血の契り

2007年5月6日 更新
(6)

〜魔王の告白〜

 その時、人間界と魔界を繋ぐ、古の魔法がかけられた扉が開かれるのを感じた。

 それは、自分に訪れた幾度目かの契約の誘いであった。その確かな回数など記憶にも残っていない。交わしたのは一度だけであり、後は無視し続けてきた。

 今度も無視するつもりであった。契約するか否かは魔物の意志に任されているのだ。契約したくなければ魔導士の前へ姿を現さなければいいのだ。

 扉が何を根拠にして相手を選ぶのか、余りにも遠い昔の魔法故に、その理由を知る事は出来ない。が、私には契約する気などまったくないというのに、どうして扉は、再び私を選んだというのだろうか。酷な事をするものである。

 他に人間と契約する事によって、二つの世界を行き来したいと願う魔物は、山のようにいるというのに、契約の意志のない私に無視された魔導士の卵は、それでその道を閉ざされてしまうのだ。

 だからと言って、同情して契約するなど御免であった。そんな煩わしいものに己の自由を束縛されるなど、考えるにも値しない。

 遠い昔に一度だけ結んだ契約は、私の心に蟠りを残して終わった。契約した人間が死んだからだ。二人の間に何があったかは、あえて語るまい。

 ただ、それから私が悟った事は、人と魔物は相容れぬ存在だということであった。

 ただでさえ、魔界を支配する四天王の1人、青龍としして多忙を極める私が、何故、人の助けをせるばならないとうのか。一体、人が私に何をしてくれるというのか。

 何かを期待して、裏切られるという苦い思いなど、二度と味わいたくない。だから、私は今回も無視するつもりであった。

 どんな相手なのだろうか?と、思ったのは、ほんのきまぐれであった。慌しい毎日の連続に、少し疲れていたのかもしれない。否、魔王たるものが疲れるなどという事は絶対になく、言い換えるのならば、少し退屈していたというのが、本当のところだろうと思う。

 そう、退屈していたのである。

 その人物は扉から出てくると、辺りの風景をキョロキョロと落ちつきなく見渡して、楽しんでいるようであった。

 私は扉のある場所から少し離れた湖の湖面に、その映像を映し出しながら、釣りに興じていた。まともに取り合うのも馬鹿馬鹿しいと思ったからで、片手まですむことであった。

 ただ驚いた事に、まるで少女のように可憐な風情の少年であった。華奢で可愛らしい顔をしたその少年は、辺りの風景をなんともいえない喜びに満ちた笑顔で眺めていたが、やがて座り込んだかと思うと、そのまま眠ってしまったのである。

 私はどうしてこんな頼りない子供が、自分の契約の契約の相手として選ばれたのかが、納得出来なかった。過ごし魔法の使い手とはとても思えない。私は呆れながらも、安らかに眠る少年の、幸せそうな寝顔を眺めていた。

 やがて、パチリと開いた大きなつぶらな瞳に焦りが浮かび、慌てて起き上がった少年は、召還の呪文を唱え始めた。

 稚拙で力など微塵も感じられない呪文であり、私は落胆した。何故、このような未熟な者と、この魔王たる私が契約せねばならないのだろう。これが扉の運命的なつながりによる選択であるとは、とても信じられなかった。

 少年は真面目な顔をして、何度も何度もその呪文を唱え続けた。もっと力があるのならば、魔物の意志に関係なく引き寄せられる事もあるが、魔界一の力の持ち主である私には、無意味であった。

 やがて少年の顔に、失望の暗い陰がさし、呪文も途切れがちになって、ついにはポロリと涙が零れてしまった。

 一度召還して駄目ならば、何度繰り返そうとも無意味であるというのに、少年は必死に呪文をと唱える。さっさち諦めてしまえば良いと思うのにと思う一方で、真剣そのものの少年が何を思ってそこまでやろうとするのかが、知りたくなった。

 その少年の零した涙を、否定することが何故か私には出来なかったのである。

 それでも、やがて召還を諦めた少年は、あてもなくフラフラと歩き始めた。

 まったく危険であった。魔界は弱肉強食の世界である。強い者だけが生き残れるのだ。それなのにろくに魔力も持たない無防備そのものの少年がうろうろしているというのは、食ってくれと言っているのと同じ事である。

 きっとこの少年はそんな事など考えもしないのだろう。

 人の世界に戻る扉はどうした事か、閉じたままで姿を消してしまっている。帰ろうにも帰れないのだ。

 愚かなことに少年は、森の中へと入って行ってしまう。

 案の定、たまたま通りかかった狼に見つかり、襲われそうになって慌てて逃げ始めるが、餌食になるのは時間の問題であった。

 それでも、必死で走る少年が自分の方へと近づいて来るのを感じて、私はどうしようかと考えた。

 放っておいて、たとえ狼に喰われようとも、それは私には関係のない事である。
 だが、扉に選ばれた運命の相手を、みすみす見殺しにするのも寝覚めが悪いかなと、考え直した。

 少年を助けるというのではなく、魔王の契約相手を、下等な魔に喰われてしまうというのが許せないだけであった。

 少年がついに狼に組み伏せられ、今にも喉笛を喰い破られようとしたその時、私は腰の剣を引き抜いて、狼を一刀両断にした。

 こんな雑魚に魔力など必要はなかった。ただ、自己満足のためにした、ほんの暇つぶしなのだから・・・・・・。

 近くで見た少年は、思ったよりもずっと子供であった。抱き締めたら壊れてしまうようなはかなさをもっていた。狼に襲われた事でよほどショックだったのだろう。顔は青ざめて、身体を小さく震わせていた。

 だが、それ以上関わる気はさらさらなかったので、私はもといた場所に戻り、釣りを再開した。

                                         つづく
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