合間に卒業試験の話を騎士様にしました。自分の事を話すのは恥ずかしかったのですが、そんな僕の気持ちを察してか、僕のドジぶりを笑うでもなく、ただ黙って聞いてくれました。

 「そんな大事な試験なのに、ここで時間をつぶしていてもいいのですか?」
騎士様は僕の話を聞き終わった後、そう尋ねました。

 「もう、駄目なんです。僕、魔物の召還に失敗しちゃって、契約を結べなかったから、不合格なんです・・・・・・」
そう自分で言っているうちに、なんだか悲しくなってきて、涙が零れそうになってしまいました。

 いつもはこんなに泣き虫ではないはずなのに、今日はいろんな事があり過ぎたので、ちょっと疲れているのか情緒不安定で、おまけに騎士様が優しいので、甘えてしまっているのかもしれません。

 「帰る扉も見当たらなくて、僕、迷子になっちゃったみたいなんです」
そこまで行った時、ついにポロリと涙が零れてしまいました。
 すると、騎士様はそっと指で僕の涙を拭ってくれました。

 「秋生、泣く必要はありません。その扉の場所でしたら、私が知っています。此処からは少し離れていますから、明日、そこまで私がお連れしましょう。心配しなくても良いですからね。今夜は私の屋敷に泊まるといいですから」

 おもいがけなく嬉しい申し出に、僕は驚いてしまいました。
「本当に甘えちゃってもいいですか?」

 あんな狼のような怖生き物がいる世界で野宿するなんてとても危険だし、騎士様とこのままお別れするのもなんだかとても残念な気がしていたので、僕は騎士様の申し出を、少し図々しいかなと思いながらも、素直に受ける事にしました。

 「助けたついでです」
そうぶっきらぼうに言う騎士様でしたが、僕は嬉しくて、また泣いてしまうのでした。

 食事を終えた僕達は、騎士様のお屋敷に向けて出発する事にしました。
 今まで何処にいたのか全然気がつかなかったのですが、いつのまにか白馬が騎士様の側に歩み寄ってきました。

 騎士様は馬の上に僕を抱き上げて乗せてくれると、優雅な身のこなしでヒラリと僕の後ろに飛び乗りました。

 背中から騎士様に抱き込まれるような形で、ポコポコとゆっくりと歩く馬に揺られていると、なんだかとても心が温かくなってしまいました。

 試験は駄目でしたけれど、こんなに素敵な騎士様に助けられ、お知りあいになれたのはある意味幸せかなって、思えたからです。

 すると不思議なもので、少し心に余裕が生まれると、たとえ自分が魔導士になる事が出来なくても、その仕事のお手伝いぐらいは、勉強して得た知識で出来るのではないかと、考えられるようになりました。

 以前の、何も知らなかった子供の頃よりは、ロデムお師匠様のお手伝いもいろいろと出来ると思ったのです。

 閉ざされたと思った道に、再び灯りが差した気がして、僕はすっかり元気を取り戻す事ができたのでした。

                               つづく
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