血の契り


〜魔導士誕生〜


2006年11月5日 更新


 騎士様は、僕をベッドの上にそっと寝かせると、自分は椅子をベッドの側まで持ってきて、座りました。外の月明かりの中に浮かびあがる騎士様の姿は美しく、まるで幻のように薄闇の中に浮かび上がっていました。

 「秋生、貴方は私の事を騎士だと思っているようですが、本当は違います。騙してすみません。許して下さい」
「えっ、騎士様ではないのですか?」

 狼を一撃で倒した剣の腕前を見て、僕はそうだと思い込んでいたのですが、思えば彼がそうだと名乗ったわけではなかったのでした。

 「あっ、僕の勝手な思い違いだったのですね。すみません、ビンセント様」
「ビンセントとお呼びください。貴方は忘れているようですが、ここは魔界です。そこの住人である私は、当然、魔物なのです」

 「えっ!?」
僕は耳を疑いました。目の前にいるこの美しい人が魔物のはずはありません。

 「もう、ビンセント様ったら僕をからかっていらっしゃるのですね。でも、騙されませんから。貴方が魔物だなんてそんな事信じられません。だって、何処から見ても人ではないですか?」

 「ビンセントです、秋生。嘘ではありません。今は私は人型ですから人間と寸分違わぬ姿ですが、別の姿も持っているのです。きっとその姿を見れば貴方は私を恐れ、嫌うようになるでしょう。人から見ればとても醜い姿なのです」

 そういうビンセントの目には何処か悲しそうな光が宿っていて、彼が心からそう思っているのだという事を僕は感じました。

 「そ・そんな事、ありません。だってビンセントは、ビンセントだもの。僕を狼から救ってくれた命の恩人にかわりありません。そうでしょう」
僕はベッドから身を起こして、必死で否定しました。

 「貴方は本当に変っていますね、秋生」
そう言いながら、ビンセントはクスッと微かに笑い、右手を伸ばして僕の髪にそっと触れるとゆっくりと撫でてくれました。その手の温もりと優しさが本物である事を僕は信じていました。

 「人は魔物を恐れるものです。最初は力を望み感謝しますが、そのうちに恐れるようになるのです。貴方も本当の私を知れば、きっと恐れるようになるでしょう。それを考えると、正体を告げることが出来なかったのです。許して下さい」

 「そんな僕が勝手に騎士様だと思い込んでいただけですから。それにこうしてちゃんと話して下さったし・・・・・・。ビンセントはとても優しくて、情けないおちこぼれの僕にこんなによくして下さってるではありませんか。僕、お会いできて良かったと思っています」
「ありがとう。そして、すみませんでした」

 ビンセントが本当に嬉しそうに笑って、僕に深々と頭を下げたので、僕は慌ててしまいました。だって感謝しなければならないのは僕の方だからです。

 「どうして謝るのですか?」
「契約の事です。貴方が悲しんでいるのに、知らぬふりをしてしまいました。ずっと黙っているつもりだったのにです」

 言われてハッと思い出しました。大切な事をすっかり忘れてしまっていたのです。僕は魔物と契約するためにこの世界へ来たのです。でも、魔物は僕の召還の呪文に答えてくれませんでした。このままでは実技試験は不合格になってしまい、僕は魔導士になる事が出来ないのです。

 でも、それは僕の魔法の力が駄目なだけで、ビンセントが魔物であったとしても、僕が契約を結ぶ魔導士として力不足で、契約に値しないのだから仕方のないことです。

 ビンセントは僕の事を可哀想に思ってくれているのです。その同情を僕は嬉しく感じる一方で、寂しいとも感じてしまいました。

 もし、僕にもっと力があったらビンセントは間違いなく契約してくれたでしょう。こんなに素敵な人と契約が結べたら良かったのにと思うと、なんだか自分が惨めで情けなくなってしまいました。

