血の契り

2007年7月16日 更新
(7)

〜魔王の告白〜


 それで終わりになるはずであった。

 ところが、何を思ったのか、少年は私に声をかけて来た。騎士様と私を呼ぶ、その邪気のない明るい声と態度に、あからさまに邪険にする事も出来ず、早く何処かへ行ってくれと心で願いながら、様子を伺うことにした。

 だが、そんな私の想いとは裏腹に、側にちょこんと座ったまま、動こうとしないのだ。

 ニコニコと楽しそうに微笑みながら、釣りを楽しんでいるようである。先程まで暗い顔をして震えていたのが嘘のようである。すぐに飽きるだろうと思って無視していたが、いつまでたっても動こうとしなかった。

 (変った奴だな・・・・・・)
私はほんの少しだけ少年に興味を持った。といっても、いつまでこうしているつもりなのだろうかというだけの事である。

 魚は釣れず、ウキもピクリともしないのに、何が楽しいのかずっと見つめている。素直な真っ直ぐな瞳と可憐な容姿に似合う純粋な心を持った、まだほんの子供なのであると私は感じた。

 柔らかそうな髪も大きな瞳も黒ではなく、茶色に近いる唇は薄く赤く、肌は滑らかそうであった。少女と身間違えられても仕方のないような可憐さであった。

 グウウウウ〜ッと少年の腹の虫がなった時、私も随分と長い時間を過ごしてしまっている事に気がつき、驚いた。いつの間にやら日が傾き始めていたのだ。

 何もなくて退屈であるはずなのに、そうだと微塵も感じる事のなかった時間。こんなにのんびりと過ごせたのは、久しぶりのような気がした。

 おまけに腹をならしてしまった事を恥ずかしがっている少年の慌て様が面白くて、密かに魔法でビクのなかに鱒を入れると、少年に渡した。腹が減っているのは間違いないので、どんな反応をするだろうかという、面白半分の気持ちからであった。

 ところが、本当に嬉しそうにニッコリと微笑んだのである。なんと単純で素直過ぎる人間なのかと、呆れるのも馬鹿馬鹿しいほどの無邪気さであった。

 そして、自分が用意すると言って、ちょこまかと動き回り、薪をひろい集め、魚を小枝に刺したりと、なかなか器用に準備を整え、おまけに魔法を使って、火を点けて見せたのであった。

 少年の願いに応じて、火の精達が喜んでいるのが私には分かった。魔法がまるっきり駄目なわけではないらしい。初級の魔法ではあるが、気難しい火の精達がこれほど快く応じるというのは、そうはない事である。

 少年の心に他人を蹴落としてまで戦いに勝とうとする野心というものが欠けているせいで、攻撃系の魔法が使えないのではないかと思う。魔導士としての素質がないわけではなく、まだ、それが開花されていないのだ。

 だが、この少年が野心に燃えて、上り詰めて行く姿は見たくないと思うのであった。

 狼の肉と鱒がいい具合に焼けて、今にも涎をたらさんばかりの少年の腹がまた音をたてる。恥ずかしそうに笑う顔は、本当にまだ幼い子供のようで邪気がなかった。

 私は少年のことがいろいろと知りたくなり、火の側へと座り込んだ。

 名前は、工藤 秋生といった。秋生は私の事を騎士と誤解しているのをいいことに、知らぬ振りをして質問してみた。

 歳は16だと言ったが、もっと幼く見える。魔導士学校の卒業試験で魔界に訪れる者は、大概は20を過ぎている。

 このような幼さで卒業試験を受けているという事は、本当に幼い頃から親元を離れて、勉強してきたのであろう。

 幼い外見にしては、芯は結構しっかりしていて、なかなか利口そうではあるが、その性格の単純さな素直さと、少女のように可憐な外見が災いして、頼りない感じに見えてしまう。

 だが、それがなんともいえない庇護欲をそそるのである。目を離せない。もっと構いたい。大切にして自分が守ってやらねばならないのだという、使命感を覚えるような危うさが秋生にはあった。

 朝食を食べそこなった秋生に友達のハンクとやらが作ったという、歪んで半分潰れかけのおにぎりを、それは大事に美味しそうに食べている。そんないじらしい健気さも、私には心地よく感じられた。

 だからであろうか。普段だったら口にしようとも思わない狼の肉や、鱒や塩味だけのおにぎりが、とても美味に思えてしまったのである。

 秋生は食べながら自分の話をあれこれとしてくれたが、さすがに卒業試験の話に触れたときは、気まずいものがあった。

 今まで笑っていたはずの秋生の顔に、みるみるうちに暗い陰がさし、瞳に涙が溢れてきてしまったのだ。

 魔物の召還に失敗して、魔導士になる夢を断たれてしまった秋生の悲しみの、大きな原因である私が、可哀想だと思うのは間違っているかもしれないが、秋生の涙を目の当たりにして、少しだけ後悔したのは事実である。

 かえる扉が見つからなくて迷子だという秋生をねこのままにしておくわけにも行かず、契約を破棄してしまった罪滅ぼしと言うわけではないが、せめて無事な姿で人の世界に戻してやろうと思ったのも、気まぐれからであった。

 だが、そんな事情も知らずに本当に嬉しそうに喜ぶ秋生の姿を見ていると、申し訳ない反面、感謝されて満足している自分が心の奥に確かに存在していた。

 馬上で、その華奢な身体は私の胸にすっぽりおさまり、その温かさを感じているうちに、私の心にも温かなものが芽生え始めていた。それは不思議な感覚であった。切なくて、愛しくて、このか弱き存在を守りたいと心が望んでいるのだ。

 ドキドキと高鳴る鼓動を知られないように、平静を装いながら、久しぶりに感じるときめきに驚き、否定するでもなく受け入れるのも、快いのであった。

 人と過ごす事がこれほどに苦にならず楽しいと感じるのは、本当に久しぶりの事であった。
もとから冷静沈着な性格が災いして、どんなに楽しくて大切な時でも、何処か冷めた目で分析している自分がいた。

 秋生と過ごしていると、ころころと変るその表情を追いながら、一生懸命に話す事を聞き逃すまいと必死になるので、そんな余裕などなく、一喜一憂する秋生と共に、気を使うというのではなく、とても自然な気持ちで笑ったりムッとしたりする事が、とても楽に出来るのであった。自ら心にかけていた重い枷が外れたような、そんな開放感すらあった。

 その時には既に秋生に惹かれていたのだった。

 果実酒を飲んで話しているうちに、昼間の疲れが出たのか眠ってしまった秋生を、そっと抱きかかえて客室のベッドに寝かせた時、私は自覚したのであった。

 (秋生をこのまま帰したくない)
独りを好み、孤高の貫いているのが自分には一番あっていると思っていたが、それはとんでもない間違いであったようだ。自分は今まで、共に在りたいと心から思える相手と巡り会えていなかっただけであったのだ。

 過ごした時間の多さではない。出会ったばかりの相手であっても、惹かれる心に間違いはないと確信できる。

 扉が選んだ運命の相手は、決して間違っていなかったのだ。私達は出会うべくして出会ってしまったのだ。これは偶然ではなく人然なのである。

 安心しきって眠る秋生の顔を見つめていると、段々と心が高鳴っていくのが分かった。秋生の事をもっと知れたい。出来る事ならずっと一緒にいたいと思った。

 そして、私は決心した。秋生と契約しようと・・・・・・。

                                       つづく

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