
2003年6月6日更新
(1)
大きく見開かれたその黒い瞳は、涙を潤ませて縋りつくように見つめ、細い肩を小さく震わせた。そして、おののく赤い唇は、ゆっくりと告げた。
「抱いて下さい」
その時、私は、もう彼から逃れられない自分を知った。
ブラインドが閉ざされ、照明も消されて薄暗くなった部屋の中央のテーブルの上で、超小型の立体映写機から再生された映像が、それを真剣な眼差しで見つめる四人の姿を青白くぼんやりと浮かびあがらせていた。
手のひらサイズのまるで妖精のように儚げで美しい若い女性が、笑顔を浮かべて、唄を歌っていた。映写機自体が今はもう使われていない旧式のタイプであったが、恐らく持ち主が何度も何度も繰り返し再生したのであろう。その映像や唄に時々ノイズが入り、折角の唄が途切れ途切れになって、彼女の儚さを際立たせていた。
二十代前半か、十代といっても充分に通用するだろう。あまり上等とはいえない白いドレスに身を包んではいるが、彼女の容貌は美しかった。白い肌に腰まで伸ばした豊かな黒髪。黒い瞳に赤い唇。まるで人形のように可愛らしい少女の面影をそのまま残しているような清楚な雰囲気。その歌声も容貌に似て細く柔らかで、スタンダードナンバーのラブソングを歌っていた。
やがて、唄が終わり、女性はニッコリと微笑むと、てれたようにちょこんとお辞儀をした。
そして、不意に映像が途切れる。と、すかさず照明が灯され室内を照らし出したが、四人の人物は先程まで立体映像が写しだされていた辺りを厳しい表情で見つめていた。
一人は青色のスーツをすんなりと着こなした二十代半ばの端正な面持ちの青年。銀色の眼鏡が彼の研ぎ澄まされた知的な雰囲気を一層際立たせている。その彼のテーブルを挟んだ向こう側に立つのは、無骨な感じのする大柄な男で、黒のスーツにネクタイ、黒のレザーコート。靴も黒で、黒いサングラスをかけている。そして、その左隣りには、白い髭の小柄な老人。右隣りには、唯一の若い女性の姿があった。
「それで彼女が、そうだ、というのね」
部屋を包んでいた重苦しい雰囲気を破ったのは、四人の内の、唯一の女性であった。黒髪をショートカットにした彼女のアーモンド型の美しい瞳は、何故か苦渋に歪み、苛立ちを隠せないでいた。
それに、青いスーツの青年が感情の一切こもらぬ冷たい声で応える。
「ああ、彼女が我らが黄龍グループの将来の鍵を握る女性だ」
「彼女と総帥との関係は、本当に間違いないのじゃな」
回りのピリピリとした雰囲気とは外れた酷くのんびりとした声で、老人が尋ねる。
「それは間違いない。私はこれらを総帥自らに手渡された。臨終の間際に・・・・・・」
懐から一枚の写真を取り出して、テーブルの上に置いた青年の声が掠れ、一瞬、その冷たい光を浮かべた瞳に、悲しげな影が差した。青年が、そして、部屋の中にいる他の三人も、昨日失ったばかりの偉大な存在の、在りしの日の姿を思い出し、より一層大きな喪失感を感じずにはいられなかった。
写真には、若き日の総帥が、唄を歌っていた女性と寄り添って、楽しそうに笑う姿があった。
彼ら四人は、宇宙に名だたる複合企業、黄龍グループを統括する黄家を影になり日なたになり守り助けるべくある四家、青龍、白虎、朱雀、玄武の当主達である。だが、今、黄龍グループは新たな局面を迎えていた。現総帥が42歳の若さで急逝したのである。それも後継者を残さずに。
「あの方が総帥の座に就かれる前の事らしい。18年前、お忍びで旅行をした時、訪れた辺境の星、ラ・メールで彼女と巡りあい、恋に落ちたそうだ。彼女は場末の酒場の歌姫で名前を『春麗』。一月一緒に暮らして、そして、再会を誓って別れたそうだ。だが、それはかなわなかった。黄龍グループの前総帥が亡くなられて、後を継がなければならなかったからだ。果たせなかった彼女との再会の約束を、あの方は気になさっていた。そして、私に託された。彼女を捜し出して欲しいと・・・・・・。今、幸せならばいい。だが、そうでなかったら、陰ながら力になって欲しいとおっしゃった」
