2003年7月1日更新

(2)


 全てを三家の党首たちに任せて、私、ビンセント・青は最高速を誇る最新型の光速宇宙船に飛び乗った。辺境の惑星、ラ・メールまで四日の旅である。
 その間も時間を惜しむように、『春麗』とその息子、『秋生』に関する情報を集め、一方で、『冬子』様に対抗するために、考えられるあらゆる策を密かに手配する事に費やした。

 だが、ふと、気がつけばあの人の事を懐かしく思い出していた。それが今はもう過去となり、二度と現実にはならない事実が、私の心に氷のように突き刺さり、凍結させていた。

 私が青龍家の当主になって五年。その人と共に歩める事が、何よりの幸せであり、私の存在の全てといってよかった。尊敬し、慕い、信頼していた。
 彼のために働ける事が嬉しかった。日頃から感情を押し殺し、沈着冷静で、冷たい仕事の鬼のように人々には言われる私が、安心してすべてをさらけ出して付き合える数少ない人物の一人であった。

 愛と呼ぶにはおこがましく、黄龍家を補佐する青龍家の当主の義務だと言うのには物足りない感情。それを意識する事を極力避けてきたが、彼を失った今、自分の中の何かが欠けたような喪失感を自覚し、深い後悔に苛まれていた。

 本音を言うならば、彼の葬儀などに参列したくなかった。棺に横たわる彼は自分の知る彼ではないのだ。生きて今すぐその暖かな瞳で自分を見つめて欲しいと、泣いて懇願して取り乱してしまうようで、恐くて体よく逃げ出して来たようなものである。そんな情けない自分を辛うじて正気に保っているのが、彼の息子かもしれない『秋生』という少年の存在であった。

 手元に届けられたばかりの、『春麗』の息子、『秋生』の写真。鮮明ではないが、線の細い儚げな容姿は、『春麗』譲りであった。17にしては、幼い感じがする。だが、その瞳は素直で優しげで温かであり、期待すべき逸材であることを、祈ってやまなかった。

 我々四家の当主が、彼の実姉である『冬子』様を新しい総帥とすることを躊躇する理由は、彼女の性格を知るが故であった。
 その頭脳の優秀さから言えば、彼よりも秀でているといってもいいだろう。だが、彼女は冷酷で、自分の野望のために犠牲を払う事に、何のためらいも感じない人物であった。それは、実の弟である彼が総帥につくことを認めず、失脚を狙ってあらゆる妨害を行い、命さえも幾度となく危険にさらしたのである。

 それは実に巧妙であり、その罪を公に確定するには、いつも証拠不十分で有耶無耶にするしかなかった。彼女の野心は、今以上の富と名誉を得る事であり、確かに我々の望むものも、黄龍グループの繁栄ではあったが、彼女は自分のためにだけそれを欲しており、グルーブで働く多くの者達のことなど、彼女の頭の中には少しも存在していない。

 言うなれば我々黄龍グループは宇宙に跨る巨大な王国であり、その国の繁栄は王の為にあるのではなく、王国全ての民の為にあるべきものなのである。そう言う意味で『冬子』様は、王の器ではないと言えるし、それを理解できない彼女は総帥として不適格なのである。

 だが、その彼女しか後継者がいないという不測の事態は、折角、彼をあらゆる妨害から守って来たという私達の努力を全て無駄にしてしまうという事であり、それだけはなんとしても阻まなければならなかった。

 『春麗』の息子、『秋生』の鮮明とはいえない写真を見つめながら、私は苛立ちを抑えるように、深く息を吐いた。全ては彼にかかっていた。
 期待と不安が入り交じって、光の速さを越えて飛ぶ宇宙船のスピードをもどかしく思うほどに、私の心は既にラ・メールへと向かっていた。


 ラ・メールの空港に降り立った私を迎えていたのは、青龍家直属の者、一人だけであった。黄龍グループの支社は、この星にもあったが、病気療養中のはずの自分が、公に動くわけには行かず、『冬子』様にも知られる危険があり、それはなんとしても避けねばならなかった。

 「ようこそいらっしゃいました、ビンセント様」
「廖、御苦労。手間をかけるな」
「いえ、とんでもございません」
ねぎらいの言葉に恭しく頭を下げる男は、廖といって、信頼出来る優秀に人材であった。今までにもたらされた『春麗』の息子、『秋生』に関する情報は、彼が送ってきたものであった。

 「何か新しい情報は?」
「はい、その・・・・・・」
珍しく言葉を濁す廖の態度が気になった。優秀で忠実な彼が私に報告しづらい何かがあるというのだろうか。
 「どうした?」
促されて廖は一呼吸おいて、いつもの冷静な表情を取り戻した。

 「『秋生』と真の働いておられる店のことなのですが・・・・・・」
「確か母親が歌っていた酒場だったな。名前は『マダム・バタフライ』」
「はい、ですが、今は昔と違って、その・・・・・・、酒場とは名ばかりで、店の女達は借金をかたに身体を売らされているようなのです。『秋生』様も、『春麗』様の治療代で店にかなりの借金があるようで、ほとんどただ働きのうえにどうやら客をとらされているようなのです。男相手に――」

 「なに――っ」
頭を硬い禁ビクの棒で強く殴られたような激しいショックに見舞われた。空港内の喧騒が耳から消え、私の脳裏には不鮮明な写真でしかわからない少年の儚げな笑顔がちらついた。その母親に似た華奢で儚げな容貌は、確かに少女のようであった。だが、そんな境遇にあろうとは、思ってもいない事態であった。