 そんな僕の心境が顔に出てしまって、表情がみるみる曇っていくのに気がついて、ビンセントは何を思ったのか、急に僕をギュッと抱き締めたのでした。

 「すみません、騙していて。こんな私をどうか嫌わないで下さい」
切ない思いのこもった声で、そっと僕に言ってくれました。

 僕は抱き締められた驚きと恥ずかしさにボーッとしてしまいました。ビンセントの胸はとても温かくて、うっとりするほど気持ちが良かったのです。

 そして、何より僕に嫌われたくないという言葉は、心の奥に深く染み込んでいきました。だって、僕も彼に嫌われる事を恐れていたからです。お互いの気持ちが一緒だったということが、とても嬉しくてたまりませんでした。

 その涙は嬉しくて思わず零れてしまった涙でした。けれども、ビンセントは僕が悲しくて泣いたのだと勘違いしたらしく、整った顔に困ったような表情を浮かべて、慌てたように言うのでした。

 「泣かないで。どうか、泣かないで下さい。どうすれば許してくれるのですか。秋生、教えて下さい」
「ち・違うんです。僕、嬉しかったから・・・・・・」

 ほらもう大丈夫だからと、僕は彼を安心させようと涙を手でゴシゴシ拭いて、彼に笑って見せました。

 「魔法の力がない事は僕が一番よく知っていますから、契約が駄目でも仕方がないんです。だから、ビンセント、気にしないで下さい。僕が嬉しかったのは、ビンセントが僕に嫌わないでって言ってくれたからです。僕の方こそビンセントに嫌われたくないってずっと思っていたから、嫌いじゃないって事はちょっと好きでいてくれているって事でしょう。だから、なんか、嬉しかったんです」

 「秋生!!」
その瞬間、僕は固まってしまいました。だって、だって、ビンセントの唇が、僕の唇に触れたんです。

 (嘘っ!!)
信じられませんでした。だって彼みたいに素敵な人が、僕にこんな事をするなんて思っても見なかったし、それに僕、キスなんて初めてでしたから。

 それはとても気持ちよくて、うっとりとしてしまった僕は、ビンセントの唇が離れた時には最早放心状態で、ただ、これが夢でない事だけを願いながら、彼にしがみついていました。

 「秋生、貴方と契約しましょう。私でいいですか?」
「えっ、ほ・本当ですか?」
僕は彼の事が信じられませんでした。だって、そうでしょう。こんな夢みたいな事が本当のわけありません。

 「はい、本当です。貴方とならば喜んでさせていただきます」
ビンセントが大きく頷いて、本当だと示してくれました。

 「う・嬉しいです。ああ、僕、魔導士になれるんですね」
もう駄目だと諦めかけた長年の夢が、思いがけない形で叶うんです。嬉しくないはずがありません。おまけに、契約をしてくれる相手がこんなに素敵なビンセントだなんて、もうラッキーとしか言い様がありません。

 「あの大講堂の扉には、古代魔法がかけられていて、そこを開けて入った者の力に応じて、魔界の中から選ばれた魔物と引き合わされることになっているのです。
 だから、貴方と私が出会ったことは、本来ならばそれだけで契約に値します。あの狼はたまたま入り込んでいた雑魚に過ぎません。が、時々、ああいう奴らに力のない魔導士が襲われ、食べられてしまう事があります。
 残念ながら魔界は弱肉強食の世界ですから、どうすることも出来ません。
 魔導士と契約するかどうかは魔物の意志にまかされています。だから、もし、召還の呪文を唱えても魔物が現れなかった場合は、選ばれた魔物にその意志がなかったということになります。