スーツ姿の青年は、青龍家の当主、ビンセント・青。その地位についてまだ五年であったが、総帥の片腕として、誰しも認める業績をあげて、総帥の厚い信頼を得ていた。
その彼の言葉に、唯一の女性である朱雀家の当主、セシリア・朱はフ〜ッと重い溜息をつくのであった。
「随分と勝手な話だわね。18年も放っておいて、今更、どうしようっていうの。そんな気があるのなら、生きている間にさっさと会いに行けばよかったのよ」
厳しい口調で言い放つ彼女を、誰も咎める者はいなかった。彼女の辛辣さは今に始まったことではない。ただ、彼女もまた総帥を深く敬愛してつかえてきたことは、口に出さずとも誰もが知っている事であった。
彼女が今になって思う事は、総帥は生きて元気でいてさえくれれば良かったのだという事。黄龍グループという大きな複合企業をつかさどる総帥という重い立場に雁字搦めになって、日々仕事に追われ、莫大な財産と地位を手にしていながら、外としての幸せと安らぎを得る事もないまま、心に後悔ばかりを残して死んでしまった哀しい偉大な人物への、残された者怨み言であった。
生きてさえいれば、どんな事も可能になり、あらゆる苦難も乗り越えられたはずである。死んでしまってはそれ全てが終わりで、どうする事も出来ない。手を貸す事も相談にのる事も何も出来ないのだ。
ビンセントは、変わらぬ淡々とした口調で、説明を続けた。
「彼に話を聞いてから、すぐに『春麗』を探してみた。彼女の消息はすぐに知れた。だが、彼女はすでに三年前に病気で亡くなっていた。ずっと二人が出会った場末の酒場で、彼を待ち続けていたそうだ。そして、息子が一人残されていた。名前は『秋生』。歳は17」
驚くべき事実に三人はハッと息を飲んだ。
「あの方と同じ名前。歳も・・・・・・あうな」
白虎家のヘンリー・西が、唸りながら言った。それに応えて、ビンセントが小さく頷く。
「恐らく間違いないだろう。あの方の子供だ」
「こりゃ、大変な事じゃな」
玄武家のユンミン老人が、自分の白い髭を弄びながら、ホッホッホッと全然大変ではないように笑った。
「それでどうするつもりじゃな。黄龍グループの後継ぎは、今のままでは、あの方に子供がない以上、姉君である『冬子』様が告がれることになるがのう。それでは、折角のあの方の今までの頑張りが全て無駄になってしまうじゃろう」
「『冬子』様は、野心家過ぎる。総帥の器ではない」
「だからといってその子供が相応しいとは言えまい」
「私が会いに行く。行って確かめてくる。葬儀はお前達に任せる。だが、このことを『冬子』様の耳には決していれるな。知ればあの方は当然妨害なさるだろう。私は病気療養中ということにでもしておいてくれ。正式な後継者発表まで後一月。極秘に事を運ばなければならない」
ビンセント・青の有無を言わせぬ言葉に、三人は一瞬沈黙したが、やがて渋々頷いた。
「わかったわ、青龍。貴方に任せるわ。私の個人的意見としては、貴方が『秋生』を連れて帰ってくることを祈っているわ」
セシリアの言葉にヘンリーとユンミンも同意したかのように頷くのであった。
その人は、私にとって太陽のようなものであり、
存在の全てであった。
彼の語る夢が私の夢となり、
希望となり、
生きる力となって、私を暖かく支えてくれた。
だが、太陽は失われ、私の心は、永遠の闇に閉ざされた。
つづく
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