 「ビンセント様」
廖の私を呼ぶ声に我に返った。間違いである事を願う一方で、廖が根も葉もない噂程度の事を口にする男でない事も知っていた。
「廖、詳しくはホテルで聞く事にしよう」
「はい」
動揺を悟られないように、廖にクルリと背を向けると、人ごみの中を歩き出した。


 複雑な思い出歩く私の視界をキラリと光が過ぎった。普段ならば決して気に求めない何でもない事であったが、何気なくそちらの方に目をやっていた。
 ロビーの大きなガラス窓からは、離着陸する船の様子が一望できるようになっていた。その片隅に立ち尽くし、外の景色を熱心に見つめている一人の少年の姿が目に入った。

 洗いざらしのズボンとシャツを着た痩せた少年。回りを行く人々の豪華で派手な色彩の衣装とはかけ離れた質素で地味なものであったが、清潔さだけは保たれており、それが少年のもつ爽やかな雰囲気に似合っていた。

 ガラス越しの陽の光に透けた柔らかい髪は明るい茶色で、その小さなこじんまりとした顔の中で大きく見開かれた瞳は、窓の外を一心に見つめて、喜びに輝いていた。
 それは、、この数日間、不鮮明な写真を見ながら、一刻も早く会いたいと願っていた『秋生』に間違いなかった。

 突然、立ち止まってしまった私を訝しく思った廖が、その視線の先にいる少年の姿を認めて、納得がいったように言った。
 「『秋生』様、今日もいらしていたんですね」
その言葉に、黙ったまま『どういうことか?』と視線で尋ねた。

 「よくこうして船を見にいらっしゃっているようです。この星は貧富の差が激しくて、庶民生活はかなり水準が低くて、船のチケットを手に入れるためには、約十年分の給料が必要なのです」
「・・・・・・なるほど」
少年の眼差しには、憧れがあった。

 「廖、悪いが先にホテルへ行っててくれ」
「ビンセント様?」
「私は彼に案内してもらうとしよう」
「はい」

 私は『秋生』に向かってゆっくりと近づいて行った。彼の人となりをいるのには、絶好の機会である。こんなにも早く会えた偶然を喜びながらも、先程の廖の報告への拘りが心のどこかにあって、複雑な心境であった。

 「すみません」
緊張した心とは裏腹に、すんなりと言葉が出ていた。私に声をかけられた秋生が、驚いたようにこちらの方を見る。大きな瞳が印象的で、近くで見れば見るほどに愛らしく、17という歳よりも幼く見えた。

 「すみませんが、ガイドどはぐれて迷子になっています。ホテルまでの道を教えていただきたいのですが_
観光客を装ってみたが、『迷子』という言葉に、少年はクスッと可笑しそうに笑った。それはまるで花が咲いたような明るい自然な笑顔であった。

 「ミスター、どちらのホテルですか?」
「ギャラクシー・エンパイア・ホテルです」
宿泊予定になっているホテルの名前を告げると、少年は「ああそれなら」と大きく頷いた。
「それでしたら、そんなに遠くないですよ。もしよろしかったらご案内しますけど」
願ってもない言葉であった。

 「ご迷惑でなければ、お願い致します」
「はい、全然大丈夫ですから」
「私はビンセント・青といいます」
「僕は工藤 秋生です」

 屈託のない笑顔で話す少年からは、廖から聞いた身の上を想像する事など少しも出来なかった。が、しばらく歩くうちに、幼く見えるのは、彼が華奢というよりも酷く痩せているからだというのに気がついた。項も肩も胸も細く薄くて、抱き締めれば折れてしまいそうな錯覚を覚える。冷静に『秋生』を観察しながら、心の奥では複雑な思いが揺れ動いていた。

 「ミスター・ビンセント、お仕事でいらしたんですか?」
「観光です。秋生、貴方は誰かのお見送りですか?」
「いいえ」
違うと頭を横に振るその仕草さえも愛らしかった。

 「僕、いつかこの星を出ようと思っているんですけど、それには働いていっぱいお金をためなくちゃいけないんです。でも、ここで船を見ていると、『頑張ろう』っていう元気がわいてくるので、よく見に来るんです」
「そうですか。でも、貴方のような方に巡りあえて、私は本当にラッキーでした。もう、どうしようかと途方にくれていました」

 秋生はその言葉に反応して、可笑しそうにクスクス笑った。
「ミスターって、見かけは凄く格好良くて近寄りがたいほどに、いかにもエリートって感じがするんですけど、全然違っているんですね」
少年が何を見て、どんな風に考えるのか、全てが知りたかった。
 自然を装いながら、ビンセントは観察者の冷静な目と、自分の不可思議な感情の狭間で戸惑いながら、秋生と共に過ごしているこの時を、いつしか楽しんでいた。

 「そうですか?」
「ええ。あっ、すみません。別に変とか格好良くないとかじゃなくて、とても素敵だけど、とっても気さくって意味ですから。だって、この星は、お金持ちとそうじゃない庶民とは、生活のエリアが全然違っているから、こんな空港で僕みたいな人間に声をかける人ってまずいませんから」
「そのほうが私には不思議ですね。貴方はこんなに可愛らしいのに」
「――!!」

 耳の後ろまで赤くして俯いてしまった秋生の素直な反応が、私には新鮮で心地のよいものに感じられた。
 日々、息つく暇もなく時間に追われた生活をして、感情を押し殺して生きている自分が、とうに失ってしまった温かさであった。

つづく

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