 何故選ばれるかは古の魔法ゆえに分かりませんが、力だけではなく運命的な絆が呼び寄せるのだといわれています」

 ビンセントが静かに語り始めた話を、僕は彼に身を任せたまま聞いていました。

 「秋生、貴方の召還の呪文は、確かに私に届いていました。が、私はそれを無視しました。誰とも契約をかわすつもりがなかったからです。
 でも、貴方は一生懸命に何度も呪文を繰り返していました。それで私は、一体どんな人間なんだろうと興味を覚えたのです。狼の事は本当に偶然でしたが、結果的に私は貴方と出会うことになってしまいました。
 遠い昔に一度私が契約を結んだ相手は、最初こそ私の存在を喜んでくれましたが、そのうちにこの力や本当の姿を疎むようになり、信頼関係は無惨にも崩れ去りました。
 その時、私はもう二度と契約など結ばないと決めたのです。
 けれども、秋生と出会って、その頑なな思いはあっさりと消えうせてしまいました。貴方の素直さが私の凍りついた心を解かしてしまったのです。こんな私と貴方は契約してくれますか、秋生?」

 僕は迷わず大きく頷きました。ビンセントと契約が結べるなんて、こんな幸せな事はありません。

 「はい、喜んで。どうぞよろしくお願いします」
「契約成立です。さあ、血の契りを交わしましょう」
「はい。でも、血の契りってどうすればいいのでしょうか。学校でも教えてくれなかったんですけれど・・・・・」

 召還の呪文は教えてもらいましたけれど、契約に関しては実際にどうするかは、魔物によって望むものが違うからという理由で、特には教えてくれませんでした。その契約は、魔物と魔導士の間だけで結ばれるものらしいのです。だから、僕も興味津々でした。

 「心配はいりません。全て私に任せて。始めは怖いかも知れませんが、すぐに慣れますから、我慢してください」
「はい、よろしくお願い致します」

 僕は神聖な儀式を予想して、心を落ち着けるために大きく深呼吸をすると、覚悟を決めて目を閉じました。

 ゆっくりとベッドに寝かされたのを感じました。そして、ビンセントが僕の上に覆い被さるようにして、再び唇を奪われてしまいました。

 「う・ううんっ」
先程よりもねっとりとした熱い感触に、僕はたまらず頭を振って逃れようとしましたが、顎をガッチリと捕らえられて、どうすることも出来ませんでした。

 (こ・これが血の契りなの!?)
その時になっても僕はまだ自分の状況が良く分かっていませんでした。
 ただ、随分と気持ちが良くて、恥ずかしい儀式だというぐらいにしか思ってなかったのです。

 執拗にキスが繰り返されて、ビンセントの唇が離れた瞬間、僕はたまらず甘い声を上げてしまいました。
 「あっ、ああんっ」

 自分の声とは思えない甘えるような声に驚いてしまいました。おまけに身体中が火照って、ドキドキと高鳴る鼓動と共に、頭がぼんやりとしています。

 「秋生」
耳元でビンセントに囁かれて、ビクッと身体が跳ねてしまいました。

 「怖がらないで、秋生。私に全てを任せて」
「で・でも・・・・・・」
「いいからじっとして」

 僕は言われたとおりにジッと我慢して、全てをビンセントに任せました。

 彼に再び唇を奪われて、それから胸とかおなかとか、恥ずかしくて言えないところにまでキスされて、くすぐったいような気持ち良いような感覚に襲われて、もう分けがわからなくなってしまいました。

 でも、その後はもっと大変でした。血の契りという意味も良く分かりました。身体を引き裂かれるような凄い痛みが僕を襲って、それからの事はもうほとんど覚えていません。辛くて苦しいのに、何故か気持ちよくなっていって、何がなんだかわからないうちに、気絶してしまったのでした。

 ビンセントはすぐに慣れるといいましたけれど、僕は二度と御免だと思うほどの痛みだったのです。
 出来る事ならば、もうしばらくはしたくはありません。

 でも確かなのは、ビンセントと僕は血の契りを交わし、魔導士と魔物との契約を結ぶ事ができたという事です。
 これで僕は実技試験にも合格する事が出来るし、魔導士になるという小さい頃からの夢が見事に叶うのでした。

                                       つづく
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